20240204

 この耐えがたさをうまく理屈にするすべがぼくにはないので、大多数の読者にはわからないと思う。ぼくもわかってもらおうと思ってないので、以下の言葉は感性の違いなのだと聞き流してほしいが、資本主義から安心、尊敬、信頼される人間になる耐えがたさとは、あらゆる安心尊敬、信頼がお金に換算されてしまう耐えがたさであり、働く大人の昼ごはんを紹介するテレビ番組が経営者のランチばかりを紹介する耐えがたさであり、社長の手料理を食べさせられる社員の微妙な表情が映し出される耐えがたさであり、世界的なアーティストたちが京都の料亭で会食してこれからは肉食を減らしていこうとうなずき合う耐えがたさであり、大企業の創業者が接待と称して吉野家の牛丼を食べさせることがあたかも美談として語り継がれる耐えがたさであり、この耐えがたさがわからない人間は総じてクソだがなんの屈託もなくソーシャル・ビジネスとか宣う恥知らずがご高説を垂れる耐えがたさであり、新自由主義に抵抗するためにケアする配慮する勇気づけるエンパワーメントする贈与するという利他を説く大学の先生が世に送り出す学生は企業にぴったりの資本主義社会から安心尊敬信頼される人材である耐えがたさであり、毎朝決まった時間に起きて同じ時刻の通勤電車に揺られるがいつ帰れるかはわからない耐えがたさであり、住民税が払えずに給付金が支給日にサシオサエとして引き落とされる耐えがたさであり、行きつけの飲み屋街がタワーマンション開発のために取り壊される耐えがたさであり、年収が足りず保証人もおらず住居が見つからないまま退去の期日が迫る耐えがたさであり、大型トラックが行き交う道路で若い野良猫が轢き殺される耐えがたさであり、精神状態は経済状況に左右されるから患者に障害年金を取得させることが年金療法と精神科医に裏でささやかれお金でうけた傷は結局お金で癒されるしかない耐えがたさであり、このような耐えがたさから逃れることは容易ではなく毎日その耐えがたさのなか糊口をしのがねばならない耐えがたさである。
(綿野恵太『「逆張り」の研究』)



 12時起床。晴天。暖房なしでも余裕で過ごせる。庭に出ていた(…)が部屋に入れてくれの意で「ワン!」とひと鳴きするので、腰まわりを支えてやりながらスロープをいっしょにあがったところ、よりによって部屋に到着した瞬間に腰を落としてうんこをしはじめたので、おまえ全部まちがっとるぞ! とクソ笑った。たぶん腰まわりを支えたのが刺激になって出てきたのだと思う。
 インスタントラーメン食す。食後のコーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の日記を読み返す。以下、2014年2月4日づけの記事より。

 二十年ぶりで読み返すイエスの一代記は無論少年の時とは全く異った感銘を与えた。彼に荒唐無稽な医療的奇蹟を仮構するほど無智な弟子の筆にも、これだけ生々とした生き身の人間の跡を伝えしめたイエスの人格には、たしかに神の子と呼ぶのが最も適わしい力と天才があるのを私は認めたが、と同時に彼の思想が野蛮な「この世の終わり」の期待に貫かれているのを見て驚いた。十三歳の私はこういうバーバリズムはどう考えていたのだろうか。何の記憶もない。そしてかつて私の心に滲み通ったらしい愛の教義も、今は単なる最上の天才的な表現として私を感嘆せしめるだけなのである。私の心が被った鎧は既にかなり厚い。
「心の貧しき者は幸なり」その他彼の力強い教えは私にはすべて逆説と映った。「敵を愛せ」と彼は教えるが、何が敵であるかを示していない。そして私の理解するところでは、逆説とは常に弱者の論理であり、何等かの意味でその反抗する通念への服従を含んでいる。「カイゼルのものはカイゼルに返せ」が彼の唯一の現実的な教訓であるが、彼のいう「神の国」が直ちに来ないならば、これほど意気地のない教訓はない。だからカイゼルは彼の宗教を採用し、カイゼルはますます栄えたのである。
 私は憂鬱に十三歳の私が既に逆説に惹かれる傾向があったことを確めた。キリスト教は私にとって智慧の目覚めであったが、その時から私が逆説の趣味を持っていたとすると、その後私が常に何かに反して考える習癖があったのは偶然ではない。そして私がいつまでも単に考えるに止っているならば、私は遂に一個の卑怯者にすぎないだろう。
大岡昇平『俘虜記』)

 まず、イエスに対する「彼の思想が野蛮な「この世の終わり」の期待に貫かれているのを見て驚いた」という批評に驚いた。あるいは「そして私の理解するところでは、逆説とは常に弱者の論理であり、何等かの意味でその反抗する通念への服従を含んでいる」という箇所。すごい。

 ChatGPTのアカウントを作成した。これも一時帰国中にやっておくべきことなのだった。執筆をするにあたって利用する予定。文章そのものの下地をこしらえてもらうという使い方はしない。それよりも年月日と舞台をこちらから提示したうえで、そこでどんな音が聞こえるか、どんな光景が認められるか、どんなにおいがするかを教えてもらうつもり。つまり、描写のための現地取材の代用として使う。じぶんの小説はとにかく嗅覚にかかわる情報にとぼしいという自覚があるので、そこのところをうまくフォローしてもらいたい。あと、音声でのやりとりもできるようであるので、暇なときに英会話の練習をするのもいいかもしれない。
 庭に出てめだかの鉢に差し水をする。すると兄一家の車が到着する。車からおりてきた(…)ちゃんが「おかえりー!」という。庭からうちに入ろうとすると、おなじく庭に出ていた(…)が、(…)ちゃんの声がこのときは聞こえたのかもしれない、うちに入りたい入りたいとスロープの前であせっているようすだったので、腰を支えてやっていっしょに入る。(…)は(…)ちゃんの姿を認めるなり、尻尾をふりふりして近づいた。
 (…)の背がとても高くなっていた。いまは142センチだったか143センチだったか。(…)はこの四月から五年生。この分だとじきに(…)ちゃんや母の身長を抜かすだろう。しかし(…)ちゃんがいうには、女の子は生理がはじまると身長がそのあたりで伸びなくなってしまうとのこと。顔つきが以前より(…)ちゃんに似てきている。(…)はこの四月から三年生。長い三つ編みを二本垂らしている。もうすこしのばしたらヘアドネーションするつもりだという。大きなリュックサックを背負っており、中にはぬいぐるみが三つか四つ入っている(そのうちのひとつはちいかわのものだった)。レインボーカラーの熊だかうさぎだかのぬいぐるみがあったので、なんやこいつえらい派手やのといいながら首根っこをひっつかんだところ、それサンタクロースにもらったやつ! そんなつかみかたせんといてっ! と言いながらこちらの二の腕のあたりをパチンとやってみせる、その言い方なり身ぶりなりが、いわゆる「クラスメイトの女子」の作法に完璧にしたがったものだったので、そうか、この年でもうそういう「女子」がインストールされているのかと思った。
 ふたりはさっそくiPadでゲームをはじめた。ふたりをよそに(…)ちゃんから相談があると切り出された。(…)ちゃんはいまボランティアで日本語教師をしているという。まだはじめたばかりで、じぶんがつきっきりで担当する相手はいないのだが、同世代で子どももふたりいる中国人女性がおり、彼女の担当に今後なるかもしれない。来日して二年か三年。旦那さんも中国人。息子ふたりは小学校高学年と低学年だったか。息子にしても母君にしてもN2には合格したが、N1にはまだ合格できないというレベル。ただ、現地で生活しているだけあって、会話はある程度できるというのだが、それでもやっぱり助詞の細かな間違いは多いし、不正確な表現を口にすることも多い。ボランティアの先輩は今後その細かなミスをもう少し修正できるように指導していこうという方針でいるのだが、じぶんが仮に本格的に担当することになったとして、どう修正していけばいいだろうかという。スピーキングにおける文法ミスであったり発音ミスであったりについては、こちらはそれほど頻繁に指導することはない、発音については相手が望めばしっかり指導するけれども文法ミスについては指摘しすぎると相手が萎縮してしまう可能性があるからというと、英語学習経験のある(…)ちゃんはよくわかるといった。結局、相手次第になる。もともと積極的でガンガン発言するタイプであり、かつ、細かい指導をもとめている相手であれば、その都度細かく指摘するのもアリだと思うが、うちの学生らのように、若くてシャイで外国人に慣れていない女子を相手にする場合は、まずは発語をうながすのが重要であるので、口頭でのやりとりの場合はよほどのミスでないかぎりは指摘しない。ただ(…)ちゃんが担当するかもしれない中国人女性は、すでにこうして現地に在住しているわけであるし、そのうえで日本語教室に通っている、つまり、向上心があるということであるのだから、宿題などガンガン出してもいいかもしれない、というのも中国人は基本的に大量の課題をこなすことに学校生活を通じて慣れているし、向上心のある中国人ほどある意味勤勉なタイプの人間はいないからというと、すでに大量の宿題を出している、それでも毎回きちっと仕上げてくるという返事があったので、やっぱりそうなんだと思った。やりとりは標準語? (…)弁? とたずねると、ガチガチの(…)弁ではないけれども標準語というわけでもないというので、そういうのも相手の希望にあわせたほうがいいかもしれないと応じた。ずっと(…)にいるのであれば、そうでなくても西日本にいるつもりであるのなら、標準語はテキストや教材のみにしぼって会話の実践は訛りありのほうがいいだろう。
 姪っ子ふたりが公園に行きたいと言いだした。(…)はわかるにしても(…)はあの年でもまだ公園遊びなどしたいのかとちょっと驚いた。いつもは弟が連れていくらしい。今回はこちらが連れていくことに。公園まで三人でならんで歩く。(…)は本当に成長した。ほとんど対等に会話することができる。国語の成績がよく、本をよく読んでいるというだけあって、語彙もずいぶん豊富。TikTokがどうのこうのいうので、そんなんもしとるんかんというと、じぶんは「健全な教育」を受けているからそうでもない、でも兄や姉のいる子たちはみんなその影響で夜遅くまでTikTokを見たりゲームをしたりしているという返事があり、その「健全な教育」にちょっと笑ってしまった。(…)は年相応に生意気なことも口走るし、汚い言葉遣いをすることもなくはないのだが、それでも(…)ちゃんがいうには同級生らとくらべるとずっとマシで、それはやっぱり長女だかららしい。兄や姉のいる子たちはもっとずっと生意気だという。
 公園の遊具が一新されている。ふたりはまずブランコに乗りたいといった。ブランコはふたつある。ひとつは普通のブランコなのだが、もうひとつはあれは幼児用ということだろうか、おむつのようなかたちをした椅子になっている(両足を通す穴があるため、「座る」というよりは「穿く」というほうが適切だ)。(…)はじぶんでぐんぐん漕いでいく。(…)はこちらに背中を押せ押せとうながす。ある程度スピードが出るとやめてくれというのだが、止めてやるともう一度押せ押せという。ブランコを押してやるあいだ、ふたりのクラスメイトのうち、変わった名字の子はいないかとたずねた。いくつか名前があがったが、もう忘れてしまった。名前のほうはやはりキラキラネームが多い。キラキラネームを小馬鹿にするようなことはしたくなかったので、こちらはあえて名字限定で問いかけたわけだが、ふたりはじきに名前部門でもめずらしいものをあげはじめた。クラスメイトの名前をあげた(…)は「すっごいキラキラや」と言った。
 (…)は滑り台にのぼった。(…)はこちらをシーソーに誘った。シーソーは以前最大で四人か六人遊べるものだったが、いまは二人プレイ専用になっていた。(…)はここでもいきおいをつけないでくれとこちらに言った。そのくせこちらがゆっくりと体重をかけて座ると、もっとはやく! もっとはやく! とうながすのだった。それから鉄棒に移動した。背中の張りおよび凝りをほぐすために、めちゃくちゃ低いその鉄棒を利用して懸垂した。ふたりは地面の砂利でお絵描きをはじめた。手のひらや靴の先っぽを使ってこちらの似顔絵を描いた。(…)はこちらの似顔絵を描きおわったあと、めがねの部分を手のひらでバシンと叩き、めがね割ったった! と笑った。
 そのあとはかくれんぼをした。公園の入り口で鬼が30秒数える。隠れる場所は公園内限定。公園はせまいし、遊具も三つしかないし、隠れる場所なんて本当に数えるほどしかないのだが、それでもいちおう4ゲームか5ゲームほどしただろうか。(…)がおしっこをしたいというので帰宅することにしたが、その帰路でおしっこをすませたらもう一度公園に来たいといった。そんなに楽しんでいるのかと驚いた。公園にもう一度おとずれることはなかった。
 帰宅後、ブロックスというボードゲームをしようと(…)ちゃんが言いだした。(…)は乗り気ではなかった。いやだいやだと言った。四人プレイのゲーム。プレイヤーそれぞれに対応した四色のテトリスブロックみたいなやつをボードに置いていく。初回はボードの角に設置。その後はじぶんのカラーのブロックに角が接している場所に置くことが可能(面が接している場所は不可)。最終的に手持ちのブロックの数が一番少ないプレイヤーが勝利。あたまを使う必要のあるゲームであるが、こちらはその手のゲームでいっさい長考しない——というかそもそも考えることをしない。初回はこちらと(…)ちゃんと(…)と(…)の四人でやったのだが、こちらはだれよりもはやく詰んだ。そして(…)はじぶんが勝利するよりもこちらを詰ませることに尽力したので自身もはやばやと詰んだ。(…)ちゃんはしっかり長考した。(…)がこのゲームをしたくないのは長考のせいでテンポが悪くなるからのようだった。はやばやと詰んだこちらと(…)は人力テトリスをした。こちらがテトリスのBGMを口ずさみながらブロックをひとつずつ(…)に渡す。(…)はそれをなるべく隙間をつくらないようにカーペットの上に並べていく。それを見ていた(…)が、わたしもあのテトリスしたい! と言いだした。(…)はSwitchのテトリスをもっている。
 2ゲーム目はこちら+(…)、弟、(…)ちゃん、母+(…)でプレイした。それが終わったところで手巻き寿司。小生意気な発言のちょくちょくある(…)であるが、こちらになついているのは明白だった、わざわざこちらのとなりに陣取り、食事が終わったらもういちど遊びたい、どんな遊びをするかいまのうちに考えておいてほしいと耳打ちしてみせた。手巻き寿司はべらぼうにうまかった。イクラもウニも山ほど食った。方言の話が出た。(…)ちゃんの元々の地元は(…)らしかった(中二のときに(…)中学校に転校してくる前まで——というのはおそらく両親が離婚する前までということだろうが——(…)に住んでいたのだ)。それで(…)の方言が出た。関西弁の「しはる」みたいに便利な敬語表現があるということで教えてもらったが、忘れてしまった。こちらは家族といるときは(…)弁、友人といるときは京都弁、外国人といるときは標準語というのが、いまや意識的な切り替えなしにデフォルトとして設定されているという認識だったが、家族といるときでもかなり京都弁ないしは関西弁が混じっているという指摘があった。そうかもしれない。
 食後はぬいぐるみを隠すゲームを提案。ステージは一階にある二部屋+台所限定。ひとりが(…)のぬいぐるみを隠す、残りの面々は廊下でそのあいだ待機、オッケーの合図があったらそのぬいぐるみを探すというゲーム。姪っ子ふたりは弟も巻きこんだ。最初は言い出しっぺのこちらがぬいぐるみを隠す。兄は食後ずっとiPhoneでゲームかなにかをしていたのだが、パーカーをかぶっていたのでちょうどいいと思い、そのフードのなかにぬいぐるみを隠した。初回から難易度が高い。姪っ子はずいぶん苦戦した。「いまわたしと(…)ちゃんどっちが近い?」と(…)がたびたび質問するのに、「いまは(…)のほうが近い」「いまは(…)のほうが近い」とその都度ヒントを出した。兄のフードのなかにあるぬいぐるみを見つけたふたりはゲラゲラ笑ってぶっ倒れた。(…)ちゃんも言っていたが、(…)はいちど笑いのツボに入るとしばらくゲラゲラしっぱなしになる、そしてそれは(…)ちゃんも同様らしい。(…)は今日何度も笑いすぎてむせまくっていた。ぬいぐるみはその後、カーテンレールの上、ソファの後ろ、洗濯物のズボンの中などに隠された。最後の一回は炊飯器の中に隠した。
 兄がふたりを風呂に入れた。そのあいだに(…)ちゃんが(…)の教育状況について語った。こちらのみならず弟も母もいたのだが、そして三人そろっておどろいたのだが、いま(…)校の偏差値は50を切っているらしい。たしか48くらいと言っていただろうか。われわれの時代は60あるかないかというレベルだった。(…)高校にいたっては38だというので、ええー! とびっくりした。われわれ三兄弟の時代ですでに(…)高校と(…)高校には微妙に差があった。ただ、当時は(…)高校はガリ勉が行くところ、そして(…)高校はとにかく自由な気風というのが有名だったので(実際校則はかなりゆるいほうだったし、ドカンやボンタンや短ランなどヤンキー用の変形制服を着てもめったに注意されないというのが特徴で、校則の厳しい他校からはよくうらやましがられたものだった、ちなみにこちらは高校二年生のころ、ドカンにもボンタンにも飽きて寅一の鳶職用ズボン——ニッカポッカとはすこし型がちがう——を穿いていた)、兄はそうでもなかったと思うが、中学時代の成績的に(…)高校合格が確実視されていたこちらも弟もそういう事情があって(…)高校を選んだのだった(あと、(…)高校のほうが実家から近いというポイントも大きかった)。しかし時代は変わった。じゃあいま教育しっかり受けさせたい親は子どもどこ入れんのとたずねると、中学受験をさせて(…)に入れるという返事。なるほど。偏差値が50を切ってしまった(…)校であるが、にもかかわらず授業は偏差値60時代とおなじ内容となっている、そのために入学後についていくことができなくなる学生が爆増しているという問題もあるという。そもそも偏差値がそこまで下がったのは、少子化で子どもの数が少なくなっているにもかかわらず、定員をしぼらずかつての基準のままでやっているからだという話もあった。(…)くん偏差値どんぐらいあったんとたずねられたが、そんなものおぼえているわけがない。(…)大学の(…)学部って私大でだいぶ上のほうやろというので、高校時代のクラスメイトに見せてもらった私大のランク表みたいなもので早稲田の政経学部同志社の法学部とならんで一番上にあったのはおぼえているというと、ほんなら70くらいかなというのだが、そもそも偏差値というものを当時からチェックしたおぼえがないので全然わからない。(…)ちゃんはかつての同級生と出くわしてこちらの話になるたびに、みんなが口をそろえてあたまのいい子だったというのだといった。小中学校時代の同級生であればたしかにそういう印象をもっていることだろう。最近だと(…)と(…)で会い、そういう話になったという。
 (…)をおぼえているかと(…)ちゃんはいった。(…)でレジ打ちをしているだろう、母と弟からときどき聞くというと、(…)ちゃんは以前はじめて店舗でその姿を見かけた、しかし中学生当時の記憶があるのでどうしてもレジに並ぶことができなかったといった。(…)は中学時代、学年一の、いや校内一のエロ男で鳴らしており、黒板にはしょっちゅう女性器の絵を描いていたし、ことあるごとに「ちんぽ」だの「まんこ」だの叫んでいたし、英語の授業中に教師が「コンマ」と口にするたびに「え! コンマ!?」とでかい声でリアクションするし(ちなみに社会科の授業中は「オスマントルコ」というワードに反応していた)、親の私物である裏ビデオを仲間たちに融通することでも知られていた(ちなみにその融通の件が学校にバレて、当時担任だった(…)という女性教師が(…)の家を直接おとずれて父親の前でこれこれこういうことがあったんですかと切りだしたところ、おまえがおれの裏ビデオコレクションをちょくちょく拝借しているのは知っていたが学校に持っていくにしてももっとバレないようにしろと父親はその場で(…)に説教、それを目の当たりにした国語教師(…)は「この親にしてこの子あり」と吐き捨てて宅を去ったという伝説がある)。あとよくおぼえているのが、なにかバカにされることがあると、その場で拳を握り顔の高さにあげ、「キサマ〜!」とベジータみたいな口調で口にしたあと、ビートたけしのコマネチをものすごい速度でくりかえしながらその場で小刻みに一回転するという「技」をもっていた(この技は「チリ」と呼ばれていた、なぜなら(…)はこの技の発動時ずっと「チリチリチリチリ!」と口にし続けていたからだ)。(…)ちゃんは中学二年生時のクラスで、つまり、転校してきて最初のクラスであるが、(…)の存在を認め、ものすごいショックを受けたという。(…)にはこんな子いなかった、(…)はやばいと思ったのだ、と。(…)をおぼえているかというので、全然親しくはなかったがおぼえている、アトピーに悩まされていた子だなというと、名字が(…)だった都合上席順でならぶと(…)と(…)とすぐ近くだった、二人とも本当に得体の知れない男子でなんなんこのクラスと思ったという。(…)は(…)のようにわけのわからん人間ではなかったが、いまでいう「インキャ」であることは間違いなかったし、そのつながりで(…)とももしかしたら親しくしていたかもしれない、転校してきたばかりの(…)ちゃんにとってはだから警戒対象だったのかもしれない。ちなみにそのクラスにはこちらもいた。(…)ちゃんとは全然交流などなかったが!
 あと、(…)をおぼえているかというので、おぼえている、親が理科の教師だったので夏休みの自由研究は毎回その親の手を借りた大作を提出していた、それで市レベルか県レベルかわからんがデカい賞もとっていたが、クラスメイトからは親に全部やってもらっているんだろうとからかわれていたというと、最近その(…)が近所に越してきたという。いまは小学校の教師をしており、奥さんは(…)の公文の先生だというので、ほんまにせまい世界やなと笑ってしまった。
 姪っ子ふたりが風呂からあがった。(…)がSwitchを持ってきて好きなものをプレイしていいというので、スーファミ版の『スーパードンキーコング』をちょっとだけプレイさせてもらった。意外なことに(…)ちゃんもむかし『スーパードンキーコング』が大好きで、三作すべてプレイしているという話だった(こちらは初代しかプレイしたことがない)。
 時刻はすでに21時半をまわっていた。一家は去ることになった。じぶんが冬休み中なのですっかりその気でいたが、日本の小学校はいまふつうに学期中なのだった。(…)はまだ遊びたりないといった。それで17日か18日の週末あたりにまた遊びにくることになった。こちらが中国に渡る直前だ。
 風呂に入った。あがったところで、姪っ子ふたりにお年玉をあげた一件を写真付きでモーメンツに投稿した(ふたりには中国で買った真っ赤なお年玉袋に100元札を一枚ずつ入れてプレゼントしたのだ)。それから授業準備。「(…)」を最後まで詰めたところで、手巻き寿司の残りものでプチ海鮮丼をこしらえて食った。寝床で『シンセミア(3)』(阿部和重)の続き。