20240208

(…)リベラルは資本主義を認めるが、左翼は否定する。
 リベラル=優等生はいじめる/いじめられるの力関係に敏感である。しかし、優等生/不良の知の力関係には鈍感である、たいして、ネトウヨ=不良は優等生との知の力関係に敏感である。しかし、いじめる/いじめられるの力関係には鈍感である。この不毛な対立を解決するものとして、左翼はどうだろうか、と考えている。左翼は弱者の味方(=敵)だし、一九六八年には戦後民主主義的な先生を吊し上げ、リベラルな欺瞞に満ちた大学を解体しようとした実績もある。とはいえ、現状を考えるとほとんど期待できないけれど。
 アンチ・リベラルがネトウヨや保守ばかりになるのは、このリベラルな社会に疑問や違和感を持ったとき、パッと手を伸ばした先にあるのが『そこまで言って委員会』みたいなコンテンツばかりだからだ。そして、左派よりも右派的な言説に傾きやすいのは、多くの点で人間の本能に訴えるところがあるからだ。
(綿野恵太『「逆張り」の研究』)



 12時起床。父の手土産の寿司とからあげ食す。母が図書館に行くというので同行。『双眼鏡からの眺め』(イーディス・パールマン/古屋美登里・訳)を借りる。イーディス・パールマン未読の訳書はこれのみなので(あとの二冊は先学期中にKindleで買って読んだ)、この一冊を読んだら残りは原文で読む。訳者の古屋美登里、どういう名前の読みなのかなと思って調べたら、「美登里」で「みどり」と読むらしい。いい名前だな。移動中は『コーダの世界 手話の文化と声の文化』(澁谷智子)を読む。さわりを読んだだけだが、めちゃくちゃおもしろい。『発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい』(綾屋紗月+熊谷晋一郎)を読んでいるときにおぼえた解放感をここでもおぼえる。いまじぶんが強いられているこの生き方、この感じ方、この知覚以外の別のありかたが、この世界にはたしかに存在するということを知ることによっておぼえる解放感。これは下手をすれば、一時期の分裂病神話であったり、その変奏となりかねない自閉症神話と同種のものとして誤解されかねないので注意が必要だが、こちらがおぼえる解放感というのはそういう種類のものではなく、別のあり方の特性(それによって生じる多数派モデルによって構築されたこの社会との軋轢も含む)はいったん無視したうえでの、つまり、そのようなあり方を過度に特権視するのでもなければ一種の特能として神聖視するのでもなく、ただ別のあり方があるという端的なその事実に対するもの、そしてまたこの世界にまだ死角が残されていたことに対する驚き、転じて、この世界がいかに豊かであるのかという実感がもたらしてくれるよろこび(多様性というものをもっとも寿ぎたくなるのはこの角度からだ)、そういう種類のものだ。
 帰宅後、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の日記を読み返す。以下、2014年2月8日づけの記事より。当時の職場にはもともと二勤二休という条件で入ったわけだが、たしか二ヶ月か三ヶ月でもう無理です辞めますとなった、しかしこちらを気に入ってくれていたマネージャーの(…)さんが週末の二日間+祝日だけの出勤でかまわないからとひきとめてくれ(代わりに(…)さん以外に唯一の社員だった(…)さんが平日五連勤することになった)、それでその条件をのむかたちで勤続というかたちになったわけで、冷静に考えてみると本当に願ってもない、こちらにとってめちゃくちゃよい条件、いわば特別待遇で受け入れてもらっているわけであるのだが、にもかかわらず以下に記されているとおりのふるまいをこちらはとっているわけで、いまこうして時間をおいて過去のじぶんを客観的にながめてみると、こいつもなかなか曲者やな、さすがあの職場におっただけあるわと笑える。

8時より12時間の奴隷労働。噂どおり(…)さんはインフルエンザに罹ったらしくお休みで、別にそれだけならいっこうにかまわないのであるけれど二日前の木曜日に出勤したさいにとんでもなくひどい咳をくりかえしゴホゴホゲホゲホしまくっていたとかいう話でここらいったいインフルエンザのウイルスが蔓延している。ゆえになるべく手洗いうがいを徹底するように同僚らと確認しあったのだけれどどうして今年にかぎって予防接種を射つのを怠けてしまったのか、いまさら悔やんだところで仕方がないとはいえ一人暮らしのインフルエンザとかけっこう地獄であるのでマジで勘弁してもらいたい。と同時に前夜おぼえた最大レベルの不安、つまり(…)さんがインフルエンザに罹ってそのせいでこちらが代打出勤になるという想定されうる最悪の展開について今朝も朝早くからずっとびくびくしどおしで電話がかかってきたらどうしようとそんな不安を同僚らにもらしていたまさにそのときに電話があって、本社の(…)さんで、別支店の従業員がインフルエンザになったので代打で(…)さんに入ってもらおうと考えている、ついては(…)さんの抜けた穴を申し訳ないけれども(…)くんどうにか埋めてもらえないだろうかという話で、ほら見ろこれボケ!!!!としかもはやいいようがないし死にたい。それでもしかしあらかじめ最悪のケースを想定することでくくることのできる腹もあるというかうすうす覚悟していたことではあるので、ほかに人員がいないんだったらまあしかたないっすねと了承し、これにて土日月火の四連勤が決定した。四!連!勤!電話を切ってすぐにほこりだらけのフロアにうつぶせにぶっ倒れ、四肢をバタバタさせながら「最悪や!最悪や!最悪や!最悪や!最悪や!最悪や!最悪や!最悪や!」と気が狂ったようにのたうちまわった。「そんな汚いとこで寝そべったらそれこそインフルエンザの菌もらうで!(…)くん!はや起きなさい!もー!はやく!奨学金返さなあかんのやろ!」と(…)さんにしかられたのでしゅんとして起きあがったものの、まだまだぜんぜん暴れたりないし騒ぎたりないし絶望したりないし、ゆえに「なんでや!なんでや!なんでや!なんでや!なんでや!なんでや!なんでや!なんでや!」と叫びながらヘッドバンキングをくりかえしていたら(…)さんが「(…)くん!銭もうけや!銭もうけのチャンスなんやからかまへんやないか!ワシやったらほんなん喜んでするで!ええ!?だいいちなんでそないに働くん嫌なんや!?ワシらのこと嫌いなんか!?ワシらの顔見たないんか!?エエ!?」と突然言い出したので、「うっさい!さっさと二千円返せ!」と吠えた。しばらくするとふたたび本社の(…)さんから電話があり、(…)くんあんた火曜日も祝日やし出勤なんやな、てことは四連勤になるけど……だいじょうぶ?どう?やれそう?と、その言葉遣いと気の遣いようからおそらく本社の人間にも(…)のリミットは三日間、四日目になるとキャパオーバーで病むかキレる、いずれにせよトラブルの発生率が跳ねあがる、みたいなことをたぶん(…)さんが報告しているんだろうなと察せられ、そういう裏読みのためにかえって心が冷静になった、もうやるしかないわなと腹をくくった。最悪だけど。最悪中の最悪だけど。最低最悪の展開だけれど。金なんていらねえ時間をくれ。書くための時間だけでいい。あとはもうなんもいらない。グリフィスみたいにぜんぶ捧げたっていい。時間と金。存在と時間。考えるだけで憂鬱になってくる。とにかく最悪だ。今年いちばんの最悪、今世紀に入って見たなかでももっとも残酷な悪夢だ。

 あと、以下のくだりを読んでいて、え? この(…)さんってだれだ? となった。当時の日記に書きつけられている人名はこちらのもの以外すべてイニシャルになっている。10年後のいま読み返してみても、大半は実際の名前を思いだすことができるし、だからこうして過去の記事を引くときにはそのイニシャルを実際の人名に置換してもいるわけだが、しかしこの(…)さんだけは全然思いだせない。以下に記されているできごとについてははっきりおぼえているし、言われてみればじぶんと同い年の女の子もいたかも——と、書いていて! いま! ちょっと思い出したかもしれない! 名前はわからない、でもたしかにそんな子がいた! ものすごくおとなしくてひかえめな、どちらかといえばオタクっぽい、いってみれば腐女子っぽい子ではなかったか? なんかそういうタイプの、いわばあの職場に全然ふさわしくないタイプの女の子がたしかに、ほんの一時期、(…)にいた気がする!

(…)さんというじぶんと同い年の女の子が二三カ月前からバイトとして入っていたのだけれどその娘がとつぜん辞めたという話を耳にして、どうしてですかと事情通らしい(…)さんに原因をたずねてみたところ(…)のおっさんのセクハラのせいだという。(…)のおっさんのセクハラについてはかつて(…)さんがやたらめったら身体をさわられるので困るみたいな相談を(…)さんにしていたことがあり、ただ(…)さんはちょっとばかし物事を誇張していうところがあるというか「わたし!わたし!」みたいなところがあるというか要するに自意識がそれ相応に強く人目を引きつけたがるところのある女の子であるという印象をかねてから受けていたのでこれはまあ話半分にしておこうという感じではあったのだけれど、(…)さんという女性はこういってはなんだけれどもいたって地味でおとなしくて口数もとても少ないひとで、よっぽどのことがないかぎりまあそういうことを言いふらすようなタイプではない。実際さいしょはただ単に辞めさせてほしいとだけ(…)さんのところに連絡があったらしく、ただそこでなにやらあやしいにおいを嗅ぎとった(…)さんが食いさがりどうして辞めるのかだけせめて教えてくれないかと理由を問いただしてみたところ(…)のおっさんのセクハラが……という言葉が返ってきたというのが事の顛末らしくて、それで具体的な話をヒアリングしてみると、先日(…)さんと(…)のおっさんのふたりでペアを組んで部屋をまわっていたときにいきなり(…)のおっさんが(…)さんにむけてちょっと抱きしめさせてくれへんと口にしたことがあったと、ふだん義務的・事務的な用件以外まったく口を利かないというような間柄であったのにいきなりのそれで、あまりに唐突だったために混乱したのか動揺したのか恐怖をおぼえたのか、(…)さんは断ることができなかったというこの構図なんてまさしくおとなしそうな女性をつけねらう痴漢のそれで、最低最悪下劣極まりなしといった具合であるのだけれど、そういうアレで一度目のハグに味をしめたのか、(…)のおっさんはしばらくしてからふたたび同じ行為を要望したと、そこでさすがに我慢ならなくなった(…)さんは勇気をだしてやめてくださいとはじめて拒絶の意志をあらわにし、同時にこれ以上続けるようなら訴えますよと口にしたとかなんとかいう話で、こうした一連の経緯が(…)さんの口よりひそひそ話のていで打ち明けられた時点の場の空気、それは端的にいって(…)のおっさんいっぺん死んだほうがいいんじゃねえのというもので、(…)さんもさすがに今回はかなりおかんむりであるというか端的にいってブチギレているらしく、家庭の事情で金が必要だからという理由で(…)さんに一万円貸してくれとかいっておきながらおまえ裏でこそこそなにやってんだこのハゲが金が必要なんだったらクビになりかねないような馬鹿なふるまいすんじゃねえという話であるし、輩の(…)さんのいきすぎた求愛行動の結果子鹿の(…)さんが辞めるにいたったかつての経緯を義憤まじりに嘲笑してみせたおまえアレなんだったのという話であるし、そもそも五十まわったおっさんが二十代の姉ちゃん相手になにみっともないことやってんだという話であるし、とにかくインフルエンザから復帰後の(…)さんが(…)のおっさん相手にどう出るのか、またもや一悶着巻き起こることになるにちがいないだろうしその一悶着の帰結次第ではただでさえ調停をつとめるのがおそろしく困難なこのくせ者だらけの職場のパワーバランスが大規模に崩れかねないという懸念のないこともなく、一調停者としてほんまえらいことやってくれたなあのおっさんはとこちらまでイライラしてくる。

 この(…)さんは結局そのままバイトをやめたはず。(…)さんはしつこく居残ったが、その後も(…)さんに夜景のみえるホテルに行こうと誘っていることが判明したり、出会い系で知り合ったひととの不倫がバレて奥さんに捨てられたり(それまで車で出勤していたのがあるときから急にママチャリで出勤するようになったのだ)、最終的に(…)さんが通告してクビにしたのだったか、あるいはみずから飛んだのだったか忘れたが、とにかく(…)末期のメンバーではなかった。あそこで働いていた四年間か五年間の出来事を、ウィキペディアの概略的文体で淡々と書き記したいという欲望もないことはないのだが(あるいはそれこそ勤務当時に考えていたように、『百年の孤独』の主役がマコンドという土地そのものであったという意味で、(…)というホテルを主役にして書いてみたい)、「実弾(仮)」の元ネタとして部分的に使用してしまっているので、うーん、どうなんだろうなァという感じ。

 (…)を連れて(…)川へ。今日はひさしぶりに腰を支える介助グッズを使用して散歩してみた。ほかの犬にはめずらしく会わなかった。
 帰宅。灯油を買いにいった弟がなかなか帰宅しないと両親が焦れはじめる。弟はこれまで何度も車で事故を起こしているので、帰宅が予定より遅れるとそれだけで心配になるのだ。弟はその後無事帰宅した。
 食卓で「実弾(仮)」第五稿を軽く執筆。夕飯は両親が店舗まで回収しにいったピザ。生地の薄いやつだった。こちらは厚手のふかふかした生地のほうが好き。
 食後、ソファで横になって『コーダの世界 手話の文化と声の文化』(澁谷智子)の続きを読んでいると、(…)ちゃんがブリをまるまる一匹もってあらわれた。(…)が船釣りでゲットしたものらしい。父に捌いてほしいとやってきたのだ。(…)は弟の同級生であるのだが、なぜか兄一家と交流がある。いまはたしか肉屋になっているのではなかったか。ブリはめちゃくちゃデカかった。それでも正確にはブリではない、サワラだと父は言った。捌くようすをすこしながめた。さすがにプロなので手際がいい。血のにおいが台所にたちこめた。居間まで満ちた。天然ものは骨が硬いと父は言った。養殖であれば包丁をドーンとふりおろせばそれで骨を断ち切ることができるのだが、天然だとそうはいかない、下手をすれば刃こぼれする。だから天然ものの骨を断ち切るときはまず骨の継ぎ目の弱いところに刃をたてて、その上から包丁を握っていないほうの手でドンと叩きつけるようにする必要があるのだという。めちゃくちゃびっくりしたのは尾に近い箇所の丈夫さだった。皮の上から骨の継ぎ目に包丁を置き、もう片方の手で思いきりドンとやったのだが、その皮にすらろくに傷がつかなかったのだ。見たか? これが天然さ! と父は言った。魚の鱗や皮というのはあれほどまでに丈夫なのだ。
 (…)ちゃんはじきにうちに帰った。刺身にして食うのであれば明日にするという話だったので、今日はおろすだけにとどめて、細かく切るのはまた明日にする、それでできあがったらうちまで配達すると父が言ったのだ。解体ショーを見届けたのでこちらも入浴。あがって居間にもどると、まだ血のにおいがたちこめていたので、(…)がまだ生きていたらおおよろこびだったろうな、魚を捌く父のすぐそばでニャーニャー催促していただろうなと思った。
 母から貯金を定期預金にしないのかと言われた。定期にしたところで利子なんてあってないようなものだろうと受けたのだが、それでいえば、今回の帰国中に暗号資産の積み立てだけでも開始しておこうかなと考えていたのだった。それでひさしぶりに相場をチェックしてみたところ、ビットコインイーサリアムも高騰していた、コロナ禍真っ只中の最高値近くにまで達していた。タイミングが悪い。どうせ積み立てを開始するのであれば暴落しているときにはじめたかった。どのみち金なんてほとんど使わない暮らしを送っているわけであるし、月に1万円ずつビットコインイーサリアムを彩票のつもりで購入するのだ。積立NISAとかなんかそういう堅実なのはいらん。博打のほうがよろしい。
 21時半からふたたび「実弾(仮)」第五稿。シーン18、片付く。大きな問題はほとんどなかったが、季節感のある描写がどうしても弱い印象を受けてしまい、結果あれこれ試行錯誤して時間を食ってしまった。
 寝床に移動後、朝方まで『コーダの世界 手話の文化と声の文化』(澁谷智子)の続き。すんごくおもろい。「ろう文化」と「聴文化」の違いとして、誰かが席を外すときは必ずどこにいるのかをたずねるとか、会話をするときは相手の目をじっと見つめるとか、思考が動画として表象されるとか、そういうもろもろがあるのだが、CODAの場合、本人が聞こえる人であったとしても家庭内文化が「ろう文化」であるケースがままあり、すると「ろう文化」に慣れ親しんだ状態で家庭外(「聴文化」)の環境に身を置くにあたってさまざまなコンフリクトが生じる、先の例でいえば、席を立つひとに対していちいちどこにいくのかとたずねるとか、会話をするときに相手の目を見つめすぎるとか、そういうもろもろからトラブルが生じることもある——というくだりを読んでいると、これはほとんど帰国子女の話であるな、異文化論であるなと思うし、実際、「日本語」と「(日本)手話」は(一方がもう一方の下位に属するのではなく、それぞれがひとしく)別言語であるものとしてみなすのが専門家や当事者のあいだでは常識である。実際、言語(母語)が認知および思考に与える影響という側面から見ても、(日本)手話を母語とするひとびとはみな思考が動画として表象されるという、日本語を母語とするひとびととは異なる特徴があることが示唆されている。以下、そのあたりの差異についておもしろく読んだ箇所。

 コーダの丸地伸代さんも、エッセイのなかで同様の思いを綴っている。丸地さんは、日本語よりも手話のほうが得意というタイプのコーダであり、その視点から、手話と日本語の特徴の違いを次のように分析している。

 日本語、特に話し言葉の日本語が苦手で、何かを言おうとすると、早口になります。それは単に自分の癖だと思っていましたが、そうではなく、もともとコーダにはその傾向があると考えるようになりました。日本語になると彼らは一様に多弁になり、無理に聴者のペースに合わせようとして早口になります。[中略]
 つまり、こういうことです。手話は目で見る言語です。目の前に一枚の映像があり、その隅々まで捕らえたものを丸ごと情報とするのが手話で、一方映像の中心にある木や人物のようなものだけを情報とするのが音声語のようです。ですから、手話を音声言語に翻訳するときはいつも「ものたりなさ」を感じます。どうしても自分に見える情報の全てを伝えようとするために、日本語が追いつかなくなるのです。ことばの数を、著者が話す日本語にふさわしい情報量に落とすために取捨選択する術を、私は持ち合わせていないのです。[丸地 2000:92]

 しかしこれを読んで、日本語のほうが手話よりも言語化する部分が少なくて済むと考えるのは、短絡的だろう。丸地さんが、日本語にふさわしい情報量に落とすのが難しいと感じているのと同様に、私のような手話学習者にとっては、手話での自然な表現になるよう、手話にふさわしい情報量に調整するのが難しい。
(澁谷智子『コーダの世界 手話の文化と声の文化』より「1 コーダが戸惑うカルチャーショック」 p.53-54)

 次にYさんの話を見てみたい。
 Yさんは、ご主人がろう、二人の子どもが聞こえるコーダという4人家族である。Yさんは、小学校二年までろう学校、小学校三年から一般の学校に通い、短大を卒業した。Yさんのご主人は、高校までろう学校に通い、その後、大学と大学院の修士課程を卒業している。お話をうかがった当時、Yさんのお宅では、息子さんが九歳、お嬢さんが三歳で、Yさんは最初の子どもである息子さんの話を中心に話してくれた。
 なお、Yさんの語りは手話でなされたため、紹介するにあたっては、Yさんの語りを日本語に翻訳した記録を使っている。

〈息子が赤ちゃん〜幼稚園のとき〉
 息子は生後三か月のときに私の肩をたたいて呼ぶようになった。普通赤ちゃんは泣いて呼ぶけれど、息子は、添い寝をしていると、先にトントンとたたいて、親が見ると泣きはじめるようになった。幼稚園くらいになって癇癪を起こしたときも、私が見ているかどうかを確かめてから怒りはじめるということがあった。
 耳の聞こえる友人と私と息子で歩いていたときのこと。息子は後からついてきていたのだが、途中で立ち止まってしまった。気配を感じて振り返ったら、息子は、私と目がしっかり合ったのを確認してから怒りはじめた。「自分を見ていなければ、お母さんに怒っても意味がない」ってわかっているから、目が合ってから怒りはじめる。それを見ていた聴者の友達は、びっくり。そんな怒り方があるんだって驚いていた。私も初めて知った。

(澁谷智子『コーダの世界 手話の文化と声の文化』より「2 コーダがしていること」 p.70-71)

 「コーダの壁」というのがあると思う。コーダは、聞こえる人の文化と、聞こえない人の文化の、両方を身に付けなくてはいけない。
 たとえば、聞こえる人は「誰々さん」「誰々ちゃん」と呼ぶけれども、聞こえない人は、手を振ったり、肩をトントンとしたりして呼ぶ。息子は、そういうろう者のやり方で友達を呼んでいた。だから、「誰々君がたたいた」と喧嘩になったりした。そういうことがあってから、「聞こえる人に対しては、肩をたたくのではなくて、名前で呼ぶんだよ、文化が違うからね」って教えた。
 また、声で呼ぶときの呼び方の違いもある。普通、聞こえる人には、「◯◯さん」と呼ばれる。でも、手話だと「◯◯」というだけで、「さん」の口型はつかない。「さん」というのを使わない。息子は幼稚園や学校で「さん」とか「くん」とかつけなかったので、先生に注意されてしまうこともあった。今では少なくなった。
 また、手話の言葉と日本語の言葉のずれもある。
 たとえば、息子の友達が何かを探していて、息子に「〜知らない?」と訊くとき。手話の「知らない」は、助けてあげるつもりはあるけれども、情報として知らないために、「知らない」という意味で使うことができる。でも、手話での「知らない」という感覚で、声で「知らない」と言ってしまうと、冷たい感じに思われてしまう。
 帰ってきて、その話を息子から聞き、そういうときは「なくしたの? じゃあ、一緒に探そう」って言い方をするように教えた。「日本語の〝知らない〟のなかには、そういう意味がないんだよ」というように教えた。
(澁谷智子『コーダの世界 手話の文化と声の文化』より「2 コーダがしていること」 p.75-76 ※上記Yさんの話の続き)