20240401

 ところが私が小説について考えていることは、視覚による理解の拒否だ。小説の流れを時間軸に落とし込んで視覚化するとわかったような気になるけれど、それで小説を読んだことにはならない。小説を理解したいと思うなら、自分も含めた身近な人間を時間軸に落とし込んで把握していないのと同じように、丸ごと暗記しようとするしかない。
保坂和志『小説の誕生』 p.24-25)



 4月だぜ!
 10時半起床。春眠暁を覚えず。寝過ぎて体の節々クソダルシム。歯磨きと洗顔をすませて第五食堂へ。一階で炒面を打包する。今日の最高気温は25度ほどで、ここ三日間とくらべるとだいぶと過ごしやすい、エアコンをつける必要もない。週間予報によると今後一週間ずっと悪天候、なまぬるい雨の日が続くようだ。そんな日はsyrup16gの「うお座」がききたくなる。「雨音が胸のボタンに染み込んで」という歌詞をはじめて聞いたときはびっくりした。
 食後のコーヒーを淹れ、洗濯物を阳台に干す。ぼちぼち冬物をクローゼットに片付けていいかもしれないが、この土地の気温の移りゆきは本当に狂っているとしかいいようがないほど激しい、草コインの描くチャート並みにひどいものであるので、どうしたって信用できない、まだ一回、あるいは二回か三回は冬日がやってくるんではないかという警戒心がどうしたってはたらいてしまう。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。月末なので原稿の進捗状況をチェックする。「実弾(仮)」第五稿はこのひと月で494/1105枚→607/1107枚という変化。合計枚数がプラス2枚でしかないのは、このひと月加筆よりも削除した部分のほうが多いのではないかという感触からすると、ちょっと意外だった。もう第五稿であるというのに、一ヶ月かけて113枚分しか進まないというのはちょっと問題だ。もうすこしガツガツ進めていきたい。
 ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読みかえす。以下、1年前の記事より。初出は2022年4月1日づけの記事。

國分 最近、一般に「責任」と翻訳されるレスポンシビリティ(responsibility)を、インピュタビリティ(imputability)から区別するべきではないかと主張しているんです(國分功一郎、「中動態から考える利他——責任と帰責性」、伊藤亜紗編、『「利他」とは何か』、集英社新書、二〇二一年)。責任がレスポンシビリティであるなら、それは目の前の事態に自ら応答(respond)することですね。それに対し、インピュート(impute)というのは「誰々のせいにする」という意味で、責めを負うべき人を判断することであって、これを「帰責性」と呼ぶことができます。
 今日の議論で言えば、いまはインピュタビリティが過剰になって、それを避けることにみんな一生懸命だから、レスポンシビリティが内から湧き起こってくる余裕がないという状態ではないか。レスポンシビリティはまさに中動態的なもので、「俺が悪かった」とか、「俺がこれをなんとかしなきゃ」とか、ある状況にレスポンドしようという気持ちですね。
 ところがレスポンスを待つ雰囲気がいまの社会にはない。とにかく誰かが俺にインピュートしてくるのではないか、俺のせいにしてくるかもしれないということばかり考えているから、責任回避が過剰になる。
 千葉君の話と結びつければ、日常生活でレスポンシビリティを待つことができていれば、インピュタビリティが過剰になったりしないと言えるのではないか。さらに言えば、レスポンシビリティは法外なものと関わっている。自分の気持ちだから。
 だから、この「法外なもの」について、もっと考えないといけない。たとえば、正義とは法外なものだというデリダの認識がありますよね。法に適うように行為することは、あらかじめ法によって正しさを保証されているわけだから、正義でもなんでもない。正義とはそういった法の後ろ盾がないところである判断を下し、行為することだと。
千葉 計算を超えるわけですよね。
國分 そう。一番わかりやすい例は、良心的兵役拒否です。たとえばベトナム戦争に私は行かないというのは、その時点では明らかに違法行為だけれども、それが正義だったことは後からわかるわけです。
 ポイントは時間にあって、ジャスティスのほうは時間がかかる。いまはむしろコレクトネスばかりで、それは瞬時に判断できる。判断の物差しがあるから。社会がそういう瞬時的なコレクトネスによって支配されているから、時間がかかるジャスティスやレスポンシビリティが入り込む余地がなくなってきている感じがします。
千葉 現在では法と矛盾するけれども。未来時点においてはコレクトになるかもしれないという別の時間性、時間の多重性を導入するのがジャスティスの問題ですよね。それは未来方向にもそうだし、過去からの経緯や歴史を踏まえることによって、瞬時的な判断とは別の判断を行うという形でも多層性を含んでいると思うんです。
 だから、歴史性を考慮することと、未来に向けてのジャスティスを考えることはつながっている。それがどちらもなくなっているというのは、やや抽象的に言うと、すべてが空間化されているということですよね。不可入性の原理、つまり一つの場所を二つのものが同時に占めることはできないから、どちらかを取るという話にしかならない。
 部分的に賛成と反対が共存することを複数の時間性において考えるようなことを言うと、「何をごちゃごちゃ言ってるんだ」という話にしかならず、議論にならないんですよ。逆に、すべてを空間的に並置して、不可入性の原理で話をすっきりさせることが民主化という話になっている。それがエビデンス主義のポリティカルな対応物だと思うんです。
國分功一郎+千葉雅也『言語が消滅する前に』)

 以下は2021年4月1日づけの記事より。

記事を書きながらふと考えたこと。人間は人生の意味のなさ(欠如)を義務で埋めている。ここでいう義務とは「かくあるべし」「かく生きるべし」として内面化されている抽象的な規律というよりも、日々の雑事のようなもの。この社会で生きるうえでこなさなければならないノルマやタスクの総称としての義務。そのような義務には——というよりもそのような義務抜きには成り立たないとされる社会には——根拠がない(「大他者の大他者は存在しない」)。しかしそのような義務がすべてなかったとしたらひとはどうなるだろうか? ひとはその自由(無意味)に耐えられないだろう(サルトルの「人間は自由の刑に処されている」という言葉のもっともラディカルな解釈)。そしてそこに見出される無意味は当然自己にも突きつけられるだろう。自分(の生)が無意味であり、根拠をもたないものであることを理解するのみならず、より直接的に、じぶんがいつか必ず死ぬという事実を(不安障害をわずらう人間のように)まざまざとなまなましく知覚することになるだろう。義務なき世界では、生老病死象徴界の括弧からはずれてなまなましくせまりうるものと化す——そういう意味では熊谷晋一郎が、退屈はトラウマの蓋を開けると指摘していた言葉を引き受けることもできるのではないか。

 以下は10年前、すなわち、2014年4月1日づけの記事より。

 ……私は二十年前はこうしたことを考えていませんでした。そして今になってこうしたことを考えるようになったのは、私がこれまでずっと、映画をつくりつづけてきたからです。つまり、一種のコミュニケーション手段のなかにいつづけたからです……矢を射る者でも、矢を突き刺される者でもなく、矢そのものであろうとしつづけたからです。書いたり、映画をつくったり、考えたり、語ったりするということは、矢そのものであろうとするということなのです。愛というのはこれとはいくらか違っていて、矢が射られたり、矢が突き刺されたりする瞬間のことです。愛したり愛されたりする者には、矢のことを考える必要はないのです。もっとも、ひとはしょっちゅう矢を突き刺されつづけたり、しょっちゅう矢を射つづけたりすることはできません。それに、矢が飛んでいるあいだの時間というものもあります。数百光年つづくにしろ三秒ですむにしろ、矢が射られてからなにかに突き刺さるまでの時間というものがあるのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

 ……私は自分の考えを放棄しなかっただれかのことを語るべきなのです……どう言えばいいのか……誠実なやり方でなりおもしろいやり方でなりで……工場で働くとか軍隊に入るとか教授になるとかといったやり方よりもずっとおもしろいやり方で、自分の生活費をかせいでいるだれかのことを語るべきなのです。自分がしたいと思うことをするのではなく、自分にできることをし、そのなかに自分の欲望をもちこもうとしているだれかのことを語るべきなのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

 「自分がしたいと思うことをするのではなく、自分にできることをし、そのなかに自分の欲望をもちこもうと」する姿勢とか、すごくよくわかるし、15年前のじぶんだったら諸手をあげて賛成していただろうけれども、いまは「自分の生活費をかせ」ぐ手段と「自分の欲望」を関連づけようとする恣意的なコントロールよりも、むしろ無関係な両者のやむをえない両立を強いられることによって偶然生み出される反応のほうにじぶんはベットしているところがある。それはたとえば、(…)での経験が部分的にモデルとして「実弾(仮)」という執筆中の小説にいま現在反映されているという表面的な意味合いにかぎったような話ではなく、むしろより抽象的かつ深いレベルでの話で、たとえばこれは過去に何度も日記に書きつけた記憶もあるけれども、仮にこちらがいまなんらかの理由で億万長者になることがあったとしても、おそらく仕事ないしバイトは(ペースこそ減らすかもしれないが)続けるんではないか、偶然性としての外部を呼びこむためのスペースをじぶんの生活に確保しておきたいと考えるんではないか。というような話を、もし15年前のじぶん相手に語ったら、そんなものは言い訳にすぎない、おまえは筆一本でメシを食うことのできない現状を無理に肯定しているにすぎない、24時間365日を読み書きにのみ費やすことのできる理想的な生活をあきらめただけでしかない、そしてそのあきらめをきこえのよい言葉で飾っているにすぎないと攻撃されまくっただろうが、でもやっぱりそういう逆転が生じてしまうくらい、(…)での経験はこちらの人生に強烈な影響をあたえたのだと思うし、あの経験がなかったら、仮に中国で日本語教師として働いていたとしても、いまのように授業外で学生らと付き合うこともなかっただろう、「普通の会話」(cero)を愛することができないままでいただろう。
 あと、2014年4月1日づけの記事には、母から「あんた本出したんやってな」という電話があったという記録ものこされている。『A』出版については家族のだれにも告げていなかったのだが、当時母の同僚だったS先生(名前は忘れてしまった)がなぜかこちらの存在を認知しており(たぶんなんらかのルートで「きのう生まれたわけじゃない」にたどりついたのだと思う)、彼女経由でいわば身バレしてしまったのだった。

 今日づけの記事もここまで書くと時刻は13時半だった。明日の日語基礎写作(二)と日語会話(二)に備えて必要な資料などを印刷。その後リビングのソファに移動し、『想像ラジオ』(いとうせいこう)の続きを読み進める。途中、二年生の刘嘉嘉さんから微信。キャンパスで桜が咲いたが、これは日本の桜とおなじものだろうかという、写真付きの問い合わせ。うちのキャンパスにある桜はソメイヨシノではない。品種はわからないが、ソメイヨシノよりも花びらがはるかに大きいし、色も白ではなくはっきりくっきりピンクだ。
 17時をまわったところで第五食堂へ。夕飯を打包する。食後チェンマイのシャワーを浴びたのち、20時半から22時半まで「実弾(仮)」第五稿作文。シーン29の難所を延々と修正し、シーン30もあたまからケツまで通す。
 寝床に移動後、『想像ラジオ』(いとうせいこう)を最後まで読んで就寝。