20240402

 新しくなければ→古い。
 良くならなければ→悪くなる。
 希望がなければ→絶望する。投げやりになる。
 
 これら対になっている発想が単純すぎるに違いないのだ。これらは言葉の性質から生まれた、言葉の中の秩序であって、言葉の秩序が世界に対応しているとは限らない。
 日常的思考は思いのほか言葉の自動的な運動にのってなされている。文学は言葉による表現だからという理由で、世間の人たちは小説家や詩人など文学に関わっている人間が言葉に精通していると思っているが、そんな言葉の中の秩序に関わることは辞書に任せておけばいいことで、小説家や詩人がしなければならないことは、言葉が世界そのものに対応していないことに気づくことだ。
 「新しい」と「古い」は同じ系にある言葉であって、「新しくなければ古い」のではなくて、新しいとも古いとも別のものがある。集合論では〈非-A〉は「Aでないすべて」を意味するが、言葉と世界の関係では〈非-A〉はどこまでもAに依存していて、「Aの中のAでないもの」でしかない。だから希望のない世界には絶望しかないわけではなくて、希望とも絶望とも別のものがありうる。
保坂和志『小説の誕生』 p.30-31)



 6時15分起床。雨降り。ケッタではなく歩いて外国語学院までむかうべきかと悩んでいたが、ぼちぼち出なきゃならんなというタイミングで窓から外をのぞくとさほど降っていなかったので、これだったらケッタでもいいなと判断した。
 8時から二年生の日語基礎写作(二)。いつもよりはやめに教室に到着。R.Hさんから昨日はエイプリルフールでしたねと話しかけられたので、なにか嘘はつきましたかとたずねると、父親と弟に電話して彼氏ができたと嘘をついたという返事。ルームメイトのG.Kさんからは明日(というのはすなわち今日のことであるが)授業が休みになったという嘘をつかれたという。R.Hさん、以前にも増してこちらに頻繁に話しかけてくるようになった。よい兆候。日本語で日本人と会話するということに対する敷居が日に日に低くなっている。
 授業では「◯◯の日記」清書を返却したのち、前半いっぱいを使って「定義」クイズ。きのう1時までビリビリ動画を見ていたせいで眠いというR.Kさんが、ものすごく眠そうな顔をしながらもしかしどんどん正解を答えるので、ちょっとびっくりした。R.Kさんは勉強嫌いでアニメ・ゲーム・コスプレ好きのオタク女子であるが、日本産のコンテンツにたくさん触れているためにリスニングとスピーキングは悪くない、というかクラスでも上位に入る。後半で「定義集」作文。そのあいだこちらは『新しい小説のために』(アラン・ロブ=グリエ平岡篤頼・訳)をちびちび読み進める。途中から雷鳴がゴロゴロしはじめた。
 授業終了まぎわ、学生らが課題を提出しにやってくるわけだが、こちらが指定した六つの単語の「定義」を用意するという課題であるところをR.Kさんが一つの単語だけでいいと勘違いして提出未遂、直前になってじぶんの勘違いに気づいてあわてて席にもどり、そのまま休憩時間を使って残りの定義を書きはじめたので、しかたなくこちらも付き合う流れになった。ちなみにC.RくんとC.SくんとC.TくんとK.Sくんの四人はそもそもこちらの指定した六つの単語を無視し、「定義」を作成する単語ごとじぶんで決めて書いたものをよこしたが、これについてはもうめんどうくさいのでその場では指摘しなかった。男子学生はどのクラスであってもものすごく優秀な子と授業中まったく話をきかない子の二種類に大別される。
 R.Kさんが作文を書きあげるのを待っているあいだ、例によってR.Hくんが教壇にやってきた。かなり緊張したようすで質問がありますというので、ああまた政治の話だな、政治の話ばかりするのはやめろといわれたにもかかわらずどうしてもがまんができなくなった、そうしたじぶんのふるまいを受け入れてもらえるかどうかわからず緊張しているんだなとその表情ひとつで察せられたわけであるが、肝心のその質問というのが、「第四師団を知っていますか」というものだった。げんなりしながらも、どこの国の話? とたずねると、第二次世界大戦ですとピントのはずれた返事をしてみせるので、どこの国家の軍隊? 日本軍の話? とかさねてたずねると、そうですという肯定の返事があり、第四師団は本当に弱かったのですか? と質問が続いた。知らないと応じた。強い弱いの話の前にそもそも第四師団といわれても全然わからないと続けると、知らないんですか? とおどろいてみせるので、南京を侵略した軍隊の通称だったりするのかなと思ったが、のちほどググってみたところ、全然そんなことなかった。こちらとしては前回わざわざ彼を昼飯に誘ってまでコミュニケーションについてあれほど話したにもかかわらず、舌の根も乾かぬうちにというのがこういう場合正しいのかどうかわからないが、またしても開口一番、じぶんだけが興味のある話題、それもセンシティヴな方面の話題を、いくらか距離を置いているとはいえおなじ教室内にR.Kさんがいる状況であるにもかかわらず口にしてみせるそのふるまいに心底脱力しかけたというか、マジでもうそういう話しかできない子になってしまっている、「普通の会話」(cero)が成立しなくなりつつある、サイバーカスケードとエコーチェンバーの無限回廊ではてしなくエスカレートし続ける陰謀論者のように、あるいは大病をわずらったのをきっかけにスピってしまったひとびとのように、日常生活で目に耳に触れるものすべてがひとところに関係づけられていき24時間365日それしか考えられなくなってしまっている関係妄想的な回路のすっかりできあがりつつあるひとらと交わす会話特有のあの突拍子のなさ、薮からスティックにな印象、コミュニケーションの圧倒的な一方通行性みたいなものを、R.Hくんとのやりとりの最中こちらはすでにおぼえるようになってしまっている。意見の持ち主ではなく、意見に寄生されてしまっている宿主が、わたしの目の前にいる。
 さすがにちょっとしんどいので、やりとりははやめに切りあげて教壇をはなれ、教室後方で課題にとりかかっているR.Kさんのそばに移動した。R.Kさんが書きあげたものを受けとり、それで彼女とそろって教室を出るわけだが、R.Hくんはひとり教室の入り口でこちらを待ちぶせしていた。そしてR.Kさんとの会話に割り込むようにして、「先生、パワハラとはなんですか?」と言った。簡単に説明しながらも、Rくんマジでやべえなと思った。どう考えてもR.Kさんがこちらとコミュニケーションをとりたがっているのは自明だったではないか? そしてこちらもそんな彼女の相手をしていることは明白だったではないか? そこにわざわざ割って入るなり、こちらとR.Kさんが交わしはじめていた会話の文脈をぶちこわし、じぶんが一方的に質問をする——こいつマジで前回おれが言ったことわかってんのかと、正直内心かなりイライラしたし、われわれのあとを遅れて歩くR.Kさんがイライラしているのもひしひしと感じた。四階に達したところでふたりはそのまま次の授業のある教室にむかった。R.Kさんは前方を歩くR.Hくんとはわざと距離を置いて歩いていた。相当嫌っている。
 四階の便所で小便をすませてからケッタにのって新校区にもどった。第四食堂で猪脚饭を打包。すっかり顔なじみになったおばちゃんが、おまえは日本語を教えているのかというので、そうだと応じると、抗日ドラマでよく出てくるセリフ「よしよし」を口にしてゲラゲラ笑ってみせる。個人の悪意および邪意に帰責することのできない、この国の情報環境および教育環境によって育まれた、高度教育を受けていない層には特に典型的な対日本人向けの仕草の一種でしかないと理解しているし、そんなことにいちいちげんなりしていてはこの国で生活することは不可能なわけであるが、R.Hくんの一件でなかなかけっこうイライラしていたこともあり、さすがにため息が漏れかけた。とはいえこちらは感情労働の鬼なので、ここでもやれやれの苦笑でもって受けとめ、それよりこっちをおぼえなよと断ったうえで、「ありがとう」と「こんにちは」を教えた。おばちゃんふたりは何度も「ありがとう」と「こんにちは」をくりかえした。それでいい。
 帰宅後、食すべきものを食す。寝床で小一時間昼寝するつもりだったが二時間ぶっとおしで寝てしまい、目が覚めると13時半だった。コーヒーを淹れ、14時から17時半まで「実弾(仮)」第五稿作文。シーン30は無事片付いた。シーン31は部屋の間取りをきっちり描写する必要があり、そこがちょっとむずかしい、もうすこし上手く書けるんではないかという箇所がいくつかある。
 作業の後半、R.HくんとR.Kさんはこの夏からいっしょにインターンシップで日本へ行くわけだが、ほんとうにだいじょうぶなんだろうかと心配になった。いちおうむこうで日本人相手に見境なく政治の話をするのだけはやめろとR.Hくんに釘は刺してあるものの、その日本人のほうからそういう話題をもちだしてきた場合、R.Hくんは絶対にノリノリになってアンチCCP的な発言を口にしまくるだろう。こちらが懸念しているのはその場に同席している可能性のあるそのほかの学生、すなわち、R.UくんやS.BくんやR.KさんやO.Gさんの立場で、こちらの知るかぎりこの四人は翻墙していない。仮にしていたとしてもR.Hくんみたいに政治脳ではなく、CCPに対する疑問があるにしてもそれはあくまでも疑問にとどまるレベルであってR.HくんみたいにアンチCCPであればトランプも支持するし大紀元の記事も読み漁るみたいな、いや後者については彼が実際読んでいるかどうか知らないのだけれども日頃の発言から察するにそういうレベルでリテラシーを失いつつあるのが彼の現状のごとく思われるのでそう表現したわけであるけれどもとにかく、そんな彼がたとえばおなじアンチCCPな日本人と知り合ってその話題で盛りあがったとする、そしてその場にR.UくんやS.BくんやR.KさんやO.Gさんも同席していたとする、するとその日本人がR.Hくん以外の中国人学生もR.Hくんとおなじ政治信条の持ち主であるとみなして話をふる可能性がある、しかしほかの学生たちはR.Hくんのように過激に祖国を批判することができない、結果としてその学生たちが肩身のせまい思いをすることになるみたいな、そういう場面が易々と想像できてしまうし、もっというなら、ふだん「さみしい」思いをしているR.Hくんが、じぶんとおなじ政治信条の持ち主が多数いる日本においてその思想信条を好き放題に口にしまくる、のみならず同席している中国人学生らにたいして教え諭すようなふるまいに出る、説教するようなふるまいに出る、とどのつまりは彼の悪癖であるマウントをとるようなふるまいに打って出る可能性もあるわけで、その場合、R.Hくんはいま以上にクラスメイトたちから嫌われることになるだろうし、また学生たちもせっかく初の海外生活で自国を相対化するチャンスを得たのが、R.Hくんに対する反感からむしろその相対化を拒むという選択肢をとるにいたる可能性もあるわけで——というような経緯もやっぱり易々と想像されてしまうわけで、こちらとしてはその点もふくめてやっぱりもう一度、日本に渡る前にR.Hくんをつかまえていろいろ釘を刺しておいたほうがいいんではないかという気もするのだが、今日の授業後のようすをみるかぎり、彼に「他者」にたいする想像力を働かせなさいというのはほとんど無駄ではないかという絶望感もうっすらおぼえる。

 チェンマイのシャワーを浴びる。コーヒーを淹れ、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返し、今日づけの記事もここまで書いた。作業中は『Hearts』(Blackbird Blackbird)と『Halo』(Blackbird Blackbird)と『Isn’t It Now?』(Animal Collective)と『Time Skiffs』(Animal Collective)を流した。
 書見して過ごすつもりだったが、macのアップデートをうながされるままにしたところ、Apple Musicがおかしくなった。ライブラリの表示はそのままであるのだが、音楽を再生しようとしても反応しない。ローカルにダウンロードしてある楽曲をいったん削除し、ふたたびダウンロードしようとすると、なぜかエラーメッセージが表示されてそれもできない。Apple Musicのデータはすべて外付けハードディスクに保存してあるのだが、その外付けハードディスクをつなげたままmacのアップデートをして再起動もおこなった、その影響でもしかしたらデータが破損したのかもしれない。とりあえず外付けハードディスクにあるデータをいったんmacのほうに移し、移したそのデータを読み込むかたちでApple Musicをたちあげてみたのだが、やはりうまくいかない。こりゃあもう初期化するしかないパターンかなとなかばあきらめつつ、データをもういちど外付けハードディスクのほうに移動し、ゴミ箱も空にして再起動もすませ、そのうえで外付けハードディスクにあるデータを読みとらせるかたちでApple Musicをたちあげてみたところ、なぜか復旧した。どういう理屈で復旧したのか、あれこれ試しながらも全然その内実を理解できとらんのだが(経験則を参照してそれっぽい対策をめくら撃ち——という言葉もやはり放送コードにひっかかるのだろうか? めくらめっぽうもダメか?——してみただけ!)、とりあえず初期化せずにすんで安心した。
 『新しい小説のために』(アラン・ロブ=グリエ平岡篤頼・訳)の続きを読みすすめる。手を変え品を変えひたすらおなじことをくりかえし主張している。つまり、「深さ」ではなく「表層」を称揚し、人間の内面性が投影された風景描写ではなくそれ自体独立した無意味で非人間的な風景描写をことほぎ、事物を人間性まみれにしてしまう暗喩を排撃する。いま現在からするとほとんどお決まりといっていい、コテコテすぎるほどの「表層」のもちあげっぷりであるのだが、この時代はこれだけ執拗に主張してもなお理解されることがなかったのだろうというのが、その書きっぷりからもよくわかる。what(なにを書く)ではなくhow(どう書く)が重要だなどという、あまりにもいまさらすぎる、初歩中の初歩みたいな話をこうまでしつこく、ほとんど丁寧に教え諭すようにして語らなければならない時代がかつてあったわけだ。そういう意味で、ほとんど歴史書を読んでいるような気分になる。
 寝床に入る前、イスラエルがシリアにあるイラン大使館を攻撃したという報道にふれて、あいつらマジでめちゃくちゃすぎるだろと絶句した。イスラエルは完全に狂っている。ずっとおかしい。ハマスによる襲撃からこのかたにかぎった話ではない、それ以前からずっとずっとずっと狂っている。本来ロシアと同レベルで批判されるべき国家であるのに、西側陣営に所属しておりアメリカ経済の尻尾を握っているという理由で、その西側陣営からまともな批判が出てこない。中国がたびたび西側諸国の人権思想や民主主義や平和主義にはまったく筋が通っていないという批判をくりだすことがあるが、この点については現状ぐうの音も出ない。イスラエルはすでにナチスと横並びで歴史にその名をきざまれるべき国家となっている。
 寝床に移動後ほどなくして二年生のR.Uくんから微信。あした映画館へ『君たちはどう生きるか』を観に行く計画について。17時半に待ち合わせをして裏町でメシを食ったのち、映画館に移動して19時40分からのものを観るという流れ。了解。上映が終わるころには22時近い計算になるが、学生らの門限は23時であるし、上映後に街ブラするわけにはいかないか。