20240205

 人間は自己家畜化した生き物だという説がある。「家畜化」とは「遺伝的適応の結果として従順になる」ことだ。たとえば、おとなしいキツネ同士を交配させると、人懐っこいキツネが生まれてくる。これが家畜化である。
 たいして、人間は自己家畜化したとされる。ぼくたちのはるか祖先が群れで暮らしていたころ、群れを支配する凶暴なオスがいた。一匹のボスが食料やメスを独占している。しかし、あるとき、支配下にいたオスたちが協力して、凶暴なボスを殺してしまう。このように攻撃性の高い個体が淘汰されたため、人間はほかの動物に比べてカッとなって攻撃することは少なくなった(反応的攻撃性の抑制)。おとなしい従順な性格になった。だが、その代わりに、メンバーが協力して綿密な計画を練ったうえで、ほかの個体や群れを攻撃する、という別の残酷さ(能動的攻撃性)を身につけた、とされる。これが「処刑仮説」と呼ばれる説である。
(綿野恵太『「逆張り」の研究』)



 10時過ぎ起床。両親から昼飯にそばを食いにいくときかされていたので早起きしたかたち。店は(…)の近くにある「(…)」というところ。外観はいかにも蕎麦屋といった感のある、ちょっと町屋みたいな和風の建物であるのだけれども、店内にフェラーリが一台置かれている。われわれ三人はそのフェラーリの停めてある一室にひとつだけあるテーブル席に通された。弟は蕎麦が好きでないので留守番。今日は信じられないほど寒かったので、あたたかいとろろ蕎麦を食った。うまかった。店内にはフェラーリのほか、車のおもちゃが飾られていたりポスターが貼ってあったりした。たぶんご主人の趣味なのだろう。ナンバープレートは「(…)」で、これは店の名前とかけている。フェラーリとは別に、客用駐車場の奥に店の車が二台停まっていたが、それらもナンバーは「(…)」だった。
 帰宅。(…)が尻尾をふって迎えにくる。三人もいなくなって、たぶんこころぼそかったのだろう。とにかく寒い。間借りの一室から毛布を持ってくる。それでリビングのソファに横たわり、『シンセミア』(阿部和重)の続きを読む。じきに寝る。
 目が覚めると15時半をまわっていた。寝すぎだ。パソコンを食卓にもってきて、きのうづけの記事の続きを書く。投稿し、ウェブ各所を巡回する。夕飯は鍋。兄が昨日スマホで英語の勉強をずっとしていたと母が言う。てっきりゲームをしているのかと思っていたのだが、そうではないらしい。仕事で必要なのかもしれない。食後、1年前と10年前の記事を読みかえし、今日づけの記事もここまで書く。

 入浴する。じぶんも英語のリスニングをもうちょっとなんとかしたほうがいいよなと思った。いまは実家だからそんな時間もないわけだが、中国にもどったあとはせめて食事中だけでもYouTubeでTEDとかなんかそういう英語のプレゼン動画でも流そうかな、と。TEDってまともに見たことは一度もないのだが、どうせクソしょうもないもんやろ、ふだん自己啓発書読んでよろこんどる層がよろこぶクソ動画ばっかやろ、それやったらスーファミ時代のレトロゲープレイ動画みとるほうがよっぽど有益やわという感じだったのだけれど、とはいえてリスニング用の退屈なセンテンス群を垂れ流すよりはずっと楽しめるはずだ。それでストレッチしながらためしにYouTubeにある動画を再生してみたところ、英語字幕を出すこともできるし一本でだいたい15分程度のようであるし、なるほど、たしかに教材としてはちょうどいい按配なのかもしれない。
 母がぜんざいを作ってくれるというので食った。22時をまわっていたので(…)をいったん庭に出してやろうとしたところ、起きあがった拍子に台所でうんこをぽろりとした。庭に出して小便だけさせてからふたたび部屋にいれたのだが、のちほどおむつのなかにまたうんこをしたと母から報告があった。
 日語基礎写作(二)の課題「(…)」を完成させた。これは赴任した最初の年からずっとやっていた「(…)」の代わりとなるもの。◯◯はなんでもいい。人物/動物、生物/無生物問わず、なんでもいいのでなにかになったつもりで日記を書いてくださいという趣旨。授業準備はこれで残すところ日語会話(四)のみ。日語会話(四)ではとうとうディスカッションを導入するつもりでいるので、まずはそのためのルール作りからはじめなければならない。40人近いクラスではたしてうまくやれるのかどうか。
 その後、朝方まで書見。『シンセミア』(阿部和重)の続き。