20240308

 「リンゴ」や「コップ」や「犬」のようには目で確かめることのできないのが「愛」で、誰かが「リンゴ」と言って犬を指差したときに、「それはリンゴではない」と指摘するようには簡単に指摘することができないのが愛で、だから愛はその人ごとに「これが愛だ」と信じるしかない。
 信じるといっても意識してそれに向かうように能動的な心の使い方をして意味を獲得したわけではなくて、愛は人生のある時点でそういうものとして勝手に定着してしまう。犬を「リンゴ」だと思い込んで育った人には、「リンゴとはこういうものだ」と正解を示すことができるけれど、愛ではその人が「愛」と信じている状態にかわる状態を示すことは難しい、というか不可能にちかい。
 だいいち、子どもの頃に「リンゴ」と「犬」を間違って覚えていたとしても、成長の過程でそれは修正されるだろう。幼児期に修正を重ねて覚えていくのが言葉というもので、成人になるまで「リンゴ」と「犬」を間違って覚えるような頭を持った人は、言葉を理解することはできないだろう。
 愛は実体がないとも言いきれないし、あるとも言いきれない。つまり幻想で、幻想は実体があるとかないとかと、別の範疇に属する。
 ——と、書いてみて、まさに「実体がないもの」のことを幻想と呼ぶというあたり前のことに気がついたのだが、「私はあの人の幻想を見ていたのね」みたいな、簡単に剥げたり、置き換えたりすることができなくて、しっかりと心のプロセスに絡みついていたり、それ自体が心のプロセスになってしまったりしている状態が「幻想」なのだ、ということをいまここで言いたいということはわかってもらえるだろう。
保坂和志『小説の自由』 p.20)



 8時半起床。10時から二年生の日語会話(四)。出席をとったのち、きのう万达の宝石売り場でカタコト中国語でどうにか通訳しきったエピソードをおもしろおかしく紹介して爆笑をかっさらう。さらにC・Rくんが(…)大学のMさんといい感じになっていることを暴露する。みんなきゃーきゃー盛りあがる。
 授業は初めての試みとなるディスカッション。クラスをまず6グループに分ける。初回であるし気心の知れた仲間でやるほうがいいだろうというわけで、席の近い学生たちを固めるかたちにする。授業前半でABCの3グループでディスカッション、後半でDEFの3グループでディスカッション。前半は「ペットを飼うのであればどれ?」というテーマで、「犬や猫」「爬虫類」「ペットは不要」の三つの選択肢をあらかじめ用意。代表にじゃんけんをさせて、勝ったもの順で選択肢を選ばせる。後半のDEF組は「住むのであればどこ?」というテーマで、「都会」「田舎」「外国」を選択肢として用意。
 10分の準備時間を設けたのち、ディスカッションスタート。まずABCの順番でおのおのの選択肢にとって有利な理由を複数発表してもらう。こちらはそれを要約して板書。その後、ほかのグループの意見に対して自由に反論してくださいという流れ。もともとがにぎやかでテンションの高いクラスであることにくわえて、発言数は成績に反映させると事前に伝えてあったこともあってか、わりとひっきりなしに意見の応酬があった。はたして本当にうまくいくものかどうか、冬休みに授業のシミュレーションをしているときはちょっと不安だったわけだが、ぶっつけ本番でこれだけやれれば十分であるなという手応えを得ることができた。改善点としては、議論の前に各グループが順番に発表する理由についてはそれほど多くないほうがいい(板書が大変なので)。五つで十分だろう。それから、ほかのグループの意見に対して反論するというターンでは、特に順番などなく自由に発言してくださいと事前に説明したわけだが、これもこちらが順繰りに指名するかたちでおこなったほうがスムーズになるという印象をもった。このあたり来週の授業でもう一度説明しなおそうと思う。
 爆笑の生じる場面がいくつかあった。前半で「爬虫類」のグループが、あれはたぶん中国古代の文化だと思うのだが、虫を嫌いな人間に寄生させてあやつるみたいな呪いについて説明したところ、「ペットは不要」グループだったR・Hくんが中国共産党は迷信を禁止していると主張、するとそれにたいしてB・Aさんがこれはでも中国の伝統文化だからというのに、こちらが割って入るかたちでどこの伝統文化であるのかとたずねると、苗族のものであるという返事があったのだが、苗族といえばほかでもないR・Hくんが苗族なのだった。
 それから、「田舎」と「外国」の論争において、田舎は人間関係が親密であるのがいいという意見に対して、いやいや田舎の隣人関係は不快であるという意見がぶつけられたのだが、このテーマのディスカッションに参加するグループに所属していなかったC・Tくんが突然手をあげて起立し、じぶんの故郷は田舎だ、しかし田舎の人間関係は最悪だ、たとえばじぶんの隣人家族はじぶんたちが留守で家を空けているあいだに家に忍びこんで野菜を盗んだことがあると言い出したので、これにはクソ笑った。
 学生同士が日本語のみでやりとりするのはむずかしい。リスニング能力の問題もあるし、学生のあやつる日本語の発音もよくない。だから学生の意見をこちらがいったん引き受けて簡単な日本語に要約して正しい発音であらためて発表する、そういう「調停者」としての役割をやっぱりここでもじぶんが担ったほうがいい、というか担わなければ成立しないなという印象もまた受けた。
 しかしひとまず安心した。初回のものめずらしさもあって盛りあがった側面もあるのだろうが、これから回数を重ねる過程でもっと細かくルールを整備していけばさらにうまくやれるだろうし、なによりこのタイプの授業は事前の準備がほぼ必要ないのがありがたい。手応え次第では、来学期の二年生の授業でも導入してみたい。

 授業後、R・Kさんが教壇にやってくる。いっしょにごはんを食べましょうの誘い。例によってK・DさんとO・Gさんもいる。のみならず、R・HくんとR・UくんとS・Sさんもいる。R・KさんとR・Hくんのふたりは相性最悪なのでだいじょうぶかなとやや心配になる。R・UくんとS・Sさんカップルが食事に同行するというケースは初めて。薔薇の花を一輪手にしているのでどうしたのかとたずねると、K先生から突然もらったのだという。今日は女性の日である。大学からプレゼントされた花をそのまま黄先生が目についたふたりに譲ったのかもしれない。
 外国語学院を出る。自転車を引いて歩く。どこもかしこも混雑している時間帯である。后街付近は避けたほうがいいだろうということで、結局いつものように(…)へむかう。先生は冬休み日本に帰りましたかとR・Kさんがいうので、帰ったからお土産をあげたんだろうにと思いつつ帰ったよと応じる。きみは冬休みなにをしていたのとたずねると、おじいさんとおばあさんといっしょに暮らしていた、農業を手伝っていたというので、やっぱり彼女の故郷はかなりの農村なんだなと思った(それと同時に、両親との関係がまずいという話もやっぱりマジっぽいなと思った)。R・Hくん、R・Uくん、R・Kさん、O・Gさんの四人はこの夏からインターンシップで日本にむかう。行き先が決まったという。淡路島だというので、え! とびっくりする。過去にうちの学生で淡路島でインターンシップに参加した子はひとりもいない。淡路島はどうですかというので、関西弁だけちょっと心配だねと応じる。しかし三年生のK・Kさんは関西弁バリバリのMさんとの会話に特に困難を感じていないふうだったし、たぶん問題ないんではないかと思われる。滞在は四ヶ月間だという。三ヶ月間ではないのかというと、ホテルが途中一ヶ月間休業するのでその分を含めて四ヶ月間日本に滞在することになるとのこと。では、その一ヶ月間はどうするのか? 仕事はないもののホテルの寮で生活することはできるということだろうか? 来日するのは七月。七月、八月、九月、十月の計四ヶ月間で、ホテルが休業するのはたしか九月という話だったはず。こちらが一時帰国するのはおそらく七月中旬から八月末にかけてだと思うので、ホテル休業期間とちょっと時期がずれてしまうわけだが、予定がうまく合うようであれば、彼女らの連休に合わせて京都で落ち合い、一日観光するのもいいかもしれない。
 (…)はまずまず混雑していた。四人掛けのテーブルがひとつ空いていたのでそこに無理やり七人腰かける。じきにとなりのテーブルが空いたのでそいつをくっつける。店員のおばちゃんに阿姨と呼びかけたこちらのふるまいに対してR・Uくんがちょっと聞こえがよくないという。え? ダメなの? とたずねると、お姉さんのほうがいいというので、阿姨って何歳くらいの相手に使う言葉なの? とかさねてたずねると、五十歳くらいとS・Sさんが答える。そうなのか!
 ゲームの話になる。先生はむかしゲームをしていましたかとR・Uくんがいうので、任天堂ってわかる? あそこのゲームをやってたよ、ぼくが子どものころは当然スマホがないからテレビを使うゲームだけど、わかるかな? というと、わかりますという返事。マリオとかマリオカートとか大好きだったよ、弟と毎日やってたと続けると、R・HくんがバッグからiPadを取り出し、これですか? とマリオカートのアプリを指差す。R・HくんとR・Uくんはいま第二次世界大戦シミュレーションゲームにハマっているという。アプリ? とたずねると、パソコンのゲームですという返事。精日分子であるR・Hくんが、ぼくはいつも日本兵でやっていますよという。無料のゲームではない。たいそうおもしろいという。R・Kさんは『原神』と『王者栄耀』が好きで、どちらも少額課金している。乙女ゲームが好きなのはK・Dさん。ルームメイトのC・Sさんといっしょにいつも夜遅くまで乙女ゲームをプレイしているとのこと。
 店を出る。R・Kさんがこのままいっしょに遊びましょうとこちらにいう。しかしO・GさんとK・Dさんのふたりは寮にもどるらしい。さすがにふたりきりで遊ぶ度胸は彼女にはまだない。帰路にはあたらしい開発エリアである(…)なる一画がある。そこを散策してみたいというので付き合うことに。高層マンションが水路の周辺にずらりと立ちならんでいる。住居だけではなく商業用テナントも大量にあるが、その大半が空っぽであるために、ちょっとゴーストタウンっぽさが感じられなくもない。书の字がある看板が出ていたので、あ! 本屋だ! と思って入ってみたが、本屋ではなく自習室だった。こんなところを借りる学生、ほとんどいないだろう。そもそもだれにも認知されていないと思う。ほか、カフェらしきものも見かけたが、入口が建物の二階にあったので、実際に営業しているかどうかは不明。(…)エリアではひとっ子ひとり見かけなかった。いまは昼寝の時間帯であるし、マンションも多いあたりであるから、あまり大きな声で話さないほうがいいかもしれないとR・Uくんがいう。そういう気遣いがあるのは意外だった。高層マンションの一棟はスーパーの(…)と一部連結しているようだった。まだ内装工事の住んでいないマンションもいくつかあったが、大学の周辺にこんなに大量の高層マンションを建築していったいどうするんだろうという感じだ。不動産バブルが深刻な問題として大々的にとりあげられる前、こちらが赴任したばかりの時点ですでに、(…)公园の近くにある、この街の経済規模および人口規模にまったくふさわしくない高層マンション群を見て、これは将来的にけっこうあやしいことになるんじゃないかという気がしたし、当時よく散歩する仲だったK・KさんやOさんもあのマンションにはまだ全然入居者がいないと言っていた。それから五年か六年が経過し、大学の周辺にあるものだけにかぎっても、高層マンションの数は当時の二倍以上になっているように思われる。入居者がどれだけいるのかは不明であるが、少なくとも今日(…)を散策してみたかぎり、われわれ以外の人影を見ることはまったくなかったし、ひとの声を耳にすることもまったくなかったし、昼寝時であることを差っ引いてもやはり入居者はほぼいないと見てまちがいないだろう。経済状況もよくないしこれから入居者が増えることもたぶんないだろうなと漏らすと、その話題を待っていたとばかりにR・Hくんがやってきて、中国の不動産バブルはやばいですと口にした。R・Hくんは今日、食事中も移動中もずっと口数が少なかった。たぶん周囲にたくさんクラスメイトがいるので、翻墙して得た情報についてこちらと語るのをひかえていたのだろう。翻墙して情報を得るのは問題ないし、それによって自国を相対的にながめることができるようになることもすばらしいとは思うのだが、R・Hくんの場合その度合いがやっぱり行き過ぎつつあるところがあるというか、あたまの中身がアンチ中国共産党でいっぱいになっており、隙あらばそういう話ばかりこちらと交わそうとする、その余裕のなさ、遊びのなさ、ゆとりのなさみたいなものに、愛国愛国であたまがいっぱいになってほとんど関係妄想に取り憑かれているかのような小粉红——最近だったら农夫山泉のパッケージデザインが日本をおもわせるという無理のありすぎる難癖で炎上が生じている——のネガを見る気がする。いずれにせよ、不健康なのだ。
 (…)を出る。ローソンに立ち寄り、夜食用におにぎりをふたつ買う。西門からキャンパスに入る。女子寮にむかう四人と別れる。男子ふたりといっしょに歩く。郵便局の近くで小走りのG・Sさんがわれわれを追い抜いていく。これから彼氏とデートだという。男子寮の前でR・HくんとR・Uくんとも別れる。
 ケッタに乗って帰宅。ベッドに横たわる。モーメンツをのぞくと、C・N先生がなぜかドラゴンボールの画像を投稿している。C・N先生は微信のアイコンもワンピースのゾロであるし(以前はジンベイだった)、ジャンプ王道系の漫画がきっと好きなんだと思うが、そのコメント欄で卒業生のS・Hさんがコメントしており、曰く、むかし兄に付き合わされてドラゴンボールのアニメを見たのをきっかけにハマった、ちょうどフリーザ編が放送されていた時期だった、フリーザのあまりの強さに毎回おそろしい思いをしていた、しかしその後トランクスがあっとういうまにフリーザ親子をやっつけてしまった、あれには本当にびっくりした、と、だいたいにしてそのような内容だったのだが、その後、さっきネットを見た、先生がこの投稿をした理由がいまわかった、なんということだというようなコメントが続いていて、え? となった。嘘やろ? と思ってさっそくVPNを噛ませてTwitterにアクセスしてみたところ、鳥山明の訃報に関するワードがトレンドを独占しており、うわ! マジか! となった。さすがにびびった。急性硬膜下血腫。享年68歳。ドラゴンボールにしてもドラクエにしてもそうであるけれども、それらが与えた影響を語るとなるとふつうとはちょっと視点の異なる言葉が必要となるというか、たとえそのふたつにまったく触れたことのない人間がいたとしても、まったくハマったことがない人間がいたとしても、それらに影響を受けた人間があまりに多すぎるために、圧倒的多数であるために、そうした人間で構成されるこの社会そのものがドラゴンボールドラクエの存在を前提として成立している部分がきっとあり、そういうスケールで「だれもが影響を受けている」、そういう規模で「国民的」という言葉が使われる作家なのだと思う。ドラゴンボールドラクエと便宜的に表現したけど、もちろんアラレちゃんもあるし、というかそれら具体作よりもむしろあの絵柄、一見しただけで鳥山明のものであるとわかるあの絵柄こそが最大の影響力を有しているのかもしれない。
 昼寝しそこねた。Mさんから微信がとどく。授業中のこちらを映した短い動画。C・Rくんから送られてきたものだという。カメラの位置的に最前列に座っているように思えるのだがとあったので、グループごとに席をこちらが指定したかたちではあるものの、一列目と二列目の選択肢があるなかで彼は一列目を選びとったと応じる。Mさんと出会ったことによって日本語学習に熱が入るかもしれないねという冗談が現実のものと化したかもしれないそのことをMさん自身確認したがっているようであり、なるほど彼女のほうでもやっぱりまんざらではないんだなと思った。マジでこのままくっつけばいい。Mさんは実際C・Rくんとのやりとりが毎日楽しいらしい。
 デスクにむかう。きのうづけの記事にとりかかる。(…)の学生と(…)大学の学生とからなる微信グループに招待される。三年生のS・Sさんが明日の予定について確認する。曰く、明日の17時半にホテル集合、その後東北料理店で食事、食後は万达でぶらぶらという段取り。するとMさんがさっそく、可能であればもうすこし早くみんなと会いたいと応じる。それで(…)大学側の予定はどうなっているのとたずねると、14時以降はおそらくオフになるだろうとのこと。C・SさんとR・Sさんのふたりは17時まで教師の資格試験があるのでそれが終わったあとで合流するとのこと。S・Sさんもまた午後は図書館で大学院の情報収集をする予定であるので夕食から合流するという。暇な人間だけ先に集まってぶらぶらすればいいでしょうと受けると、「早く会えるの嬉しいです」とMさんがいうので、「誰に会いたいの?」といかにもおっさんらしい指摘をくりだす。MさんもC・Rさんもなにもコメントしない。K・Kさんが「たぶんわたしです」と受ける。S・Sくんが「天才」という。
 老校区の菜鸟快递にケッタで出向く。洗顔フォームを回収し、第五食堂で夕飯を打包。食後、ベッドで一時間ほど眠ってしまう。チェンマイのシャワーを浴び、ふたたびデスクにむかい、きのうづけの記事の続きをカタカタ打鍵しまくる。記事を投稿したのち、今日づけの記事も途中まで書き記す。途中、グループチャット上でN・Rさん——サバサバの彼女か、R・Kさんに似ている彼女か、めがねの彼女か——から、日曜日が研修最後であるが、13時ごろまでは自由時間になっているので、お昼ご飯をいっしょに食べないかという提案がある。もちろん、了承。どこで食べるのかについては、明日またみんなで相談しましょうと応じる。