20240309

 メロディ、主旋律というのは曲の楽器編成を離れて、いろいろな楽器によってどこででも再現することができるからポータブルで便利なのだが、そのとき、特定の楽器による現前性が失われる。音楽や美術の場合、現前性をそのまま物質性と言い換えてもまあかまわないぐらいだから、現前性=表現であることが了解しやすいだろうが(ブーレーズの文章の引用箇所は音楽と絵画の感知される現前性の違いを強調しているが、両者の現前性が強く物質的であることは否定していない)、小説という文字の表現の場合、すべてがいったん抽象化されて物質性を失っているので、現前性ということが了解されにくくなる。
 日本語には漢字、ひらがな、カタカナがあるために、ぱっと目に飛び込んでくるページの印象を物質性と考えがちだけれど、文字がいったん抽象化されたもの(媒体)であるかぎり、見た目の印象を楽器の音や筆のタッチや色彩の物質性と同じ次元で考えるべきではない。
 それは翻訳の受容にも関わる問題で、見た目の字面の自分と表現は切り離さなければならない。さらにもっと極端なことを言ってしまえば、言葉遣いの硬い-柔らかいとか、センテンスの長い-短いとか、文章のテンポの速い-遅いなど、ふつうに文体と呼ばれているものの差も、今回私が考えている表現とは別のことで、小説における表現=現前性とは、前回のチェーホフジョイスの引用にあったような、視覚の運動(広く「感覚の運動」)をともなう、文章に込められた要素の量に関わる。
 言葉遣いやセンテンスの長短やテンポは、いったん書き上げた段階でいくらでも直すことができるけれど、文章に込められた要素——つまり情景に込められた要素——はそういうわけにはいかない。小説にはいったん書き上げたあとに修正可能な要素と不可能な要素があり、修正不可能な要素が小説世界を作る、というか作者の意図をこえて小説をどこかに連れていく。
 それが小説における表現=現前性で、文字とは抽象化されたものなのだから、見た目の印象は小説にとっての現前性でなく、韻文にあるような響きも小説にとっての現前性ではなく、文字によって抽象として入力された言葉が読み手の資格や聴覚を運動させるときにはじめて現前性が起こる。
 その現前性を持続させて何かを伝えたり考えたり表明したりするのが小説だが、何よりもまず現前していることが小説であって、伝えたり考えたり表明したりする方は小説でなくてもできる。
 だから小説は読んでいる時間の中にしかない。音楽は音であり、絵は色と線の集合であって、どちらも言葉とははっきりと別の物質だから、みんな音楽や絵を言葉で伝えられないことを了解しているけれど、小説もまた読みながら感覚が運動する現前性なのだから言葉で伝えることはできない。
保坂和志『小説の自由』 p.72-74)



 10時ごろ起床。第五食堂で昼食を打包。14時ごろにグループチャット上でMさんからホテルに到着したと連絡がある。三年生のK・KさんとS・Sくん、二年生のC・Rくんに連絡をする。S・Sくんからはすぐに返信があるが、ほかのふたりは音沙汰なし。たぶん昼寝しているのだろう。
 身支度をととのえる。(…)大学の学生たちはすでにこちらの寮にむけて歩いているという。Mさんからじきに電話がある。先生の寮って便器が置いてあるところですよねというので、ちょっと笑ってしまう。たしかに昨日、寮のおもてになぜか洋式便器がひとつ野晒しのまま置かれているのを、こちらも確認していた。
 おもてに出る。学生の姿は見当たらない。グループチャットを確認する。果物屋さんがあるところに来てしまいましたとMさんがメッセージを送っている。第五食堂のそばだなと見当をつけてそちらに歩く。しかしどこにも見当たらない。S・Sくんから先生の寮に到着したというメッセージがとどく。(…)大学の学生たちもいっしょだと続くのに、どうも入れ違いになったっぽいなと思う。寮の前にもどる。立ち話している一同に合流する。便器がなくなっているので迷ってしまったとMさんが言う。たしかに野晒しの便器がいつのまにか消え去っている。先生めっちゃかっこいいですねと私服を褒める言葉があったので、いいでしょこれ? と鼻高々になる。八分丈のコーデュロイパンツ(ブラウン)にエスニックでサイケデリックなセーター、そのうえにこの夏日本で買ったライダースを重ねてみたところ、これがおもいのほかしっくりきたのだ。足元はマーチンのブーツ。
 C・Rくんから微信がとどく。日本語のかなり不自由な彼のメッセージは解読が難しいのだが、どうも昼寝をしたりないのでのちほど遅れて合流するという文意らしい。Mさんには申し訳ないが、こりゃあ脈なしだなと思う。K・Kさんは電話に出ない。
 ひとまず今いる面々だけで万达のほうに歩いていくことにする。先生ジェスチャーおっきいって言われませんかとMさんが言うので、職業病だね、こっちに来てからしっかりジェスチャーするようになったよ、一年生の授業なんてジェスチャーなしではほぼ成立しないしねと受ける。北門の外に出る。東進して最初の交差点を渡ったところで、二年生のR・KさんとI・Kさんとばったり遭遇する。ふたりとも(…)のカップを手にしている。万达に遊びに行った帰り道らしい。R・Kさんの趣味がコスプレであることを告げると、日本人女子らがみんな写真を見たいという。それでカードキャプターさくらのキャラのコスプレをしている写真を見せてもらう。I・Kさんはほとんど日本語を解さないが、R・Kさんは会話に関してはけっこうできるので、各都市のコスプレイベントの参加人数などについてレクチャーしてもらう。I・KさんはそのあいだずっとR・Kさんの肩にあたまをあずけるようにしてべったりしている。IさんはいつもRさんにあまえているなと言うと、「気持ち悪い」とRさんが日本語で口にし、みんな笑う。
 万达で買い物するのは夜という計画であったし、とりあえず夕飯の時間になるまで(…)で時間を潰すことにする。万达の近くの交差点でMさんが、こっちって天気ずっと悪くないですかという。この季節は晴れの日なんてほぼないね、でも夏になると逆に40度近い晴天がずーっと続く感じだよと答える。
 (…)に到着する。先客のおばちゃんが白い小型犬を連れている。小型犬はのちほどフロアでふつうに小便をした(日本人学生たちはびっくりしていた)。カウンターにはポニーテールの老板がひとりだけ入っていた。見覚えがある。バイトらしい姿はほかにない。S・SくんといっしょにテーブルのQRコードを読み取り、商品を日本人学生たちに紹介する。こちらはコーヒー、ほかの学生たちはミルクティーを注文したが、われわれの注文がおかしかったのか、それとも店の老板がしくじったのか、あたたかいものをお願いしたにもかかわらず冷たいものが運ばれてきたり、8杯分の注文であったにもかかわらず9杯分とどいたり、ちょっとグダグダになった。いまさらですがと断ったのち、日本人学生の名前を教えてもらった。Mさんはわかる。サバサバ系の彼女はNさん。めがねの彼女はAさん。三年生のR・Kさんに似ている彼女はKさん。Fくんに似ている彼はOくん。バイクと酒と煙草を愛する彼はYくん。
 カフェではあれこれいろいろしゃべった、しゃべりまくった、細かなやりとりはもはやほとんど思い出せない。唯一の中国人であるS・Sくんがふつうにわれわれの会話についてこれたことに何度も感心した。日本語の勉強をはじめたのは大学入学後であるが、会話だけでいえば、中学時代から日本語を勉強しているK・Kさんに次ぐレベル。三ヶ月のインターン経験のあるR・SさんやC・Rさんよりも上だと思う。そのS・Sくんは途中友達から電話がかかってきたといって席を立った。その友達というのが女の子のようだったので、もどってきたところで指摘すると、中学時代からの友人だという。いま(…)で仕事をしているのだが、月給が2500元ほどしかないという。それをきっかけに、996の話をしたり、高考をひかえた高校三年生の地獄の話をしたり、バイトの話をしたりした。中国の大学生はほぼバイトをしない。するにしてもだいたいが家庭教師。家庭教師以外のバイトというと、卒業生のK・Tさんがかつて后街の近くにあるミルクティー店でバイトしていたが、そのときの時給がたしか10元以下で、万达にむかう道中にその話をはじめてK・TさんのルームメイトであるKさんからきいたとき、Kさんがケタか数字をまちがっているのだろうと思って、何度もききなおしたのだった。何度も何度もききなおし、最終的に中国語を使ってまで確認したのだが、まちがいでもなんでもなく10元以下で、そんなクソみてえな金だったらバイトしないほうがいいじゃないかとなったのをよくおぼえている。S・Sくん曰く、クラスメイトのR・KくんとK・Iくんのどちらであったか忘れたが、いま万达にある映画館でアルバイトをしているのだが、そこも時給は10元ちょっとらしい。日本人学生はだいたいみんなバイトをしていた。Yくんは居酒屋。OくんとAさんとMさんとKさんは塾。Kさんはそれにくわえて歯医者でもバイトしている。受付ではなく、助手として歯科医に道具を渡す役割だというので、あんなもん資格なしでできるもんなのかとびっくりした。一般募集はしていない。患者として通っているときにスカウトされたのだという。
 K・KさんからS・Sくんのところに連絡がある。いまから万达にむかうという。それでわれわれも店を出ることにする。会計はこちらがもつ。一同だらだらと歩きながら万达にむかう。交差点の付近で鳥山明の話が出る。先生どんぴしゃ世代ちゃいますかとNさんがいうので、うんうん、どんぴしゃやねと受ける。でもみんなはちがうでしょ? なにがどまんなか? とたずねると、ワンピースという返事。しかしドラゴンボールのことはやっぱり知っているという。彼らよりさらに下の世代ですらアニメの新シリーズを通して触れていると続く。ぼくが子どものときドラゴンボールは水曜日の午後7時から放映されていたよ、野球中継のせいでよくなくなったんだよと受ける。
 万达の中に入る。H&Mへ。K・KさんとC・Rくんがセール品のコーナーにいる。こちらもセール品をすこしだけのぞく。いい感じのセーターがかなり安くなっている。今日はバッグをもっていなかったので、明日か明後日もういちど出直すことにする。
 みんなで東北料理の店に移動する。MさんはC・Rくんに付きっきり。道中、耳かきの専門店がやたらとたくさん並んでいる。「成人用品」の店もある。ショッピングウインドウに派手な下着をつけた女性のマネキンが飾られていたので、その前に立ってポーズをとる。学生たちがさっそく写真を撮りまくる。この写真バラまかれたらぼくは大学クビになるなと言う。
 店に到着する。「饺子宴」というそのまんまな店名。老板は黒竜江省出身で、こちらのことをおぼえているようだった。ヘアゴムでまとめているこちらのひげを指して、かっこいいなという。テーブルをふたつくっつける。注文は東北人のK・Kさんにまかせる。ビールはいる? とたずねると、Mさん、Nさん、Yくん、Oくんが手をあげる。注文をすませたあと、K・Kさんがずっといそがしそうにスマホをさわっていたので、なにかあったのかなと思っていたところ、先輩から急用で呼び出されることになったという。それで店を出ていく。詳細をきく時間はなかったが、けっこうけわしい顔つきになっていたので、トラブルかもしれない。彼女が去るまえにS・Sさんがやってくる。C・SさんもR・Sさんもやってくる。C・Sさんはバッチリメイク。完全によそ行きモードだ。教師の資格試験はどうだったかとたずねると、ふたりともだめだめと首をふってみせる。そう言いながらも結局合格するのがうちの学生だなというと、みんな笑う。謙虚ですとR・Sさんが応じる。S・Sさんは先学期すでに教師の資格試験に合格している。合格点が70点のところを71点で合格したのだという。
 夕飯を食べはじめたのは17時過ぎだった。みんなあまり腹が減っていない。それにくわえてK・Kさんが抜けたこともあり、おかずが大量にあまることになった。いろいろ食ったが、锅包肉がやっぱりいちばんうまい。S・Sさんがゲームをしようと言いだす。「本音と冒険」というゲーム。席順にふたりずつじゃんけんをする。負けたほうが「本音」か「冒険」を選ぶ。前者はほかの面々からの質問に対して本音で答える必要がある。後者はほかの面々からの無茶振り(罰ゲーム)を実行する。遠い昔、学生といっしょに一度だけやったことがあるようなないような。
 まず、こちらとYくんでじゃんけん。こちらの負け。「本音」を選択(以降、敗者は全員「本音」を選択した)。いままで何人と付き合ったかというので、みんなたぶん十人とか二十人だと思っているだろうけど三人だよと答える。恋人はもう十年くらいいないと続ける。次はYくんとS・Sくんがじゃんけん。S・Sくんが負ける。S・Sさんについて形容詞を10個使って褒めよという指令がS・Sさん本人から下される。S・Sくん、日本語で十個、それもかなりスムーズに言い切る。びっくりした。次はS・SくんとS・Sさん。しかしこの結果はおぼえていない。次にS・SさんとR・Sさん。R・Sさんが負ける。彼氏に告白されたシチュエーションを説明しろとこちらがせまる。高校二年生のとき、一月二日、教室で我爱你という告白されたとのこと。次にR・SさんとKさん。Kさんが敗北。いまここにいる男の中でだれが一番かっこいいかとS・Sさんがせまる。(…)先生ですというのに、先生はダメダメ! とすぐにS・Sさんがさえぎる。立場の異なるこちらは安牌すぎるのだ。男性陣三人に目を閉じるようにとS・Sさんが言う。Yくんは小便をするべく二階にあるトイレにむかう途中だったが、わざわざその階段で立ちどまった。Kさんはなかなか選ぶことができない。そんなわれわれのようすを見ていた老板がにやにやしながら、おまえらなんかおもしろそうな話をしているなと割って入ってくる。Yくんのおしっこが漏れるから! 老板邪魔しないで! とこちらが言うと、みんな笑う。Kさん、最終的にYくんのほうをさっと指す。次にKさんとAさん。Aさんが敗北。中国人学生のなかでだれがもっとも優秀にみえるかという質問。R・Sさんという返答。これには全員正解ですと口をそろえて言う。R・Sさんはかつて(日本語学科のみならず英語学科もふくめて)外国語学院全体で一位の成績をとったことがある。次はAさんとC・Sさん。C・Sさんが敗北。好きな男性のタイプは? という質問に、スマホに大量に入っているアイドルの写真を見せびらかすようにする。次にC・SさんとNさん。Nさんが敗北。もっとも印象に残っている恋は? という質問に、中学のときに好きだった相手という返事。好きすぎておなじ高校に進学したという。しかし結局その恋は実らなかったらしい。NさんのとなりはMさん、そのとなりはC・Rくんだったが、ふたりはずっと話しこんでいたので順番を飛ばすことにし、NさんとOくん。ここではまたNさんが敗北したが、どういう「本音」が語られたのであったか忘れた。最後にOくんとこちら。またこちらが敗北。好きな女性のタイプは? とたずねられたので、芸術や文学に理解があり金にさほど興味ないひとと即答すると、先生そんなひといませんよとNさん。知っとる。
 残ったおかずはR・SさんとC・Sさんが打包する。「本音と冒険」ゲームをはじめる段階ですでにそうなっていたように記憶しているが、Mさんは号泣していた。C・Rくんにその気のないことが判明したらしい。ちょっとびっくりした。まさかMさんがそこまで本気であるとは思わなかったのだ。Oくんがその件についてなにか口にしかけると、Nさんがぴしゃりと叱りつけるような言葉を発した。からかうな! みたいなニュアンスだったと思う。
 会計は480元。280元こっちが負担した。残り200元を中国人学生が割って出す。店の外に出ていた老板においしかったと告げると、ハグをもとめられる。そのまま万达にむけて歩きだす。Oくんが夜にもかかわらずなぜか水色のサングラスを装着する。Oくんは基本的にずっと寡黙で、じぶんから口をひらくことも滅多にないのだが、どうもこちらにはある程度心を許してくれているらしく、ほかにひとがいない場面ではちょくちょくと話しかけてくることがあり、この道中もそうだった、なぜかこちらの肩を揉みながらじぶんもまた失恋をしてたいそうひきずった記憶があると言いだしたのだ。高校時代の恋人らしい。いまでもときどき夢に出てくることがあるという。
 万达の中に入る。二階のフロアを無目的にうろうろする。先生いまどこにむかっていますかとC・Sさんがいうので、ただ散歩しているだけだよと応じると、先生は本当に散歩が好きですねという反応があり、ちょっと笑ってしまった。散歩くらいしかこの田舎ですることはないでしょうと受ける。土曜日なので万达はずいぶん混雑していた。こんなにたくさんひとがいる万达を見るのはひさしぶりかもしれない。途中、女子学生がトイレに行く。トイレ待ちのあいだにMさんはだいじょうぶなのかとほかの学生にたずねてみると、うーんという返事。Yくんに彼女の写真を見せてもらう。付き合って四ヶ月。かわいらしい女子。
 雑貨屋に入る。C・Sさんはここで日本人学生たちに渡すお土産を以前買ったという。明日はルームメイトの誕生日なのでその分のプレゼントもいまここで買うという。こちらは例によってふざけたサングラスのコーナーで試着して遊ぶ。Kさんが写真を撮ってくれるというので、バカなポーズをたくさんとる。店内にいる若い女の子たちの視線を感じる。また連絡先を教えてくれのパターンかもしれないと思っていると、案の定、C・Sさんが笑いながらそばにやってきて、この女の子たちが先生のことをかっこいいと言っていますと言う。彼女たち先生といっしょに写真を撮ってほしいです、彼女たちは(…)学院の学生ですというので、あ、(…)院の学生なのかと思い、中国語でなにを勉強しているのかとたずねると、英語学科の学生だという返事。全員二年生だったと思う。ツーショット×4人分の撮影を混雑している店内ですませる。めっちゃ人気者ですねとKさんがいうので、外国人がただでさえ少ない街だし、それにぼくがこんなバカみたいなヒゲをしているから、まあ動物園のパンダみたいなもんだよと受ける。
 店を出る。C・Rくんはすでに去ったという。えらいことになったなァとこぼすと、先生酒がほしいですとNさんがいうので、オッケー、じゃあスーパーに行きましょう、今日はMさんといっしょにたくさん飲んであげてと応じる。それで(…)へ。

 店の入り口にあるロッカーに荷物をあずける。Aさんがフェイクレザーのジャケットを着ていたので、それかわいいねという。グレーで丈の短いやつ。これしまむらですよという返事があるので、びっくりする。しまむらっていまこんなシャレたもん売ってんの? というと、むかしとちがってけっこういいもんありますよとYくんがひきとる。むかしはなんか変なやつばっかでというので、小学生女子が着るような服ばっかやったよねというと、いまは全然大学生でも着れますとある。ユニクロやGUとくらべるとぐっとランクが落ちるものの、それでも使い勝手のいいアイテムはあるという。わたしはこれユニクロですよとKさんが自身の身なりを指していう。
 酒類のコーナーをのぞく。Nさんがアサヒの瓶ビールを大量に買う。YくんもMさんもちょっとずつ酒を買う。つまみはホテルの部屋に大量にあるらしい。鮮魚コーナーに行く。日本ではまず見ることのない魚たちが水槽のなかにたくさんいる。だれも買うつもりなど当然ない。ただ見学する。水族館みたいだなと言うと、R・SさんとC・Sさんが笑う。牛蛙の入っている水槽に近づいたところで、YくんがKさんの背中を軽く押しておどかす。そのKさんがお土産にウーロン茶の葉を買いたいというので、お茶っぱのコーナーをのぞく。ウーロン茶はない。鉄観音ばかりだ。バイト先のお土産として個包装してあるお菓子がほしいというので、R・Sさんとこちらで彼女をお菓子コーナーに連れていって検分する。R・Sさんおすすめのブツに決めたところで会計へ。手持ちの現金を切らしているというので、たいした金額でもないしこちらがおごる。
 そのまま一階にある(…)にむかう。ショートカットとしてマクドナルドの店内を通りぬける。マクドナルドですらやっぱりちょっとスパイシーなにおいがするとKさんが言う。中国の生活に慣れてしまっているこちらにはわからない。(…)にもウーロン茶の葉はない。いや、あることにはあるのだが、桃の風味だのパイナップルの風味だのがついているものばかり。だったらいらないとKさんが言う。そういうわけで帰路につくことに。
 万达の広場でクソデカい犬を見かける。たぶんアラスカン・マラミュートだ。毛は茶色。あるいは赤毛だったかもしれない。飼い主はこちらと年齢の近い男性。さっそく触らせてもらう。たいそうかわいらしい。毛は死ぬほどふわふわ。こちらの手首をやたらと甘噛みしてみせるので、年齢をたずねてみると、半年とのこと。たぶんまだ歯が生え変わりきっていないのではないか。もふもふしまくっていると、こちらのテクに耐えられなくなったのか、その場であおむけになって腹をさらしてみせる。その腹をこちらとR・SさんとKさんの三人でさわりまくる。体重はすでに40キロあるらしい。
 先行グループが広場の先で待っている。先生! 遅いです! とC・Sさんに叱られる。犬がいるんだからしかたないとひらきなおる。明日もし都合がよければお昼ごはんをいっしょにと日本人学生たちから切りだされる。もとよりその気であるので問題なし。ほかの面々の予定をたずねてみる。R・SさんとC・Sさんのふたりはルームメイトの誕生日会があるので参加できない。S・Sくんは問題なし。S・Sさんは彼氏を連れてくるという。K・Kさんにはあとでこちらが確認することに。食事の機会も最後であるし、こちらの行きつけである(…)でとろうということになる。金もかからないし、ホテルからも近い。(…)の近くには(…)がある。(…)には瑞幸咖啡がある。以前彼氏といっしょにその店内で勉強したことがあるとS・Sさんが言う。目の前には窓があり、その窓越しに広場をのぞむことができる。その広場で、というよりふたりの座っている窓のすぐ外で、老人ふたりが突然広場ダンスを踊りはじめたので、さすがに耐えられなくなって店を出たという。
 ホテルに到着する。R・SさんとC・Sさんは今日でお別れ。C・SさんはNさんに、R・SさんはKさんに、それぞれハグをする。
 さよならして日本人学生と別れる。S・Sさんが小声でなにかを打ちあけようとするかまえをみせる。どうしたの? とたずねると、実は(…)大学のP先生に文句があると言う。ポケットから折りたたんだ紙切れを取りだす。紙には日本語の文章が書いてある。不満をもともとこちらに伝えるつもりで、どうやら事前に仕込んでいたらしい。音楽ホールで交流コンサートのあった日のことだ。

 当日、K先生から電話があった。K先生は今回の交流会の担当者だったらしい。P先生から(…)大学の学生と(…)の学生でいっしょに夕飯を食べるようにしてほしいという話があった。その話を受けたK先生が(…)らの学生にそう伝えた。それで(…)の学生らは(…)大学の学生らに連絡をとったのだが、先方はすでにホテルの部屋で食事をとりおえていた。その後、両校の学生は合流し、音楽ホールで交流コンサートの鑑賞とあいなったわけだが、ホールでP先生が(…)大学の学生に今日はどこで食事をとったかとたずねた。(…)大学の学生は当然ホテルの部屋でとったと答える。するとその答えを耳にしたP先生の顔が一気に険しくなったのだという。つまり、(…)の学生たちが接待をサボったにちがいないと怒ったということなのだが、こちらとしては現場を見ていたわけではないのでなんともいえない。いずれにせよ、(…)の学生たちはP先生にあまりいい印象をもっていないようだった。
 S・Sくんの寮は老校区にある。ホテルからかなり距離があるし、タクシーに乗って帰ると当初は言っていたが、結局ほかの学生らといっしょに徒歩で大学まで帰ることになった。S・Sさんの彼氏がS・Sさんをむかえにやってくる。こちら、S・Sさん、S・Sさんの彼氏、S・Sくん、R・Sさん、C・Sさんの6人パーティーで北門にむけててくてくと歩く。キャンパスの近くではすでに桜が咲いている(ソメイヨシノではない)。インターンシップの話をする。二年生の行き先は淡路島に決まったと伝える。三年生はまだ決まっていないという。三年生でインターンシップに参加する学生はかなり多い。参加希望者からなるグループチャットの構成メンバーを見せてもらったが、R・KくんとK・Iくんの名前があったので、は? マジで? となった。どう考えてもやばい。さらにC・Rさんの名前もあった。C・Rさんは去年も参加しているではないかというと、二年連続で参加することも可能なのだという。しかし前回とおなじホテルに勤めることはできない。C・Rさんは日本が本当に好きですとR・Sさんが言う。C・Rさん、日本で彼氏できたでしょ? とぶっこむ。R・Sさんが気まずそうににやにやしているので、いやわかるんだよ、きみたちが帰国したばかりのときに三人で万达でメシ食ったでしょ? あのときにC・Rさんが彼氏と別れたという話をして、そのときぼくが冗談で、じゃあ日本人の彼氏ができたでしょ? と言ったら、きみたちふたりとも一瞬だけ黙って、そのあとにいいえと否定したでしょ? それですぐにわかったよと言うと、先生はすごいです! 本当にするどい! とR・Sさんが大笑いしながら白状する。付き合うところまではいっていない。友達以上恋人未満の相手がいるらしい。なるほど。
 北門からキャンパスに入る。S・Sさんと彼氏がパーティーから離脱する。残る四人でこちらの寮まで歩く。あ、そうだ! とR・Sさんが言う。事務室から押しつけられている仕事の件で進展があったのかなとピンとくる。ビンゴ。例の仕事についてはクラスメイトのS・Sさんが引き受けてくれることになったらしい。そりゃあよかった! これで院試の準備も彼氏との電話もゆっくりできるね! と応じる。
 三人と別れて帰宅。チェンマイのシャワーを浴びる。S・Sさんが東北料理店で撮影した写真がグループチャット上に投稿される。K・Kさんに微信を送る。明日は11時ごろにホテル前で(…)大学の学生らと合流して(…)を食べにいく、Mさんがきみに渡したいプレゼントもあるらしい、来ることはできるか、と。先輩との用事がすでに入ってしまっているが、合流できそうであれば合流するとの返信がとどく。
 Mさんからも微信がとどく。「悔しいです」と。彼女とC・Rくんの仲をあおりまくったこちらにも当然責任があるので謝罪する。MさんはMさんで「はやとちり」だったと反省するが、しかしやっぱり「相手も悪い!」と言う。それにくわえて、C・Rくんの家庭環境が複雑すぎて泣けてしまったのだというので、それは初耳だと受けると、「いいように言うと凄く兄弟愛が強いっていう感じ」とのこと。詳細は不明。とりあえず今日はたくさんお酒を飲んで、怒りも悲しみも全部ぶちまけて、それですっきりして帰国しなよと伝える。いや、恋愛感情なんてそんな簡単なものじゃないことはわかっているのだが!