20240305

「でもないな。おれの言うのは閉回路(クローズド・サーキット)みたいなものよ。みんな同じ周波数を出している。それでしばらくすると、ほかの波長があるのを忘れちまって、これだけが大事な周波数だ、リアルな周波数だ、なんて思い始める。ところが外部では、いろんな色彩とか、X光線とか、紫外線とかが走っているんだ。」
トマス・ピンチョン/志村正雄訳『スロー・ラーナー』より「少量の雨」 p.62)



 6時半起床。トースト一枚だけの食事をとる。授業は8時からであるのだが、ちょっとはやく起きすぎた、もうちょっとゆっくりしてもよかったかもしれない。7時45分をまわったところで外に出る。近くの売店でミネラルウォーターを買い、おばちゃんに新年好とあいさつする。
 外国語学院へ。教室のある6階まで階段をのぼる。教室には学生たちがだいたい先着している。ひさしぶりー! とあいさつ。
 8時から二年生の日語基礎写作(二)。初回授業なのでお土産争奪戦のゲーム。パソコンにトラブルが発生する。マウスを操作してもカーソルがまったく動かない。フリーズしているようだったので再起動してみたが変化なし。クソ。教室の設備もろもろを新調するという話はどうなったのか。しかたなしにコンピューターなしで進める。来週になってもパソコンがイカれたままだったら教室を変えてもらう必要がある。お土産のGODIVAは好評だった。授業後みんなモーメンツに写真付きで投稿していた。授業の最後に会話(四)では教科書を使わずディスカッションを行うと予告した。
 授業後、R・Hくんが文章の添削をしてほしいとやってくる。スマホに打ちこんだ文章だったので、あとで微信で送ってくれというと、「敏感」な内容だから微信では送れないという。その場で文章に目を通し、間違いだけちゃちゃっと口頭で修正する。共産党に対する批判。中国共産党を政権与党と表現することがあるが、実質的には一党独裁みたいなものであるのだから与党もクソもない、人民はみんな洗脳されているからそうした言葉遣いに違和感をおぼえることもない——だいたいにしてそのような内容。たぶんVPNを噛ませてインスタグラムに投稿するつもりなのだろう。面倒なので詳細はきかなかった。R・Hくんの髪の毛は緑色になっていた。
 便所の前にある水道で手についたチョークを洗う。その後、事務室へ。教学手冊を五枚もらう。事務室にはまたしてもR・Hくんがいる。先学期の成績に不備があったらしく、それを修正してもらうべくやってきたとのこと。
 外国語学院をあとにする。寮の近くの文具店に立ち寄り、トイレットペーパーを買う。老板が老师好! と笑顔で迎えてくれたので、新年好! とあいさつ。レジのおばちゃんにも新年好! これで顔見知りとはだいたいあいさつをすませたことになるのかな。
 帰宅。三年生のS・Sさんから微信。歓迎式の会場となっている会議室の写真とともに、先生はまだ来ませんかというメッセージが続く。こちらは会には呼ばれていない、夕飯には参加すると返信する。デスクにむかい、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返す。以下、2014年3月5日づけの記事より。

花粉対策のマスクがよれよれのてれんてれんになっていたので代わりのものをどこかの薬局で買おうと思っていたら、ダッシュボードのなかに入っていた一枚を父親がくれた。マスクの上辺に針金が入っていて鼻のかたちにあわせることのできる代物で、めがねの曇りをそれによって若干カバーできるという優れた一品であり着け心地も最高だったので、安物買いはやっぱりだめだなと思った。

 これを読んでちょっとびっくりした。10年前はまだワイヤーの入っているタイプのマスクが一般的ではなかったのだ。いや、単純にこちらが世間知らずだったという可能性もなくはないが、しかし重度花粉症患者ゆえにひとよりはマスクを装着する機会も多い人生を送ってきたそんな人間の所感なのだから、これはやっぱり勘違いではないだろう。
 11時になったところで第五食堂で打包。食後、ベッドに移動して30分ほど仮眠。三年生のS・Sくんからの着信で目が覚める。日本の学生らといっしょに行動しているものの間がもたなくなってこちらに助けをもとめてきたのだろうと予想しつつおりかえす。ビンゴ。いまから先生の寮の前に行ってもいいかという。了解。身支度を整えて外に出る。
 門前に出ても学生らの姿は見当たらない。とりあえず老校区のほうにむけて歩き出す。S・Sくんに電話をかけるが出ない。S・Sさんにかけるが出ない。K・Kさんにかけるが出ない。S・Sくんからおりかえしの着信がある。寮の前に到着したというので、あれ? 入れ違いになったのかな? と元来た道をひきかえす。門前に若い人影がたくさん集まっている。いつものように、ワン! ワン! と犬の鳴き声を真似しながら接近。うちの学生は二年生のC・Gくん、三年生のC・Sさん、R・Sさん、K・Kさん、S・Sさん、S・Sくんの6人。その6人とは別に日本人学生がいる。女の子が4人と男の子が2人。女の子のひとりがあいさつもそこそこに、先生はどうして中国で仕事をすることになったんですかとたずねてみせる。友達がもともとここで働いていた、よその大学に移るにあたって後任を探していてそれでこちらに話がまわってきたのだと受ける。質問をよこした女子学生はコテコテの関西弁。ちょっと卒業生のS・Sさんに似ている。男の子のひとりはFくんだった。Fくんに似ている学生ではなく、Fくんだったのだ。いや、そんなはずがなかった。でもどう見てもFくんなのだ。顔も似ているし、髪型も似ているし、笑ったときの表情も似ているし、落ち着いていてどこか控えめな物腰も似ている。似ていないのはこめかみに貼ってある絆創膏だけ。門前でしばらく立ち話をする。昼飯は第四食堂ですませたらしい。もっといいところに連れていってあげなよ! というと、みんな笑った。(…)大学側の実習スケジュールにはじめから食堂見学が含まれていたらしい。晩餐会には(…)大学の学生も参加する。しかしうちの日本語学科の学生は参加しないことになっているという。そもそも第四食堂のランチにしても、(…)大学の学生の分の費用は大学がもったが、ガイドとして同行したうちの学生らは自腹を切らなければならなかったというので、うちの大学はマジでクソだな、貧乏大学だわ、クソだよクソ! という。みんなまた笑った。
 学生たちはいったんホテルにもどって休憩することになっている。そのまえに果物をプレゼントしたいとC・Sさんがいうので、第四食堂のそばにある果物店にむかう。クールでサバサバした感じの女子学生から、おすすめのお酒はありますかとたずねられる。ぼくはお酒全然飲めないんだよねと応じると、えー意外ですねーという反応がある。初対面の人間からは必ずそう言われる。酒も煙草も合コンもギャンブルも大好きな人種だと必ず見なされる。お酒好きなんですかとたずねかえすと、酒を飲むために中国に来ましたという返事がある。それだったらやっぱり白酒がいいんじゃないかなという。
 果物店へ。ドラゴンフルーツってわかりますかという。沖縄っぽいやつとS・Sさんに似ている女子学生が答える。あれおいしいですよ、ぼくはこっちに来てから大好きになりましたという。日本の女子学生たちがさっそくいろいろ果物を買う。こちらも串にささったメロンを買う。うちの学生と日本の学生は一対一のペアで活動する仕組みになっているらしい。うちの女子学生らがじぶんとペアになっている日本の学生に果物の説明をしたり買い物の手伝いをしたりしている一方、男子学生らのほうはお通夜ムードになっている。そもそも日本の男子学生はふたりそろって口数が少ない。それにくわえて、S・Sくんはかなり流暢であるが、C・Gくんの日本語能力はゼロにひとしい。

 近くのパン屋でパンを買いたいと女子学生らがいうのでそちらに移動。女子らはここでもペアで買い物をする。男子学生はおもてでじっと待っている。しかたないので輪のなかに加わっていろいろに話を盛りあげる。滞在中のスケジュールを見せてもらう。たしか10日まで滞在だったと思う。予定はかなり詰まっていた。教育系の学部であるので幼稚園見学が二日ほど入っている。その他、(…)や(…)に観光におとずれる日もある模様。実習という名目でやってきているのでそれほど自由時間はないらしい。6人は実習全員希望者。旅費はいくらか大学が負担してくれるかたち。(…)には上海経由でやってきたとのこと。
 パンとフルーツの購入がすんだところでホテルにむかう。お酒好きの女子がスマホを操作しながらバイクに乗っているおっさんの姿を見てびっくりする。ヘルメット着用も義務化されているけど着用している人は少ないと伝える。罰金はあるのかと学生にたずねると、だいたい50元程度だという返事。お酒好きの彼女が日本だったらかなり減点されるという。ホテルの近くにはマッサージ屋がある。ふつうのマッサージ屋にみえるけどエロいサービスを内緒でやってくれる店もあるみたいだよとMさんの経験談を男性陣にこっそり話す。
 ホテルに到着。ロビーでしばらく立ち話をする。日本人学生たちは全員微信をインストール済み。日中学生12人からなるグループもすでに作成済みだという。S・Sさんに似ている女子がホテルの部屋で遊んでいくかと軽くうながす。うちの学生たちはだれも真に受けない。中国人は昼食後に昼寝をする習慣がある。それにくわえて学生らが長旅で疲れていると気遣ったのだろう。もっとも日本人学生たちはおよそ30分後にはふたたびプランに沿って外出する必要があったので、仮に部屋をおとずれていたとしてもあまりゆっくりはできなかっただろうが。晩餐会に中国人学生も出席できるようにとりはからうべきだという。学生は学生同士、先生は先生同士で集まるようにすればいいとK・Kさんが応じる。まったくそのとおり。日本人学生たちが中国人学生たちにお土産を渡す。ほとんどが抹茶のお菓子。Fくんがこれどうぞといってこちらにビニール袋を手渡す。中を見る。白のメッシュキャップが入っている。フロントには「チャッカマン」とプリントされている。爆笑。こんなもんどこで手に入れたのとたずねると、クレーンゲームの景品ですという返事。
 ホテルの外に出る。K・Kさんのテンションが高い。はじめて同年代の日本人女子と大好きなドラマやアニメの話を日本語で交わすことができたとよろこんでいる。K・KさんのペアはS・Sさんに似ている女子学生であるが、彼女はもっとも関西弁がきつかった。K・Kさんはそう思わなかったという。会話の八割は理解できたというので、きみ将来留学するのであれば関西でも十分やっていけるよと太鼓判を押す。S・Sさんは移動中ペアの女の子とずっと腕を組んだり手をつないだりしていた。中国では一般的であるが、日本では友達同士がそうやって移動することはないよというと、全然知らなかった! とびっくりしたようす。たぶんペアの女の子はちょっとびっくりしていたと思うと伝える。
 大学の北門にもどる。日本人学生からもらったお菓子を開封してみんなでわける。全員でわけるお菓子とは別に、K・KさんはペアのS・Sさんに似ている女子学生からおにぎりの保存容器とおにぎりの作り方に特化した本と滋賀のお米をもらったようす。夏休みはふるさとで毎日おにぎりをたくさん作るのだとよろこんでいる。じぶんたちはプレゼントをなにも用意していなかったと学生らが嘆く。S先生が事前になにも教えてくれなかった、むこうがこんなにたくさんお土産を用意してくれていると知っていたら事前にもっと準備していたのに、ものすごく恥ずかしいし失礼なことをした、と。
 S・Sさんが彼氏といっしょに去る。C・Gくんも小走りでまた去る。残る面々でこちらの寮まで歩く。そしてまた立ち話をする。学生らのグループチャット上でさっそくたくさんの写真が交換されている。C・SさんもK・KさんもS・SくんもよくしゃべるのにR・Sさんがやたらとおとなしい。交流の最中もあまり言葉を発していなかった。会話能力でいえばK・Kさんに次ぐレベルであるのにこれはおかしい。体調でも悪いのかとたずねると、悩みがあるという返事。事務室から仕事を押しつけられているという。たしか先々学期の終わりだったと思うが、事務室から押しつけられている仕事の量があまりに多く、そのせいで勉強をする時間をとることができず成績が悪くなったという悩みを、めずらしくふたりだけで会いたいですという連絡があった夜、第五食堂近くの瑞幸咖啡で受けたのをおぼえている。その後、インターンシップで日本に行くことになったため、その役割はクラスメイトのR・Rくんに譲渡されたが、そのR・Rくんが今度は軍隊に入隊することになった。結果、事務室がふたたびR・Sさんに白羽の矢を立てた。R・Sさんは現在共産党に入党申請を出している。事務室の教員はそのあたりの手続きにも関与している。しかるがゆえにここで依頼を断れば、入党も難しくなるかもしれないという。それでも断ったほうがいいと助言する。R・Sさんは優しすぎるとK・Kさんも言う。C・Mさんの例を出す。彼女は北京で博士課程に進学しているR先生から宿題を押しつけられている、断れといってもそれをなかなか断ることができないでいると伝えると、わたしもです! わたしもです! とみんな手をあげる。びっくりした。C・Mさんだけではないのだ。多くのクラスメイトが宿題を押しつけられているのだ。あのクソババアあたまがおかしいんじゃないかと思わず漏らす。事務室の教員には大学院試験の準備があるから無理だときっぱり主張しなさいとふたたび助言する。そうしたほうがいいとK・Kさんも後押しする。そのK・Kさんは事務室の教員とこれまで何度もケンカをしている。彼女を見習いなさい、きみにしてもC・Mさんにしても親切すぎるんだよ、もっと自己主張したほうがいいと言う。
 CがLを連れてやってくる。Lはまたしてもこちらに対してわんわん吠えまくる。いったいいつになったら慣れてくれるのか。
 学生らと別れて寮にもどる。抹茶のお菓子をぽりぽり食いながら今日づけの記事を途中まで書く。
 16時半にLのオフィスにむかう。オフィスにはLもLもいる。どちらもパンツスーツ姿の正装。え? そのレベルなの? とややたじろぐ。こちらはいつもどおりの私服、左耳にはボディピ、あごひげにいたってはヘアゴムで結んでいる。夕食までまだ少し時間があるので隣室でくつろいでいてくれと言われる。言われるがまま隣室に移動し、ソファに腰かけ、リュックサックの中から『新しい小説のために』(アラン・ロブ=グリエ平岡篤頼・訳)を取りだして読む。途中、パキスタン人のKがやってくる。軽くあいさつする。Kはチェアに座ってひとときスマホをいじっていたが、やがて廊下から名前を呼ばれて出ていく。
 途中、Lがやってくる。明日は音楽ホールで演奏会があるという。(…)大学の教員ふたりがパフォーマンスするという。参加するのであればVIPシートを用意すると言われたが、そんなものにひとりで参加するのもなァというアレから、うちの学生といっしょに参加できるのであれば行くというと、芸術学院主催のイベントであるので外国語学院の学生のための席を用意するのはむずかしいという返事。がしかし、担当者と交渉した結果数名分の座席を確保できることになったという話が、のちほどあらためて出る。こちらだけではなくほかの外国人教師も招待するつもりだと続いたので、それだったらうちの学生を呼ぶ必要はない、彼らといっしょに鑑賞すると受ける。
 17時半になったところで出発。Lのミスだなと察する。先日彼女から送られてきたメッセージには16時半にオフィスに来るようにとあったが、17時半が元来の予定なのだ。コーラとオレンジジュースのたくさん入ったビニール袋を持ってほしいとLからたのまれる。会場にはLもいっしょにむかうようす。中国語は上手になったかと中国語でたずねられたので全然と受ける。日本人学生のなかには中国語ができる子がいるというので、そうなのかと応じると、(…)という名前の子だというので、「(…)」という子だ、K・Kさんのペアだと推測する。といってもあなたほどではないとLが続ける。だったら完全に初学者だ。日本人の学生たちとは昼に会った、少しだけ散歩したよと伝える。

 Lの運転する車の後部座席にLと座る。Lは白酒を手にしている。あなたも飲む? というので、絶対無理だと応じる。Lもふだん酒は飲まない。旦那さんは? とたずねると、笑ってこの話はできないという。どうもかなりの酒飲みらしい。Lがじぶんの上司にあたる人物だからだろうか、Lはいつもより口数が少なかった。空気を読んでこちらもあまりしゃべらないようにする。
 途中でR外国語学院長をピックアップする。助手席に乗りこんだ彼に好久不见了とあいさつすると、Lがびっくりする。もっと頻繁にR学院長と会うべきだという。You miss me? とR学院長がふざけて口にする。Of course Everydayと応じると、みんな笑う。
 前の席に座ったふたりは道中ひたすらしゃべり続ける。こちらは窓にあたまをゆだねてうとうとする。(…)に到着したところで、となりのLからトントンとされる。車をおりる。レストランはすぐそばにある。木造の、旧時代の中国をイメージしたような調度品がそろっている、たぶんなかなかけっこう高級なレストラン。階段の手前にある棚に瓶詰めの唐辛子が置いてある。のちほど唐辛子ではなくパプリカであるとK先生が教えてくれたが、そのパプリカのなかに米をつめて発酵させるかなにかしたもので、ここらの伝統的な料理だという。辛くないらしい。
 二階にあがる。巨大な中華テーブルの設置された部屋に入る。先客の姿はない。料理は一部すでに運ばれている。きゅうりの漬物みたいなものが平皿に盛られている。うまそうだったのでR学院長に問うと、中国であればどこでも口にすることのできる料理だという。家庭で作ることもできる、きゅうりを酢と塩と砂糖といっしょに漬けておくだけだというので、泡菜みたいなものなのかなと思う。
 ほどなくK先生がやってくる。(…)の学生たちも続けてやってきたので、こんばんはとあいさつ。じきに円陣を取りかこんで着席となる。こちらの左となりにK先生、そのさらに左となりにはL、見知らぬ男性(のちほどおそらくドライバーであることが判明)、国際交流処の男性スタッフ(たしかD老师という名前だったと思う)が座る。こちらの右となりには(…)大学の女性教師三人がならぶ。そのさらに右となりには元中国人のP教授、さらに右となりにR学院長とLがならんで座る。6人ならんで座った(…)大学の学生はちょうどこちらの正面に位置する。椅子に座るまえに右肘をひいたところ、その肘がちょうど後ろに立っていた日本人の先生の胸を突くかたちになってしまい、うわ! すんません! となった。のちほどわかったが、このひとはH先生でメゾソプラノの歌手だ。明日のステージにも立つ予定なので、本当は白酒を飲んでみたかったのだが、泣く泣く我慢すると言っていた。H先生は席順でいえば、こちらの三つ右となり。二つ右となりのU先生は情報によればピアノの演奏者であり、H先生と一緒にやはり明日ステージに立つ模様。そしてこちらのすぐ右となりで着席したのがY教授で、このひとは見るからにオシャレだった。のちほどほかの先生から指摘されていたが、全身イッセイミヤケらしい。積み木を組み合わせたようなふしぎな首飾りをつけており、ピアスは金色の人型、めがねもちょっとふつうではないフレームのもので、白髪混じりのショートカットということもあって、ちょっと金井美恵子に似ていた。となりの席になったということもあるのだろうが、けっこうガンガン話しかけてきて、かつ、言葉のところどころに洗練された毒の幾分含まれている感じもあり、序盤はそれこそ、うーん、もしかしたらおれいま値踏みされてんのかなと思う瞬間もなくはなかったが、同時に、いわゆる大阪のおばちゃん的な垣根のないがさつさのようなものも持ち合わせており、そこの波長はけっこうつかみやすかった。そういうわけで、たずねられるがままに、(…)にやってきたきっかけであったり大学の雰囲気であったりをある程度話し終えたあとは、なかなかけっこう気安く言葉を交わし合えるムードができあがっており、ていうかめっちゃおしゃれっすよねとこちらが口にしたときなどは、あんたもう! うれしい! もっと言って! といいながらこちらの腕をつかんで抱き寄せるみたいな、それに対してこちらがちょいちょい典型的な関西のおばちゃん出てきますねと失礼にぶっこむみたいな、いわゆる「おばちゃん」と仲良くなるときのなつかしいステップを確実に踏んでいくのが感じられた。最終的にはツーショットの写真をもとめられた。K先生にカメラマンをお願いした。美人に写してねとY先生は言った。そして撮影のすんだ写真を確認するなり、あらババアやわと口にした。笑うわ。
 P先生も完全に関西人化していた。日本化ではない、関西人化だ。こちらがY先生に対して大阪のおばちゃんですやんと口にしたのを引き取るかたちで、(…)先生、大阪のおばちゃんちゃうで、大阪のお嬢さんやからと口にするお決まりのパターンが関西弁ですらすらとくりだされる、そのなめらかさが典型的な関西人だったのだ。P先生はおそらく五十代、白髪混じりの長髪を後ろでひとつにたばねており、モード系の学生服みたいな服を着ていて、Y先生と同じくハイコンテクストなファッションに身を包んでいた。もともと(…)大学だったか(…)大学だったかの出身らしい。西陣のほうに住んでいたことがあるというので、ぼくも京都に出てきて最初に住んだのはあのあたりですと受けた。以前の交流会にも参加しているという。なんやったかな、以前おった日本人の先生、たしかY先生やったかなと口にするので、M先生ですか? とたずねると、ああそうそう! という反応があったので、彼はぼくより半年はやくここに勤めていたんです、いまはもう日本にいますけどと応じた。P先生はK先生のことも知っていた。Lが好きだったK先生。日本に帰国後、自殺した。
 Y先生はもともと(…)大学の教員だった。しかし短大が閉鎖されるにあたって(…)大学に移動。環境はとてもよかったし同僚らにもめぐまれていたのだが、家が大阪にある関係上通勤に片道三時間近くかかった。それにくわえて母が病に倒れるなどしたため、二年間で(…)大学をやめて以降は(…)大学に勤めている——と、ここまで書くにあたって、彼女の名前であらためてググってみたところ、学歴・職歴一覧のほかに「展覧会・演奏会・競技会等」の欄にこれまでに参加した展覧会も記録されており、あ、やっぱりそっち方面のひとなんだなとなった。(…)大学には(…)学科というコースがあり、今回やってきた学生もおそらくほぼ全員がその学科の子たちと思うのだが、幼児教育の一環として音楽や芸術についても学ぶ必要があり、そのあたりを担当しているのがおそらくメゾソプラノのH先生であり、ピアノのU先生であり、芸術のY先生なのだろう。P先生も服装から察するにおそらくそちら方面の人物であるはず。Y先生は(…)大学の先生らと大学を移ったあとも親交があり、その縁で今回の訪問にも部外者にもかかわらず参加したとのこと。
 授業についての話も出た。苦労をたずねられたので、たぶんこの仕事をしているひとはだれでもおんなじやと思うんすけどと前置きしたのち、もうちょっとまじめに授業聞いてくれよとか、逆にもうちょっとしっかり授業準備しとけばよかったとか、そういうののくりかえしっすねと続けると、女性陣は三人ともうんうんうなずいた。(…)大学の学生もひどいらしい。レポートや論文を書かせようにもそもそも行頭は一マス空けるみたいなルールすら知らない子もいる、本文の内容にしてもほとんどじぶんが一字一句をあやつって書かせているようなものだというので、こっちはこっちで、そもそも日頃活字にまったく触れていないことが作文の構成からにじみ出ている子がどんどん増えているという印象を語った。こっちはバスでも電車でもみんなスマホです、だれも本なんて読んでないですというと、日本もいまは同じだという返事。Y先生はうちのことをかなり優秀な大学であると勘違いしているようだった。歓迎式で全国各地から選抜された学生がうんぬんかんぬんという説明があったというので、そりゃ見栄張ってますわ、こんな田舎にある時点でいい大学ではないんでというと、女性陣は三人ともこれで田舎なのとびっくりした。そうか、(…)にいるんだもんな、それも北部のほうだもんな、だったら(…)のほうがずっと都会ということになるのかと思った。
 学生はみんなびっくりするくらいガンガン白酒を飲んでいた。酒好きを自称していた女子学生もワイングラスをそのままレゴブロックサイズに小さくしたような白酒用のショットグラスで何杯も飲んでいたし、もうひとりおとなしそうな女子もやはり四杯ほど飲んでいたみたいだし、S・Sさんに似ている女子もけっこう飲んでいた(彼女は天性のひとなつっこさを有しており、学生らのなかで唯一こちらのことを(…)先生と臆せず呼んでたびたび話しかけてくるし、となりにいるR学院長相手にもまったくひるむことなく、翻訳アプリやカタコトの英語でいろいろやりとりを交わしていて——R学院長も若い女子のとなりでガンガン飲んでけっこういい気分になっているのが傍目にもよくわかった——おっさんの扱いになれているなァという印象)。いちばんすごかったのがFくんではないほうの男子学生で、顔こそ真っ赤になっていたものの、合計何杯飲んでいたかわからない。家族みんな酒飲みらしく、親戚が集まって飲むと、ビールの空き缶だけでゴミ袋三杯は埋まるとのこと。Fくんのほうはひかえめであるし飲んでいなかったのかなと思ったが、のちほど店の外に出て確認してみたところ、それでも四杯飲んだと言っていた。生まれつき心臓がひとより薄く穴まで空いている、にもかかわらずこんなにたくさん飲んでしまってだいじょうぶなんだろうかというので、えー! マジで! 途中で死ぬなんてやめてよ! と言った。
 レストランにむかう道中、日本の学生が白酒に興味を持っていたよとLに告げると、学生にお酒を飲ませるのはすすめない、あまり飲まないほうがいいと思うとLは言っていたが、今日のこの光景を見てなかなかけっこうびっくりしていたんではないか。女子学生が教員と同席している食事の席で白酒を何杯もあおるなんて光景、たぶん中国では全然一般的ではない。そのLは今回さすがにアウェイということもあって、けっこう退屈していたんではないかと思う。K先生はR学院長が乾杯をもとめるたびに通訳をするなど忙しく動いていたし、こちらとY先生との会話に入ってくることもあったが、Lは席順的にもおとなしく食事を進めるしかなかったのだろう。何度か英語で料理の説明をしてくれたので、それを学生らに通訳して伝えた。あと、あれはやっぱり学生らの飲みすぎを懸念していたのかもしれないが、飲みすぎて今日の記憶を失うようなことはしないでほしい、十年後も楽しい夜だったと思い出してほしいと口にする場面もあり、それも通訳して伝えると、学生たちのあいだから、おおー! たしかに! という声があがった。
 乾杯の音頭は三度あった。各人が席をまわってひとりずつ乾杯をかさねていく中国式のアレを実行しているのはR学院長だけであったが、それとは別に、全員でその場にたちあがって乾杯をすることが三度あって、こういうのははじめてのパターンだった。音頭は最初Lがとった。二回目はR学院長。その際にR学院長がおもしろいルールを説明していた。最初の乾杯で白酒を飲んだ人物は二度目の乾杯でもやはり白酒をそれも一気に飲み干す必要があるのだという。三回目はこちらが音頭をとるようにと言われたが、その際にR学院長から白酒を飲め飲めとうながされた。じぶんは本当に酒が飲めない、大学生のときにグラスいっぱいのビールを飲んだ、でもそのあと……と続けると、オッケーわかったわかった、続きは言わなくてもだいじょうぶ、とLに制された。その流れで三度目の音頭もR学院長がとった。R学院長はあきらかに飲みすぎていた。めっちゃ飲んでません? すげえ強いですよね? とK先生に耳打ちすると、R学院長は本当にお酒が強いんですという返事。
 おひらきになる。K先生からプレゼントを渡される。Yからあずかってきたものだという。最近Yが誕生日だったらしく、そのときにもらったお菓子の詰め合わせみたいなのを、わけてくれたという話だったか? あるいはおなじようなプレゼントを真似してじぶんでも用意したという話だったか? ちょっと忘れたが、とにかく、ギフト用のビニール袋に中国の駄菓子をいろいろに詰め合わせたものをこちらに渡すようにと伝えられたのだという。実は食事中にも二度か三度、Yから電話があり、ママ! (…)哥哥にプレゼントをもう渡してくれた? ときかれたとのこと。そんなYももう10歳らしい。時がすぎるのははやい。
 店の外に出る。門前に日本人組がかたまっている。H先生、Y先生、P先生からそれぞれ名刺をいただく。P先生、社会学の博士らしかった。すんません、ぼくのほうは全然用意してなくて、こういうところがぼくダメなんすよねとへこへこする。K先生も外にやってくる。中国人組はまだ店の中にいるという。支払いのことであれこれやっているようす。日本人組は大学が手配したバスに乗ってホテルまでもどるという。だったらこちらも同乗させてもらおうとなる。それでK先生と別れる。ほかの先生方にもよろしくお伝えくださいという。
 Y先生とFくんと三人で駐車場まで歩く。Fくんから心臓の話をきいたのはこのときだった。なにかの拍子に給料の話になったので、バイト代みたいなもんですよというと、それはないでしょうとY先生がいうので、別に隠しているわけでもなし、赴任当初は6000元、いまはあがりにあがってなお8500元であると率直に伝えると、たぶんそこまで低いとは思ってもいなかったのだろう、リアルな絶句——なにかしらポジティヴなあいづちをひねりだそうとしてみたもののそれが出てこないというような——があった。Fくんのほうは8500元というこちらの給料について、バイトリーダー並みですねというすばらしい反応をくれた。
 バスに乗る。助手席にはD老师もいる。最後部が一列空いていたのでそこに着席する。S・Sさんに似ている女子が窓の外をながめながら簡体字のネオンやランタンを見るたびに「めっちゃ中華っぽい!」と口にするのに笑う。こちらも真似をして、あれも中華っぽいでしょ? と窓の外を何度も指さす。(…)先生左のピアスめっちゃおっきいですよねというので、指が入るよといって小指をホールに貫通してみせる。なんで空いてるんですかというので、若いころバカだったから安全ピンでぶすぶすあけまくっていた、でもいま残っているのはこのひとつだけだねと応じると、めっちゃヤンキーじゃないですかというので、でも(…)だったらわかるでしょ? ヤンキーいまでもいるでしょ? (…)もおんなじだよ、ヤンキーばかりだったからという。先生すごくモテるでしょ学生から! と前方のP先生がいうので、いやいやそんなことないですと応じる。(…)もおなじく田舎であるという話がまた出る。元中国人のP先生はもちろん理解しているが、ほかの先生方や学生らの目には全然田舎には映らないらしいので、中国全土でも高齢化率の著しい町であるのだと説明する。田舎であるから当然外国人は全然いない、人口600万人で外国人は数十人、日本人にいたっては自分1人であるというと、これにはP先生もふくめてみんなびっくりしていた。学生たちは午後小学校だったか幼稚園だったかを見学していたらしいのだが、そこで子どもたちがみんなキャーキャー騒ぎながら歓迎してくれたといった。まるで動物園の動物みたいな扱いだった、その理由がよくわかった、外国人がめずらしいのだというので、そういうことやねと応じる。
 ホテルの前でバスが停車する。D老师がこちらを寮まで送りとどけるという。そういうわけで日本人組とはそこでバイバイする。そのままバスで外国人寮まで送ってもらう。
 帰宅。三年生のC・Mさんから微信がとどいている。交流会は楽しかったですか、と。なんだかんだでやはり気になっていたらしい。チェンマイのシャワーをあびる。ストレッチをし、コーヒーを淹れ、今日づけの記事の続きを書く。途中、K先生から微信。食事の席でもR学院長から直接誘われていたが、10日(日)に外国語学院の教員交流会があるのでそれに参加しないかというもの。午前中にいちご狩り、その後昼食、午後はカラオケや麻雀というスケジュール。これは断る。せっかくの休日にもかかわらず早起きなどしたくないし、午後のカラオケと麻雀にはまったく興味がない。
 寝床に移動後、『中国では書けない中国の話』(余華/飯塚容・訳)の続きを読み進めて就寝。