20240410

 作者体調不良により、本日の「荒俣・M・宏のめくるめく偽書の世界〜オノレ・ド・チョコザップ『ゴリ子婆さん』編(4)」はお休みさせていただきます。ご了承ください。



 汗だくになって目を覚まし、もうろうとしたあたまで服を着替えてからふたたび寝床にもぐるというのを、朝方、たしか三度ほどくりかえした。最終的に覚醒したのは12時半だったが、ベッドから身体を起こすと、鼻をかんだあとの大量のトイレットペーパーと汗だくのヒートテックが三着とここ数日出すことのできていない小さなゴミ袋が三つ四つフローリングの上を占拠しており、ゴミ屋敷みてえやなと思った。
 体温測定。37度前後。あるかなしかの微熱だが、体感的にはほぼ問題ない。というかいま使っている体温計というのも、コロナの時期に大学から配布された、額にかざしてバーコードを読み取るみたいにピッとやるやつで、正直どこまでの精度のものなのかわからんので、ちゃんと脇にはさむやつがやっぱりほしい。症状が出はじめたときもおなじく37度前後だったが、あのときはかなりしんどかった。これでおなじ37度は無理があるんちゃうか?
 熱よりも身体の凝り張りのほうがしんどかった。特に腰と背中がまずい。いきなりストレッチすると吐き気をともなうかもしれないというレベルのアレだったので、歯磨きをすませたあと、ゆっくりと、あまり負荷をかけずに身体をほぐした。洗濯機をまわし、クリームパンを食べ、風邪薬の服用はもう必要ないだろうというあたまがあったので花粉症の薬を服用し、コーヒーを飲んだ。今朝の時点で完全に平熱になっていたら明日の授業には行くつもりでいたのだが、まだ平熱になっていないのであれば、明日もやっぱり休んだほうがいいかなと考えた。清明节の連休がこうして期せずして一週間に延長されたわけだが、これはしかしひょっとすると、しっかりとした連休がほしいというこちらの無意識のなしたおそるべき業かもしれない(という話をのちほどTにLINEで語ったところ、そんなもん無意識でもなんでもねえやろ! というもっともな返事があった)。
 微熱はある。痰が多少からむせいで咳も出る。喉もわずかに痛む。しかし体のだるさみたいなものはほぼ消えた。筋肉の凝り張りはもちろんあるが、これは今日一日あまり横たわらずに過ごすことによって、おそらく解消されるだろう。
 というわけでなるべく通常どおり過ごそうと、まずはデスクにむかってきのうづけの記事の続きを書いた。投稿し、ウェブ各所を巡回したのち、第五食堂に出向いたが、冬物のセーターを着用してなお肌寒いという印象をおぼえたこちらに反し、キャンパスですれちがう学生らはみなけっこう薄着だったので、あ、やっぱり熱はあるんだな、まだ完全回復はしていないんだなと思った。歩いていても浮遊感をともなう。浮遊感自体はもちろんきのうもおとついもあったのだが、症状がもっとしんどかったそれらの期間は意識もかなりぼうっとしていたため、肉体(運動機能)の失調に由来する浮遊感と意識の浮遊感が妙にマッチしており、それでかえって違和感はなかったのかもしれない、肉体(運動機能)は失調しているものの意識のフォーカスははるかにくっきりしている今日のほうが、そのギャップに由来する浮遊感みたいなものをよりなまなましく感じとってしまう気がする。きのうおとついの外出時におぼえたものが浮遊感であるとすれば、今日の外出時におぼえたのは離人感といったほうが近しいかも。挙手のひとつひとつに「(他人の肉体を)あやつっている」みたいな感覚がともなうのだ。
 打包して帰宅。メシを食っている最中、というかより正確にはメシを食いはじめる前に白湯を飲んだ直後だが、あれ? おれ味覚障害なっとるんちゃうか? と思った。白湯が死ぬほど甘いのだ。このように感じるのは実は今日がはじめてではなく、たしか昨日か一昨日にもおなじような所感をおぼえた瞬間があったのだが、そのときはポカリスエットの後味が口の中に残っていたのかなくらいにしか思わなかった。しかし今日このとき、起床後ポカリなどまったく飲んでいないにもかかわらず、ウォーターサーバーからコップにそそいだものでしかない白湯がやたらと甘く、というのはいわゆる「この水にはほのかに甘味がある」的な甘さではなく、「甘い水!」という感じのまっすぐな甘さであり、それで、あれ? これもしかして味覚障害ちゃうか? と思い、そして一度そう疑いはじめると、きのうおとついあたりからメシの味が全般的に薄く感じられていたのも、ただの鼻詰まりに由来するものではなく味覚障害に由来するものではないかというふうになってきて、これでまたコロナ疑惑が深まった。いや、こちらはかつてコロナ以前、通常の風邪で味覚および嗅覚障害に見舞われたことがあるわけだし、今回もそのパターンである可能性も否定できないわけだが、いずれにせよ鼻うがいを再開したほうがよさそうだ、というかコロナ以降一日に一度は鼻うがいをしようと決めていたのにその習慣がすっかりとだえてしまっていた! これを書いているいまも白湯を飲んでいるのだが、マジで甘い! めちゃくちゃ甘い! こんなもん毎日飲んどったら糖尿病になるわ! 思ったんやが、イエスが水を葡萄酒に変えたという新約の有名な奇蹟、あれその場におった全員がたまたまおんなじ病気で味覚障害になっとったんちゃうか?
 翌日の授業も休むことに正式に決めた。後遺症の免罪符ゲットや。とことん休んだる。一年生1班と三年生に通知。その後チェンマイのシャワーを浴びたが、ついでにここ半年以上(?)伸ばしっぱなしだったあごひげをハサミでぶったぎった。したらハサミのあの持ち手の部分がバキっと折れた。ふ、不吉な……! あごひげはかなり長くなっており、垂直にもちあげると鼻の穴を塞いでなおあまるほどの長さに達していて、ヘアゴムでたばねることなしには外出できないほど汚く、女性からの好意を得たいのであれば「清潔感」が大事みたいなヘテロ男性向けの恋愛指南書的な言説をよく目に耳にするけれども、それに即していえばこれほど清潔感の欠けているカスもおらんやろいう見映えであり、しかしそれを言い出せばこちらの人生そのものがまず清潔感とは無縁の冥府魔道なのであっていまさらだれがそんなもん気にすんねんというアレなのだが、外出するたびにヘアゴムでたばねるのがいい加減めんどうくさくなってきたし、あと病気は今日でおしまい! という意味のケジメというか区切りというかもしかしたら願掛けなのかもしれないが、そういうのもあってバッサリ切った。あごに生えていた稲が苔にデジモン逆ワープ進化した。
 三年生のC.Mさんから微信。またうちの寮で料理をふるまってくれるという。いまは体調がよろしくないのでまた今度お願いしますと返信。
 1年前の記事と10年前の記事を読みかえす。2023年4月10日づけの記事にKatherine Mansfieldについていろいろ書いてあるのを読んで、あーやっぱりMansfieldはいいなァと思った。記事には『Katherine Mansfield and Virginia Woolf (Katherine Mansfield Studies)』(Christine Froula, Gerri Kimber, Todd Martin)なる書物に対する言及もあったが、これは結局ポチらずにいまにいたっている。で、せっかくなので一年越しにKindleでポチったのだが、3579円もして、それでふと、これ去年の時点で買っておけばいまほど円安ではなかったしもっとずっと安く買えたのか! となった。ところで、洋書のタイトルと作家名をこうして日記に書きつけるとき、あえて日本語の表記をそのまま踏襲するかたち、つまり、上に書いたように『Katherine Mansfield and Virginia Woolf』(Christine Froula, Gerri Kimber, Todd Martin)と記すときと、なんとなくこっちのほうが英語っぽいかなというあたまで“Katherine Mansfield and Virginia Woolf”(Christine Froula, Gerri Kimber, Todd Martin)と記すときがあるのだが、実際の英文では作家名と作品名ってどういうふうに記すんだっけ? なんかずっと以前いちどだけ調べてみたところ、基本的には引用符は使わず、そのかわりに作家名か作品名か忘れたけれどもどちらかをイタリックにするみたいなルールがあるみたいな話だった気がするのだけど、まあなんでもええわ!
 しかしこうして電子書籍までどんどん平気で積読するようになってしまった。まあ、電子書籍はいくら積読しても場所をとらないし、それに洋書を読むにあたっては辞書機能がある分紙の本よりずっと助かるので別にかまわないのだが、しかし現在ある積読だけでももしかしたら残り人生すべてをかけても読みきれないほどの量があるんではないか? 京都のアパートをひきはらったときにかなりの数処分したはずだが(引っ越しをくりかえす過程でたしか700冊ほど減らしたのではなかったか?)、結局あれからまたガンガン増え続けている。
 10年前の記事、すなわち、2014年4月10日づけの記事はおもしろかった。Tといっしょに出かけた香川旅行二日目で、ボリュームもたっぷりであるし、文章もしっかり書けている。読み返していて楽しかった。必読。迷走神経反射に見舞われた以下のくだりは特によく書けていた。そうそう、この感じなんだよ! となった。

 土産物屋にふたたび足を踏み入れて食堂の前でいまかいまかとぶらぶらしているうちに、おなじく開店待ちらしいひとの姿もちらほらと目につきはじめた。観光客というよりもやはり地元民らしくみえた。やがて開店を告げる声があがった。トレイを手にとり、カウンターに陳列されている小鉢を端から端まで順にながめた。おふくろの手料理みたいな一品また一品だった。カウンターに沿うて移動していくとカマ焼きや天ぷら、それにとれたての魚をさばいたものらしい刺身らがあった。どれもこれも信じられないほどの安価だった。これが居酒屋だったら倍、あるいは三倍四倍の値がついていてもまったくもっておかしくない。われわれのお目当てはむろんハマチの漬け丼であったが、これほどまで美味そうな料理の数々を前にしておきながらどんぶりいっぱいでおわりというのも馬鹿らしいので、おのおの好みの一品をとってシェアしようということになった。Tはハマチのあら煮をとった。大皿に山盛りになって400円かそこらという破格だった。こちらはわかさぎの天ぷらをとった。それに味噌汁を二人前。肝心のハマチの漬け丼にかんしては両者ともに大盛りを注文した(漬け丼だけがセルフではなく注文式になっていた)。席に着いてから漬け丼の運ばれてくるまでのあいだに茶をそそぎ、あら煮を電子レンジで温めた。至福の一瞬がはじまろうとしていた。いただきますをしてから早速わかさぎの天ぷらに頭からがぶりと食いついた。美味かった。冷めているくせにたいそうな味わいだった。次いであら煮をつまんだ。当然のことながらこちらも美味であった( なによりいくらかアラとはいえこの量でこの価格かという驚きが尾をひいていた)。味噌汁をすすった。こちらはわりあいふつうの味だった。魚を食べるにあたってはやはりどうしても赤出しが欲しくなるのだが(というか名古屋文化圏で育ったものとして味噌汁は赤出し以外に考えられない)、合わせですらない純然たる白みそ仕様だった(四国は白みそを好むのだろうか?)。そうこうするうちに丼が運ばれてきた。ぷりっぷりのハマチの刺身がご飯のうえにしきならべられているのに刻み海苔がちらされ中央には生卵がひとつ落とされていた。まずひとくちハマチの刺身だけをかっ喰らった。死ぬほど美味かった。味噌汁を口に含み、さらに一口また一口とかっ喰らった。丼の中央に落とされてあった生卵を崩してからは、ほとんど口もきかずに黙々と、というかガシガシと食い続けた。天ぷらを食いつくし、あら煮をついばみ、味噌汁をのみほした。丼の具をすべてたいらげてあとはご飯三口分ほどとなったところで、少なくともこちらには大皿いっぱいに盛られたあら煮の残りを完食できるだけの余裕など到底ないことに気がついた。残りはすべて鉄の胃袋をもつTにまかせることにして、こちらはすでに若干戦場跡のような惨状をていしているようにもみえる丼の残りものだけを片付けてごちそうさまといくべきだろうと、腹の張り具合からそう判断した。判断したところで、きた。ん? と思った。これはひょっとして、と疑った。疑うそばからまたきた。気のせいではなかった。これは一時的なものではどうやらないらしい、だんだんと周期をせばめつつやってくるようなそんな気が、と考えているうちにもまたきた。おもわず、やばいかも、と洩らした。怪訝そうな顔つきでこちらに目をやるTにむけて、ちょっとこれやばい、気持ち悪い、気絶のパターンかも、と続けるこちらの脳裡ではすでに疑念は確信へと鋳直されていた。そこからはよくおぼえていない。激烈というほかない吐き気の襲来にそなえてひとまずキャスケットを脱ぎさり眼鏡をはずし、目の前の食い残しをテーブルの片端によせて顔をふせた。ほどなくして脂汗が全身からにじみではじめた。するとそこからは早かった。生きているのが苦痛でしかたのなくなるほどの強烈な吐き気、悪心、不快感、それにめまいが加わった。いまがどこにあるのかわからない混乱と混沌の万華鏡のめまぐるしい回転の渦中にあって、誠実なまでに執拗な吐き気だけがただただゆるぎなくいわば失調の北極星としてそこにあり、波打つような苦しさのなかでときおりおとずれる息継ぎの一瞬にだけ、おれはいま気絶しようとしているという俯瞰がさえわたった。息も荒く吐きながら、とにかく過ぎ去るのを待つほかなかったが、待つにしてもそもそもの時間感覚が狂っている。気をぬけばいまここの自明すら喪失しかねない浮遊感のなかでもみくちゃにされているこちらの故障した感覚からすれば、顔をふせてからほんの数秒後のことに思えたが、あとでTにきいてみたところじっさいは数分はあったという不透明ないっときののち、おいだいじょうぶかとゆさぶられる肩があった。ゆさぶらないでくれと強く思いながらそれを口にすることもできず、ただなんとかして顔をあげてみせたが、Tによるとそのときこちらの目は完全にイってしまっておりどこにも焦点が結ばれていなかったという。顔面蒼白で顔中汗だらけである。いったいどうすればいいのか対処に困っているTをまえにして、便所に行くと告げた。告げはしたものの食堂をぬけて公衆便所まで歩いてたどれる気がしなかった。だからといってこのままテーブルに突っ伏しているだけではなにも回復しない。とにかく変化をまねきよせなければならない。そうしてその変化にたいして身体がどのような反応をとるのかを調査し、じぶんがいまいったいどのような種類の不調にあるのか見極めなければならない。それになによりいつでも吐くことのできる状況に身をおいておいたほうが安全だ。すくなくとも食堂にいてはならない。そういう考えからどうにかこうにかして席を立ってみせた。立った瞬間やはりこれは無理だろうと思った。まともに歩けそうにない。でも歩かないわけにはいかない。なんたることだ! 荷物を置き去りにしたままふらふらと歩みだし、食堂に設置されたテーブルや手すりをつたいながら建物の入り口にむけて道のりをたどりはじめると、だんだんと視界がちらつきせばまり、画素数のいちじるしく低下していくのがわかった。ブラックアウトもホワイトアウトも過去に体験したことはある。しかしこのとき体験するにいたったのはグレーアウトであった。というかそんな語あるのかよとおもっていま検索してみたところブラックにせよホワイトにせよグレーにせよどうもこれらの語の正確な定義とじぶんのそれが食い違っているみたいでどうしたものかと思うのだけれども、そんなのはまあどうでもいい、要するに色の問題だ、目の前が真っ暗になるか、真っ白になるか、それとも(こんな表現が許されるのであれば)真っ灰色になるかの違いである。もともと立ちくらみのけっこうひどい体質で、長時間書き物をしていてたちあがると目の前がくらっとなってあわてて柱につかまるとか壁にもたれるとかあるいは畳や布団のうえに倒れこむとか、起き抜けなんかにも似たようなことはあってわりあい頻繁であるというかほぼ毎日なのだけれど、そういうときはただ視野がふにゃふにゃに、それこそバキの世界で猛者と猛者が対峙したときに空間がぐにゃりと変形するあれみたいな感じになってゆるく回転しそれに応じてよろめきたおれるみたいな、そういうのがいちばん身近なこの手の体験であるのだけれど、しかしこの場合はじっさいに失神するところまでいくことはないし吐き気をおぼえることも滅多にない。今度のはそれとはまったくの別物で、たとえば図書館やレンタルビデオ屋で本やDVDを物色するのにしゃがみこんで陳列棚の下段をあさっていてしばらく、次にとなりの棚の最上段へと目をうつすために足をのばすと視界が一気に白く遠ざかっていっていっしゅん気が遠くなりそうになる、まるで真正面から強烈なライトを浴びせられたかのように視界が真っ白になってその真っ白のところどころに銀色の光がチカチカまたたいて平衡をたもっていられなくなる、そういうこともやはりまたわりと頻繁にあるのだけれど、それのもっとずっとやばくて強烈で長時間にわたる視野の失調が今回のもので、ここで倒れたらだめだここで倒れたらだめだと気こそ張っているとはいえ一歩すすむごとにみるみるうちに視界が白く遠ざかりせばまっていって、足取りもまたガンガンに酩酊したときのようにおぼつかなくそんなつもりなどないのに身体は壁にぶつかるし両手はぶらぶらと揺れるし、もちろんその間吐き気はといえばおさまるどころか蓄積されてつのるばかりの尋常ならぬ苦しさで、せめて外で吐こう、芝生で倒れようとなぜか強迫観念のようにそればかり考えてどうにか食堂をぬけたのだけれど、そこから土産物の陳列されてあるコーナーをぬけて自動ドアを経由しおもてにでるまでのわずか数メートルのあいだ、ついに視界が完全にきかなくなるという未踏の域にさしかかることになった。真っ黒に遮蔽されたわけでもなければ真っ白に遠のいたわけでもなく、ただ灰色にのっぺりと塗りこめられただけの視界、妖怪ぬりかべに顔面をめりこませてでもいるかのように近くて厚くて奥行きのないべた塗りの灰色がそこにあって、あまりにも無機質で均質な灰色であるそのためにほとんどデジタルな質感さえおぼえたのだけれど、たとえばペイントでもイラストレーターでもフォトショップでもギンプでもいいのだけれどそれらのソフトを用いて灰色で画面一色をべた塗りしてみせたそのような灰色、そのような灰色によって完全に視界が奪われてしまい、なにかとてつもなくやばい事態がいまじぶんの身体におこっていると思った。思いながらも建物の外へと気ばかりが急いて、けれどそもそもの視界がきかないのだからどこに足をすすめればいいのかまったくもってわからない。なんとなくこちらのほうに入り口があったはずだとおもわれる方向にむけて歩みを進めていくそのそばからこちらの身体にぶつかってフロアに落下する物産の感触があったりもするのだけれどとてもかまっていられない、ただただ両手をキョンシーのように前にさしだしながら杖をなくした盲人のように歩いていると右手の指先につめたいものが触れて、それが自動ドアのガラスであることに気づいたのでたちどまり、その表面を指先でなぞっていくとふいにとぎれて宙を切る。ここだと思った。外につながってひらかれてあるらしいその宙にむけておそるおそる歩みをかさねていくと、すずしい外気の吹き込みが脂汗でひっついた前髪と額をはがしにかかる快さがあり、と同時に鮮度のよいその空気によって厚く上塗りされていた灰色の絵の具がぼろぼろとはがれ落ちていくようにして次第に視界のひらけていく感じがし、たとえばYouTubeなんかで試聴中の映像がPCの不具合からか回線の重さからかとにかくバグって灰色っぽく崩れることがあると思うけれどもそのときたいてい画面上には灰色のべた塗りだけではなく赤とも青とも緑とも黄色ともつかぬ糸くずのような線描がちらちらしている、ちょうどそんな具合にこちらの視界でもやはりまたちらちらする光の三原色めいた線描がはがれ落ちていく灰色のむこうがわでのたうちまわるみみずのように動きだし走りつつあって、どうやら峠は越えたらしい、灰色だったはずの視界もちょうど自動ドアをぬけて建物のおもてにはっきりと身をおいたあたりからしだいに白く薄らぎはじめ、まもなく激しい逆光のために画面の大半が白飛びした写真のような視界のなかに身をおくことになったのだけれども、そのような光かがやくまぶしい白さのなかにあっても例の線描だけはしぶとく残っていて、それが芝生と石畳の境界線、芝生につきささった毒キノコに注意の看板、ぜんぜんよいとはおもえない石の彫刻作品の輪郭線をなぞっているらしいことに気づいたところで、ああ大丈夫だ、たぶんあとはもう回復する一方だと、先におぼえた安堵の予感が確信に更新され、まだまだまともに機能していない視界と平衡感覚のなかでそれでもおおいに安堵した。歩くにつれてしだいに白飛びした世界のなかに色彩が復調していき、どうにかして公衆便所のそばにまでたどりついたときには吐き気もまたおさまりつつあった。公衆便所の入り口付近にあった縁石に尻餅をついて腰かけてはあはあと肩で息をしているとだんだんと汗のひいていく感じがあっていれちがいに寒気がたちはじめ、もう大丈夫だ、これでもう地獄はおわりだと、そのようにして回復の道のりを内向きのまなざしで慎重に見守っているところに頭上からかかる声があり、見あげれば老年の女性二人組だった。どういう表情をかたちづくるべきなのかわからず戸惑っているような顔つきを浮かべながらこちらをのぞきこむがいなや、開口一番、救急車を呼んだほうがいいかとあった。いやもうだいじょうぶです、さっきまでちょっとえらいしんどかったんすけど、もうおさまりましたから、ときどきあることだなんです、とあわてて応じると、ものすごくふらふらになって歩いているし顔色は真っ青だし大丈夫なのだろうかと遠目に心配していたのだとあって、いまだってやっぱりたいへんな顔色をしている、やはり救急車を呼んだほうがいいんでないかと念押ししてみせる。いや峠は越したんでだいじょうぶです、ちょくちょくあることですから、ほんとだいじょうぶなんで、と、そう応じながらも、こんなことがちょくちょくあってはたまったもんじゃないなと思った。
 もうたちあがってもだいじょうぶだろうとおもわれたところでトイレにいき鏡を見てみると真っ青どころではない真っ白な、血の気のない表情といえばまさしくこれだろうという蝋人形のような血色のわるさに出くわした。悪い夢のようだった。クインケ浮腫のせいでくちびるが信じられないほど腫れあがっているのを起き抜けの洗面台で認めた数年前、生まれてはじめて「これは夢ではないのか?」というほとんど慣用句と化してあるおきまりのフレーズを強烈なリアリティをともなって内心つぶやいたことがあったのだが、そのときとよく似た信じられなさをおぼえた。たとえば街を歩いていてたまたますれちがったひとがこの顔色だったら確実に二度見するだろうとおもわれる、そういうありえなさ、ありえない顔色だったのだ。

 ここを読んでいて、迷走神経反射に見舞われたのはこのときがはじめてじゃなかったことを思いだした。最初はアレか、W荘時代か。出勤前に共用便所の流しで歯磨きしている最中に視界がぐるぐる回転しはじめてそのまま気絶し額を割ったときか。おなじ階の住人に、だいじょうぶですか! だいじょうぶですか! あたまから血が出てます! と起こされたところまではいいのだが、朦朧とするあたまで、うーん、だいじょうぶです、みたいな受け答えをしたところ、ごめんなさい! ぼく期末試験があるんで! 行きますね! とその場にぶっ倒れた状態のまま去られてしまって、やっぱり家賃が一万円台のアパートに住んどる人間なんてエコフード毎晩食っとるおれ含めてカスばっかやなと思ったのだった。
 読み返しのすんだところで、TにLINEを送った。十年前の今日なにがあったか? とクイズ形式で問うたところ、「俺がフィリピン行く直前やろ?山田屋でも行ってんちゃう?」「漬け丼で気絶か!?笑」とマジですぐに返信があったので、なんやこいつきもちわる! なんで日記も書いとらんののにそんなすぐわかんねん! となった。肋骨の状態をたずねたところ、痛みは強度の筋肉痛程度だという。こちらの謎の気絶癖についに迷走神経反射なる回答があたえられた(かもしれない)件について報告すると、Tも最近めまいでぶっ倒れて吐いたことがあるという。事故の後遺症ちゃうやろなというと、ぶっ倒れたのは事故の前だ、事故のあとにMRIを撮って異常なしと出ているから問題ないとのこと。そりゃよかった。

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は0時前だった。途中、二年生のR.Kさんから微信。教科書に掲載されているものだろうか、『ごんぎつね』本文にある「雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました」という一文の「はい」がわからないというので、「這い出る(はいでる)」でひとつの動詞であると解説。
 寝込んでいるあいだはろくに本を読むこともできない。当然小説について考える余裕もない。それでうなされるほどしんどいわけでもないが、だからといってあたまがまわるというわけでもない、そんな煉獄的に気だるく退屈なひとときはおのずと物思いにふけってやり過ごすしかなくなるわけだが、そういうひとときのあいだ、うちの日本語学科が仮に閉鎖になったらどうしようかなということを何度か考えた。ちょくちょく書いていることだが、来年から新入生の受付を停止しますという通知があったとしてもこちらはまったく驚かない、それくらい状況は悪い(しかもこの状況の悪さはどうやら中国全土に共通の模様、中国の大学の日本語学科はこれから閉鎖ラッシュが続くに違いない)。ただ、あれは今学期ではなく先学期のことだったか、Lからきいた裏事情によれば、大学入学者数の年々増加し続けているこの社会で新入生を受け入れるためのパイがそもそも足りないという問題がある、だからといって経済状況が悪化しており雇用状況のよくない現状高考に失敗した若者をそのまま社会に出すことに政府も抵抗がある、しかるがゆえに暫定的な対策として不人気学科の定員数を増加してとりあえずそこに高考のスコアがあまりよろしくなかった学生を押し込むという政策が、少なくともうちの大学ではとられており、それゆえに就職率が芸術学院の学生に続くワースト二位である外国語学院日本語学科の新入生数が去年それまでと比較して倍増したという流れがあり、そこだけきりとってみればもうしばらくは閉鎖するということもなさそうであるのだけれど(Lもそう言っていた)、でもそれも本当に暫定的な処置にすぎないんではないかという印象をこちらはやっぱり受けるし、そういう処置の結果として日本語学科にやってきた学生たちは当然モチベーションも低いのでこちらも授業をするのがちょくちょく嫌になる。ま、それは「銭儲けは銭儲け」(Jさん)と割り切ってやればいいだけなのかもしれんが、ただ今回つらつらと考えている最中に思ったのは、以前であれば(…)の日本語学科が閉鎖となった場合、日本に本帰国するよりもほかの大学に移る可能性のほうが高かったのが、いまは逆転してしまっているかもしれないということで、それはもちろん国際情勢のきな臭さが第一の理由としてあるわけだが、それと同じくらいに、三年生のC.Sさんじゃないけれども、「あたまを使わない仕事」にもどりたいなァというアレもちょっとある。いや、セルビデオ店の店員もラブホのフロントやメイクも、それぞれ固有のあたまの使い方がもとめられることにちがいはないのだが、そういう厳密さは置いておいて、多数の人間を相手どってあれこれするのもいいかげんわずらしくなってきたのだ。それにくわえて、もうあと一年半で四十路になるわけであるし、残りの人生はなるべくいろいろなバイトをとっかえひっかえ経験しながら生きたほうがおもしろいんではないかというあたまもあり、これはもちろん先日の日記にも記したとおり、小説の「モデル」採集も兼ねた展望であるのだが、それでいえば、これは昨日であったか一昨日であったか、ふと、空港や港で働くのもおもしろそうだなと思い、なんとなくググってみたところ、停泊中のフェリーの掃除およびベッドメイキングみたいなバイトの募集が出ていて、うわ! めっちゃおもろそうやん! 物語の予感ぷんぷんするやんけ! となった。それでますます本帰国願望があおられたのだった。
 ベッドに移動後、川勝徳重がTwitterで紹介していた『豪雨を待つ』(えさしか)を読んだ(https://to-ti.in/product/go-u)。おもしろかった。おもしろかったけれど、SF的なオチ(回収)はなかったほうが、つまり、ひろがりをひろがりのまま丸投げして終えたほうが、少なくともこちらにとってはずっと魅力的な作品になっていただろうなと思った。
 『センスの哲学』(千葉雅也)も最後まで読んだ。予測誤差の話が出てきた。『予測する心』(ヤコブ・ホーヴィ)はずいぶん前に買ったし、中国にも持ってきているのだが、いまだに積読のままだ。あとはやっぱり全体的にラカン派の考え方が骨子をなしているよなと思う。「足りなさ」ベースで考えるのではなく「余り」ベースで考えるようにせよと発想の転換をうながすところなんて、前・中期ラカンから後期ラカンの理論的変遷を応用しているわけで、実際のところ、後期ラカンの理論をこんなふうにガンガン「使用」しているひとって千葉雅也くらいしかいないんではないかと思う。前・中期ラカン理論の「使用」は文学界隈でほとんどクリシェみたいになっている一方で、後期ラカン理論はその理論の研究や解説は専門家の手ですすめられているのだろうけれども、前・中期ラカン理論が(ときに大きな誤りを犯しながらも)そうされているようにはまったく「使用」されていないという印象をこちらは有しており、それはその理論が端的に使いにくい(他領域に越境させてアナロジカルに発展させるのが容易ではない)ということでもあるように思うのだが、『勉強の哲学』も『センスの哲学』も、入門書の体裁でありながらその後期ラカン理論をまぎれもなく「使用」している。
 全然眠気がおとずれなかったので、そのまま『Katherine Mansfield and Virginia Woolf (Katherine Mansfield Studies)』(Christine Froula, Gerri Kimber, Todd Martin)もちょっとだけ読んだ。以下のくだりでさっそくじんわりと感動してしまう。

‘You are the only woman with whom I long to talk work. There will never be another’, Mansfield declared in her last letter to Woolf. After her death, Woolf echoed, ‘Probably we had something in common which I shall never find in anyone else’; ‘K. & I had our relationship; & never again shall I have one like it.’