20240312

 しかし私にとってうちの猫たちがかけがえがないのは、私が猫それぞれの個性を発見したからではない。それは逆で、かけがえがないから個性の違いが一層よくわかるようになっただけのことで、猫がもっとずっと個性の違いを見つけにくい生き物だったとしても猫は私にはかけがえがない。
 堂々巡りになるが、そのかけがえのなさは一緒に暮してきた時間にしか根拠がないのではないか。——ペットショップでの出会いでも捨て猫(犬)との出会いでも、「最初に目と目が合って、もうメロメロになった」という言い方があるけれど、一緒に暮らす過程で発見していく個性とだいたい同じものとして、「最初の出会い」が飼い主と猫(犬)との絆の〝神話〟としてそのつど確認されているのであって、最初の出会いそれ自体には以後何年にもわたって飼いつづける気持ちの強度を維持してくれる力はない。そうでなければ毎年何万匹の犬や猫が捨てられることの説明がつかない。
「最初の出会い」というのは正しくは最初=一瞬でなく、「子猫(子犬)のとてつもない可愛らしさ」ということで、その期間は三ヵ月から半年はつづく。その時間の中でかけがえのなさが醸成されていく。
 いや、そんなペット談義はどうでもよくて、いまここで言いたいのは、私というのもそれと同じことなのではないかということだ。私は固有性によって私がかけがえがないのではなくて、ただ私と一緒にいた時間によってかけがえのなさがもたらされたのではないか、ということだ。
 
 私のかけがえのなさの起源は、ペットのかけがえのなさと同じである。
 
 このセンテンスは二種類の人にきっとまったく違ったように響くだろう。
 私に過剰な関心のある人にとっては、「たかがペット程度なのかよ」という否定的な響きを持ち、私(保坂)のように猫なしではいられないような人間にとっては、「うん、だいたいそういう感じなんだろうな」と、喜ぶとまでは言わないにしても否定では決してない、いい感じの響きを持っていて納得できる。
 前者のタイプの人たちにはもうほとんど理解不能だろうが、後者の私のような人間にとって、私はあんまり世界の中心にいなくて〝媒介〟のようなものになっている。猫と一緒にいるときに私が私として確認されたり、何かを考えているときに私が私として確認されたりする。
 しかし! その猫はもともと道に捨てられていたのを拾ってきたものであり、何かを考えているときの私が使っている言葉は他人の言葉なのだ。
保坂和志『小説の自由』 p.149-150)



 6時45分起床。(…)大学の学生らにもらったカロリーメイトと白湯の朝食。
 8時から二年生の日語基礎写作(二)。6階にある教室にむけて階段をあがっている最中、O・GさんとR・KさんとK・Dさんのトリオと遭遇。こちらを含めて四人、だいたい毎回始業ぎりぎりに教室にやってくるメンツだ(国際交流処からは教師はかならず10分前に教室に到達するようにと言われているが、そんなもん知ったことか!)。ぜえぜえ肩で息をしながら教室に到着。先週まったく動かなかった教卓のコンピューターが今日はちゃんと動いた。よかった、よかった。
 授業は「キャッチコピー」。C・KさんとR・IさんとE・Sさんのトリオがめずらしく最前列に腰かけている。その影響でか、教室入りが最後になったO・GさんとR・KさんとK・Dさんがはじめて最後尾に追いやられる。最前列が率先して埋まるなんてこのクラスくらいだよなと思う。今までそんなクラスひとつもなかった。C・Kさんはバッチリメイクの美人で、自撮りも大好きで、彼氏もいて——という要素がそろっている学生はたいてい勉強などまったくしないというのが経験的に知られるところであるのだが、彼女は例外で、授業は毎回真剣に受けているしこちらの発言にいちいちうんうんうなずいてみせるし、期末テストでは毎回ほぼ最高点を叩きだす。たいしたもんだと思う。あと、以前日記に書いたこともあると思うけれども、どことなく雰囲気が(…)時代の同僚であるBさんに似ており、といっても当時のBさんは四十代半ばだったはずだから比較するのはもしかしたらアレかもしれないが、でもやっぱりBさんに似ている、Bさんの二十代ってきっとこんなふうだったんだろうなという想像を自然とこちらにもたらす。これも年をとったということなのかもしれないが、他人の印象というものが年々「◯◯さんに似ている」式のものものばかりになっていく。これも I Guess Everything Reminds You of Something の一種か。
 授業後、R・Kさんが教壇にやってくる。この動画を見てほしいといってスマホを差し出してみせる。たぶん抖音に投稿されていたものだと思うが、日本アニメのよくあるシチュエーションをおっさんふたりがパロっているもの。いっぽうが先輩男子で、もういっぽうが後輩女子。後者が車にひかれそうになったところを前者が助ける、その際に手を握る、それを受けて後者が「先輩!」みたいなときめきモードに入るのだが、その後輩女子を演じているのがスキンヘッドのおっさんであり、かつ、そのモノローグは日本アニメの女性声優によるセリフをコラージュしたものになっている。授業でバレンタインデーについて説明する必要があったので、きみたちも日本のアニメやドラマでこういうの見たことあるでしょと前置きしたのち、放課後の教室で意中の男の子にチョコレートをプレゼントする女の子というコテコテのシチュエーションをこちらが一人芝居で演じて爆笑をかっさらったのだが、それを受けて、この動画のハゲの男性と先生はそっくりですと言うのだった。ほっとけ、あほ!
 次の授業は閲読であるが、担当教員が新人の先生だという。S先生かというと、そうではないという。大学院を出たばかりの若い女の先生であるというので、え? じゃあ今学期はあたらしい先生がふたりもやってきたの? と授業中に驚いたのだったが、その流れで、R・Kさんたちからいっしょに教室に行きましょうと誘われた。先生! 結婚のチャンスがあります! というので、よっしゃ! と悪ノリして教室にむかったのだが、くだんの先生はまだ到着していないようだった。こちらの姿に気づいた学生たちが、先生! ここに座って! ここ! と言いながら教室の最後尾に腰かけるようにうながしたが、さすがにそれは悪ふざけがすぎると思われたので、写真を撮って送ってください! と言い残して去った。
 (…)で食パン三袋を買って帰宅。R・Kさんからさっそくあたらしい先生の写真がとどいている。たしかに若い。学生とそんなに変わらない。O・GさんからはK先生という名前であるというメッセージがとどく。漢音読みの原則にしたがうのであれば、「(…)先生」ではなく「(…)先生」か。C・RくんからもK先生の盗撮動画がとどく。若い女の先生の授業だと勉強熱心になるでしょうと応じると、そうですという返事。C・Rくん、Mさんからのアプローチには応じなかったわけだが、交流をきっかけに日本語学習には興味をもちはじめたのか、今日の授業中にも何度か発言してみせたし、教室を出ていくときにはわざわざ「先生、バイバイ!」と言い残していった。以前なら考えられなかったことだ。そもそもこうして雑談風の微信が送られてきたこともおそらくはじめてである。失恋の傷が癒えた頃合いを見計らって、実はあれ以降彼にこれこれこういう変化があったんだよとMさんに伝えてあげようと思う。

 韓国人のK先生に微信。先ほどの授業の休憩時間中、T・Uさんから16日の予定について話があったのだ。参加者は前回同様、T・UさんとR・HさんとR・HくんとR・Uくん。店の候補はふたつあったが、そのうちのひとつが(…)街にある(…)だったので、あ、ここおいしいよね、ここにしようよとこちらが決めた。当日は夕方に大学内で集合、その後タクシーで店まで移動することになるだろう。時期的にちょうど(…)街の桜をながめることもできるかもしれない。K先生にはひとまず土曜日の夕方に火鍋を食べにいきましょうとだけ伝えた。
 きのうづけの記事の続きを書く。11時前に寮をあとにする。ケッタにのって第四食堂近くへ。路肩に三年生のS・SくんとK・Gくんがならんで腰かけている。中国では路肩にケツをつけて座りこんでいる人間の姿を見ることはあまりない。なんだかめずらしい光景のように映じる。S・Sくんからは昨夜、R・Kくんも昼食に同行するかもしれないときいており、彼が来たところでコミュニケーションはほぼ不可能なわけだがだいじょうぶだろうかと思っていたのだが、そのR・Kくんの姿はなかった、代わりにまさかのK・Gくんがいた。しかしそのK・Gくんも日本語能力は問題ないのだろうけれどもコミュニケーション能力には問題大ありで、ケッタを食堂付近に停めてから西門経由でキャンパスの外に出てそのまま(…)にむかう道中、いろいろ質問を投げかけてみたのだけれども大半がへらへら笑いのみで明確な返事がない。ただシャイなだけであるのか、それともこちらの言葉を聞き取れていないのか、それが正直よくわからない。K・GくんはS・SくんからもK・Kさんからもその能力を高く買われており、実際今日店に到着したあとで交わした会話のなかでも、K先生の翻訳の授業がたいそうむずかしいと語るS・Sくんが、K・Gくんですらわからない言葉があるのだと口にしたほどであるのだが、こちらの印象としては、正直、S・SくんやK・Kさんのほうがずっと能力が上なのではないか——というアレはしかし、ネイティヴスピーカーとしてどうしても会話能力を重視してしまうバイアスのせいかもしれない、たとえば一年前の写作の授業中に提出された作文はたしかにS・SくんよりもK・Gくんのほうがずっとよく書けていた。よくわからない。もしかしたら単純にこちらを前にして緊張しているだけなのかもしれない。K・Gくんはオタクの多いクラスのなかでもさらにハードコアなタイプでアニメのみならずVTuberも愛好しているし、彼からみればおそらく典型的な「陽キャ」に映るこちらに対する苦手意識みたいなものもあるのかもしれない。店に到着後、あらためてふたりの故郷をたずねたのだが、S・Sくんは(…)で、これはつい先日きいたばかりだったのでおぼえていたのだが、K・Gくんのふるさとは(…)だった。あ、きみ、(…)だったの? R・Sさんと同じじゃん! となったのだが、これを書いているいまはっとした、二年生の学習委員であるR・Gさんのモーメンツに対してK・Gくんがときおりコメントを投稿していることがあり、このふたりのあいだにいったいどういうむすびつきがあるのだろうとふしぎに思っていたのだが(K・Gくんは女子学生と交流があるようにはまったくみえない)、なるほど同郷のよしみだったのだ!
 S・SくんもK・Gくんもしかし育ちは広東省だという。ふたりとも中学生のときに(…)省にもどってきたという。両親が広東省に出稼ぎに行っていたのでそれについていったパターン? とたずねると、肯定の返事。でもそれだったら広東省の甘い料理に慣れているんじゃないの? と、ふたりがすすっている唐辛子たっぷりの麺をながめながら言うと、広東省には(…)料理の店が信じられないほどたくさんあるという返事。なるほど、出稼ぎ労働者が多いために需要があるわけだ。S・Sくんはテーブルの上の椀やこちらの姿をスマホで撮影した。そしてのちほどそれを(…)大学のグループに投稿した。
 K・GくんもまたS・Sくんと同様、大学院を受けるかどうか現時点ではわからないという。
 食事を終えて店の外に出るとかなりの晴天で、最高気温は20度を優にうわまわっていた。西門の入り口でふたりと別れる。S・Sくんは后街の美容室で髪を切るという。K・Gくんはたぶんこちらとふたりきりでは間がもたないと判断したのだろう、ただ黙ってS・Sくんのほうに同行した。しかしS・Sくん、なんでこんなに日本語の会話がうまいのだろう? K・Gくんは高校生のときから日本語を勉強しているが、シャイな性格を差っ引いたとしても、S・Sくんほど流暢には絶対しゃべれないと思う。S・Sくんのおじさんは(…)の教授であるというし、やっぱり地頭がすごくいいのだろうか。
 第四食堂近くの库迪咖啡に立ち寄る。アイスコーヒーを注文するが、けっこうな順番待ちになっている。店の前にアウトドア用品の折りたたみ椅子が複数置かれているので、そのうちのひとつに腰かけ、待ち時間を『究極中国語』でつぶす。途中で女性スタッフが試飲用の小さな紙コップを大量にトレイにのせてあらわれた。お待たせしてすみませんの意味で配っているらしかったが、茉莉花茶だというのでいらないと断った。おなじ折りたたみ椅子に腰かけていた女子学生が、これ以上待てないと言ってややキレ気味で去った。こちらも二十分ほど待ったと思う。いつになってもミニプログラムの表示が制作中のまま変わらないので、さすがにおかしいだろうと思ってカウンターをのぞいてみたところ、こちらの注文したアイスコーヒーが置かれていた。いつからそこにあったのかは不明。たまたまできあがったタイミングでこちらがカウンターをおとずれたのか、それともとっくにできあがっていたにもかかわらずスタッフの不手際でミニプログラムの表示が更新されなかったのか、ちょっとよくわからなかったが、コーヒーの氷はそれほど溶けていなかったようであるし、たぶん前者だろう。
 帰宅。ふとBEAMSARC’TERYXのコラボ商品(?)であるMANTIS 26 BACKPACKのことを思い出し、ぼちぼち発売しているころじゃないかとZOZOTOWNをチェックしてみたところ、完売になっていた。は? となった。これで二年連続で買いそびれたことになる。あわててほかのストアを調べてみたところ、楽天ストアで在庫ありになっていたので、すぐにポチった。来週実家にとどくようであるので、母と弟にたのんで現物をチェックしてもらわなければ!
 ベッドで30分ほど寝た。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返した。2014年3月12日には国立新美術館に「イメージの力」展をひとりで見に行っている。以下のくだり、『S&T』に収録した記憶がある。

国旗という概念のおそらくなかったガーナ人らが英国のユニオンジャックを軍事力の象徴としてみずからの戦旗に取り入れていたというエピソードを知ってすごく感動した。なんてたくましいユーモアだろうと思った。国旗の意味をこのように読み替えてあげくのはてにはみずからの論理に従属せしめて軽々となんでもなく使用してしまうこの自由こそが国旗というひとつの強烈な意味とその作用にたいする最大の攻撃であり哄笑ではないかと思った。

 それから授業準備。日語会話(二)の第10課&第11課と第12課の資料を確認し、脚本を印刷し、配布用の資料を各クラスの学習委員に送信して印刷をたのむ。その後、今日づけの記事を途中まで書く。
 17時をまわったところで第五食堂へ。CCと遭遇する。おいしい牛肉料理があると教えてくれる。打包して帰宅。日本から持ってきた永谷園のまつたけの吸い物といっしょに食す。食後、日語文章選読の準備。「断片的なものの社会学」のルイスのくだり。脚本と資料をチェックし、問題なしと判断されたところで、学習委員のK・Kさんに印刷よろしくと資料を送信。今週の授業準備はひとまずこれでオッケー。あとは時間のあるときに今日提出された「キャッチコピー」の答案をまとめるだけでよし。
 唐突にギターが弾きたくなった。Schoolgirl Byebyeの「海邊旅館一夜」をずいぶんひさしぶりに流したからだと思う、イントロの『ツイン・ピークス』感あるギターの音になにかゆさぶられるものがあったのだ。Mさんの置き土産であるエレキギターのほこりをぬぐい、チューニングし、Fishmansの「あの娘が眠ってる」のコードをスマホで確認する。ああそうだった、そうだった、こんな感じだったなと思い出せたところで、ぎこちない手つきでコードをひとつひとつゆっくりと鳴らす。慣れてきたところで、軽く歌ってみもする。それで満足した。

 チェンマイのシャワーを浴びる。ストレッチをしたのち、コーヒーを淹れ、Fくんの「塔のある街」を読む。軽くメモをとったが、もう一回読んでいろいろ確認したいことがあるので、感想はまた今度。
 寝床に移動後、『中国では書けない中国の話』(余華/飯塚容・訳)の続きをちょっとだけ読み進めて就寝。