20130404

時間のさまざまな顕示と刻み目が、
完全に正気な目で見れば哲学者たちの主人だと分かる、
時間はいつも休みなく、さまざまな部分のなかにおのれ自身を顕示しつづける、
詩人の存在を顕示するのはいつも陽気な歌い手たちの一団と彼らの言葉だ、
歌い手たちの言葉とは光や闇をくぎって示す時針や分針にほかならず、詩の作り手の言葉とはくぎらぬ前の光や闇だ、
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(上)』)

まことの詩人は美の従者ではなく、美の威厳ある主人だ、
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(上)』)



夜桜見に行きたい。
昼前に起床。いい加減寝過ぎである。帰省してからというもの毎日信じられないほど寝まくっている。(…)といっしょに列車にのっている夢を観た。(…)はとちゅうでかつて好きだった女の子に姿を変えた。ただしその女の子がだれであったのかは判然としない。「かつて好きだった女の子」という抽象的存在にへんげしていたのだと思う。
この桜シーズンに車で京都へ行くのは自殺行為である。ゆえに今日は美味いものを食ったり温泉に入ったりして過ごし、それで京都へは電車で帰るという流れに落ち着いた。具体的には(…)で鶏の焼き肉を食べて、(…)温泉に入り、そこから特急電車に乗って京都に帰るというアレなのだが、ところで、(…)では焼き肉といえば牛ではなく鶏を焼いたものを指すらしい。(…)牛で有名な地域のアレとは思えないというかむしろ牛肉が高価すぎて庶民には手が出ぬその結果として焼き肉=鶏肉という図式になったのかもしれんが、とにかくこの鶏の焼き肉が半端なく美味かった。汚くて見すぼらしい、いかにもな客層がたむろする、メニューも少ないし価格も実に適当な、すばらしくおおざっぱな店であったが、こういう店にかぎって美味いのだというフィクションにありがちな展開を地でいくようなアレで、若鶏ばかりをたらふく食った。鮮度が良すぎるためなのかなんなのか、肝が苦くない。衝撃。弟がいうには、北海道では焼き肉といえば牛でもなければ鶏でもなく豚が出てくるらしい。弟はいまでも北海道に多少の憧れを抱いているらしかった。その流れからであったか、小金の手に入ることがあればさっさと京都を出たいというと、次はどこへ行くんだと母親がたずねるので、国内だったら香川か金沢か、でもいちばん現実的なのはタイかラオスあたりだと思うと答えたのだけれど、返事がなく、ひょっとして老後のことを考えているのだろうかと前々夜にひきつづき思った。あの夜、お母さんの面倒(…)(弟)が見てくれるらしいでと母がいったあと、当の弟にむけて、面倒見るゆうたっておまえ金あらへんやん、と突っ込むと、だから(…)ちゃんに印税がっぽり稼いでもらわなあかんのやて、と返答があって、そのとき不意に、まあある程度まとまった金入ることあればおまえにやろうとは思うとったけど、と咄嗟に口をついた言葉があり、じじつ以前よりそういうことはひそかに考えていたのだが、なぜにこのタイミングでというアレで、母も弟も軽口を叩いていたつもりがなんか若干シリアスな空気が漂ってしまって躊躇、みたいな空気になってしまっていたのだけれど、というかこんなことを書きつけているいま、ふと、いつかクソじじいになって足腰が立たなくなるかそれとも世の中に辟易してだれとも関わりたくなくなるかしたあかつきにはあるいは弟とふたりで助け合いながらひきこもって暮らすということもあるのかもしれないなぁと思った。年収100万あればとりあえずはそれ相応の満足感をもって暮らすことのできるプリウスなみに低燃費なじぶんであるし、100万を越えた収入はいっそのことすべて弟というか実家に手渡してやってもいいかもしれない。こちらはこちらでまだ500万近く奨学金の返済が残っているが、実家は実家でまだまだけっこうな額の借金が残っている。
飯を食ってからは温泉にむかったのだが、車内で案の定眠りに落ちてしまい、起きると激しい頭痛に悩まされた。基本的にここ数日はティッシュを手放せぬほど鼻水だらだらでヒマさえあれば鼻をかんでいるような始末であるので、そのせいかとも思ったが、頭痛の質感に覚えがあるので、これはおそらく過眠によるものだろうと見当をつけた。温泉には二時間近く浸かった。肌がつるつるになり体がポカポカになった。風呂をあがってなおしばらく頭痛に悩まされたが、駅に送ってもらうころには回復した。温泉の売店で大家さんへのお土産にまんじゅうを一箱、職場のお土産に伊勢海老みそ汁とかいうのを買った。バッグとパソコンとスーツとお土産と購入した本と購入した服と、たいそうな手荷物を抱えて電車に乗った。風呂上がりにレッドブルを飲んだ甲斐あってか、車内ではいっこうに眠気にさいなまれず、おかげで読書がはかどった。京都駅に到着するころには21時近かった。そこから地下鉄で鞍馬口まで出た。温泉効果と大量の手荷物のゆえに恥ずかしいくらい汗だくになった。
帰宅したとたんにほっとした。ようやくじぶんの生活をはじめることができると気持ちがすーっとひらけた。部屋を片付けて、それから実にひさしぶりに筋トレをした。そういえば温泉で体重をはかってみたところ、食後ということもあったのだろうけれど、57キロ近くあった。ここ数年はずーっと53キロを維持していたので、これにはびっくりした。筋肉がついたのももちろんあるのだろうけれど、腹回りの肉((…)や弟にいわせると「無いに等しい」らしいが、当人の実感としてはこの半年ほどでたっぷりついた)のせいでもあるかもしれない。それでもいちばんやばかったときは50キロを割っていたことを思うと、漏斗胸というハンデもある中よくもまあここまで増量したものだと苦労をねぎらいたくなる。明日はジョギングにも出かけるつもりだ。すべて軌道にのせなおす。軌道を敷き並べる工夫でありながらその上を走る列車でもありたい。デイリーヤマザキで牛乳を買った。ここ数日分のブログを長々と書いているうちに朝方になった。深夜に洗い物をしていると大家さんがやってきて風呂に入ってくれというので今日はもう入らないといって断り、そのついでに土産を手渡した。4/2に(…)からスカイプできないかというメールが届いていた。正確にはきのうの深夜弟にパソコンを借りてメールチェックした時点でそのようなメールが届いていたことは知っていたのだが、まだ返事はしていない。やらなければならないことが山積みだ。新しく短い小説を書き出そうかとも考えている。じぶんに残された余命がどれほどのものなのかさっぱり見当もつかないというのはおそろしいことだ。その事実を思うと、経済基盤もクソもないだろうという気持ちになる。ゴミでもクズでも拾い食いして死なないようになるべく気をつけながらとにかく書きたいものを思う存分に書かなきゃいけない。やりたいことだけやって生きるのは不可能な世の中だと一般的には理解されているのだろうが、本当に不可能かどうか試してみたことのある馬鹿者はそう多くないだろう。一般的な理解というやつとはとことん相性の悪いこの身である。この命、そう多くない馬鹿者どもにささげよう。