20240315

ゴドーを待ちながら』の比重は、「ゴドー」でなく「待ちながら」の方にあるのだが、人は動詞や状態をあらわす言葉よりも圧倒的に名詞に反応するようにできているらしい。それが、小説に書かれていることをそのまま読むのではなく、意味を考える性癖の原因の一つともなっているのではないか。
保坂和志『小説の自由』 p.163)



 8時半起床。三年生のS.Sくんから明日いっしょに新疆烤肉を食べにいかないかという誘いがとどいていたが、明日はK先生たちといっしょに(…)街で火鍋を食べる予定なのでこれは断る。
 10時から二年生の日語会話(四)。今日もディスカッション。二部構成。第一部は「必要なものはどれ?」がテーマで、選択肢は「酒」「煙草」「ギャンブル」。中国人の特におっさんは初対面の人に対するあいさつとして煙草を差し出すというのをやるよねという話が出る。あと、中国ではギャンブルは違法であるのだが、麻雀やトランプなどで少額の金を賭けることは当たり前のようにあるという。特に春節などはそういった遊びをすることが多い、と。第二部は「恋愛をするならいつから?」がテーマで、選択肢は「中国&高校から」「大学から」「一生すべきではない」。中国では中高時代の恋愛が禁止されているわけだが、それでも六年前この土地に越してきたときにくらべると、高校時代に恋人がいたと語る学生の数が増えてきているという印象。R.Hくんに割合をたずねてみると、高校時代は一クラス50人、そのうち10人くらいは恋人がいたという返事。思っていたよりも多い。高校時代は土日も授業があったという話も出た。これは初耳だった。高考をひかえている高校三年生だけではないかと思ったが、そうではない。(…)省は特に教育が厳しいということで有名だという。この話については以前たしかに小耳にはさんだことがある。実際、浙江省出身のO.Gさんはそんなことなどなかったという。高校時代は一ヶ月に一日か二日しか休日がなかったとC.TくんやR.HさんやG.Kさんがいうので、そんな状況でどうやって恋愛するの? デートは? とたずねると、いっしょに勉強する、いっしょに食堂でごはんを食べる、いっしょに学校を散歩するという返事があった。あと、お見合いの話も出た。R.Hさんのお姉さんがいま大学四年生であるのだが、親に言われてお見合いをしたというので、嘘やろ! となった。
 授業はおおむね楽しくやれたが、前回にくらべるとやはり積極的に発言する子とそうでない子とのあいだにくっきりと差が出てしまったという印象をもったし、ほかの学生が発言しているあいだ話をきいていない学生の姿も目立ったので、そのあたりをもうすこし工夫したほうがいいかなと思った。板書は最低限にするか。なるべく耳と口を使わせるべきだ。
 昼食は第四食堂の入り口にあるハンバーガー屋で打包。店に入っている歌のうまいおっちゃんとひさしぶりに再開。目顔でニコッとおたがいにあいさつする。帰宅後、30分の仮眠。(…)大学の学生グループチャットに「(…)」というアカウントがあらたに招待されていた。Kさんだろう。唯一微信をインストールしていなかった彼女であるが、じぶんからそうしたのか、仲間にうながされてそうしたのか、どうやらアカウントを作成したらしい。グループチャットではときどき両国の食事の写真がやりとりされる。きのうはYくん手作りのエビマヨやMさんがじぶんで炊いたという赤蒟蒻の写真が投稿されていた。
 14時から17時まで「実弾(仮)」第五稿作文。今日もシーン27。いろいろ手を加えるが、なかなかむずかしい。

 つむじの中心がひやりとする。雨かと思って反射的に見あげるが、頭上はコンクリートと鉄筋からなる巨大なかたまりによってさえぎられている。得体の知れない水滴は、見透かすことのできないその暗がりの奥から、まるで洞窟の天井からしみでる地下水のように滴り落ちてきたものだ。足元に目線を落とす。アスファルトの地面もそこだけがひときわ黒くそまっている。
 頭頂部の水滴を指先でぬぐう。そのまま鼻先に近づけてにおいを嗅いでみる。ガソリンや灯油のようなにおいがするかもしれないと構えていたが、無臭だった。色もついていない。エンジンを切ったばかりの原付バイクのシートに、濡れた指の腹をなすりつける。なすりつけたそのかたわらに、また一滴ぽとりと落ちる。
 原付バイクを手で押して少しだけ移動させる。巨大な盃のかたちをした橋脚のすぐそばにつける。間近で相対すれば、橋を支える脚というよりも、無骨で薄汚れたコンクリートの壁面にしかみえない。壁面のところどころには、文字でも絵でもないただの描線が、「死」「殺」「呪」「不亜流魂」「天上天下唯我独尊」などという文字と一緒に、黒と赤のスプレーで乱雑に噴きつけられている。〇九〇からはじまる携帯電話の番号や、ファーストネームだけの相合い傘などもある。

 これ、シーン27の冒頭であるのだけれど、ここに手を加えている最中、ふと、中学時代の同級生であるRのことをおもいだした。漢字表記が「(…)」であったか「(…)」であったか「(…)」であったかもう忘れてしまったので、便宜的に「(…)」というカタカナ表記で通すことにするが、定員割れの高校に入学して一ヶ月か二ヶ月で教師を殴って退学になったRが、どこの店舗のものか忘れてしまったけれどもサークルKの壁に黒いスプレーで「O.R参上」と書きつけたことがあったのだ。
 Rはドヤンキーであるのに達筆で、かつ、絵心もあった。高校を退学後、地元の暴走族のあたまになり、その後ヤクザになったが、先輩ヤクザにこんなところに出入りしていてもろくなことにならないぞと諭されたのをきっかけに、母親が息子にはカタギでいてもらいたいのだとあたまをさげるかたちで組を出た。その後、地元のトラブルを避けるかたちで岐阜に高飛びした。最後に会ったのはこちらが大学に進学して最初の夏休みだったか? あるいは冬休みだったか? そのときは岐阜を出て大阪に行くと話していた記憶がある。
 高校生のとき、学校からの帰り道に偶然Rと出くわしたことが何度かあった。いまはもうなくなってしまったサークルKの駐車場だった。中学を出たばかりらしくみえる後輩とふたりそろって土方のいでたちでたむろしているところに遭遇したことも二度か三度あったが、それよりも印象に残っているのは夜ひとりで車止めに腰かけているRの姿をたまたま見かけたときだった。そのときRは少年院を出てきたばかりで、まだ保護観察付きだった。画用紙を数枚手にしていた。なんなんそれ? というと、(…)ちゃんこれ秘密やで、恥ずかしいからと言いながら、こちらに手渡してくれた。詩画だった。あいだみつをとか、326とか、あのあたりの影響を受けたものらしい、クレヨンで描いた絵にJ-POPの歌詞みたいな短い文章が添えられているもので、ひまわりか何かの絵に、「咲いた咲いた」みたいな文章が付されている一枚があったのを記憶している。われわれはコンビニでたむろするときはいつもそうするように、店の出入り口に一番近い段差に、つまり、店側や客にとって一番邪魔になる場所に直接尻餅をついてならんで腰かけていたのだが、そうすると店に出入りするほかの客が当然われわれのそばを通りがかることになる。Rはそのたびに画用紙を丸めて、中身をほかの人間に見せないようにした。
 あのとき、こちらはすでに大学受験することを決めていただろうか? おそらく。だったら高校三年生だったはずだ。もしかしたらRにも、おれ大学行くわ、ちょっと勉強してみるわ、と話したかもしれない。

 第五食堂で夕飯を打包。食後、韓国人のK先生に連絡。あした17時に寮の前に集合しましょう、と。洗濯機をまわし、チェンマイのシャワーを浴び、コーヒーを淹れてからウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事の読み返し。以下、2023年3月15日づけの記事より。アホすぎて笑った。

 あと、いまちょうどWBCをやっているので、関連ニュースの見出しなど見るたびに思い出すのだが、第1回大会はたしかこちらが円町のあばら屋の二階に住んでいたとき、すなわち、KがまだTさんと結婚しておらず、新婚夫婦+こちらの三人暮らしではなく二人暮らしだったころに開催されたものと記憶している。ちょうどFとTがそれぞれ大阪と名古屋から遊びに来ていた日で、いっしょにあばら屋の二階でたたみの上に腹這いになって視聴した記憶がはっきりと残っているのだが、腹這いになって見たというのはテレビがなかったからで、いや正確にいえばDVDで映画を鑑賞するためのテレビはあったのだが、当時住んでいたあばら家のテレビのアンテナ? ケーブル? がねずみにかじられていたので、テレビは映らなかったのだ、だからこちらの携帯だったかFの携帯だったかのワンセグで試合を視聴したのだった。Fは元野球部で野球好きだった。こちらとTは野球なんてさっぱりだったが、とりあえずFの希望で三人そろって観戦していたところ、こちらでもぎりぎり顔と名前が一致する数少ない選手だった小笠原が打席に立った。小笠原の顔と名前が一致したのは野球選手としてはめずらしくひげをたくわえていたからなのだが、そのときFが、見とれよ、こいつ三振するとぜったいピッチャーにらみながら打席去るからな、と言った。そして実際、その通りになったのだが、そのいかにも敗北者然としたメンチの切り方がたいそうおもしろかったので、その打席以降、小笠原が画面に映るたびに、「こいつ三振するたびにヒゲが3センチのびるぞ」とか「こいつデッドボール受けると口髭と顎髭が入れ替わるぞ」とか言い合ったものだった。当時われわれのあいだでは、相手のボケがつまらないと感じた場合、突然真顔になってシリアスな口調で「え?」と問い返すのが流行っていた(さらにいえば、その「え?」に抗議する「え?」もあり、そういう場合は第三者である人物——この場合はT——に判定をもとめる「え?」をそろって向けることになる)。だから小笠原が打席に立つたびに会話はだいたい混沌とした様相をていし、具体的にいえば、「こいつがホームラン打つたびにチームメイトのヒゲが濃くなるぞ」「こいつ四球で塁に出るたびに相手キャッチャーの陰毛が濃くなるぞ」「え?」「こいつスイング一回するたびにヒゲが一本増えるぞ」「え?」「え?」「え?」「こいつのバットの芯、これまで剃ったヒゲがねりこんであるぞ」「こいつヘルメットかぶっとるようにみえるけどあれヒゲやしな」「え?」「こいつ今日の試合前、入院しとるファンの子どもに今日の試合中にヒゲ剃るって約束しとったぞ」「こいつむしろヒゲが本体やぞ」「え?」「こいつ試合前に審判に賄賂として脱毛クリームおくっとったらしいぞ」「こいつのヒゲの全長、打席立つたびに毎回相手国の首都にちょうど届く長さに変化するらしいぞ」「え?「え?」「え?」みたいな感じだった。われわれのそうしたやりとりがよほど面白かったのだろう、もともとは特急に乗って夕方までに名古屋にもどるつもりだったTは(バイトに行かなければならなかったのだ)、こうした時間を共有するためにわざわざその場で大枚をはたいて新幹線のチケットを買った。「こいつ打席立つたびに名古屋行きの新幹線のチケット一枚売れるぞ」「え?」「え?」「え?」

 以下は2014年3月15日づけの記事より。熟女との合コン、通常「熟コン」の計画が語られている。

YさんがJさんのために合コンをセッティングするといいだした。いぜんYさんとTさんがナンパしてTさん宅に連れ込んだことのある五十代の熟女がわりと頻繁にYさんにむけてエロ写メを送りつけてくるらしく、あれだったらJさん行ってみてはどうだろうかというところから話が進みだし、どうせだったら2対2の合コンにしようという運びになったらしかった。Mくんも来い、とJさんがいうので、たしかにJさんが頭のおかしい熟女を口説いている場面を見れるのは面白いにちがいないと応じると、それじゃあMくんも来るかとYさんまで乗り気になって、最終的に3対3の合コンという運びになった。男性陣の面子が28歳と31歳とそこから飛んで67歳になるというシュールな絵面が思い浮かんだだけで爆笑ものだった。Yさんが早速例の熟女にメールを送信すると、とんとん拍子でことが運び、日取りこそ未定であるものの相手側のほうでも三人女性がそろったという返信があった。全員人妻であり全員熟女である。これで相手側の面子60代とか70代やったら最高なんすけどね、一生使えるおもしろエピソードになんのに、ぼくしかもこれ生まれて初めての合コンっすよ、ほんなんもう笑い話として最強やないすか、とわくわくしていうと、いやでも相手わかい知り合い多いとかいうてたしな、ひょっとすると30代40代とか来るかもしれんで、30代の人妻とかエロすぎやしな、というので、たしかにと同意した。エロ写メを送りつけてくる女はコスプレが好きらしかった。ほんなら頼んだら、アレ、婦警さんとかもやな、着てくれんのけ、とJさんが言ったのに死ぬほど笑った。むかし読んだくだらない俗流心理テストみたいなものの解説文に、ナースのコスプレを好む傾向にあるひとはむかしから病弱で入院経験のある場合が多いというきわめて安直な発想を認めたことがあるのだけれど、それを踏まえたうえで10年間塀の内側にいたJさんの口から最初に漏れた性的嗜好が婦警さんのコスプレだったことを思うと、ちょっと面白すぎる。これでもう従業員三人をいっぺんに失うことになるんか、とEさんがため息をついて漏らすので、面子はたしかにアレやけどもなんも変なことしませんって、と応じた。先にいっておきますけどたぶんMくんがいちばんモテますよ、若いってだけで年上には有利やし母性本能くすぐるタイプはぜったいにモテるから、とYさんがいった途端に、おいMくんよ!もう来んなよ!とJさんが吠えたのも面白かった。全員主婦であるそのために会うのであれば日中という束縛があるようで、曜日と時間の調整だけがすこしむずかしくなるかもしれないという話だった。Mくん傍観して楽しむんもええけどけっこうぎょうさん金持ってるの来るかもしれへんしな、あの女やって旦那◯◯の役員やし、行けそうやったらなんぼか引っ張ったりや、といわれて、たしかにあれだけ熱望していたパトロン獲得のための千載一遇のチャンスがとうとうめぐってきたともいえなくはないなと思った。相手が主婦であれば後腐れもないだろうし話がおおきな方向に進むこともきっとない。そう考えると俄然、積極的なプレイヤーとしてやる気が出てきた。

 この合コンにこちらは後日実際に参加することになる。その日の日記はめちゃくちゃ長く、当時のブログのコメント欄にAさんから「長すぎる!」みたいなコメントがとどいたのもおぼえている。その日のできごとをそのまま小説にしようかなと考えたことも何度かある(当日の記事に対して注釈をはさむかたちのメタフィクションにするというアイディアもある)。
 ちなみにこの2014年3月15日はTが京都を去った日らしい。フィリピンに語学留学にむかうため。「「わたしたちに許された特別な時間」(岡田利規)がいま終わったと思った。」などと書かれているけれども、Tはその後また京都にもどってくるし、それから今度はワーホリでオーストラリアに行くはずであるし、フィリピンにももう一度おとずれるはず(そしてその二度目の? あるいは三度目だったか? のフィリピン訪問がきっかけとなって、のちに妻となるNちゃんと出会うことになるのだ)。
 作業のあいだ、『新宿遊戯』(鬼)を流した。「唾と蜜」という楽曲のなかに「誰かの笑顔に貼り付く罪と罰/逆さに読んでみれば唾と蜜」というのがあって、この逆さに読んでみました系のパターン、日本語ラップでときどき見かけるよなと思った。たとえば、KREVAZORNがやっている「タンポポ」という楽曲のなかでもZORNが「Hip Hopは鏡/元はRats/でも逆さまになってここじゃStar」というのがある。
 鬼でいえば、こちらは鬼一家名義の『赤落』というアルバムがかなり好きで、日本語ラップで10枚選べといわれたらたぶんチョイスすることになると思うのだが、それもひさしぶりに流した。「見えない子供見てない大人」という楽曲のなかに「好きな教科書から心読み取る/国語社会理科ドラゴンボール」というパンチラインがあり、ここは韻の踏み方も固くてめちゃくちゃきもちよく、さしかかるたびにいつもいっしょに口ずさんでしまうのだが、今日はやっぱり鳥山明のことがあたまをよぎった。
 今日づけの記事も途中まで書くと、時刻は22時前だった。「キャッチコピー」の添削に着手。添削だけすんだところで中断。面白解答をピックアップしてまとめる作業はまた明日する。夜食のトーストを食し、歯磨きをすませて寝床に移動し、『ムージル日記』(ロベルト・ムージル/円子修平・訳)の続きを読みすすめて就寝。