20240323

 プロパガンダ芸術家とそれを支持した評論家たちは主体的にナチスに協力したと考えるよりも、芸術について考えつづけた経験を持たなかったから、社会に広く流通している意味を芸術の中に持ち込むことしかできなかったと考えるべきなのではないか。そう考えないかぎり、政治は語ることができても芸術と政治の関係は語ることができないのではないか。
保坂和志『小説の自由』 p.349)



 8時ごろに自然と目が覚めた。今学期は規則正しい生活を自然と送っている。早八が週に二日もあるおかげだ。トーストを食し、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回する。その後、1年前と10年前の記事の読み返し。以下、2023年3月23日づけの記事より。クラスメイトのだれとだれが仲良しで、だれとだれがいがみあっているのか、そういう情報が学生経由で耳に入ってくる日々について。

ゴシップを嗅ぎまわる週刊誌記者みたいだが、まあでも、だれとだれがどうのこうのみたいな話はやっぱりおもしろい、言語の壁と立場の壁があるからこそ外からはなかなかうかがいしれない内部事情が可視化される瞬間の、兆候や違和感やしるしとしてしか感受することのできないものに答えがあたえられる瞬間の、あるいはそもそも感受することすらできていなかった事実が突然暴露される瞬間の、おどろきとよろこびが一ミリもずれることなく重なり合って全身をつらぬくあの恍惚——と書いていて気づいたのだが、そうか、これも結局、(他者を介した)自由を目の当たりにすることのよろこびなのだなと思った。世界に死角があること、じぶんが無知であること、他者が他者であること——そのことを痛感する瞬間にこそ自由の風が吹くのだ。

 以下は2014年3月23日づけの記事より。

 私はいつもこうしたやり方をとっていました。つまり、ある状況設定(シチュエーション)を考え出し、ついでそれを書くわけです。ちょうど諸君が、自分が予定している、恋人とか銀行経営者とか自分の子供とかとのデートの際に自分がとるべき態度や言うべき言葉をかなり前から準備し、ついでそれを実行にうつそうとするようなものです。諸君には、そのデートの際に自分がおかれる状況も舞台背景も、よくわかっています。自分がそこへ出かけるということもよくわかっています。そしてやがて…… それでも、諸君がデートの際に恋人とかわす会話は、即興的につくられたものであるはずです。その会話は、準備されたものであると同時に即興的につくられたものなのです。
 だから私が思うに、こうしたやり方はよりノーマルなやり方です。なぜなら、こうしたやり方をとるということは、現実の条件のなかに身をおくということだからです。そしてそれによって、現場でなにかを発見したり、準備したものを変更したりすることができるようになるのです。それに、事前によく考え、十分に準備しても、現場でそれらを完全に変更してしまうことさえあります。私はいつも、現実の条件にしたがって映画をつくってきました。どのシーンも、私が現場で発見したものにしたがって、本物の真実にしたがって撮影してきました。そして、かりにそのために映画の方向を変えなければならなくなれば、それにしたがいます。その場合は、映画が自らが継続するわけです。またそれこそが、真の編集(モンタージュ)というものです。映画は自らを編集し、自らの方向を変えるのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

 これ、まさしく「(破られる)法」を利用するじぶんの執筆作法とおなじだよなと思う。たとえば「A」は、ムージルの「ポルトガルの女」を段落ごとに割ってそれぞれの段落にどのような情報が埋めこまれているかをノートにまとめたうえで、それをなぞるようにして筋書きを展開させていくという「法」を用意しつつ、執筆の過程でその「法」を逸脱する諸力が生じた場合、その諸力をこそ優先するという方法で書きあげられるにいたった(そうであるがゆえに、段落レベルで「ポルトガルの女」をトレースしているのは最序盤のみとなっており、だから正確には、あの作品は「ポルトガルの女」を「下敷き」にしているのではなく、「踏切板」あるいは「滑走路」としている)。「S」の場合は、事前にガチガチにプロットを練っておかないと書けないタイプの作品を選択しつつ(作品の性格が「法」としてある)、そうしたタイプの執筆にまったくふさわしくない半即興という方法を選びとるという無茶をぶつけた(このやりかたはかなりきつかったので——「法」の抽象度が高いのが問題だった——もう二度とやりたくない)。で、「実弾(仮)」は「A」の方法にたちかえる感じで、『青の稲妻』(ジャ・ジャンクー)の全カットをすべて文字に起こすところからはじめており、登場人物や舞台などもすべて『青の稲妻』をアナロジカルに翻案する方向で練っているのだが(これが「法」だ)、書き進めていくうちに当然その通りにはいかないところも出てくる。特に、「実弾(仮)」には、登場人物も舞台も現実に存在するもの(こちらが実際に交流したことのある人物やおとずれたことのある地)のみ使うという縛り、言ってみれば別の水準の「法」も設けているため、それが第一の「法」と衝突するいくつもの折衝点が生じることになる。そしてその衝突と折衝の結果生じる第三の力、第三の道筋をこそ、「実弾(仮)」という作品特有の自律した力とみなして積極的に展開させていく——そういうやりかたをとっている。
 昼飯は第五食堂で打包。帰宅して食す。食事前だったか食後だったか忘れたが、TからLINEがとどいた。交通事故に遭ったという報告だった。写真や動画がいくつか送られてきたが、ビッグスクーターが全損していた。たぶん通勤中のできごとだと思うのだが、「車が脇道から飛び出してきて」バイクごと「俺も吹っ飛ばされた」のだという。確認はしていないが、口ぶりから察するに、10:0で相手が悪いのだと思う。一歩間違えたら死ぬレベルの大事故だったというのだが(実際、全損したビッグスクーターの写真はなかなかえぐかった)、Tはなぜか無傷らしい。無傷といっても身体のあちこちは痛むし、きのう整形外科でレントゲンこそ撮ってもらっているもののそれ以上の検査はしていない、しかるがゆえに今日精密検査を受けるためにあらためて大病院に来ているというのだが、「バイクごと吹っ飛ばされてバイクに至っては川まで吹っ飛ばされて俺外傷なしって無敵ちゃう?」というので、さすがに笑った。(…)それにしても去年はNちゃんが癌で、今年はTが交通事故なのか。なんのために(…)参ったんか意味わからんなと思ったが、いや逆か、本来なら死んでいてもおかしくない事故だったのに無傷ですんだことにご利益を認めるべきなのか? Nちゃんの癌にしても初期中の初期のものを見つけることができたのはある意味でラッキーなのだし(抗がん剤治療すら必要ない、単なる外科手術だけですんだのだ)。
 食後、小一時間ほど昼寝。覚めたところでコーヒーを淹れ、今日づけの記事をここまで書いた。三年生のK.Kさんから「先生、こんにちは。良いニュースがあります。」「彼氏がいます。」という微信がとどいていた。例の意中の男性だ。晴れて付き合うことになったのだ。

 14時半から「◯◯の日記」添削。添削中もK.Kさんとしばしやりとり。彼氏と会いたいかというので、会ってみたいけれどもいますぐでなくてもいい、きみたちの関係がもう少し安定してからでいいと受けると、先生はわたしの彼氏を知っていますよとあって、は? となった。こちらが知っている学生となると、ほぼ日本語学科に所属する学生に限定されるわけで——と考えたところで、すべてがつながった。二年生のC.Rくんだ。C.Rくんからは先日、K.Kさんから微信でよくいじられるので反撃したい、先輩のおもしろい表情包などないだろうかという問い合わせがとどいている。そのときに、あれ? あのふたりはそういうやりとりをしょっちゅう交わすほど親しいのかな? とやや違和感をおぼえたのだったし、K.Kさんがよく世話をしている野良猫の写真をC.Rくんが微信のアイコンに採用していることにもこちらは気づいている。仮にこの推測が正しいとなると、(…)大学の学生を含む全員で東北料理の店をおとずれた際、K.Kさんが先輩の色恋沙汰が原因で一度離席したあのふるまいも、MさんのC.Rくんに対する執拗なアプローチに耐えかねてということだったのかと合点がいくし、もっというなら、あの日、(…)大学の学生らとこちらとS.Sくんのみでカフェをおとずれたのち、昼寝していたというK.Kさんと万达のH&Mで合流したその合流の場にはC.Rくんもおり、あれ? ふたり別行動ではなくいっしょに万达までやってきたのか? そういうのが苦にならない程度には親しい関係だったのか? とやはり多少の違和感をおぼえたのだったが、いやいや、そうか、そういうことだったのか! しかし仮にそうだとすれば、こちらはK.Kさんに対してなかなかけっこうな不義理を働いてしまったことになる! というのもこちらはC.RくんとMさんの仲を応援しまくっていたからだ! K.Kさんから好きなひとがいるという話をきいたのは(…)大学の学生らが(…)を去ったその日の夜だったように記憶しているが(R.SさんとC.Sさんのために日本土産を女子寮までもっていったときだ)、あのときにすでに意中の彼が後輩であるという話は聞いていた。それにくわえてその彼は文学好きであるから先生ときっと気が合うという話もあったが、これについてはC.Rくんのイメージにそぐわない。あと、このとき、C.Rくんがスピーチコンテストに興味をもっているという話もきいたわけだが(こちらはそれに対して、C.RくんはきみたちのクラスでいうところのK.Kくんのポジションに当たる男子学生であるから、出場は正直かなり厳しいだろうと応じた!)、K.Kさんの影響で日本語の勉強にも興味をもちはじめているのだとすれば、なるほどやっぱり合点がいく。さらに思い出したのだが、そしてきっとこのことを当人であるK.Kさん自身すでに忘れてしまっていると思うのだが(今度機会のあるときに確認してみよう)、現二年生が新入生として大学に入学してほどないころ、その新入生らのクラス会議のようすをたまたま目にする機会のあったK.KさんがC.Rくんについて、とても明るい男子学生がいる、クラスの雰囲気がとてもいい、ちょっとうらやましいですと語っていたこともあったのだった!
 添削中も工事の音がクソやかましい。今日はドリルではない。なにかをゴンゴンゴンゴンうちつける音がたえまない。『大工の源さん』を思いだす。この寮に住んでいる人間は7割が大工、2割が木こり、残る1割がカスだと思う。それぐらいいつもうるさい。
 18時過ぎにようやく添削を終える。40人弱の添削で4時間近くかかる計算。来学期以降は添削も2クラス分やる必要があるわけで、これはけっこうきつい、夏休み中にまたいろいろと対策を考えたほうがよさそうだ。
 S.Sくんとは18時半に西門で待ち合わせ。K.Kさんにも彼氏といっしょに食事にくるかと連絡を入れておいたのだが、今日の日中はR.Sさんとその彼氏、S.Sさんとその彼氏、それにくわえてC.Sさんらといっしょに遊んでいたらしく、食事会にもみんなで参加したいとあったので、これはずいぶん大所帯になるなとおもいながら寮を出た。今日は日中の最高気温が30度ほどあった。夕方ともなれば多少は冷えるだろうと思い、薄手のシャツにタイ産の民族衣装風のカットソーを重ねて外に出たのだが、ペラペラ二枚きりでもやはり蒸し暑いくらいであり、さらにカットソーのほうは洗濯すると色落ちするタイプのアレであるのだけれどもかまわず一度洗濯したその結果うぐいす色の生地のところどころが絞り染めでもしたんけというくらいうっすらとまだらになっており、着るのは今日が最後でいいや、どうせ新疆烤肉のにおいがしみついてしまうわけであるし今日をもって捨てよう。
 バスケコートでバスケをしている男子学生らは全員半袖ハーフパンツ。すれちがう学生らのなかにも半袖が目立つ。はやいなぁ、まだ四月にもなっていないのになぁと思いながら歩くと、前方から「先生!」と声がかかる。二年生のT.UさんとS.Kさんが腕を組んで歩いている。このコンビということはおそらく会計学の勉強だなと思いつつ、どこに行くんですか? とたずねると、図書館! という返事。会計の勉強ですか? と、会計だけ中国語読みしてたずねると、然りの返事。試験はいつですかと重ねてたずねると、四日とT.Uさんがいう。すぐにじぶんの間違いに気づき、四月! と言いなおし、ふたりそろってケラケラ笑う。ぼくはこれから三年生といっしょに新疆烤肉を食べにいきますと告げる。
 バスケコートに沿って歩く。第四食堂の方面に向かう途中、電動スクーターに乗ったC.Rくんとすれちがう。あれ? K.Kさんと一緒にいるんじゃないのか? と思う。やっぱりK.Kさんの彼氏というのは別人なのか? 西門のゲートを抜ける。抜けた先の空に真っ赤な太陽が落下しつつあり、それをスマホで撮影している姿がたくさんある。S.Sくんを待っていると、突然、全然知らない男の子から「M先生」と呼びかけられる。卒業生のR.Sくん——いまは東京にいるはずだ——にちょっと顔立ちが似ている。え? え? と思っているうちに、もしかして三年生のC.Uくんけ? となる。そうだった。C.Uくんだった。二年生に進級すると同時に農学部に移動した彼だ。ひさしぶりー! となる。しかし当然のことながらそれほど会話ができるわけでもない。
 そのC.Uくんがなかなか去らない。あれ? もしかしていっしょにメシ食うメンバーなんけ? と思う。今から何をしますか? と教科書的にたずねると、先生とごはんというもごもごした返事があり、やっぱりそうだったらしい。そうこうするうちにS.Sくんがやってくる。いつもどおりK.Gくんもいる。のみならず、クソめずらしいことにK.Iくんまでいる。これはえらい大所帯になったなァとなる。S.Sくんはめずらしく黒いテーラードジャケットを着ていた。インナーは黒のタートルネック。そんなフォーマルな服装を愛好するタイプだったか? しかし日が暮れつつあってなお25度はあるこの天候にはふさわしくない。
 K.Kさんらはマクドナルドにいるという話だったので歩いていく。C.Sさんがおもてで手をふって出迎えてくれる。R.Sさんとその彼氏も出てくる。R.Sさんの彼氏と対面するのははじめてだが、田舎の純朴でおとなしそうな青年という感じ。イカれた外人のノリでハグする。C.Uくんを女子学生らの前に突き出し、このひとだれですか? と口にして、みんなで笑う。K.Kさんも姿をあらわす。うわさの彼氏の姿はない。C.Rくんでしょう? とたずねるが、本人はこの時点ではなにもいわない。さっき大学のなかですれちがったよと告げる。K.Kさんはいったんその場を去った。彼氏ってC.Rくんでしょう? とR.Sさんにたずねる。そうであると合点がいくもろもろについて数えあげると、先生するどいですといつものようにくすくす笑ってみせる。Mさんの件についてはちょっと悪いことしたなと漏らすと、そうです、あの東北料理の店でとR.Sさんがいうので、あとで謝っておくよ、あれはきっと気を悪くしたと思うからと受ける。
 女子学生と彼氏たちは日中みんなで「ゲームの本」で遊んだらしい。ゲームブック? テーブルトークRPG? ボートゲーム? よくわからんがそういうアレだと思う。ホラーテイストのものでたいそうおもしろかったとのこと。そうこうするうちにK.KさんとC.Rくんが姿をあらわす。ふたりとも手をつないでいる。その手をぶったぎるふりをする。びっくりしたでしょ? とS.Sくんにたずねると、全然気づかなかった! という返事。ぼくも全然気づかなかったよというと、わたしだけ彼氏がいません! とC.Sさんがいうので、Cさんどうぞ、とふざけて手を差し出す。みんな笑う。
 新疆烤肉の店にむかう。店はせまい。10人も入るだろうかと思ったが、路上に出されている複数の赤いプラスチックのテーブルと椅子をくっつけて食ってくれと新疆人の老板がいう。この天気のこの時間帯に屋外で串焼きを食うのはなかなか最高じゃないかと思う。夏だ! めちゃめちゃいい気分だ! S.Sさんとその彼氏があらわれる。しかしわれわれに合流するのではなく、ふたりで(…)を食べるという。
 飲み物の買い出しグループと肉の注文グループに別れる。R.Sさんは羊肉がダメらしいので、老板にほかの肉はないかとたずねる。牛肉はある、手羽先もある、しかし豚肉はないとのこと。C.Sさんといっしょにもろもろ注文する。馕(nang2)ももちろんたくさん注文する。K.Iくんがナンのことを新疆ピザと言う。C.Sさんがツボに入ってゲラゲラ笑う。
 着席する。K.KさんとC.Rくんのふたりだけなかなかもどってこないので、どっかでキスでもしてんじゃねえかというと、みんな笑う。ふたりがもどってきたところで、どっちが告白したのかとたずねると、秘密だという返事。C.Rくんは学生会の用事があるらしく途中で退席せねばならず、それに同行するかたちでK.Kさんもやはりはやばやと去ったのだが(こういうときに絶対ペアで動くのが中国のカップルだよなと思う)、その後C.Sさんらが秘密裏に教えてくれたところによると、ふたりはどちらも告白したわけではないらしい、ただなんとなく「曖昧な関係」から進展するにいたったというので、アメリカ人とおなじだね、アメリカ人も告白はしないからね、デートを重ねて自然にsteadyな関係になるという文化だからという。
 運ばれてきたナンだの串焼きだのを食う。最高にいい気分。酒のまったく飲めない人間であるけれどもいまビールを飲んだら最高やろなと思うくらいにはいい気分。「大麻吸いてえ畜生」(舐達麻)。R.Sさんと彼氏は(…)人。K.Gくんも(…)人。さらにC.Uくんも(…)人だった。K.Gくんの故郷は(…)でもかなり端っこのほうらしく、もともとは(…)省だったのだが、1999年から(…)省扱いになったらしい。(…)といえば当然蛇料理の話題をせざるをえないわけだが、R.SさんもK.GくんもC.Uくんもみんな蛇を食べたことがない。しかしR.Sさんの彼氏はじぶんで捕まえて食べたことがあるというので、どうやって料理したのかとたずねると、煮込んでスープにしたとのこと。このときはまだ同席していたK.Kさんがスマホの画面をこちらにむける。蛇の写真。今日図書館の前にいたものを先輩が撮って送ってきたのだという。大学内に蛇がいるのかとびっくりする。いや、たしかに芝生も多いし草むらも湖もあるし、蛇がいたところでなにひとつおどろきはしないが、マジで遭遇したくない! 学生と夜道を散歩する機会の多いこちらにとってキャンパス内での蛇目撃談はマジで死活問題なのだ。
 そこからゲテモノ料理の話になる。串焼きのなかにバッタがあったのでそれを一本だけ注文してみんなで食べたのだが、これは全然ふつうだった、というかこちらは日本にいたときに何度かイナゴの佃煮を食ったことがあるし、なんだったら高校のときに弁当に入れてもらったこともある。中国でゲテモノというと必ず話題にあがるのが雲南省広東省雲南省にはとにかくたくさんのキノコがあるというが、こちらはキノコはエノキとキクラゲ以外受けつけないので興味ない。あとは花だの虫だのも食す。蜘蛛を油で揚げた料理やサソリの串焼きなどがあるという。後者についてはタイの路上で見た。広東省ではねずみを食べるとK.Gくんがいう。S.Sくんもねずみを食べたことがあるというのだが、われわれの想像するいわゆるねずみではない、これくらい大きかったといって手をひろげてみせるそのサイズから察するに、ヌートリアみたいなやつなのかもしれない。広東省で食べるのはまだ毛の生えていないねずみの赤ちゃんだとK.Gくんがいう。生きたまま食べるところもあるといってスマホの画面をこちらに見せたが、ピンク色のてかてかしたこねずみが大量に皿に盛られていて、うわこれはさすがにちょっときついなと思う。こちらが外国人相手に誇れるゲテモノ食いといえば、馬刺しくらいしかない。馬の肉を生で食べたことがあるよというと、みんなびっくりする。S.Sくんは刺身が苦手だという。魚を生で食べることにも抵抗がある。K.Gくんはザリガニ料理について、あれはもともと日本から中国にザリガニが持ちこまれたのがはじまりだといった。アメリカ→日本→中国というルートだったのか。
 ゲテモノといえば、店先には解体途中の羊肉が吊るしてあるのだが、そこに見慣れない肉のかたまりがあった。内臓の一部かと思ったが、そうではなく、羊のキンタマとチンポコらしくて、学生らによればそれも串焼きにして食うことができるのだという。実際、串に刺さった状態の肉だの野菜だのが保管されている冷蔵庫のなかに、そのキンタマを輪切りにして串に刺したやつであったり、チンポコが螺旋状に串にからみついているやつであったりもあり、今日は食べそびれてしまったわけであるが、キンタマでだいたい30元といっていたか、ほかの部位にくらべると当然割高であるもののそれでも全然手が出ないような値段ではない。C.Sさんは串刺しになったキンタマを指差しながら、これを食べると男性にいいですと直球の下ネタを口にして笑った。そのC.Sさんは食事中もずっと気配り上手で、羊肉を食べることのできないR.Sさんのために優先して牛肉や野菜を取りわけてあげたりしていた(お母さんみたいですとR.Sさんは言った)。そのR.SさんはR.Sさんで、彼氏のために日本語で交わされる会話のすべてを中国語に通訳しており、なかにはこちらのクソみたいな冗談も混ざっていたのでちょっとアレだが、そしてR.Sさんはかなりのゲラなのでこちらのくだらない冗談にいちいちひきつけを起こすんでないかと心配になるレベルでひっひっひっと背中を震わせて笑うのだが、彼女がそんなふうにツボに入るたびに彼氏はそんな彼女の背中に手をまわしてトントンとしてやっており、本当に心のやさしいカップルだ。ふたりは高校二年生のときから付き合っている。R.Sさんは一年間浪人しているので、もうかれこれ五年ほど付き合っていることになるわけだが、ふだん全然ケンカしないという。S.Sくんは信じられないと言った。以前付き合っていた恋人とは遠距離恋愛ということもあってしょっちゅうケンカしていたらしい。高校二年生の一月二日に教室で彼氏のほうがR.Sさんに我爱你と告白したんだよねとはじまりのシチュエーションを確認すると、R.Sさんは驚愕したような表情を浮かべた。いや、このあいだ東北料理の店で言ってたでしょというと、どうしてそんなにはっきりとおぼえているんですか、先生は本当にいつも記憶力がいい! というので、いや毎日アホみたいに日記書いとるだけや、おなじ一日をおれは二回生きとんねんと思ったが、もちろんそう答えはしない。
 高校時代の話も少し出た。二年生の授業で高校生の自殺が多いという話を聞いたというと、K.Iくんの、あれは同級生の話だろうか? それともネットで見ただけの話かもしれないが、自殺した高校生がふたりいる、ひとりは手首を切った、もうひとりは飛び降りたという話があって、そういうことはめずらしくないとほかの学生らもうんうんうなずいた。しかしR.Sさんの高校は不良ばかりだったというし、C.Sさんの高校も、不良はいないけれども勉強しない子ばかりだったので教員らも指導をほぼあきらめておりかなりゆるく、全然勉強していなかったC.Sさんですら学年二位の成績だったという。S.Sくんもまた、わたしもおなじです、みんな全然勉強していなかった、だからわたしは成績がいいほうでしたといった。こういう話はやっぱりいいなと思った。北京や上海じゃない。東京や大阪じゃない。こういうのがいいんだ。だれも小説に書こうとしない土地とそこに住まうまったく絵にならない人々。「団結しろ万国のまよなかの白痴ども/きみらのことは誰も詩に書かない」(岩田宏)。
 会計。508元。108元こちらがもった。学生たちは例によって恐縮したが、別にそれくらいかまわない。そのまま大学のほうにむけてぷらぷら歩く。彩票の店があったので立ち寄る。10元のスクラッチを一枚購入。店のおばちゃんが学生らに、このひとは日本人だろ? うちに来るのは三回目だ! という。はずかしいから言わないでよというと、みんな笑う。最初の一枚で10元当たる。学生らがびっくりする。先生は運がいいです! というので、10元買って10元当たるなんてふつうでしょ? というと、わたしたちは一度も当たったことがない! とR.SさんとC.Sさんが口をそろえる。その10元でもう一枚買う。また10元当たる。学生らが盛りあがる。近くにいたおっちゃんもようすをのぞきにやってくる。三枚目に挑戦。日本の神様! 中国の神様! 頼む! とお祈りする。それをまたR.Sさんがいちいち通訳して、店のおばちゃんが笑う。三枚目はハズレ。来週また来るよとおばちゃんに告げる。
 R.Sさんの彼氏はすぐ近くにあるホテルに泊まっている。一泊200元。まあまあ高い。C.Sさんが「ふたりの世界!」といって、手をつないで歩いているR.Sさんとその彼氏を指す。われわれとは別行動してふたりだけで過ごせばどうかとうながした格好のようだが、このままみんなといっしょでかまわないとR.Sさんがいう。それでみんなで食後の散歩をすることに。裏町のほうにむかう。C.Uくんはいつのまにか姿を消している。
 裏町はきのうとおなじくアホみたいに混雑している。アクセサリー売りの女子がたくさんいるのに、きみはもうアクセサリーを売らないの? とC.Sさんにたずねる。もう店を出すつもりはないという返事がある。しかしアクセサリー作り自体は続けているようで、これもじぶんで作りましたといって首元のネックレスを指してみせる。蜜雪冰城がある。二年生のG.Kさんが以前抹茶のソフトクリームの写真をモーメンツに投稿していたのを思い出したので注文することにする。一個3元。店先は大混雑。C.Sさんがミニプログラムで注文したのち、まだ時間がかかるだろうから歩きましょうという。それで裏町の端っこまで移動。人が多すぎてまともに会話できない。ふつうにキャンパス内を散歩すればよかったなと思う。
 通りの端までたどりついたところでひきかえす。蜜雪冰城で抹茶ソフトクリームをひきとる。食いながら帰路をたどる。C.Sさんはとにかくアイドルが大好きで、四六時中アイドルのことばかり考えている。将来は東京の海底捞で働きたいというので、どうしてかとたずねると、中国よりも給料がいい、それにくわえて海底捞の店員だったらあたまを使わなくてもいいというので、これにはけっこう笑ってしまった。大学を卒業したからにはホワイトカラーの頭脳労働者として働いてなんぼやろという価値観が親子ともども強力であるがゆえに新卒の失業率がこれほどまでに低下している中国にあって、その逆をいってはばかることのない彼女の堂々たる姿勢はすばらしい。アイドル脳のC.Sさんは、店先に貼ってあるアイドルのポスターを見つけるたびにそれを指さしてこちらに教えようとするのだが、めがね屋の店先に貼られていたポスターには見向きもしなかった。これもアイドルでしょ? とこちらからふると、ダメダメ、大嫌いですという。どうしてかとたずねると、そのアイドルのファンはマナーが悪い、別のアイドルのファンたちに攻撃を仕掛けてくるという返事があり、ファン同士のそういう対立がかなりえげつないという話はたしかに何度かきいたことがある。
 病院を抜けて老校区へ。そっちに寮のある男子学生らとはそこでお別れ。残る帰路をC.Sさん、R.Sさん、R.Sさんの彼氏といっしょにたどる。そのまま女子寮へ。しかしこの場合、どうなるのだろう? R.Sさんの彼氏はキャンパスの外のホテルに泊まっているわけであるし、そっちまでひとりで歩いていくのだろうか? もしかして道中こちらとふたりきりになるのか? いや、R.Sさんもおなじホテルに泊まるか? でもそれをたずねるのはうぶな子の多いこの田舎ではセクハラということになってしまうのか? などと考えるうちに女子寮前に到着する。女子ふたりがいつものように、じゃあ先生さようなら、おやすみなさいというので、こちらもおなじように受けてひとり立ち去る。R.Sさんの彼氏はそのまま門前にひととき待機する姿勢。こちらとのあいだに距離を稼ぐためにそうしているだけかもしれないし、R.Sさんが着替えをもってふたたび出てくるのをそこで待っているだけかもしれない。
 コーヒーが飲みたくてたまらなかったので库迪咖啡に立ち寄る。しかしすでに閉店作業中。21時半に注文受付終了だという(この時点で5分ほどオーバーしていた)。瑞幸咖啡でもたぶんおなじだろうなと思う。第五食堂そばのフルーツ屋で串にささったパイナップルを買う。店のおばちゃんがこちらのことを老师と呼ぶのに、周囲にいた女子学生らが怪訝な顔つきでこちらを見る。
 帰宅。チェンマイのシャワーを浴びる。K.Kさんに微信を送る。ひとつ謝らなければならないことがある、と。C.RくんとMさんをくっつけようとした件をもちだすと、東北料理店で途中退席したのは本当に先輩の失恋がきっかけだったのだという返事。さらにいえば、あのときはまだいまほどC.Rくんのことが好きでもなかったという。Mさんの「勇気に敬服しています」という言葉もあった。たしかに。C.Rくんについて、「正直に言うと、なぜ好きになるのか分からないです」というので、恋愛なんてそんなもんだよと受ける。うちの女子学生はみんな恋人がいないときにかぎって、めちゃくちゃ高いハードルを理想の恋人に課すのだが、実際に恋人ができてみると、それらのハードルはたいてい全部薙ぎ倒されている。C.Sさんには抹茶アイスクリームの3元を返す。今度羊のキンタマを一緒に食べにいく約束をする。その後、寝床に移動して就寝。



 写真。上が羊のキンタマとチンポコ。下が隠し撮りしたK.KさんとC.Rくん(左端でツボにハマってゲラゲラ笑っているのがR.Sさん)。
 

 
(…)