20240331

 たとえば二〇〇四年の「純愛ブーム」「韓流ブーム」は、二〇〇四年の社会的コードをもって接近しなければ何故あんなに多くの読者やファンを獲得することができたのか説明できない。ブームになっているものを宣伝するときに必ず「人はいつの時代も」という表現が使われるが、「いつの時代も」と言うときにかぎって人は前の時代がそうではなかったことを忘れている。いや実体はもっと身も蓋もなく、そんなことを考えたりしない人がブームの支持層になるということでしかないのだが。
 ブームはじつは少数の人に向かって開かれている。三百万人の人が読んだ、一千万人の人が見た、といってもそれらは少数派でしかない。人口の九割以上がそれに対して無関心で、その人たちにまで訴えかけることは絶対にできない。それに対して芸術はしかるべき道筋さえ与えられればほとんどすべての人がそれに対して何かを感じることができる。これは夢物語でも何でもなく、接近の仕方を時間をかけて伝えていけば人は必ず芸術から何かを感じることができる。しかしその道筋をつけることが難しいのだが……、不可能というわけでは全然ない。
保坂和志『小説の誕生』 p.21-22)



 10時前起床。今日も暑い。これで三日連続で30度近い日々が続いたことになる。エアコンをつける。きのうづけの記事の続きをちょっとだけ書き、11時をいくらかまわったところで第五食堂へ。電動スクーターに乗った女子学生からすれちがいざまになにやら声をかけられたが、だれかわからんかった。一階で炒面を打包して帰宅。きのうまでK先生が住んでいた部屋を管理人が掃除しているのを見かける。
 食後のコーヒーを飲みながら書見。『シチュエーションズ 「以後」をめぐって』(佐々木敦)を読み終わる。そのまま『恋する原発』(高橋源一郎)にも着手する。15時になったところでいったん切りあげ、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読みかえし、今日づけの記事もここまで書く。作業中は『Summer Heart』(Blackbird Blackbird)と『How To Run Away』(Slow Magic)と『Hold』(Wild Nothing)を流した。Blackbirdときくと、Bye Bye Blackbirdが当然あたまをよぎるわけで、キース・ジャレットの演奏しているやつをむかしよくきいていたなと思うわけだが、しかしBlackbirdという言葉をはじめて知ったのはジャズのナンバー経由ではなくそのナンバーを踏まえた白石かずこ詩経由だった。あの詩はたいそうよくって当時の抜書きノートに全篇写経した記憶がある。

 17時になったところで第五食堂で打包。食後、30分の仮眠をとったのち、ケッタにのって万达へ。北門からキャンパスの外に出て東にむかう最初の交差点でママチャリにのったおばちゃんに話しかけられた。以前万达の近くの交差点で話しかけてきたおばちゃんと同一人物。たぶんそれ以前にどこかで会話をしたことがあるのだろうが、正直よくおぼえていない、こちらのことを(…)で働く日本人であると認知しているようすなので、もしかしたら食堂や売店で働いている人物なのかもしれない。信号待ちのあいだ、あんた(…)の日本人だろ、その帽子を見てすぐにわかった、若くみえるけどたしか三十歳だったな(「三十八歳だ」)、日本人はみんな若くみえる、結婚しているのか子どもはいないのか(「結婚していない」)、相手を探せばいい、大学に学生はたくさんいるだろう——などなど、ほぼ一方的にまくしたてられる。結局だれやねん。
 スタバへ。アイスコーヒーを注文して先週とおなじ窓際の席に座る。20時前から21時過ぎまで書見。『恋する原発』(高橋源一郎)を読み終える。そのままKindleでポチった『想像ラジオ』(いとうせいこう)に着手する。今日はサブカルガールを見かけなかった。
 店を出る。(…)——万达からまっすぐ南進した先の交差点にあるほうの支店——に立ち寄って食パンを二袋買う。南門経由でキャンパスに入る。門の入り口で突っ立っている男女のカップルの男のほうが女の尻をふざけて軽くはたいたのに対し、女のほうがまた尻をぶったな! と抗議するのを目撃した。
 帰宅。懸垂し、チェンマイのシャワーを浴び、ストレッチし、トースト二枚とドラゴンフルーツを食したのち、今日づけの記事の続きをここまで書いた。

 ベッドに移動後、『想像ラジオ』(いとうせいこう)の続きを読み進めて就寝。