20240219

(…)菅原はおそらく天皇制について、肯定とも否定とも言えない複雑な感情を抱いていた。天皇が国民の公共感情を吸収する装置として存在することそのものへの関心とも、言い換えられるかもしれません。そこで、公共的な主体にとって行われる死者への追悼と、それには決して還元され得ない個々人にとっての追悼とのあいだに軋轢が生じたとき、死者への慰霊がいずれにおいても完遂されない可能性が半ば連鎖的に生じることになる。私にとって大切な誰かの死への追悼が、私においても国家においても果たされないのなら、両者から逸脱した余剰が溜まっていくほかない。それが遠く離れた現在において、何かしらの舞台装置と誰かの肉体を通じて私的に上演される——すなわち怪談空間と呼ばれるものの内実です。
(樋口恭介・編『異常論文』より鈴木一平+山本浩貴(いぬのせなか座)「無断と土」)



 早起きせにゃならんとあたまでは理解しているのだが寝床でぬくぬくととどまってしまう。11時半近くにようやく活動を開始した。弟が冷食のピザにソーセージやトマトやチーズを上乗せしたものを用意してくれる。父は今日から四連休らしい。
 母とセカストに行く予定だった。押し入れの肥やしになっている衣類をまとめて処分する計画を立てていたのだ。物持ちの良いことで知られる次男坊なので、押し入れのなかの収納ケースには大学生のときに購入したTシャツだのロンTだのジーンズだのが山ほどあったし、父の部屋にあるクローゼットにはZARAH&Mテーラードジャケットがあった。ZARAテーラードジャケットを見た瞬間、うわ! こんなもんあったな! と爆笑した。おぼえている。はじめて東京で(…)くんと会った日に着ていたものだ。テレビの砂嵐みたいな模様のやつだ。これは当時でもまずまずジャストサイズだったので、栄養失調を乗り越えたいまは全然着れない、パツパツの肉襦袢になってしまう。H&Mのほうはたしかセカストで買うだけ買ってほとんどまったく着なかったものだ。母のほうで処分したいものはSHIPSのロンT一着のみ。こちらが押し入れやクローゼットから放りだしたものは全部で二十品以上あったと思う。大半がノーブランドであるしボロボロであるし、母のものとあわせて2000円にでもなれば御の字かなという感じ。
 ふたりでごそごそやっているうちに弟もやってきた。いらない服がけっこうたくさんあるといっていろいろ持ってくる。DIESELのTシャツが三着あった。ほかにもこちらが売り払う予定のものよりもずっとマシなものがいくつもあった。だったら2000円は固いだろう。辛子色のセーターとナイロン生地の黒い七部丈は売らずにこちらがもらった。こちらが大学一年生のときにはじめて買った茶色いテーラードジャケットもあった。たまげた。もう着ることもないので弟にやると言って手渡したらしい。全然おぼえていない。弟も結局着ることはなかった。15年以上埃をかぶっていた!
 査定の結果を見届けたいのか、弟もついてくることになった。その弟の運転で出発。おもてはなかなかの雨降りだった。のどが渇いているという弟が道中セブンイレブンに立ち寄ったので、こちらもついでにコーヒーを買い、ひさしぶりにATMで七万円おろした。出国は明後日。だから明日の夜、中国で買った真っ赤なお年玉袋に一万円を入れたのを両親と弟にそれぞれくれてやるつもりでいるのだ。金なんて持っていても仕方ない。本当に使うことがない。本と古着だけで十分なのだ。いつのまにか貯金が五百万円たまっていたと昨日(…)さんに告げたところ、嘘でしょ! という反応があった。(…)さんは中国時代の稼ぎはほぼ貯金にならなかった。十年間外教をしていた(…)さんですら五百万円あるかなしからしい。こちらは半分の年数で同額の貯蓄を達成してしまった。貯蓄の意識はまったくなかった。ただ勝手に貯まる。京都時代の創意工夫に満ちた極貧暮らしが一種ここちよいルーティンとして身についてしまっているのかもしれない、それで勝手に金が貯まるのかもしれない。
 親子三人で雨の降る中、トランクに積み込んだ物品を手分けしてセカストの買い取りカウンターに運びこむ。査定には三十分から一時間ほどかかると女性スタッフが言う。おおいにけっこう! そのあいだに古着を見てまわる。以前母と立ち寄った店舗とは違い、(…)店のほうは品揃えがおもいのほかよかった。ZOZOTOWNでポチったものはすでに返品してしまったが、やっぱり革ジャンがほしいなという希望はあった。その希望が実った。JOURNAL STANDARDのものがおよそ一万円で売っていたのだ。状態は申し分ない。サイズもぴったり。カラーはブラックではなく赤みがかったブラウンだったが、これはこれで『シェンムー』の芭月涼みたいだからオッケー! それにくわえてノーブランドのグレーのパンツもいいのが見つかった。遠目にはスラックスっぽいのだが、実際はストレッチのきいたスウェットっぽい素材で、試着室で穿いてみたところ、びっくりするくらいぴったりだったのだ。最後の最後で大勝利だ! ZOZOTOWNでポチったものを三度連続で返品するという粘り強さによって優勝した! 弟は気になる柄シャツを見つけたが、サイズが合わなかった。SHEINのものだったというので、だったら新品でもアホみたいな安値で買えると言った。弟もそのつもりだったようで、実際帰宅後にネットで検索をかけてみたようだが、見つからなかった。母は(…)を散歩させるときに着る春秋用のナイロンジャケットを探していたが、よいものが見つからなかった。こちらがずっと以前にリサイクルショップで買ったものの一度も着ていないものがあるので、それをあげることにした。
 査定が終わった。250円だった。さすがにビビった。買い取り価格のつかないものもたくさんあった。なんぼなんでも安すぎるやろと思ったが、しかし店で売られているものの値段を考えてみると(たとえばBEAMSSHIPSのロンTやカーディガンが、使用感こそいくらかあるものの、1000円を切った値段で雑多なコーナーに吊られている)、クソと形容せざるをえないこちらの秘蔵っ子たちがこの価格で買い叩かれるのもやはり妥当かもしれない。そもそもうちに持って帰っても仕方ない、ゴミを放るつもりでやってきたのであるからあれこれ言うまい、そういうわけで了承する。買い取り金は弟の小遣いとする。革ジャンとパンツの金を払い、売値つかずとなったものを抱えて車にもどった。
 帰路にはハードオフがある。そこでも服は売っているし、買い取りもしてくれる、ちょっとのぞいてみるかと弟が言う。さっき値段がつかなかったものをもう一度持っていってみようかと提案する。それで寄り道決定。三人でまた雨の降る中、トランクに積み込んであるものをいそいそと店の買い取りカウンターまで運ぶ。査定のあいだ服を見る。さすがに種類は少ない。値段は想像していたよりもずっと安い。サイズが合わなかったり趣味でなかったりするものの、それでもこのブランドのこのブツがこの値段で買えるのかと驚く場面が何度かある。これだったら買い取り価格には期待できない弟が言う。母は古本コーナーを物色していたが、日頃図書館で本を借りてばかりいるので、どうしたって購入するつもりになれないと言う。バロウズのソフトカバーを買おうかどうかちょっと迷った。
 査定が終わる。どうせ全品買い取り不可だろうと思ってカウンターにむかったが、600円ほどの値段がついた。おもわず弟と顔を見合わせる。セカストで値段のつかなかったDIESELの古いTシャツにここでは一着200円ほどの値段がついたのだ。金は当然弟の小遣いとなる。買い取り不可能とされたものをまた車まで運ぶ。今度から買い取りはこっちに来たほうがいいなと母と弟と話す。セカストのほうはDIESELのTシャツを見逃していたのかもしれない、こちらが持ちこんだゴミに等しいクソ衣類とまとめて有象無象と判断したのかもしれない。母は先日セカストの別店舗でバッグを売ったことを悔やんだ。ここに持ってこればよかったと何度か口にした。
 帰宅。買い取り不可とされたものをならべてみる。弟がたぶん高校生時代に着ていたワケのわからんTシャツ二枚。こちらが京都のリサイクルショップで100円で買ったリバーシブルのロンT、アバクロのレディースコート(京都時代に重宝していたが、栄養失調を克服したいまは当然着ることができないし、襟もアホみたいに汚れている)、大学卒業するかしないかのころに印で買ったエメラルド色のTシャツ。最後のひとつに関しては値段がつくだろうと思っていたので、セカストでもハードオフでも拒絶の憂き目に遭うという結果にはやや驚いた。元値は7000円以上したし、洗濯でだいぶ色落ちしているけれども状態は壊滅的とはいえない。というか捨てるくらいだったら部屋着として着ようかしらんと思ってためしに着用してみたところ、弟が爆笑しながら、あかん! 胸筋が浮きあがって松本人志みたいになっとる! と言った。その一言が決め手となって処分決定。ほか母親が引き出物かなにかでもらったタオルケットのセットみたいなものもあったが、未開封で押し入れに保管してあったにもかかわらず生地が痛んでおり、それも買い取り不可となったのだった。タオルケットの一方は父が自室に持っていった。(…)のために使うこともあるだろう、と。もういっぽうは処分することに。処分する品はのちほど母がまとめてビニール紐で縛った。水曜日が資源ごみの回収日であるので、そのときに出すつもり。
 間借りの一室にあがる。キャリーケースの中に必要な衣類と書籍を詰めこむ。忘れるといけないので、お土産のチョコレートも冷蔵庫から出して、口をひらいたままのキャリーケースの端に押しこんでおく。永谷園のまつたけの吸い物50袋セットを先日弟が買ってきてくれていたのでそいつも詰めこむ。詰めこむというほどきつきつなわけでは全然ない。むしろケースの中はガラガラだ。荷物はかなり少ない。京都信用金庫の通帳が押し入れから出てくる。口座に二十万円近く残っている。記入していないだけだ、中身はきっと空だ。でももしかしたらいくらかは残っているかもしれない。それなのでそいつもいちおうリュックサックのなかに放りこんでおく。夏の一時帰国にあたってどうせまた京都に立ち寄るのだから、そのときに口座を確認すればいい。

 夕飯。ホルモンを食す。食後のコーヒーを飲んでから入浴。あがってから間借りの一室にて、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の日記を読み返す。以下、2014年2月19日づけの記事より。

 その他外業先で海軍用語で「銀蝿」、つまり盗んで来た品物が沢山ある。スウェーター、手袋、靴、その他俘虜規格外の品物がふんだんに有る。俘虜もさすがにこれだけは米軍の検査官の前に出す勇気がない。
 米軍もこの種の品物の存在を知っていた。中隊付きの米兵ノースは私にいった。
「君達が多少倉庫から盗んだものを持っているのを我々は知っている。しかし既往は問わないから、みんな出してくれないか。我々は日本の罹災民に贈るつもりだから」
 中隊長にその意を伝えると、彼はせせら笑った。
「うまいことをいやがって、どうするかわかったものか。焼いちまえ。焼いちまえ」
「焼かなくてもいいでしょう。たとえ比島人に払下げられたとしても、それだけ比島人がうるおうわけじゃないですか。焼いたんじゃ、折角使えるものが灰になるだけでも損じゃないですか」
 中隊長は答えなかった。そしてさっさと小隊長に命じて、員数外の被服を敷地裏に積み上げさした。そしてガソリンをぶっかけて火を放った。他の中隊長もみな同じ意見であったとみえ、火は各中隊で三日三晩燃え続けた。これが軍隊であった。
大岡昇平『俘虜記』)

 「S」執筆中、軍隊での経験が書かれている本だのネット上にある手記だのをいろいろに読んだが、こういう理不尽さ、非合理性、あたまの悪すぎる所業は本当にいたるところにあった。
 以下も2014年2月19日づけの記事より。

もうかれこれ一週間ほど前よりジャ・ジャンクー『青の稲妻』を下敷きにした小説を書きたいという気持ちがおこりはじめていて、断片的なイメージであったり構想であったり登場人物であったり、そういうのをテキストファイルの余白にひとまず羅列しはじめてさえいるのだけれど、まだそのときではないという気持ちも同時にある。ひとまずはそれに従って、それを導きの灯として、それだけが信じるにあたいするものとしてある、そんなふうな漠然としてしかし確信めいた何かをしっかりつかむことさえできれば、たぶん書きだすことができるんでないかという気がするのだけれど、まだ見えてこない。今日はためしに最初の一行を書き出してみたのだけれど、最初の一行どころか一語を打ちこんだ時点で、ちがう、いまじゃない、まだだ、と思ってすぐにとりやめた。ボーイミーツガールで、新種のインフルエンザとも花粉症ともつかぬ死にいたる奇病が蔓延している世界で、ドラッグと拳銃と刃物と興行マフィアと、せいいっぱい背伸びして悪ぶった10代のひりひりするようなまなざしがあって、みたいな。

 言うまでもなく「実弾(仮)」のプロトタイプに対する言及であるが、「新種のインフルエンザとも花粉症ともつかぬ死にいたる奇病が蔓延している世界」というのは意外だった。そんな設定を考えていたこともあったのだ。元ネタとしてはもしかしたら『大いなる幻影』(黒沢清)+『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(青山真治)かもしれない。しかしこの当時は、ぼんやりとしたイメージだけはずっとあったその小説が、ほかでもない自身の勤め先を舞台として描かれることになるとはまったく考えもしていなかったはずだ。(…)にいたときは(…)そのものを舞台にした小説を書く気にはなかなかなれなかった。いつか中国を舞台にする小説を書くこともあるかもしれないが、それはおそらく中国を去ってからのことになるのだろうなという気がする。
 明後日いよいよ出国なので電車の時間を調べる。空港には出発時刻の三時間前には到着するようにという通知が例によってあるわけだが、あれはたぶん空港を利用するのが初めてであるひと向けの余裕をもたせた想定であるのだろうし、そこまで急ぐ必要もないだろうというかとにかく早起きしたくないので、8時47分に(…)駅発の特急に乗ることに。乗り換えは難波で一度のみ。関西空港に到着するのは11時38分。フライトはその二時間後。空港で食事をとるつもりはないし(機内食でかまわない)、十分間に合うだろう。トランジットのため福建省にある福州長楽国際空港で五時間ほど待機する必要があるので夕飯はそこでとる。(…)の空港に到着するのは夜中であるし、夜食の菓子パンかなにかも空港内で買っておいたほうがいいかな。ちょっとそわそわしてきた!