20240220

◉彼の目覚ましコールは朝の五時半にかかってくる。今では毎朝おなじみのルーティンだ。彼はモーテルを出て、草地を横切り、ケトル・パンケーキ・ハウスへ行った。うすぐらい早朝の光の中、衣装係の女がジョギングして彼を追い抜いていった。彼女は一人きりの時間を満喫している。走り方でそれがわかった。セットのすみに腰を下ろしているとき、彼女は決してこんな風に幸福そうには見えない。
サム・シェパード畑中佳樹・訳『モーテル・クロニクルズ』 p.13)



 9時過ぎ起床。東京の叔母が送ってくれたりんごの菓子を食い、コーヒーを飲み、きのうづけの記事の続きを書く。今日は暖かい。最高気温が20度を上回っている。そのせいでか、アレグラをすでに一日二度服用しているにもかかわらず、鼻水をしょっちゅうすするはめになる。ちなみに、(…)は昨日だったか一昨日だったか忘れたが、最高気温が27度だったか28度だったかに達していたはず。しかし明日の最高気温は0度で、その後も同様の日々が数日続く予報となっている。マジでなんでもありやな。お天気界隈のバーリトゥードや!

 昼食はうなぎ。食後、両親と弟にお年玉を一万円ずつ渡す。本当は(…)にも一万円置いておこうと思ったのだが(注射代一回分にも満たないが!)、中国で買ったお年玉袋を切らしてしまったので、ま、いっか、となった。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読みかえす。
 明日の切符を今日のうちに買っておくことにする。両親が「(…)ジャ」に行くというので(「ジャスコ(…)店」のことを「(…)ジャ」というのだが、こちらはこの名称に慣れない、それよりも店舗がオープンした直後の通称「新ジャス」のほうがしっくりくるのだが、こちらが地元を出て京都で暮らしているうちに、(…)や(…)にあるイオンモールのほうが新しいという認識が広がったからなのか、あるいは(…)市内にあるもうひとつのイオンモール「(…)」がリニューアルオープンしたからなのか、いつのまにか「新ジャス」とはだれも呼ばなくなり、代わりに「(…)ジャス」もしくは「(…)ジャ」と呼ばれるようになったのだった」)、ついでに(…)駅に寄ってもらうことにしたのだ。窓口で明日の特急券および乗車券を購入。窓口の男性、なんとなく陰気で愛想がないなと思った。最近似たような違和感をおぼえたばかりであるなと考えたところで、(…)郵便局の男性スタッフだとひらめいた。(…)駅の窓口スタッフはただ陰気なだけであるが、郵便局のほうのおっさんは客であるこちらが敬語を使っているのに相手はタメ口で、別にそういうカジュアルなやりとりを否定するつもりはないのだが、ただふと思ったのだ、そうした対応に違和感をおぼえるということは、少なくとも京都では公的な場所に勤めている人間がこうした物腰で客に接していることはなかったのではないか、相手がたとえ自分よりも年下であったとしても無愛想なタメ口でやりとりすることなんてまず考えられなかったのではないか、そしてそういう「常識」にすっかり慣れ親しんでいたこちらであるからこそ地元の駅や郵便局でのやりとりに違和感をおぼえたのではないか。
 その後、「(…)ジャ」へ。母はホワイトデー用のお返しを買うという。父はジーンズの裾直し。きのう弟がもう穿かなくなったというジーンズを父にやったところ、ウエストがぴったりだったらしい。こちらは車内にとどまり、『ムージル日記』(ロベルト・ムージル/円子修平・訳)の続きを読み進めた。ところで、昨夜のうちにキャリーケースに詰めこんでおいた書物のうち、三分の一ほどはやっぱり持っていく必要ないなと今朝判断をあらためたのだった。どうせ五ヶ月後にはまた帰国するわけであるし、新学期がはじまったらまたバタバタするのだし余った時間は執筆を優先することになるのだし、となると書見の時間なんてろくにとることもできない、というか下手をすれば『ムージル日記』一冊で十分間に合ってしまう。
 両親が車にもどってきたところで宝くじ売り場へ。以前(…)と買って惨敗した一等500万円のスクラッチくじに再挑戦する。母も父もこちらと同様10枚(2000円)買うという。ひとのお年玉ろくな使い方せんな! それからミニストップに立ち寄り、ほうじ茶アイスを四人分購入。きのうセカストとハードオフで得た金で購入するのだと母はいったが、全然足りていない。
 帰宅。ほうじ茶アイスを食す。うまい。それから財布の中の百円玉を片手にスクラッチする。全滅。200円×3枚は最低補償額として当たることになっているので、1800円分の当たりが手元に残った。それにくわえて前回買ったときに得た200円×2枚もあるので、すべて弟に託す。弟は2200円分すべてロト6にぶっこむとのこと。
 (…)を連れて(…)川へ。いつもより遅い時間帯だったのでだれもいないかもしれないと思ったが、(…)&(…)がいた。明日出国なんで最後に会えてよかったですと飼い主の(…)さんにあいさつする。(…)&(…)とはこの冬休み中にずいぶん親しくなった。今日なんて遠目からこちらが名前を呼んだだけで、まるで(…)みたいに一目散に走ってきたのだ。(…)との相性もむかしはよくなかったのだが(母曰く、(…)は柴犬やそれに類似した雑種に対して敵意をむける)、いまはすっかり丸くなったというか、単純に老いて闘争本能もなくなったのだろう、むこうが顔を近づけてきても(…)は知らんぷりするだけだ。ところでその(…)だが、散歩の際には母が小さなジャーキーをちょくちょくあげるようにしている。これは足腰が弱ってきてからの習慣で、少しでも歩かせるために、いわば「餌で釣る」式(「こっちまでおいで!」)のその「餌」として利用しているわけだが、(…)は今日そのジャーキーをもらいながら腰をかがめてうんこをした。口からものを取り入れているまさにその最中に尻からうんこをしたのだ。死ぬほど笑った。ただの管やんけ!
 帰宅後は鼻水が止まらなかった。帰国してからずっとアレグラを毎日服用し続けているが、数日前からぼちぼちアレグラだけではきついなという感触は得ていた、それが今日のこの天候(車内で流れていたラジオによると五月中旬並みらしい)で一気にやられたかたちだ。とんでもない量の花粉が飛散している。中国で外教の仕事をする最大の恩恵は花粉症とほぼ無縁になれることだ。出国さえしてしまえばこっちのものだ。衣類を含む荷物に花粉がたっぷりついてしまっているので出国と同時に解放されることにはならないが、それでも寮に到着後もろもろまとめて洗濯してしまえばもはやおそれるものはなにもない。

 今日づけの記事をここまで書いた。夕飯をとり、冷蔵庫に戻しておいた土産のチョコレートをキャリーケースにもどし、パッキング済みのもろもろを再チェックする。問題なし。おそらく。下痢気味だったので整腸剤も服用しておく。入浴し、ストレッチし、夜食をとるつもりはないのでそのまま歯磨きもすませる。あごひげがまた三つ編みできるレベルの長さになっているので、母からいらなくなったヘアゴムをわけてもらう。ぼさぼさになっているのをそれでひとつにたばねる。これでまた(…)の地下鉄に乗っている最中、見知らぬ子どもから「奇怪!」と指を差されることだろう。母がこちらのパスポートの中身をペラ見して笑う。居住許可証の写真が犯罪者みたいだと言う。写真撮影時はめがねもマスクも帽子も全部取っ払う必要があるので、スキンヘッドで目つきの悪い髭面の男の写真が、ただの一枚ではない、一年ごとに更新する関係上まるでペラペラ漫画のように四枚五枚と続くのだ。それにくわえて居住の理由欄が「工作」(仕事)になっている。中国語に馴染みのない母にとっては「工作員」の意味にしかとれない。それでツボにハマっているのだった。
 パソコンも片付ける。それから寝床に移動し、『ムージル日記』(ロベルト・ムージル/円子修平・訳)の続きを読み進めて就寝。想定していたよりははやく寝つけたように記憶している。鼻水が止まらなかったので寝床ではマスクを装着したままだった。