20240318

 宗教を信じられていた時代だったら簡単だった。しかし宗教への敬意は私自身が使っている言葉によって踏みにじられている。私たちが使っている言葉は全体として宗教への敬意が失われたモードに乗っているのだから、私が一言しゃべるたびに宗教から遠ざかるだろう。
保坂和志『小説の自由』 p.196)



 9時半起床。白湯を飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿。
 11時半をまわったところで寮を出る。おもてはなかなかの雨降り。気温もぐっと下がった。ひさしぶりにコートを着た。第四食堂前にある男子寮の入り口で授業終わりのR.Hくんを待つ。ちょうど授業の終わった時間帯であるので、食堂周辺はものすごく混雑している。C.Rくんから声をかけられる。先生なにしてる? というので、Rくんを待っていますと答える。C.Rくん、(…)大学との——というかMさんとの——交流以降、あきらかに日本語学習のモチベーションが上昇しているようにみえる。
 ほどなくしてR.Hくんがやってくる。緑色の髪の毛をセンター分けし、あざやかなブルーのダウンジャケットを着ている。やっぱり目立つな、少なくとも日本語学科にいるタイプの男の子じゃないよなと思う。(…)にむかう。中国の道路は水捌けが最悪なので、いたるところに巨大な水たまりができている。回避不可能なスポットも少なくない。
 西門のゲートに饭卡をかざしてキャンパスの外に出る。雑踏から解放されたところで、おとついはすみませんでしたとR.Hくんがいう。いや別にいいんだけどね、だけどいまのまま日本にいったらきっとトラブルになると思うから、いちどちゃんと話しておきたいと思ったんだよと受ける。ちょっとお酒を飲みすぎましたというので、いや、お酒の問題じゃない、酔っ払う前の話だよとそこはしっかりと指摘する。
 で、道中のみならず、(…)の店内での食事時間もふくめて、長々と、こんこんと、相手にわかる語彙と構文で言い諭した。まずおとついの食事会について。食事会に参加したのはこちら、K先生、R.Hくん、R.Uくん、R.Hさん、K.Uさんの合計六人。こちらとしては六人みんなでわいわいしながら食事をするつもりだった。しかしR.Hくんは最初から最後までK先生に政治談義をふっかけつづけた。韓国語に強い興味を有しているT.Uさんをはじめとするほかの面々のことはまるで眼中にない。K先生自身も政治談義に対してはあきらかに前のめりではなかったし、そういう話をしたくないと途中ではっきり言明していた。にもかかわらず、R.Hくんは自分の話したいことだけをひたすら話し続けた。これは単純にコミュニケーションとして0点である。さらにいえば、われわれ外国人が中国国内で政治的な話題に言及することは高いリスクをともなうという事実に対する配慮も欠けている。K先生はそもそも同席している学生たちがどういう思想の人間であるかもわからない状態である。転移も当然成立していない。そういう状況で政治的意見の表明を強いられるとはどういうことなのか想像力を働かせるべきである。こちらにしたところで、R.Uくん、R.Hさん、T.Uさんの三人が具体的にどういう政治思想の持ち主であるかは知らない。しかし小学生の時分から愛国教育を受けている世代であるのだから、その平均的な思考というものがどういうものであるのかはだいたい予想がつく。そうした学生が同席している前で政治談義をもちかけるとはどういうことなのか? そのリスクについてはこれまで何度も話したはずではないか? R.Hくん自身、政治について自由闊達に議論することのできないこの社会についてつねづね苦々しくこぼしているところではないか? 総じてきみのやりかたはひとりよがりであり、コミュニケーションの体裁をなしておらず、他者をまったく尊重していないといえるのでは?
 そもそもきみは「普通の会話」(cero)ができなくなっているのではないか? と続けると、R.Hくんは神妙な顔で肯定した。あたまの中が政治的な事柄でいっぱいになっているというので、政治脳になっているのだなと受ける。恋爱脑みたいなものですかと苦笑いしてみせるので、きみ授業のないときずっとVPN経由でTwitterYouTubeばかりみているでしょ? と指摘すると、案の定うなずいてみせる。もう見るなと告げる。見るにしても時間を減らせ、見る情報の質にこだわれ。翻墙しているアンチ中国共産党の中国人のなかには共産党を嫌いすぎるあまり極端な言論にとりつかれたりあきらかなフェイクニュースを鵜呑みにしている人間がかなりの数いる、ぼくの基準ではきみもすでにそのなかの一人になりつつある。R.Hくんはやや納得のいかないようすだった。だったらと、きみは食事会のときにアメリカ大統領選でトランプを支持するといった、その理由についてトランプはバイデンと違って海外を攻撃したことがないといった、そうだな? と確認。その情報はどこで得た? と重ねてたしかめると、Twitterですという。情報の確認はしたか? とたずねると、黙りこむ。トランプは大統領時代に習近平と会談している、その会談中にトランプは習近平にシリアを爆撃したという話を予告なくした、それに習近平がめんくらって押し黙るという一幕が数年前にあった、ちょっと検索すれば出てくると告げると、ほんとうですかという。ぼくはきみのように政治に熱心な人間ではない、それでもこのニュースについては知っている、それくらい一般的な情報ということだ、ではどうしてそのような一般的な情報を政治に熱心なきみが知らないのか? 毎日何時間もSNSで政治のニュースを追っているきみが知らないのか? それどころか正反対の情報を信じこんでしまっているのか? SNSをやめろともう一度くりかえす。いや、やめなくてもいい、ただクソみたいな一般人をフォローするな、インフルエンサーの情報なんて見るな、情報を追うのであれば報道機関、学者、専門家のものだけにしろというと、そうすれば真実がわかりますかというので、わかるわけないだろう! 楽して真実を手に入れようとするな! 我慢しろ! こらえろ! もっと辛抱強く考え続けろ! 安易に判断するな! 意見をすぐ口に出すな! 口に出してしまうとひけなくなる——と、もちろんそんなに強い口調で言ったわけではないが、とにかくこんこんと言い聞かせた。SNSで目立っている連中の大半はインプレで金儲けするためにセンセーショナルな言葉を使っているだけだというと、中国共産党もそうですという。どうやら五毛であったり情報戦用botであったりを踏まえての発言らしかったが、中国共産党の話なんてまったくしていないこのタイミングでそういうアンチCCP的な発言を隙あらばとばかりに差しこんでみせるそのふるまい自体がすでに病的なのだ。
 エコーチェンバーについてはすでに理解しているようだった。じぶんでもそういう環境に身を置いているという自覚はあるという。目に映るものすべてを爱国に結びつけてしまう小粉红と目に映るものすべてを反CCPに結びつけてしまうきみとはコインの裏表でしかない、おなじレベルということになる、そのことの意味をもうすこし考えたほうがいいといさめる。目に映るものすべてを反CCPに結びつけてしまうそういう人種のことは支黑というのだとR.Hくんはいった。じぶんがときおりそういう方向にかたむいているという自覚もある。そもそもきみは先学期からぼくといっしょにいるときに政治の話しかしていない、それ以外の「普通の会話」をまったく交わしていないことを自覚しているか? 前回きみのクラスメイトたちといっしょにメシを食ったとき、きみはクラスメイトの手前政治の話ができないためにずっと押し黙ったままだった、唯一口をひらいたのはこちらとR.Kさんが中国経済の悪化について意見を交わしたときだけだ、そのときのきみは水を得た魚のようにすさまじいいきおいで話しはじめた、そのようすを目の当たりにしたときにぼくはきみがすでに他人とのコミュニケーション能力を失っているという印象をもった、日本でもSNSで交わされる政治的な話題にどっぷり浸かってしまったあげく人間関係が崩壊するという事例が少なからずある、たとえば主婦が暇な時間にTwitterでその手の話題ばかりインプットし続けたあげく家族との食卓の場でもそういった話題ばかり口にし続けて夫や子どもたちがうんざりして耐えられくなる、しかし主婦のほうではじぶんは正しい情報を他者に広めようとしているだけだという意識があるせいで止まらない、結果として家庭が崩壊する、これは極端な例のようにみえるかもしれないけれどもいたるところで生じつつあることだ、いまのきみを見ていると近いうちにそうなってしまうのではないかという懸念をおぼえる、そしてそういう域に達してしまうと陰謀論者になるまであと一歩だ、ぎりぎりなのだ、政治に興味をもつのはけっこうだ、それ自体はむしろすばらしいことだ、だが世の中には政治にまったく興味のない人間もいるし興味があるにしてもきみほど熱心じゃない人間もいる、コミュニケーションをまちがえるな、じぶんの言いたいことだけを言うのがコミュニケーションではない、じぶんの話したい話題だけを延々と続けるのがコミュニケーションではない、K先生も言っていたがそもそもコミュニケーションひとつとってもそこに政治性があるのだ、そういう意味で現状きみには政治的センスが欠けている、たとえばぼくは文学が好きだ、哲学が好きだ、精神分析が好きだ、でもきみといっしょにいるときそういう話をしたことがあるか? 文学の話をするか? しないだろう? それはきみが文学に興味ないことを知っているからだ、だからひとりよがりにならないように話題を選んでいるのだ、もういちどおとついの食事会をふりかえってみてほしい、あのときのきみのふるまいはどうだった? あの場できみは相手の立場を尊重していたか? 相手の顔色や目つきに少しでも気を配っていたか? 目の前にじぶんとは異なる価値観を有する人間がひとりひとりいることをちゃんと意識していたか?
 ぼくはきみがこの夏インターンシップで日本に行く件についてひどく心配している、今日ここでぼくがきみに注意しなかったらきみはむこうで知り合った日本人の同僚におそらくすぐに政治談義をふっかけることだろう、そもそも政治の話というのは気軽に交わせるものではない、理想としては気軽に交わせるものであるべきだ、しかし現実社会ではなかなかそうはいかない、だから少し古い表現であるが「政治と宗教と野球の話をするな」などという言葉があったりする、もちろんある程度関係の構築できた相手であれば問題ない、しかし初対面の人間が、それも中国人と日本人という属性を背負った人間が突然そういう話をするとなると少なからず場に緊張感が走ることになる、もちろんある程度そういう話題に通じている人間であればいい、たがいにそれ相応の知識や良識を有している人間であればけっこうだ、いうほど簡単ではないが条件さえそろえば冷静な議論を交わすことも可能だ、しかしきみはK先生に金正恩をバカにした画像を見せてゲラゲラ笑うという最悪の失態を犯しているような人間だ、はっきりいって政治的リテラシーがゼロに近いのだ、民主主義にあこがれる、言論の自由普通選挙にあこがれると語ったそのそばからトランプ支持を公言するというバグった認知の持ち主だ、そしてそのことを指摘されるまでおかしいとも思わない、だからむこうではそういう話を軽率にするな、トラブルの火種になるところしか想像できない。
 つまり、日本では政治の話をしてはいけないということですねとR.Hくんはいった。そうじゃない、完璧にまちがっている、慎重になれという話だ、たとえばきみは岸田文雄がネット上で増税クソメガネと呼ばれている件について嬉々としてぼくに語った、そしてそのときぼくが岸田支持者であるかもしれないとはまったく考えていなかった、ぼくが自民党支持者であるという可能性はまったく考えていなかった、もちろんぼくはどちらも支持していない、だから冗談ですんだ、しかしおなじふるまいを日本で初対面の人間相手にとっていればどうか、ましてやきみは日本では外国人なのだ、そのことの意味をもうすこし慎重に考えろということだ、おとついの食事会でもきみはK先生がいわゆる西側的価値観をもっていると信じこんで政治談義をふっかけていた、しかしK先生はむしろアメリカの帝国主義的なふるまいに対峙する勢力としての中国共産党を一定程度評価しているふうだった、きみはあてがはずれてがっかりしていたようにみえた、以前も言ったが日本人だからとか韓国人だからとかアメリカ人だからとかそういう考えは捨てろ、みんなバラバラなのだ、相手がどんな意見の持ち主であるかなんて国籍で判断できるものではない、日本人のなかにも中国共産党習近平を高く評価する人間は少ないけれどもいる、目の前の相手がどういう思想の持ち主であるかなんてわからない、もちろん意見の衝突をおそれてじぶんの意見を表明しない社会がいいわけではない、しかし繊細な話題であるからこそ意見の表明は仮にその意見が衝突したところでふたりの関係に亀裂が入ってしまうことはないと確信できるだけの人間関係の基礎ができあがるまで待つべきだ、少なくともいまのきみのように相手が外国人であると見るやいなや政治に関する話題で相手を詰問しまくるそういうふるまいは絶対にひかえるべきだ、そんなことをすれば関係が対立からはじまることになってしまう、もちろんその後の努力次第では最悪のかたちではじまった関係を持続改善させることもできるだろう、でもいまのきみにそれができるようにはぼくには思えない、そのためのバランス感覚もコミュニケーション能力も語学力も政治的知識も全然足りていない、仮にうまくできたとしても相手のほうがどうかはわからない、相手のほうがきみとおなじくらい政治に熱心な人間でありかつきみと正反対の意見の持ち主であった場合どうするのか、そしてそのような相手がきみのインターンシップ先の同僚であったり直属の先輩であったりした場合どうするのか、きみの失言ひとつできみといっしょにインターンシップに参加するほかの学生にまで迷惑がかかるかもしれない可能性を考えたことがあるか?
 では、知り合って一週間経ったら政治について話してもだいじょうぶですか? それとも一ヶ月間経てばだいじょうぶですか? とR.Hくんはいった。さすがにあたまをかかえたくなったが、こらえた。そういう客観的な基準の話をしているのではない、コミュニケーションをあきらめるなと言っているのだ、ちゃんと目の前にいる相手をひとりの人間として尊重しろ、真剣に向き合え、一週間経てばオッケーとか一ヶ月経てばオッケーとかそういう基準にたよろうとするな、目の前にいるひとりの人間と向き合うことをサボるなと言っているのだ、おたがいに信頼関係が成立していると判断されたとき、そして話の流れ上そういう雰囲気になったとき、自然とその手の話題を切り出せばいいだけだ、きみは実際去年ぼくにそういうタイミングで第二次世界大戦における日本軍の話について切り出したのではなかったか? 白紙運動について切り出したのではなかったか? 目の前の相手のことをただじぶんの話を一方的にぶちまけることのできる树洞扱いするな、きみの一番の問題点はそこなのだ、ちゃんと人間を相手にしろ。
 でも政治以外の話といったらなにがありますか? たとえば歴史はどうですか? とR.Hくんはいった。絶句しかけたが、こらえた。政治以外? きみが翻墙するようになったのは大学一年生のときだろう? それまで政治についてそこまで熱心な若者ではなかっただろう? 中学生や高校生のとき、友達といったいどんな会話をしていた? 恋人といっしょになにについて話していた? それすらもわからなくなっているのか? そうだとすればやはりきみはいったんSNSから離れたほうがいい、きみはこのままいくと確実にすべてを失うことになる、友人も恋人もなにもかもをだ、きみはいま政治中毒になっている、情報中毒になっている、そのことを自覚しているか? 政治以外になにを話せばいいですかなんて質問がおかしいと思えないのか? 世の中には政治以外にも交わすべき話題なんて無限にある、それを忘れたのか? ぼくはこの仕事を六年間続けている、これまでに君以上に親しくなった学生はたくさんいる、しかしそうした学生と政治に関する話題についてあれこれ話したことなんて数えるほどしかない、たとえば処理水の話なんてきみ以外の学生とは一度も交わしたことがない、もちろん大多数の学生はきみとはちがって翻墙などしていないから処理水については中国政府の言い分をそのまま素直に信じている、でもだからといってその点でぼくに議論をふっかけてくることはない、ぼくもまたその点をせめて親しくしている学生だけでもこっそり弁明しようなどと考えたこともない、それは相手の立場を尊重しているからだ、そういう繊細な話をきっかけに相手との関係に亀裂が入ってしまうことをおたがいにおそれているからだ、いったん棚上げすることでしか目をつむることでしか積みあげていくことのできないものがあるのだ、そして積みあげきったところではじめて交わせる言葉というものがあるのだ、そのステップを尊重しろ、きみがほかのクラスメイトの同席している場で平気で政治の話題をぶちこんでくるたびにぼくはせっかくこれまで積みあげてきたものがぶち壊されるという恐怖をおぼえる、説得を焦るな、すぐに理解してもらろうとするな、相手とちゃんと丁寧にむきあえ。
 ——と、書いているうちに、実際に彼相手に話した内容とはずいぶんずれてしまった。でも、ま、大筋のところはそのとおりだ。実際にR.Hくんに伝えたこと、伝えそびれたこと、伝えている最中に考えていたこと、それらを思い出しながらキーボードを打鍵しているあいだにいきおいあまって出てきたこと、そういうものが要するに上に書いたことだ。R.Hくん自身、じぶんが四六時中取り憑かれたように政治のことばかり考えてしまっていること、非政治的な話題——というのはつまり「普通の会話」のことだ——を周囲の人間と共有するのがむずかしくなっていること、そういう自覚はけっこうあるらしく、どうすればこの状態を脱却できるだろうかと悩んでいるようだった。じぶんはさみしいのだとも言った。こういう話題を共有することのできる相手が周囲に全然いない、だから外国人相手に、翻墙した先にいる無数のアカウント相手に、そういう話ばかりしてしまうのだといった。
 食事をすませる。彼のさみしさも理解できる。だから、せめてこちらとふたりきりでいるときくらいは思う存分語らせてやろうと、帰路は習近平が仮になんらかのかたちで失脚したあとの中国共産党内部の予想される動きであったり、中国経済の現状であったり、そういうあれこれをこれらはあくまでも無責任な放言でしかないんだぞとたびたび言い聞かせつつもおたがいに話した。
 西門からキャンパスにもどる。そういえばN1の結果はどうだったのかとたずねると、ぎりぎり合格したという返事。合格点100点のところを101点。読解問題を解く時間が全然なかった、だからこの夏にもういちど受験するという。これもまた政治脳の副作用だよなと思った。R.Hくんの実力に比してあまりに点数が低い。たぶんSNSばかり見ていて試験準備をろくにしていなかったんではないか。実際、今日ひさしぶりに話してみて思ったが、彼の会話能力は先学期にくらべてあきらかに低下している(それは作文の課題についてもいえる)。
 库迪咖啡で打包する。店先に大きめのパラソルがもうけられていたので、その下で雨を避けながらひととき立ち話する。淡路島でのインターンシップについて。日本にいるあいだに博物館に行きたいという。弥生時代や古墳について知りたいというので、大阪には古墳がたくさんあるみたいだし博物館もあるんじゃないのかと答える。靖国神社にも行ってみたいですというので、おまえさっきまでおれがあんだけ熱弁しとったことわかっとるんけ? とさすがにげんなりしつつ、なんでまた? とたずねると、展示を見てみたいという。どうせ彼のことだからTwitterに常駐している支黑らによる日本は太平洋戦争で罪を犯していない系の言説でもききかじったのだろうと思い、きみはK先生相手に右翼の話をしていたでしょ、そのとききみは右翼が好きになれないと言っていたでしょ、あそこの展示なんてまさにそうした右翼的なものの権化だよといった。

 寮の前まで歩く。入り口でR.Hくんと別れる。門前にT.Uさんらしき人物の後ろ姿がある。あれ? と思うが、便意にさいなまれていたので確認せず、そのまま敷地内に入る。棟の階段でK先生とすれちがう。言葉を交わす余裕はほとんどなし。帰宅してすぐに便所にいく。スマホを確認すると、こちらとK先生と学生からなるグループチャットのほうで韓国語でのやりとりが交わされている。翻訳機能で内容を追ったところ、K先生が携帯電話の契約について相談している。で、それを受けたT.Uさんがいっしょに携帯電話店に同行しますと申し出ており、ということはやはりあの後ろ姿はT.Uさんだったのだ。こちらも同行したほうがいいかなと思ったが、とりあえずヘルプがあるまでは待機でいいかというわけで、グループ上でのやりとりにいま気づいたこと、外国人が携帯電話を契約するのであればパスポートが必要なことだけ知らせておく。で、のちほどK先生から着信。料金プランをどうすればいいだろうかという相談だったので、じぶんがどんなプランを選んだのであったかもはやおぼえていないが、基本的にスマホをそれほど使わない人間であるのでいちばん安いプランにしたはずだと答える。K先生もスマホをそれほど使う機会はない。ただ現金の代わりに微信で決済できるようにしたいというので、それだったらいちばん安いプランにしておけばいい、ただ微信での決済には銀行口座を作る必要があるはずだと応じる。口座はすでにあるという。そりゃそうか。なかったら給料をふりこむことができない!
 14時から17時まで「実弾(仮)」第五稿作文。シーン27をまたチェックする。完璧とはまだいいきれない。しかしシーン27にばかりかかずらっていてもしかたないので、シーン28もざっとあたまから尻まで通す。ここは簡単。ラブホのシーンは書くのが楽だ。モデルが明確なので、あたまのなかにあるイメージを言葉に起こしていく作業のむずかしさこそともなうものの、イメージそのものが不明瞭にぼやけているせいで生じる困難というものがない。シーン27にはそれがある。
 夕飯は第五食堂で打包。棟の階段をおりている最中、下からあがってくる女とすれちがう。かなり太っている。上の部屋に出入りしている人間だ。ものすごくでかい声でわめく女だ、どしんどしんと床を踏み鳴らすバカだ。こいつのことは大嫌いなので、あいさつを交わす気にもなれない。すれちがってほどなく、置き残してきた頭上で痰を切る音がする。マジで死ねよと思う。この女にかかわらずここの住人は平気で階段や踊り場といった共用スペースに痰を吐く。本当にうんざりする。
 食後、チェンマイのシャワーを浴びる。その後、1年前と10年前の記事の読み返し。以下、2023年3月18日づけの記事より、『ほんとうの中国の話をしよう』の一節。マジでマルケスなんだよなァ。

 一九五八年の大躍進は、ロマン主義の不条理喜劇だったと言える。虚偽と誇張と自慢が蔓延していた。当時、水稲の一畝当たりの生産高は、良質の水田でも四百斤程度だった。しかし、「人が大胆になれば、それだけ生産量も上がる」というスローガンのもと、全国各地の水稲の生産量はしだいに誇張され、一畝当たり一万斤以上に膨れ上がった。一九五八年九月十八日の『人民日報』は、広西環江県の水稲の一畝あたりの生産量は十三万斤となった」という特別ニュースを伝えた。虚偽と誇張と自慢は、細かい話から始まる。たとえば、当時飼育されていた豚は体重が一千斤あまりもあった。頭は竹カゴほどの大きさで、一頭つぶせば三頭分の肉が取れる。直径三尺の鉄鍋には入らない。六尺の大鍋で、半分煮るのがやっとだ。畑でとれるカボチャも、驚くほど大きかった。子供たちが中に入って、ままごとができた。当時、『坂を転げたサツマイモ』という民間歌謡が全国的に大流行した。
人民公社の東には、水のきれいな河があり、岸辺は小高い丘でした。坂の上ではワイワイと、みんながイモを掘っていた。突然ザブンと水の音、河に大きな波が立つ。私はびっくり、大騒ぎ。誰かが河に落ちたぞー! みんながゲラゲラ笑います。一人の娘が言いました。あれは人ではありません。イモが転げて落ちただけ!」
 一九五八年八月から、中国では「郷」という行政単位が廃止され、一斉に人民公社が誕生し、一斉に公社の共同食堂が作られた。農民は自分の家で食事をせず、公社の食堂で大勢が一緒に飲み食いをした。「たらふく食べて、大いに生産に励もう」というスローガンが、あちこちで聞かれた。公社の食堂は無計画の食糧を使い、やたらに浪費した。大食い競争を実施したところもある。競技に参加した一部の農民は優勝目指して、胃拡張になるまで食べ、病院に担ぎ込まれた。
 数か月後、中国各地の食糧倉庫は空っぽになってしまった。その後、このロマン主義の不条理喜劇はやむを得ず幕を閉じ、リアリズムの残酷な悲劇の幕が開くことになる。
 大飢饉が冷酷無情に中国を襲った。それ以前に各地区とも、食糧の収穫について虚偽の報告をし、国家の徴収量が実際の生産量を上回っていた。虚偽の報告は、地方の役人が手柄を上げようとしたもので、痛ましい代価を支払うのは農民だった。彼らは食糧も種子も飼料も、みんな国家に納めてしまった。一部地域では「革命」を名目に、野蛮で残酷な「隠匿資産摘発」運動が開始され、人民公社と生産大隊の幹部が「食糧調査突撃隊」を組織し、各戸を回って捜査を行った。農民の家で箱や櫃(ひつ)を引っくり返し、地面を掘り壁を崩し、食糧を見つけられないと農民を殴打した。安寧省鳳陽県の小渓公社では、「隠匿資産摘発」運動中に三千人あまりが殴打され、百人あまりが傷害を負い、三十人あまりが公社が設けた労働改造部隊で命を落とした。このとき、飢餓は狂った風のように中国の大地に押し寄せ、ドミノ倒しのようにバタバタと人が死んでいった。のちに中国政府が公表した資料によれば、大躍進の期間、四川省だけでも餓死者は八百十一万人に及ぶという。九人に一人は餓死した計算になる。
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)

 あと、2013年3月18日づけの記事より当時執筆していた「邪道」の一節も引かれていた。これはこれで完成させていたらなにものかにはなっていたのかな。400枚くらいでボツった記憶があるけれど。

わたしの二足歩行が必ずしも絶対的なものではないということについては、ひとこと付言しておいたほうがいいだろう。朝は四本、昼は二本、夜は三本の謎掛けにもあるように、時の経過がわたしの歩行にかかわる脚の本数を増減させる可能性は大いにありうるからである。それにわたしもまた自他ともに認める旅人のひとり、その端くれであるからには、いずれはあの人頭獅子身の怪物と相見えることもあるかもしれない。だとすればなおさらわたしはわたしの二足歩行を相対化して考える習慣を身につけておくべきだろう。朝は四本、昼は二本、夜は三本、これなんだ? 仮にそう問われることがあればどう応じるべきだろうか。朝は妻とふたりでそろって家を出て(四本)、昼は職場でひとり仕事に励む(二本)、そんな典型的な家庭人の姿がわたしの目にはありありと浮かぶ――わたしならきっとそう答えるだろう。夜? なあに、おおかた視界不良のため二本あるものを三本あると見間違えたといったところだろう。もっとも、やっこさんがそれをお望みならば、夜ならではのいくらかお下劣な別のやり口でもって応じてやってもいいが。なるほど、怪物とはいえ所詮はうぶな乙女である。夜の三本目の真意を察知すれば、それを察知してしまったおのれの破廉恥に耐えかねてたちまち海中に身投げするに違いない。あるいは世の流行り廃りに敏感な女性のことであるからいまどき身投げなどしたところで感興のいっこうに湧くわけもないと、鴨居にひっかけた荒縄で首を吊るだとか、安物の出刃包丁を下腹にさしこみ真一文字に切り開くだとか、口にくわえた拳銃を脳天めがけてぶっ放すだとか、ビニールテープで目張りした車内に閉じこもって練炭を焚くだとか、大量の薬剤をアルコールでがぶがぶと流し込むだとか、そういったありがちな手法とは似ても似つかぬ独創的で、斬新で、新奇で、そしていくらか珍妙な手法をもってして、自らの生にきらびやかにデコレーションされた終止符を打つにいたるかもしれない。けっこう、けっこう、おおいにけっこう! いずれにしたところでわたしが怪物退治に成功した英雄であるという事実が揺らぐわけでもないのだから。むろん、さりとてわたしとかの英雄とが寸分違わぬ同一人物であるという結論に短絡するわけでもまたない。そんな早とちりはしちゃあいけない。そんな早とちりは控えるべきだ。考えてみればいい、わたしとかの英雄とでは怪物を相手に発揮した機知と勇気の趣向が大きく異なるではないか! わたしとかの英雄は与えられた同じ謎かけにたいしてそれぞれ異なる見解を提出した。そして異なる見解の持ち主とは異なる実存の持ち主である(というのもやはりまたわたしの手元にある見解のひとつである)。ゆえにわたしはかの英雄ではないし、かの英雄もまたおそらくわたしではない。たとえ双方ともに腫れた足の持ち主であるにせよ、である。おわかりだろうか? このようにしてわたしはありとあらゆる肩書きをかなぐり捨てていく。測量士を身につけては脱ぎ去り、救世主を身につけては脱ぎ去り、英雄を身につけては脱ぎ去っていく。その過程でどうにもしつこくへばりついてやまぬこのわたしの皮膚の薄皮も剥がれ落ちていくことを祈りながら、あるいは、わたしをわたしたらしめる輪郭線を描き出してやまぬこの執拗な贅肉がみるみるうちにそぎ落とされていくのを願いながら、わたしは捨て去り、わたしは脱ぎ去り、わたしはわたしを消尽していく。然り。わたしはもうくたびれきっているのだ。疲れ果てているのだ。ぼろぼろのくったくたになっているのだ。もうずっと以前から、何度となく繰りかえしてきたように。わたしの歩行は実に困難な局面にさしかかっている。もう一歩も歩けない、無理だ、これ以上はどうにもならない、そう思いながらもわたしはどういうわけかわたしの歩みを中断することができずにいる。おそろしいことに、あるいは、滑稽なことに。わたしは身軽にならなければならない。わたしはわたしの歩みの負担をたとえほんのわずかであろうと――雀の涙に等しかろうと、鳩の糞に等しかろうと、鴉の吐瀉物に等しかろうと――軽くしてやらなければならない。それゆえにわたしは身に着けているものをいちまいいちまい脱ぎ捨てていくのだ。なるほど、そういってみることもできるだろう。そんな理窟もところによっては立つはずだ。わたしは衰弱している。衰弱しきっている。気絶せず、卒倒せず、当然のことながら絶命することもなく、それでいてたしかに衰弱している、いまもいまとて衰弱を極めつつある。わたしは衰え、弱まり、底の抜けた袋のようにわたし自身を構成する部品のひとつひとつをたえず手落とし、失い、欠損し、損失を重ね、劣化し、みるみるうちに貧しくなっていく。だが一方で、わたしの衰弱はわたしの衰え知らずの旺盛さによって、そしてまたわたしの不能一辺倒な生態はわたしのいまなお猛々しい絶倫によって、このうえなく頑丈に裏打ちされてもいる、そういう側面を見逃してはならない、そういう側面にも光をあててやるべきだろう。というのも、少なくとも原理の水準にたっていうかぎり、消費とはただの消費ではなく消費の生産であるのだから。同様に、わたしの衰えとはすなわちわたしによるわたしの衰えの産出であり、わたしの弱まりとはすなわちわたしによるわたしの弱まりの産出であり、わたしの欠損とはすなわちわたしによるわたしの欠損の産出であり、わたしの損失とはすなわちわたしによるわたしの損失の産出であり、わたしの劣化とはすなわちわたしによるわたしの劣化の産出であり、わたしの貧しさとはすなわちわたしによるわたしの貧しさの産出であるのだから。わたしはわたしであるかぎりわたしの旺盛さを離れることはできないし、わたしの絶倫さを手放すこともまたできない。わたしとは常にお盛んであることを免れず、わたしとは年がら年中発情期にあり、わたしとは四六時中興奮しっぱなしの無分別で、わたしとは女であれば誰だろうと見境なく押し倒す千人斬りの腐れヤリチンあるいは男であれば誰にでも股をひらかずにはいられぬ尻軽糞ビッチであり、ハッテン場の常連、百合の園の通い妻、スワッピングの中毒者、ハプニングバーの得意客、乱交パーティーの主催者、キメセクの常習犯、ときには主人と奴隷の倒錯に耽り、ときには種族の垣根を超える衝動に突き動かされて家畜小屋に忍び込む好き者、生まれたての赤子からミイラと化した屍までのいかなる段階にある人体であろうと貪りつくさずにはいられぬ比類のない色魔、ありとあらゆる体液・吐瀉物・血液・糞便のたぐいを嬉々として飲み干す肩を並べるものなき好色家、あげくのはてには自分自身とさえ関係を持つにいたってしまうおそるべきオナニストにほかならないのだ。要するに、わたしはいかんともしがたく性的な存在だというわけである。わたしはわたしの無性愛的な様相においてもなお性的たらざるをえないほどのスケベなのだ。わたしはわたしの不能においてなお勃起するし、わたしはわたしの非-快楽においてなお射精するし、わたしはわたしの不妊においてなお子を生む。おわかりだろうか? かくしてわたしは以下のごとく宣言するにいたるわけである――すなわち、衰弱とは衰弱の生産という衰弱固有の豊かさにほかならず、と。

 2014年3月18日づけの記事も読みかえす。「きのう生まれたわけじゃない」に「検索の神々に再会の祈りをこめて」と題するお別れの記事をのせている。で、それとは別に、「信じる人は魔法使のさびしい目つき」に通常運行の日記ものせている。ブレッソンがあいかわらずキレキレですばらしい。

 芸術に対する敵意、それはまた、新たなもの、予期せざるをえないものに対する敵意でもある。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)

 まず、行動すること。
 ロンドンの或る宝石店の金庫をギャングの一味が破って、真珠のネックレスや指輪や宝石を奪う。彼らはそこに隣りの宝石店の金庫の鍵も発見し、そこにも押し入る、と、その金庫には第三の宝石店の金庫の鍵が置いてあった(新聞記事による)。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)

 あと、この日の記事に『Chichipio Buenos Aires Session Vol. #1』に対する言及があり、うわ! あったな! これ、めちゃくちゃ好きだったわ! 一時期毎日のように聴いてた大名盤だわ! となつかしくなった。で、たぶんないだろうなと思いつつApple Musicをのぞいてみたのだが、やっぱりなかった。しかたないので、このセッションに参加しているMono FontanaやFernando KabusackiやAlejandro FranovやSantiago Vazquezの最新音源を適当にダウンロードした。日本勢からは山本精一勝井祐二が参加している。Apple Musicにはなかったが、アルバムはYouTubeにまるごとアップロードされている(https://www.youtube.com/watch?v=jnXK4bwvchY)。違法アップロードなんだろうが、しかし2年前に投稿されているにもかかわらず再生回数が350回未満って、世の中の人間はほんまにろくな音楽聴いとらんのやなと言わざるをえない。
 K先生に微信。お土産を明日渡したいのですが、と。明日こちらは外国語学院で早八であるが、K先生も同様であるらしいので、だったら授業が終わったあとに一階で会いましょうと約束。それから今日づけの記事を途中まで書き、日語会話(二)第12課のアクティビティを少々作りなおす。三年生のS.Sくんから明後日の夜いっしょに新疆烤肉を食べにいかないかという誘いがとどいたので了承。S.Sくんは春節のせいでずいぶん太ってしまったらしく、最近はずっとダイエットをしていたのだが、肉を食べない生活に我慢の限界がきたらしい。
 寝床に移動後、『ムージル日記』(ロベルト・ムージル/円子修平・訳)の続きを読み進めて就寝。