20240411

 作者体調不良により、本日の「レプティリアンMのアイアムゴム人間」初回はお休みさせていただきます。ご了承ください。



 11時起床。きのうは寝たのが6時をまわっていたと思うのだが、全然眠気がなかった、自然とこの時間に目が覚めた。睡眠中も鼻詰まりのせいで息が苦しかったり、汗だくになったり、何度か目を覚ましており、だから全然熟睡などできていないはずなのに、やっぱり眠くない。たぶんここ数日、本当にアホみたいに眠り続けていたせいで、もう身体が睡眠をさほど欲していないのだと思う。体温を測ってみたらやっぱり37度。でもその自覚は全然ない。自律神経失調症で謎の微熱が数ヶ月間にわたって続いた十数年前、当時の日記に毎日のように書きつけていた伝説のフレーズ「微熱の王」の再来だ!
 三年生のR.Kくんから微信。「日本で結婚式に出席するときは、礼金を相手の口座に振り込むのが一般的ですか」と。ご祝儀のことなんだろうが、口座に振り込むなんて話は聞いたことがないので、祝儀袋に包んで渡すのが普通だと答える。先生も西安に行きましたか? とあったので、S先生やK先生がなんらかの用事で西安をおとずれているという話は以前二年生のO.Sさんからきいたわけだが、今日こちらの授業が休講になったのもこちらがその用事に参加してのことだと勘違いしているのだなと察し、そうではない、体調不良で寝込んでいるだけだと返信。
 歯磨きをする。白湯を飲んでみる。あ、甘みが消えている……! 甘露モードはたった一日かぎりのボーナスデーだったのか? 街着に着替えて外に出る。文具屋でゴミ袋を買い、パン屋でパンを買い、第五食堂の一階で炒面を打包する。味覚と嗅覚、やっぱりかなり衰えている。前回コロナになったときはマジで両方とも0%まで低下したが、今回は10〜15%まで低下している感じ。香水の容器に鼻を近づけたらにおいはかぎとれるし、食事も味の大雑把な傾向くらいならわかる。あと、これはきのうからちょくちょくあった症状なのだが、状況を問わず不意に、マヨネーズみたいなマスタードみたいなにおいがすることがある。
 食後、あんまり香りの感じられないコーヒーをたてつづけに飲みながら、きのうづけの記事の続きを書いた。投稿し、ウェブ各所を巡回。Sさんがブログでアルノー・デプレシャンに言及しているのをみて、ひさしぶりに作品を観たくなった。『二十歳の死』は実家にDVDがあるはず。あれを下敷きにした小説を書くという計画もかれこれ15年ほど前からある。
 1年前と10年前の記事の読み返し。以下は2022年4月11日づけの記事より。何度読んでもすばらしい。こんなにシンプルに風景をたちあげることができるのかと惚れ惚れとする。

海の静かさは山から来る。町の後ろの山へ廻った陽がその影を徐々に海へ拡げてゆく。町も磯も今は休息のなかにある。その色はだんだん遠く海を染め分けてゆく。沖へ出てゆく漁船がその影の領分のなかから、日向のなかへ出て行くのをじっと待っているのも楽しみなものだ。オレンジの混った弱い日光がさっと船を漁師を染める。見ている自分もほーっと染まる。
梶井基次郎「海 断片」)

 以下は2011年4月11日づけの記事より。

たぶんわたしは最初から、無頓着な筆づかいを恐れる心が足りなかった――いまだにそうだ――オウムもどきの繰り返し――陳腐な言いまわしや平凡な表現も気にしなかった。おそらくわたしは、こういう配慮をするには少々民衆的(デモクラティック)にすぎるのだ。
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(下)』より「追補第二への序の言葉」)

 文をものするにあたって「無頓着な筆づかい」や「陳腐な言いまわしや平凡な表現」を気にしないみずからのスタイルを「民衆的(デモクラティック)」とするのはなかなか筋が通っていてかっこいい。

 分離戦争のとき、一八六三年から四年にかけて、ワシントンに点在する陸軍病院を訪れているうちに、日の暮れがた引き潮か満ち潮が始まると、苦しんでいる患者たちが当時大勢はいっていた病棟を、いつもきちょうめんに訪れる習慣ができて、それが終わりまでつづいた。なぜか(それともわたしの気のせいか)その時刻の効目は歴然としていた。重傷者もある程度は楽になり、話したい、話しかけられたいと、少しは思うようになった。知的な性質の人も、感情的な性質の人も、それぞれに最高の状態になり、死はいつも何かもっと楽なものになり、薬はその時刻に与えられると効目を増すように思え、なごやかな雰囲気が病棟中に広がったものだ。
 激戦が終わって日が暮れると、いろいろと恐ろしいことがあったのに、同様の影響、同様の状況と時間が訪れる。わたしは倒れた者、死んだ者たちに覆われた戦場でも、一度ならず同じ経験を味わった。
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(下)』原注より)

 以下は2014年4月11日づけの記事より。

 幸いなことに、私は高等映画学院の入学試験に落ちました。このことは今でもまだ、私の人生の幸運な出来事のひとつとなっています。映画の世界のなかでの私のもうひとつの幸運な出来事は、私が第二作から現在に至るまで、ずっと[興行的]失敗ばかりつづけてきたということです――私はこのことを自慢しようとしているわけじゃ少しもありません。というのも、私のような人がほかにもいればいいのにと思っているからです――。私は失敗ばかり……経済的失敗ばかりくりかえしながら生きつづけることのできた数少ない社長の一人なのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

 この日は香川旅行最終日。以下は鳴門の渦潮をはじめて見たときのこと。

 下道を延々と走った。香川から淡路島にむけて架かる橋をわたっている途中、車窓越しにのぞむことのできる海面がまるでくしゃくしゃに丸めてからふたたびひきのばした新聞紙のようにちいさな皺だらけになっていることに気がついた。あれってひょっとして鳴門のうずしおではないかと思ってTに声をかけてみると、うわなんやこれ! と驚きの声があがった。うずしおはたしか一日二回しか出現しなかったはずである。眼下のそれはうずまきのていなど全然なしてはいなかったのでおそらくはうずのくだけたあとかあるいはこれから形成されることになるかのいずれかの過渡期であるようにおもわれたが、それでもやはりふつうの海面ではぜんぜんなく、潮の流れの複雑に入り組んで狂っていることのありありと視認されるふしぎな絵模様だった。「A」の序盤でおおうずの出現するシーンを書いたけれど、うずのおさまったあとの凪というのはあるいはこういうものであったのかと、想定していたものとよく似ているようでもあれば全然ちがうようでもあるのに、そもそもイメージとして、図像として、画像として、脳内にくりひろげられたうずしおを描写するという方式で書いたわけではぜんぜんなかったことにいまさらながら気づいた。図像があってそれをなぞる言葉があるのではない。まず言葉があった。いつもそのようにして小説を書いているのがじぶんのやりかただった。言葉を尽くして言葉を描く。

 「図像があってそれをなぞる言葉があるのではない。まず言葉があった。いつもそのようにして小説を書いているのがじぶんのやりかただった。言葉を尽くして言葉を描く。」というその「じぶんのやりかた」をはじめてひっくりかえして書きはじめたのが「実弾(仮)」だ。だからじぶんもけっこう楽しみながら書けているのだと思う。おなじ小説といってもあたまのなかの全然別の領域を使って書いている気がする。
 作業中、二年生のR.Hさんから具合をたずねる微信。熱はなかなか下がらないが、明日の授業は問題ないと応じる。三年生のC.Mさんからは夕飯を差し入れしましょうかとあったが、いませっかくメシを作ってもらったところで味わうことがほとんどできないわけであるし、いちおうはまだ病人であるのだからなんであれば食べることができるかじぶんの体調と相談してじぶんで決めたいというあたまがあったので、これは断った。あと、Lにこちらから微信を送った。先学期健康診断を受けるために病院をおとずれたおり、この四月にこちらの保険が切れるので更新しなければならない、そのremindをお願いしてもいいかとたのまれていたことをおぼえていたので、その約束を果たしたかたち。Lのほうでもおぼえていたらしく、保険屋とはちょうど昨日コンタクトをとったところだという返事があった。

 第五食堂で夕飯を打包。卒業生のR.Kくんから微信。(…)大学院試の面接に合格したという。びっくりした。(…)大学というのはかなりの名門ではないかと思ったが、たぶん日本語学科のレベル自体はさほど高くないのだろう(それにくわえて日本語専攻の人気が急激に低下しているというここ数年の事情もあるはず)、現役時のときからずっと目標にしていた(…)大学には今年も受からなかったというのだが、十分だ、十分健闘したと思う。とりあえず今後は生活の拠点を上海に移し、そこでまずは仕事を探すとのこと(「仕事」というのはたぶん「バイト」のことだろう)。
 チェンマイのシャワーを浴びる。煮沸して覚ましておいた水道水を使って鼻うがいをする。コーヒーを淹れる。母からLINEがとどく。(…)川でまた新たな犬と知り合ったという写真付きの報告。ブルーマリーのボーダーコリー。名前は(…)で、生後八ヶ月。こちらが中国にもどって以降は弟がこちらに代わって(…)川へのドライブに付き添うようになっており、そのためにわざわざHやんのところの仕事も16時で上がらせてもらっているとのこと。明日の日語会話(四)を軽くシミュレーションする。
 21時から「実弾(仮)」第五稿作文のつもりだったが、開始五分でどうもチューニングの合わない感じがしたので中断し、代わりに書見することに。『新しい小説のために』(アラン・ロブ=グリエ平岡篤頼・訳)を読みはじめる。『SCIENCE FICTION』(宇多田ヒカル)を流す。
 その書見もしかし中断を余儀なくされた。学生らとの微信でのやりとりが続いたのだ。まず二年生のR.Uくんから体調を気遣う連絡があった。風邪かコロナかインフルエンザかわからんがやたらと長引いた、味覚障害と嗅覚障害があるのでコロナの可能性が高いが、体調は回復したとの実感があるので明日の授業は通常どおり実行できると受ける。R.Uくんはお見舞いを計画していたのだが、こちらに迷惑がかかるかもしれないと思ってとりやめたといった。こちらとしてもお見舞いに来てもらった結果、学生らに病気をうつしてしまうという展開がいちばんしんどいので、そういうのは必要ない。寝こんでいるあいだの話になる。いろいろ考えごとをしていたよというと、「先生は何を考えたんですか」「僕も、人生は一体何をすべきとか、どう過ぎるとか結構考えたんです。こんな年頃だけどね(w)」「なかなか分からないです」「それどころか、大学1年の時、ずっと人生を無意味だと思っていた。何もやりたくなくなった。」とあったので、残された時間であとどれだけ小説が書けるか、そろそろ日本に本帰国するべきじゃないか、この仕事をするまえにそうしていたようにまた極貧暮らしをしながら読み書きに集中するべきではないか、そういうことを考える時間がけっこうあったよと受ける。R.Uくんは「考えば考えほど人生は無意味だと確信します」「そして、何もやりたくない。当然、何もかも『無』に帰るでしょう」「宇宙の大きさと自分の小さい」「やる気全然なくなったよ、あの時」といった。気持ちはわかる。じぶんがどれほどすばらしい小説を書きあげたところで、それは最長でも人類の文明の終わりとともに消えさえることを運命づけられているのであり、巨視的にみれば無意味でしかない——そんなふうな認知の罠にかかってしまった経験はこちらにもある。でもそれは「宇宙」を基準に考えているからそうなってしまうのであって、「じぶんの生」をいったん中心に据えてみることである程度相対化できる妄念でしかないのではないか。R.Uくんは一年生のときに『涼宮ハルヒの憂鬱』のアニメをみてこうした考えから解放されることができたといった。動画の一部が送られてきたので再生してみたが、早送りになっていたのでセリフこそしっかり聞きとれなかったものの、ハルヒが幼少時代東京ドームかどこかにいってその会場にいる客の数が全部で何万人で日本の人口は一億何千万人だからその客の数の何百倍何千倍でじぶんはその中の一人でみたいなことを語っているシーンだった。「ニーバーの祈り」は知っているかとたずねると、知らないという返事があったので、ちょうど三年生の授業で使う予定だったこともあるし、「ニーバーの祈り」を引いている「卒業生への手紙(2019年)」のPDFを送った。
 (…)大学の面々を含むグループチャット上では、こちらが寝込んでいるあいだにMさんがポテトチップスの話題をふってくれていたわけだが、うちの学生らがろくに返信をしないままやりとりがとだえていたので、それに対して中国ではきゅうり味のポテトチップスというめずらしいやつがあるよと夕方に一度介入をしておいたのだが、というかK.KさんとC.Rさんが付き合った結果Mさんふくむ三人がちょっとぎくしゃくしてしまっているのかもしれない、いやMさんはあの性格あのキャラだから特にそういうこだわりなどないのかもしれないが、K.KさんとC.Rくんのふたりについてはこのグループチャットでやりとりするのがちょっと気まずいみたいなアレがあるのかもしれず(そもそもC.Rくんは日本語でのやりとりに参加できるほど能力も高くないわけだが!)、そうしたふたりの気まずさが伝染するかたちでほかの面々も積極的にやりとりするのがむずかしくなっている、そういうアレはおそらくある、だからといってMさんがせっかく積極的にコミュニケーションをはかってくれているのに無視するわけにもいかんやろというわけでこちらは介入したのだったが、その介入をきっかけに、おめーらふだんどこかにひっこんどったんやといういきおいで、C.Sさん、R.Sさん、S.Sさん、S.Sくんらがわらわらと集まりだしてポテチについて語りだし、(…)大学組のほうでもOくんやYくんが日本でお気に入りのポテチの写真などを投稿してくれ、それでひととき「あきわいわい」(Jさん)と過ごすことになったのだった。しかし思ったのだが、日中両国(の言語と文化)のあいだに生きているじぶんが介入したほうがやっぱり両国の学生らは安心してやりとりしやすいというのがあるのかもしれない、それこそ本当にこういう場面では「調停者」としてのじぶんがもとめられているのかもしれない。
 そういうわけで書見はほとんどはかどらず、夜の貴重な時間をチャットに費やすはめになった。しゃあない。『新しい小説のために』で言及されていた『ゼーノの意識』(イタロ・ズヴェーヴォ)がちょっと気になった。自費出版で発表した当初はイタリア文学界からほぼ黙殺されていたものの、のちにジョイスによって見出され激賞されたらしい。
 寝床に移動後、『Katherine Mansfield and Virginia Woolf (Katherine Mansfield Studies)』(Christine Froula, Gerri Kimber, Todd Martin)の続きを少し読んだ。横になると咳が出て困る。それでちょくちょく目が覚めるのだ。のども腫れている感じがする。おかげで4時ごろまで眠れなかった。