20240218

 有声阻害音(日本語においては濁音)が重く、大きく、穢らわしいイメージを持つのは、口腔内空間の体積が、その音を発声する際に一定以上に膨張すること、ならびに閉鎖した口腔から低音のみが際立って外へ響き漏れていることによる。現代言語学の祖とされるフェルディナン・ド・ソシュールは、言葉を成す音とそれが抱え持つ意味のあいだに必然性はなく、個々の言語体系において蓄積されてきた慣習に基づく偶発的な結びつきしかないと主張したが(所謂「言語の恣意性」である)、しかしこれこそが現代の音声学者や認知言語学者、さらにはフェリックス・ガタリ時枝誠記吉本隆明らが、まさしくソシュールを仮想敵とすることによって事後的に共闘してきた戦線でもある。音は聴覚を足場にしつつもそこに留まらず、多様に人体の知覚器官を揺らす。そこで感知されるのは、音そのものというよりそれが発せられるまでのプロセス、表現主体における表現の生成過程である。
 目の見えぬ者には音のみから把握可能な或る部屋の空間的レイアウトが、目の見える者には音のみからでは辿れない。爆発的に溢れかえる世界の可能性を特定の肉体内部の感覚器官の連合でもって記述する、そのための肉体の型が手元にないからだ。或る環境内部に滞在する生物が周囲を探索することで知覚する情報群は、それぞれの肉体の抱え持つマトリクスのもとで特定の可能世界へと縮減されて初めて、その肉体にとって使用可能な場所として構成される。肉体が行なうのは断片的な情報の事後的結合による意味の新たな創造などではなく、むしろ閾値を超えた光を遮蔽することで果たす世界の彫刻であり、その手続きにおいて肉体は、或る一つの肉体における複数の感覚器官間を相互に翻訳可能とする機能を持つ共感覚的フィールドとして世界を抽象化する。この抽象化の資源こそが〈喩 figure〉である。人々が日々の習慣に収まらない異常な情報を死者や国法といった不在者あるいは非生物に由来する声として処理する傾向を持つように(prosopopée)、〈喩〉はそれを処理する者が持つ肉体自体の像を素材に運用される傾向(ないしはその他のものとして彫像されることへの強い抵抗)を持つ。特に人類においては一八世紀以降、すなわちプロテスタンティズムのもとで資本主義と呼ばれるプレイモデルが生み出され、個々の肉体を均しく人権のもとでカウントし始めて以降、〈喩〉は〈人間〉的質感を強く匂わせることとなった。
 かように生物は、探索し知覚した情報から特定の世界とそこに存在する肉体(そこに接続した資格や平衡感覚等)を構成-リプレイすることで、ようやくそこに降り立つ。二〇世紀末に荒川修作+マドリン・ギンズが、〈建築する身体 Architectural Body〉という概念とともに行なった議論の通り、その降り立ちが失敗した場合、肉体は激しい可能の洪水を前に、自らにとって不明な肉体が自らの位置する座標から離れた場所で、しかも自らの肉体の感覚器官と一定程度連携したかたちで多数存在しうるという圧を、強い質感とともに受ける。荒川+ギンズはそれを懐かしさとして認識し、また彼らの先行者であるマルセル・デュシャンはエロティシズムとして検討したが、多くの生物にとっては恐怖という情動が充てがわれることだろう。そこで恐怖とは、一方では感覚器官間のもつれ、誤認の物象化、知覚対象の唐突な変容の予感などとして経験され、また一方では、世界によるこの私の自由意志の収奪、(この私とは異なる場所に私が現れるという意味での)分身の発見、(この私において異なる私が現れるという意味での)肉体の役者化=世界の上演化としてイメージされる。世界を単一に束ね得るような(主に視覚的な)宿が無く、不確かな(主に聴覚的な)ノイズばかりが由来も定まらず反響し、起こる世界の変容あるいは複数化。いずれの場合でも観測されるのは、表現主体における表現の生成過程を自らの自由意志のもとで測定しそこねた肉体が世界の側から強引に採掘する〈喩〉の型であり、感覚器官の連合をめぐる極めて抒情的なバグであり、多宇宙=可能世界そのものの歪な擬人化である。
(樋口恭介・編『異常論文』より鈴木一平+山本浩貴(いぬのせなか座)「無断と土」)



 10時起床。眠いが、がんばった。(…)さんは約束通り11時ごろにやってきた。到着の微信がとどいたところで、おもてに出る。小雨が降っている。見慣れぬ軽バンが一台停まっている。奈良ナンバーだ。助手席に乗りこむ。車は20万円で買った中古だという。キャンプのためだけに買ったものらしい。親の車を借りることもできるのだが、キャンプ用品を積みこんで汚すのは気がひける。
 (…)には昨日の昼過ぎに到着した。(…)の周辺を少し散策してみたが、いい感じの街並みだったというので、(…)のタイミングであの一帯だけ再開発したのだという。昼飯をどうしようかというので、ここらでメシとなったらやっぱり刺身くらいしかないと応じると、でもからあげが有名なんでしょうという。からあげ? ネットで検索したらそう出てきたという。そんなはずがない。刺身だったら(…)という店があるというと、きのうそこでメシを食ったという。街歩きの最中に(…)の近くにある支店に立ち寄った。なにを食ったのかとたずねると、刺身っていうよりは漬けのどんぶりみたいなものでというので、てこね寿司かとなる。微妙だったでしょうとたずねると、刺身っていう感じではないねというので、じゃあ今日は本店のほうにいってそこで刺身の定食でも食いましょうと提案する。
 ナビにしたがって車を走らせる。本店は(…)のほうにある。田んぼに両脇をはさまれている(…)のクソ田舎を走る。これはなかなかの田舎やねと(…)さんが苦笑する。そこに墓地あるでしょ、そのそばに用水路流れとるんすけど、ぼくそこでメダカとってたんですよというと、おれもおれも、子どものころよく似たようなことしてたよというので、いやぼく子どものときとちごてコロナのとき、オンライン授業で実家居候してた時期に父親や弟に車出してもうてというと、(…)さんは笑った。(…)さんは(…)も奈良もさほど変わらないだろうと考えていた。しかし今日車で実際に市内をいろいろ走ってみて、いや(…)のほうが数段田舎であるなと思いなおしたという。(…)さんの実家は奈良駅に自転車で20分ほどで行ける距離。うちの実家から(…)駅もしくは(…)駅まで自転車なら30分弱だろうか。(…)さんの実家のそばにはスーパーもコンビニもある。徒歩で生活を完結させることができる。一方、うちの実家から最寄りのスーパーないしはコンビニまでは車で10分弱かかる。徒歩圏内には住宅と田んぼと空き地しかない。それでも(…)よりはマシだ。(…)は移動スーパーがやってくるレベルの集落だ。自転車があればそれでもカフェくらいには行けるんじゃないというので、スタバはイオンにしかないと応じる。そもそもうちのような田舎ではアラフォーの男性が自転車に乗っている時点で異常なのだと続ける。(…)さんはピンときていないようだった。田舎は車社会だから大人になって自転車に乗る人間なんて年寄りをのぞけばほぼ存在しない、そもそも歩行者もいない、老人ないしは中高校生でもないのに道路を歩いていたり自転車に乗っていたりすると、それだけでほとんど不審者のようにみえる、風景にものすごく異物感がもたらされると説明する。でも駅前は歩行者けっこういたよというので、あれは全部観光客ですと応じる。奈良ではそんなことないという。(…)さん自身ふつうに自転車で移動することもあるという。車が一家に一台ではなく一人一台であるのは(…)と変わらないが、それでも街中には歩行者もいるし若い子も中年も自転車に乗っている。だったら都会だ。それは田舎とはいわない。
 (…)に最後におとずれたのは高校生のころかもしれない。いや、実家を出てから一度くらいはおとずれたことがあるだろうか? 本店はかつて店舗のあった場所から少し離れたところにリニューアルオープンしていた。こちらが子どもの時分は単なる魚屋だった。魚屋のあまった一画にテーブルと椅子を多少ならべており、メニューもろくになく、とりあえず生簀に入っている魚を調理して出してくれるという趣向だったように記憶している。リニューアルした本店ははるかに料理屋然としていた。青い砂利の敷かれている殺風景な空き地が延々とひろがっているだけの、車のタイヤがジャリジャリとレゴブロックをかきまわすときのような音をたてる、店舗よりもずっとひろい駐車場に車を止める。雨脚が強くなっている。駐車場には車がいっぱい停まっているが、ほとんど県内ナンバーだ。
 店の入り口は海産物の売り場になっている。その奥はお土産コーナーになっている。さらにその奥に待合スペースがある。紙に名前を書く。呼ばれた人間は液晶タッチパネル型の券売機でメニューを注文する仕組み。客の半数ほどがマスクをつけている。出国を間近にひかえたいまこのタイミングで感染したら終わりだ。でもマスクをもってくるのを忘れていた。店内はかなり混雑している。30分近く雑談して待った。
 順番がまわってくる。日替わり定食を注文する。刺身をアジとカンパチとワラサの三つから選ぶことができる。(…)といえばアジの刺身という印象が強く残っていたのでそれにする。(…)さんはカンパチを選ぶ。セットの内容は子どものころとほぼ変わらなかった。白米、あおさの味噌汁、アジのお造り、煮魚、アッパッパ貝と牡蠣、つけもの、サラダ。それで1400円だったか。子どものころはおなじセットでたしか1000円を切っていた。
 食後はコーヒーをもとめて(…)に移動する。(…)川沿いを走る。ぼくらはむかしからずっとここらで泳いでましたと伝える。うわ、このへんマジで最高やん、アウトドア好きにしたら最高やで(…)くん! と(…)さんは興奮した口調でいう。(…)さんキャンプ好きでしょ? キャンプ好きにとったらこの辺マジで最高やと思いますよ、ふだんほとんどひとおらんし、最近のキャンプブームで若干よその人間にも見つかりつつあるかなって感じはありますけど、それでも全然スペースにゆとりありますからねという。釣りもできる? というので、ここらは漁業権の関係で鮎とか鰻とかおるにはおるけど釣るんはあかんはずです、でももうちょっと上流のほうやったら銛でつけるとこありますよ、十年くらいに前にぼくそこで鮎ついてその場で焼いて食ったりしてました、もうちょい下流のほうに橋があるんすけどその橋からもうひとつふたつむこうの橋の下ではチヌぎょうさん釣れますね、うちの父やんがむかしよお釣ってました、そっからもうちょい海に近いほういけばスズキがおりますねと応じる。シーバスもおるんや! ええなあ! と(…)さんが目を細める。でもこの環境ですからね、住む気にはなかなかなれんでしょ? と窓の外を指す。周囲には空き地しかない。山しかない。川しかない。畑しかない。休耕田しかない。でも駅前のほうは盛えてるでしょ? というので、道中そのへん通りますけどまあびっくりすると思いますよと応じる。
 そして実際、(…)駅近くの踏切を横断する。ここらがマックスです、駅前のその建物、最近ようやくきれいに建て直したみたいですけどぼくが子どものころからずっと、潰れた百貨店の跡地やって、市の名前冠した駅を出て最初の一歩目に目にするのがやから廃ビルやったんです、しかもこれだけ背ぇ高い建物市内にたぶんほとんどないですしね、いっちゃん背ぇ高い建物が廃ビルっていうという。(…)さんはたしかにと苦笑いする。せまい道を進む。宝くじを扱っている昔ながらの商店がある。ここでむかし一億円出たっていうて噂になりましたと告げる。いまどきこんな店めずらしない? 宝くじだけ売ってるこんなお店あるんや!
 (…)へ。昼間におとずれるのはこちらもはじめてかもしれない。店内はしゃれている。テーブル席のほかにバーカウンターもある。喫煙席に座る。バーカウンターには白シャツと蝶ネクタイに金髪の若い男性が入っている。ホールをうろうろしている若い女性らはみなきれいでおしゃれだ。(…)でもこんなふうな人種がいるんだなとこちらが驚いてしまう。(…)さんも店の雰囲気に感心していた。すごくいい雰囲気じゃないと言った。コーヒーをオーダーする。酒飲みのくせに甘いものが好きな(…)さんがレアチーズケーキのセットにするというのでこちらもおなじものをお願いする。それからたくさんおしゃべりをする。二杯目のコーヒーもおかわりで注文した。客はひっきりなしにやってきた。やたらと背の高い地雷系ファッションの女子が(…)さんの背後を通りすぎて禁煙席のほうに姿を消す。(…)にもあんな女の子がいるんだとまた驚く。(…)にももしかしたら、もしかしたらだけどムージルを読んでいる人がじぶん以外にもいるのかもしれない。(…)を過小評価していたかもしれない。文化に触れている人間がいるのかもしれない。しかしちょっと若い女の子の姿を目にしただけで、ちょっとサブカルっぽい姿を見かけただけで、ファッションやヘアスタイルに気をつかっている子を見かけただけで、そんなふうに思ってしまうその環境がやっぱり(…)なのだ、じぶんの地元なのだとも思う。おなじような人種を京都で見てもなんとも思わないだろう。京都が少し遠くなった。あたまが少し混乱する。もはやヤンキーでもなくなった。だからといってインテリにもサブカルにもなじめない。じぶんをタグ付けすることができない。それはしかしすばらしいことでもあるだろう。孤独が苦手でない人間でよかった。もうすぐ四十歳になる。(…)さんはじぶんの十歳年上だと思っていたが、そうではなかった、八歳年上だった、だから今年で四十七歳になるのだ。それでも両親は(…)さんのことをまだ子どもだと思っている。実家に住んでいたころは週に二日のペースで飲み歩いていた。しかし飲んで帰宅するのが億劫だった。深夜に物音をたてずこっそり帰宅したつもりなのに翌朝には母親から昨日は帰りが遅かったねと言われる。両親は21時には就寝する。朝昼晩の食事はその両親にあわせる必要がある。その窮屈さにたえきれずにアパートを借りた。六畳一間で25000円。しかし奈良駅まで徒歩3分だという。中国に渡ったあともアパートをキープしておこうかなと考えている。さすがにもったいなくないかというと、一時帰国中に実家で暮らすのはやはり窮屈だ、それにじぶんは荷物がとても多い、DIYした家具がたくさんある、それらをすべて実家にあずけるのは気がひけるという。両親には今夏から中国に渡ることをまだ話していない。はじめて中国に渡ると決めた六年前だか七年前だかには母親に泣かれた。今回は父親に勘当されるかもしれない。きのうは海岸でたくさんの流木を拾った。すべてDIYの材料にするため。奈良には流木を拾うことのできる場所は川しかない。川にある流木はどれもこれも小さい。海にある流木は大きくて迫力があるからすばらしい。

 赴任先の大学の初任給は10000元。(…)さんのほうで最低10000元からと交渉した。もともとはこの2月からの赴任予定だったが、一学期分遅らせるかたちになった。それについては交渉相手である日本語学科の主任から多少叱られた。(…)さんがやってくる前提で、二人いる外教のうち一人をすでにクビにしてしまっているからだ。教え方がたいそう下手な外教だった。学生からの評判も全然よろしくなかった。主任は(…)さんの学部生時代の恩師だ。その(…)さんの紹介で日本で一度か二度いっしょに飲み食いし、その過程で意気投合した、それで今回の重慶行きが決まった。主任は(…)さんほど開放的な思想の持ちぬしではない。ウクライナとロシアの戦争についてはアメリカが悪いというかの国における典型的な言い分を口にしている。(…)さんや(…)さんのように自由な議論を交わすことのできる相手ではない。(…)さんはいずれ本帰国するかもしれない。近平の旦那がいなくなったらの話だと以前本人からきいた。でも、そうではない。もうすこしはやく本帰国する可能性もいちおう考えている。日本では非正規の大学教員でしかない。月40万は稼いでいるが、やっぱり正規のほうがいい、安定がほしい。それがむずかしいのであれば、中国に本帰国して母校の大学の日本語学科に、彼のキャリアであればおそらく問題ないだろうが、主任として赴任するのもアリではないかと考えている。奥さんも異論なしだ。仮にそうなったら外教には(…)さんや(…)さんやこちらを雇うこともできるといっているらしい。そうなったらやりたい放題ですねと笑う。(…)さんは赴任先にいるもうひとり外教に警戒心を抱いている。どんな人物かわからないが高学歴のベテランであることはまず間違いない。じぶんの授業のやりかたに口出しされることがあればいろいろやっかいだ。(…)くんとのコンビは本当にやりやすかったと言う。
 こちらの給料が現在8000元をオーバーしていることに驚く。あそこで8000元って相当じゃないという。ぼくらが赴任した当時はたしか6000元スタートでしたよねと受ける。(…)さんの時代は5000元ほどだった。(…)先生の時代なんて3000元しかなかった。毎年契約更新のたびごとに数百元ずつ昇給するという仕組みがあるが、それとは別に、たしかコロナまっただなかに中国入りした直後だったと思う、時期が時期であるのによくぞはるばるもどってきてくれたというアレを込めて、普通よりちょっと多めの昇給があったのはおぼえている。それが大きかったのかもしれない。
 日本にある日本語学校で働くのであればパートがいいと(…)さんが言う。午前中に一コマを週5日やるだけで15万円か16万円になる。(…)さんがいま勤めている職場にいる教員の大半はパートの主婦だ。授業は教科書に準拠するかたち。パワポの資料も学校側がすべて用意している。そういうものだとわりきってやるのであればかなり簡単だ。ただし中国での授業とはちがって、こっちでは文法事項をしっかりレクチャーする必要がある。(…)さんはその点、部下や後輩からしょっちゅうダメ出しされる。事務能力も高くないので、典型的なポンコツ中年上司になってしまっていると自虐する。中国に越すことは職場にまだ伝えていない。(…)くん本帰国することがあったらこっちの日本語学校で働くのもいいと思うよと言う。週5日で15万だったら週2.5日で7万5000円だ。たしかにアツい。こちらは日本語教師の資格を有していない。日本の語学学校で働くのであれば資格は必須だ。元教え子である彼女と東京で同棲している(…)さんもぼちぼち国内の日本語学校で働く予定だという。(…)さんも資格は持っていない。だから闇の学校で働くのかもしれない。(…)さんの職場の学生で一番多いのはネパール人。ベトナム人の数はいっときにくらべるとずいぶん減った。中国人や韓国人も少数であるがいる。こっちの語学学校で見る中国人は(…)時代に接することのまったくなかったタイプだ。大半は金持ちのバカ息子。腕にびっしりとタトゥーの入っている子もいる。みんな高校時代にろくに勉強しておらず、そのせいで高考に失敗した。親としてはなんとしてもいい学歴を与えてやりたい。国内が無理なのであれば海外でもかまわない。大学のレベルは問わない、いわゆるFラン大学でもいい、とにかく海外の大学を卒業したというハクをつけてやりたい。そういう理由で日本に送り出している。しかしバカ息子なので当然ろくに勉強しない。親の小遣いで買った車を乗りまわしている。
 (…)さんの話をする。中国にもどるのであれば彼女とむこうでまた会えばいい。付き合えばいいではないか。当時はたしかに告白したら付き合うことのできる雰囲気ではあったと(…)さんも認める。コロナ以降会った? というので、夏休みだったかにいちど誘いがあって万达で鉄板焼きをおごってもらったと応じる。それとは別の機会に、いま大学の近くの美容院で髪の毛を切っているという写真付きのメッセージが送られてきたことがあるが、正直めんどうくさかったので、いまから会いませんかという言外の意味を無視して適当にやりすごしたと続ける。彼女はダメなの? というので、正直そういう対象としては見れないと応じる。あれからずっと浮いた話はないの? 女の子と出かけたりしていないの? 学生以外だったらと前置きして、(…)さんの話をする。いまは日本の大学の博士課程に在籍しているが、コロナ禍には故郷である(…)に滞在していた、その一時帰国中にいっしょに登山したりメシを食ったりしたという。そんなの典型的なデートじゃないかという反応がある。何度くらいデートしたの? というので、登山の際に毎週末の午前中に開催されているフリーマーケットに行く約束をいちおう交わしたが、早起きするのがめんどうだったので結局スルーした、そしてそのままになったというと、(…)くんやなぁと言って(…)さんは笑った。おれからしたら(…)くん入れ食いみたいにみえるのにほんといかへんよなといつものように続ける。相手がそういう雰囲気を出してくるといろいろ考えてしまう。仮にそういう関係になったらこれから週に二日は会わなければならない。その二日は読み書きができなくなる。月換算すれば最低も八日は使いものにならなくなる。そんなのイライラするのが目に見えている。相手が中国人女性であればなおさらだ。例外がもちろんいることはわかっているけれども、それでも中国人カップルをここ五年か六年さんざん目にしてきて思う、じぶんはあの束縛っぷりに絶対に耐えられない、想像しただけで気が狂いそうになる。なにが好きで毎日微信を100回以上交わさなければならないのだ? メシを食っている最中までビデオ通話しなければならないのだ? バカじゃないか! 分離不安におびえる犬とおなじだ! (…)さんがゲラゲラ笑う。
 いま仲良くしている学生はいないのという。四年生だったら(…)さんと(…)さん、三年生だったら(…)さんと答えるが、(…)さんが(オンライン上で)面識があるのは現四年生までだった。(…)さんの話になったついでに(…)先生の話をする。北京のどこかにある大学の博士課程に在籍しているが、自分の課題を(…)さんに押しつけている、と。(…)さん、ドン引きする。クズじゃない!? と顔をしかめて言うので、あのひとはマジもんのカスですよ、いっぺん死んだほうがいいとぼくは思ってますねと受ける。ついでに一年生が2クラスになったこと、大学院が年内に創設されること、それらすべてが若者の就職難対策として政府がとった政策——大学(院)の受け皿および教職の受け皿を増やす——に起因しているという(…)から聞いた話をする。
 社会の雰囲気はどうかという。コロナ以前とはやはり違うと応じる。特にいまの学生は物心のついた時点で近平の旦那の体制下にあり、分別のろくにつかないころからずっと強烈な愛国教育を受けている世代であるので、やはりそういう影響を感じることはしばしばあると続ける。外で政治の話とかしてだいじょうぶかなというので、飲み屋で初対面の人間相手にするのはやめておいたほうがいいのではないか、相手がどれだけ親切なひとであったとしても政治となると一気にモードが変わるタイプはいることにはいると思う、相手から切りこんでこないかぎりはそういう敏感な話は避けておいたほうがいいと思うと述べる。学生とそういう話はする? というので、授業中には絶対にしない、授業外であれば応じることもある、じぶんの意見を言うのであれば周囲にほかの学生がいない場面であり、かつ、相手が自分にある程度信頼をおいている(転移している)ことがはっきりしているときにかぎって、ある程度踏みこんだ話をすることもあると受けたうえで、二年生の(…)くんや三年生の(…)さんや(…)さんの例を出す。VPNはどう? というので、コロナ以前から使っているサービスを継続していると応じる。(…)さんは以前無料のVPNを三つか四つまわしていたという。無料はやめておいたほうがいいと告げる。年々規制が厳しくなっている、特にコロナ以降はそうだと思う、有料サービスを使っていた(…)ですら規制強化が原因でさんざんな目にあっていた、無料のVPNが現状どの程度つながるのかはわからない、いまはつながったとしてもいつつながらなくなるかもわからない、だから有料サービスを契約しておいたほうがいい、それプラス予備として無料を複数用意しておくのがベターではないか。情報はどこで手に入れているかというので、英語圏および日本語圏の大手メディアのニュース記事、日本および台湾の専門家のTwitter、それにくわえて壁越えしている中国人界隈のアカウントを多少覗き見していると答える。ロシアによるウクライナ侵攻前のように衛生画像などからおかしな動きが認められた場合は即座に帰国するつもりでいる。念には念を入れて預金も来学期中に中国から日本にまとめて送金する予定だと続ける。
 店を出る。会計は(…)さんがもってくれる。車にもどる。忘れないうちにと土産を渡される。奈良漬け。ありがたい。うちの家族はみな漬け物が大好きなのだ。実家に送ってもらう。道中、中国にもどることを決めた理由のひとつに(…)くんの言葉があったのだと告げられる。びっくりする。なにか言いましたっけ? というと、いや(…)くん毎年卒業生に手紙書くでしょ? あれいつも興味深く読ませてもらってるんだけど去年だったかな、一昨年だったか忘れたけど、遠さと近さについてのやつあったでしょ? あれがね、ちょっとおれすごく刺さってね、マジで(…)くんの言うとおりだなと思って、それでおれやっぱり中国での生活をもういちど経験したいと思ったんだよね、それで彼女との生活にも踏ん切りがついたところがあってというので、あー! マジすか! ほんならあれ(…)さんにだけは非公開にするべきでしたわ! とちょけた。ちょけながら、(…)からかつて言われた言葉を思い出した。おまえがシリアスなモードで語っているときに居合わせた人間はだれでも自分の人生を再考せざるをえなくなる。しかし卒業生に向けて書いた手紙が、まさか(…)さんに刺さっていたとは。これも投げ便通信か。
 到着。渡航予定が決まったらまた連絡してくださいと告げて車をおりる。帰宅して母に奈良漬けを渡す。お返しに父がもちかえってきた天巻きを渡せばどうかという。こんなんいるかな? いらんのちゃう? などと話しているうちに、一時停止中の車内でナビを設定していた(…)さんの車の去っていく音がする。
 雨はあるかなしかだ。(…)を(…)川に連れていくことにする。注射を増やしたのがよかったのか、(…)の足腰はあきらかによくなっている。以前は小回りがまったくきかず、せまいところで方向転換しようとするとそのまま後ろ足から倒れこんでしまい、まるでドリフトでもしているみたいだと笑っていたわけだが、いまはおぼつかないながらも方向転換ができる。散歩中も不器用なリズムでこそあるものの一歩一歩しっかり歩く。もっとはやく薬の量を増やしてもらうべきだった。悪天候だったので当然(…)川ではだれにも会わなかった。
 帰宅。きのうづけの記事の続きを書きすすめる。夕食の場でさっそく手土産の奈良漬けをいただく。両親はそろって奈良漬けを好まない。しかし(…)さんにいただいたものは、パッケージからしてあれはけっこう高級品なのだろう、これまで食べたことのある奈良漬けとは全然味が違うといってバクバク食べていた。食後はケーキも食った。(…)さんからはその後(…)温泉に立ち寄って一服してから帰宅したという連絡があった。
 入浴。いい加減生活リズムをたてなおす必要があるのでコーヒーは飲まずに代わりに白湯をカップにそそぐ。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返す。そのまま今日づけの記事も途中まで書く。作業中はROTH BART BARONの“Closer”をくりかえし流す。いい曲だ。三年生の(…)さんからまた(…)の写真付きのメッセージがとどく。(…)と一緒に暮らすために大学院には進学せず、地元で公務員になることにするという。それは以前も聞いた。