20240409

 作者体調不良により、「カナビスMの『失われたパケを求めて』」第14回はお休みさせていただきます。ご了承ください。



 朝方、ぶっ倒れた。6時ごろだったろうか、一度目が覚めたので白湯だかポカリだかを飲んだのち、もう少しだけ眠っておいたほうがいいかなとベッドにもぐりこんだあと、気絶直前に特有の吐き気のきざし、全身の毛穴という毛穴がひらいて脂汗がにじみだす直前のじわりとした感じに見舞われたのだった。経験的にこの前兆が一度おとずれたらあとはどう抵抗しても無駄、むしろ下手に抵抗などせずにさっさと胃液を吐き出すなり下痢を垂れ流すなりしたほうがいいとわかっていたので、とりあえずベッドからおりた。で、フローリングに直接ひざをついて四つん這いになり、せりあがる横隔膜の動きにうながれるがまま、なにも出ないとわかっているのだがそれでも口をおおきくひらいて、ゲボッ! ゲボッ! とやった。直前に白湯を飲んでいたので、めずらしく胃液が多めに出た。いつものパターンであれば、吐き気の衝動こそおとずれるものの実際にはなにも吐きだすことなく終わり、代わりにその後便意に見舞われるのだったが、今日はその便意もなかった。全身に脂汗を掻いて服がベタベタになっていたので、すぐに着替えた。いちいち確認していないが、顔色も真っ青になっていたはずだ。
 それで一気に楽になった。口をすすぎ、もう一度白湯を飲み、ベッドにもどってから、それにしてもこいつの原因はいったいなんなんだろうと思った。はじめてこの症状に見舞われたのはTと香川旅行に出かけたとき、道の駅で食事をとった直後のことと記憶しているが、あれは徹夜でドライブしており睡眠時間も短く、それにくわえて道の駅内の食堂がオープンするまでのひとときを雲梯などして過ごした、その結果として見舞われたものだったんではないかと思う。その一件をきっかけに、こちらは年に一度か二度、こうした吐き気+脂汗(+下痢+視界不良)に見舞われることがあり、最近だったらゼロコロナ政策まっただなか、上海のホテルでの二週間にわたる隔離を終えたのち空港でひと晩過ごすはめになった、その翌朝早朝の搭乗口で見舞われたのだったし、それ以前となるといつだろう? ずいぶんむかしまでさかのぼってしまうが、コロナ以前、(…)での授業を終えて(…)にもどるバスの車内でやっぱりこの症状に見舞われたのだったが、あのときはたしか期末試験の時期で午後いっぱいをつかって補講をすべてこなした帰りだった、朝からろくに食事をとっておらずそのせいで——と書いたところで思ったのだが、空港で一晩過ごしたときもやっぱり激烈に空腹だったし、香川をおとずれたときもやっぱり空腹だったのではないか? ということは寝不足のみならず空腹もまたこの症状のトリガーになっているということだろうか? 実際、毎回強烈な吐き気に見舞われるのだが、胃液以外のなにかを吐いた覚えは一度もない、つまり、この症状に見舞われるときだいたい胃袋は空っぽなのだ。
 はじめてこの症状に見舞われたときはなにかおそろしい病気に関係するアレだったりするのだろうかと心配になっていろいろググってみたわけだが、メニエール病低血糖も迷走神経反射もどれもぴたりとこないなァという感じだった、しかし今日ひさしぶりにググってみたところ、いやこれ迷走神経反射やわ、確実にこれやわとなった。以下、「ユビー 病気のQ&A」というウェブサイトより。

迷走神経反射とは、様々な要因(ストレスや注射などのきっかけ)によって副交感神経が活発になることで、血圧の低下や脈拍の減少などを生じる病気です。一時的に脳への血流が落ち、失神や気分不快、血の気が引くような感じといった症状の原因となります。

以下のような症状が生じることがあります。

  • 失神(最もよくある失神の原因が迷走神経反射であるとされています)
  • 気分不快
  • 発汗、冷や汗
  • 視野異常(視界がかすむ、視野が狭くなる)
  • 周囲の音が聞こえなくなる(隔絶感)
  • 胃のムカムカ感、腹痛
  • 脱力感、ふらふら感
  • もうろうとする

以下のようなことが迷走神経反射の原因として挙げられます。

  • 長時間にわたる立ちっぱなし・座りっぱなし
  • 不眠、疲労、恐怖、緊張、痛み等の精神的・肉体的ストレス
  • 静脈穿刺(注射)
  • 排便、排尿
  • 人混みや閉鎖空間などの環境要因
  • 飲酒
  • 薬剤(血管拡張剤や利尿剤)

 あと、ほかのページでは原因として「空腹」「脱水」もあげられていたし、今朝のケースでいえば「空腹」「脱水」「長時間にわたるおなじ姿勢」あたりがたぶん原因だったんではないかと思われる。
 二度寝して、次に目が覚めたのが何時であったか、もはや忘れてしまったわけであるけれども、熱はいまだに少し残っていて、こんなにしつこい発熱やっぱりふつうの風邪じゃない。第五食堂に出向くのもしんどかったので、冷食の餃子を茹でて食い、そのあと薬を服用してまた寝床に移動し、といってもここ数日のように寝床に横たわれば自動的に就寝というほどの疲労を今日は感じていなかったし、なによりほぼ終日横たわっている日々が続いているせいで背中や腰が痛くてたまらなかったから、軽く休憩するにとどめよう——そういうつもりだったのだが、なんとなくYouTubeにあがっていた谷崎潤一郎「刺青」の朗読音源をスマホから流して目をつむってみたところ即落ち、はっとして目覚めると時刻は14時半だった。
 体調はだいぶよくなったと思う。明日の授業はなんとかなるかなという気がしないでもないのだが、いやもうここまできたのだったら明日もお休みでいいんじゃないか、なんだったら明後日もお休みでいいのでは? というあたまもある。というかこれを書いているいまは薬ががっつり効いているので、こうしてデスクにむかってパソコンをカタカタすることもできるわけだが、問題はこの薬の効果の切れ目なのだ(などという表現を用いていると、別方面の薬をどうしたって連想してしまう)。
 動けるうちに動いておきましょうというわけで、昼寝から覚めたあとはデスクにむかい、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返した。以下、2014年4月9日づけの記事より。

 私はいつも、映像をつくる人たちは音楽を必要としているのに、音楽家は映像を必要としていないという事実を、不思議なことと……おもしろいことと思ってきました。私はよく、アメリカ映画でであれ心理的映画でであれ、あるいは戦争シーンでであれラヴ・シーンでであれ、音楽が聞こえてくると、カメラがパンなり移動なりによってオーケストラをとらえてくれないものかと思ったものです。そしてしばらくして、カメラにまたもとの場面にもどってもらうわけです。つまり、映像を見る必要のない個所では、音楽は映像からバトンを受け取り、なにか別のものを表現することもできるはずだということです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

 『カルメンという名の女』にまさにこんなシーンがなかったっけ? と思ったが、もうずっとむかしの記憶なのでよくおぼえていない。

 (…)すべてのものが動きを止めてしまうような重大な社会的出来事に際しては、多くの人が、明るい光のもとで自分をよりよく見つめたり、ものごとを観察するための時間を獲得したりすることができるのです。私が六八年五月のパリのことでよくおぼえているのは、通りを歩く人たちの足音が聞こえてきたときのことです。ガソリンが品切れになったために、みんなが歩かなければならなくなり、その足音が聞こえてきたのです。あれはまさに異様な感じでした。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

 このくだりを読んでふと、世界中でロックダウンが実施されていたコロナ元年、飛行機が飛ばなくなったり外出するひとびとが少なくなったりしたおかげで(つまり、世界が過去数十年もっとも「静か」になったおかげで)、フィールド・レコーディング界隈が局地的に盛りあがっていたのを思いだした。世界各地でレコーディングされたそれらの音源を自由に聴くことのできるウェブサイトもあり、ブラウザに表示された世界地図上をクリック=拡大していった先に表示される都市名ごとにタグ付けされた音源すべてが無料で公開されていたあのサイトはなんという名前だっけ? 忘れてしまったが、実家でオンライン授業をやっていたあの期間中、けっこう楽しんで聴取していた記憶がある。そもそもあれはコロナにあわせて発足されたプロジェクトみたいなもんだったのだろうか?

 あと、ひとつ書き忘れていたが、2014年4月9日はほかでもない、こちらがTとふたりで香川旅行に出かけた日らしかった。夜通し車を走らせて香川県内の道の駅まで移動、そのまま車中泊をしたと記録されているので、はじめての「迷走神経反射」でぶっ倒れたのは翌日10日ということになるのだろう。日記の読み返しをおこなっているとこうしたシンクロがたびたび生じるのがおもしろい。
 第五食堂で夕飯を打包。食堂前の駐輪スペースにコロナワクチン接種の立て看板が出ていた。やっぱりそこそこ流行中だったりするんだろうか? 食後はまた寝床で居眠りしたが、これまでのように何時間も眠り続けるのではなく、数十分でおのずと目が覚めた。つまり、身体が自然と(健康時の)「仮眠」に眠りをとどめてくれた。体温計で測ってみるかぎり、熱はまだいくらかあるようだが、体感としては今日一日でぐっと楽になったように思う。代わりに、薬を飲めない日が続いたからだろう、花粉症の症状のほうが悪化しつつある。
 本調子とはいえないので明日の授業も休もうと思い、一年生2班のグループチャットに休講の通知を送った。シャワーを浴びたのち、風邪薬はもう服用しなくてもだいじょうぶだろうと思われたので、花粉症の薬の服用を再開することにしたが、とはいえ夜中にもしかしたらまた熱がぶりかえす可能性もなくはない。それなので一日一錠服用となっている錠剤を中華包丁で真っ二つにしてその半分だけを服用することにした。これだったら夜中にどうしても解熱剤(風邪薬)を服用したくなったとしても、それほど副作用は生じないはず。錠剤を半分に割るなんてずいぶんひさしぶりだなと思った。(…)や(…)のお供にデパスを使っていたとき以来だ。
 卒業生で現在は大学院にいるS.Kさんから微信がとどく。修士論文の添削をしてもらえないかという依頼だったが、例によって締め切りまでに時間がない、15日までに指導教官に提出しなければならないという。毎回毎回本当に心の底から思うのだが、どうしてそう急な依頼をよこすのか? 時間に余裕をもって行動するとか、実際に依頼をする前に相手の予定に空きがあるかどうか確認するとか、そういうちょっとした一手間をなぜこなすことができないのか? 15日に提出する必要があるというのだったら、13日までにこちらが添削→14日に彼女自身がもういちど内容をチェック→15日に提出という流れにおおよそなるわけで、とすると実質こちらにあたえられた猶予は三、四日間しかない。文法に大きな問題があると指導教官に言われた、このままでは卒業できないかもしれないというのだが、こちらはそもそも病に伏せっている状態であるわけで、そのように正直に伝えたところ、締め切りまでにどうにかしてくれればいいというような返事があって、いやいやちょっといい加減にしてくださいとなる。それで、体調が悪いので明日の授業も明後日の授業もおそらく欠席することになること、週末は伏せているあいだに放りっぱなしだった授業準備を進めなければならないこと、場合によっては補講を行う必要もあるかもしれないことなどをあらためて説明し、そのような状態であるから15日までに仕上げると安請け合いすることはできない、ほかの人間にあたってほしいと率直に伝えた。S.KさんはM先生にきいてみますといった。
 体調はほぼ元通りになったものと思っていたが、デスクにむかってカタカタしているうちに、またちょっと寒気が出てきた。本当にしつこい。この熱のぶりかえっしぷりは異常だ。やっぱりコロナなんだろうか? 大事をとって寝床に移動したが、さすがに眠気は遠かった。いちばんしんどい時期は横になると同時に眠りに落ちていた、何時間、何十時間でも眠れそうないきおいだったわけだから、その点を考慮すると回復していることは疑いないのだが、回復のバロメーターというとこの睡眠時間のほかに性欲というのがわかりやすくあって、簡単にいえば、体調不良時にはむらむらすることなんてまったくないし朝勃ちもいっさいしない、不安障害であたまがおかしくなっていた時期なんて数ヶ月単位で勃起することがなかったし、回復してひさしぶりに朝勃ちしていることに気づいたときはアルコールの抜けた中島らもみたいにびっくり仰天したわけだが、その性欲はいまだに回復していない。煩悩にまみれずにすむのはたいそう過ごしやすいし、もう一生このままでもいいんだがと思いもするわけだが、回復のバロメーターとしてチンコの具合を参照する癖がついてしまっている現状、そろそろ朝勃ちしてくれないかな、回復の確信をいい加減に与えてほしいなァというアレもなくはない。しかしおそらくこの分だと明日からは通常生活を送ることができるんじゃないか? 授業は明後日から復帰するか? しかし明後日は2コマ続けての日であるし、体力がもつかどうかあやしいので、明後日もやっぱりお休みにしちまって、金曜日から復帰するというのがベターか。鼻詰まりがひどくなっていたので、マスクを装着したまま就寝。