20130405

ぼくの届ける品物は君が大いに必要としていて、そのくせいつだって持っているものだ、
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(中)』)

世の画家たちは群がり集う群像とそのまんなかの中心人物、そんな絵ばかり描いてきて、
おまけにまんなかの人物の頭から金色の光を放つ後光を広げた、
しかしわたしは無数の頭部を描きながら、金色の後光を広げぬ頭部は一つも描かず、
わたしの手から、あらゆる男や女の頭脳から、光は流れて燦然といつまでも放射しつづける。
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(中)』)



夜桜見に行きたい。
15時起床。ファック!腐れ大寝坊!クソいまいましいことに過眠癖がついてしまったとみえる。最悪だ。明日は朝の6時半起きだというのに。なんたる失態か。徹夜で出勤する根性はない。ゆえに丑三つ時に睡眠導入剤を一発キメるほかないわけだが、そしてすべてはそれで平穏無事に解決するわけだが、しかし半日分を無駄にしたという計算の歯噛みせずにはいられぬこの忌々しさばかりはなんともしがたい。
午後の診療開始16時ちょうどに耳鼻科へ。スギ花粉が終わりしなであることもあって一転してガラガラの待合室。例年のアレからいくとヒノキはまだひと月つづく。GWが終わるくらいになってようやくマスクをつけずに外出することができるようになると見込んでいる。これまでどおりの抗アレルギー剤にくわえて症状がひどい時にのみ服用するという約束でステロイド入りの薬も処方してもらった。これは副作用として眠気が出るものなので作業前の服用だけは避けたい。
16時半より2時間ほど自室で「邪道」の作文に取り組むもまったくもってはかどらない。帰省をはさんで少しはまなざしも洗われ改められたかと期待していたのだが引き続き完全に麻痺してやがる。参った。
作業を切り上げてさてどうするか、明日の出勤にそなえて夜更かしできないことを考えるとそろそろ夕飯の支度を整えるなどして食事をとりながら映画を可能なかぎり連チャンで鑑賞し続け眠気を催したところで一気に眠ってしまうというのがベストな作戦のように思われるがしかしきょう夜桜を見に行かなければ明日あさってと春の嵐になるとの予報がある。などとウジウジ考えながらまとまらない思考をまとめる努力もせずにデスクにぼうっと腰かけていると不意にそうだ(…)からメールが届いていたのだったと思い出し、とりあえずスカイプにログインしてみたところ当の本人がいたのでhiと呼びかけるとなんだったか、for GOD sake, where have you been so long?みたいな返答があって、またよくわからん言い回しが出てきたぞとリアルタイムで検索をかけるとfor GOD's sakeで後生だから・お願いだから・どうか、といった意味らしい。電話できるかというのでオフコースといってこちらからコールするとすぐにhelloとあって、それでいてカメラが起動しない。どうしてだかカメラがturn onできないわと(…)もいっていて、となると顔が見えないからまた会話が難しくなるなというこちらの予想どおりの展開で、序盤からもう何いってるかほとんどわかんないもんだから島国でひきこもりしてるせいでおれのリスニングアビリティは著しく低下している、だからなるべくwritingしてくれとお願いしたらオーケイとあって、簡単なやりとりや相づちだけは声でやりとりしながらも基本的にはチャットでカタカタやるというスタイルに落ち着いたのだけれどヘッドフォンのむこうからやたらと赤ん坊の泣き声が聞こえてくるものだからベイビーが泣いてるよというと、いとこの赤ん坊をあずかっているのよと返答があって、そのいとこというのは旅の途中で交わした会話のあちこちで出てきた例のいとこなのかもしれない。(…)と同じでスピリチュアルな何かしらに強い興味を抱いていてふたりで自転車に乗ってテント泊の旅をしただとか故郷リトアニアの太古の森に真夜中探検に出かけただとか、いとこの登場する話をするときの(…)はいつもとても楽しそうだったけれども今日の(…)は前回と同様いくらか落ち込み気味で、問えば、結局またいつものアレ、要するに、本当のわたしとは何なのか、本当の生活はどこにあるのかという立て方の悪い問いをめぐる無限回廊に迷いこんでいるようであり、fake lifeとfake myselfばかりでどれが本当だか知れたものでないわと悲嘆してみせる。こちらはこちらでまたrealとかtruthとかじゃなくてすべてのfakeひっくるめてのyourselfがあるという考え方じゃ駄目なのかというしかないのでそういうのだけれど、するとthat what nieche would sayという返答があり、えらく皮肉な言い方するもんじゃないかと思いながらきみと話しているときのおれとたとえば兄と話しているときのおれは別人ででもその双方が優劣の差なくおれ自身なんだよと、と、不慣れな異国語ではどうしても言葉足らずになってしまうのがもどかしい。その都度その都度の関係性に応じてたちあがり変形するいちいち新しい主体の動的な過程として、つまり、不動の一点ではなくいまこの瞬間もまさに延長しつづけるひとつの線分としてわたしをとらえたらいいんでないかと、日本語だったらまだもういくらかうまく説明できそうなことも英語だとニュアンスがつかめなくて苦労する。でもわたしはひとつでありたいの、と(…)はいう。でもわたしはひとつでありたいの、ほかの場所にほかのひとたちと一緒にいるというそれだけの理由でいちいち性格やふるまいや習慣や観点をpretendしたくないの、(…)はそう続けるのだけれどこのpretendという語にこめられてあるニュアンスなんかもたぶん表層を肯定するときのじぶんがその肯定の対象としている変身するわたしとはまったくもって別物で、ここでは列記とした確固不動たる主体が、つまり、(…)の言葉を借りるならばdeep insideにあるcoreなmyselfがまず前提とされていて、そいつが何らかの障害にあって自己の本領を発揮することできず、ゆえにfakeなmyselfをpretendすることを余儀なくされているみたいな、どうしてもそんなふうなニュアンスをともなって聞こえるのだけれど、しかしながらこういった微細でナイーヴな事柄をいったいどうやって英語で説明すればいいのか。というかすでにいちどものすごく長く英文メールでこのあたりのことについては懇切丁寧に書き送ったことがあるのだけれど、時間お化けのじぶんがいうのもなんだが(…)もたいがいパラノパラノしているというかtruthとかrealとかthe oneみたいなアレに取り憑かれてしまっているので、発想の根本を変えろとせまるのはなみたいていの仕事ではないというか率直にいって骨が折れる。大学にふたりいつも笑顔でとても楽しそうに幸せそうに見えるクラスメイトがふたりいて、彼女たちを見ているとどうにも嫉妬してしまうみたいなことも(…)はいっていてなんだそりゃという感じではあるのだけれどとにかく気が塞ぐ、落ち込む、大学の課題だってぜんぜんやる気になれないし絵を描く気にもなれないわ、なんにも手がつかないの、わたしのmomだってきっと大学を卒業するまでのtemporaryなものにすぎないっていうけれど大学を卒業するためのその課題をこなすためのエナジーがぜんぜん出てこないのよ、みたいな愚痴を吐き続ける。それだもんだからここでひとつ、これは前にもいちど旅先でいったことだと思うけど、と前置きしてから、きみは幸せを探すというけれど幸せを過度に求めるすぎるあまりかえって不幸になってしまっているきらいがあるんでないか、そういうのって要するに本末転倒だよ、と、そう打とうとしたところで本末転倒って英語でなんていうんだっけかと検索してみるとmistake the means for the endとあったのでそう書き送ると、わたしその表現知らないわ、というものだからそれじゃあconfuse the order of things→知らない、put the cart before the horse→知らない、get one's priorities wrong→知らない、と、ここまできたところでweblioのネタが切れてしまったのでお手上げで、とにかく幸せを過度に求めすぎることで悩むなんてばからしいだろというようなことをいった。すると、わたしは幸せそうなひとを見れば見るほどじぶんが不幸になるのよ、と(…)はいって、あるいは嫉妬のくだりはここにおいて発言されたものであったかもしれないが、とにかく人間だれだってそのひと固有の天国とそのひと固有の地獄をもってるものだからと慰めにもならない慰めをいうと、たぶんそうね、でも中には信じられないくらいの強さをもっているひとがいるわ、あなたもそのひとりよ、とあるものだから、おれはぜんぜん強くないよ、と応じると、でもあなたはじぶんのしたいことを一貫してやり続けてる、それにひきかえわたしは一日中ひととおしゃべりしてるだけ、怠惰だわ、というので、きみは旅先であれだけおれに外に出ていろんなひととおしゃべりしろとすすめたじゃないか、そしてきみはそれを事実実践している、それでいいじゃないかというと、たしかにそうだけれどそれはあなたがひととあまりにしゃべらなさすぎるから、そしてわたしはひととしゃべりすぎなのよ、みたいなやりとりをしているうちに赤ん坊の泣き声が大きくなり、食事の用意をしてあげなきゃいけないからちょっと待ってて、と置かれたマイク越しに赤ん坊の声とあやす(…)の声が聞こえてきて、でも英語じゃない。あーこれってリトアニア語だ!と思ってベイビーひょっとしてリトアニア語しゃべってる?と問うと、これはただのbaby languageよという笑い声が聞こえてきて、おれは四歳までぜんぜんしゃべれなかったんだよ、というと、momはあなたに話しかけようとしなかったの?と問うものだから、そうじゃないはずだけど、と答えたところ、その当時のこと覚えてる?というので、んなワケないだろう、でもまあいまじゃこのとおりのheavy speakerだよと続けると、yes you are indeedという返事があり、もしおれが英語ぺらぺらになったあかつきにはきみはきっとおれにうんざりすると思うよ、ものすごくたくさんしゃべるから、でもそれはそれで悪くないわ、わたしが落ち込んであんまり話す気になれないときはあなたがそのかわりにずっとしゃべってくれたらいいんだから、ところであなた今日はこれからどうするつもりなの? たぶん本を読むか映画を見るか花見に出かけるかするね、花見ってなに? チェリーブロッサムを眺めるという名目でどんちゃん騒ぎをすることだよ、このあたりにはチェリーブロッサムはないわ、それにロンドンはきのう雪だった、雪が降ったの? ええ、きのうの話だけど、まだまだ寒いんだね、ねえわたし花見にいってみたいわ、うん、映画って何を観るの? たぶんニコラス・レイだね、ああそうだ! 映画で思い出した! メーホーソーンでとある映画についてきみにしゃべったことがあったと思うけれど覚えてる? ええ覚えてるわ、タイトルは忘れちゃったけど、リチャード・リンクレイターの『ビフォア・サンライズ』『ビフォア・サンセット』っていう映画だよ、帰国してからもういちど観たんだ、きみのことを思い出したよ、きみと歩いたタイとカンボジアを、どうして? カンボジアが舞台なの? いいやそうじゃないんだ、ただ見知らぬ男女が異国の町で出会ってずっとおしゃべりしながら歩き通すんだ、もし時間ができたらまた観てみなよ、きっと面白いから。などという話をしているいったいどのタイミングであったか、とつぜん(…)が日本行きのチケットについて話し出し、東京行きのチケットを買うつもりなんだけれど、というので東京よりも大阪のほうが京都には近いよというと、でもわたし東京にいったこと一度もないのよという。それをいったらおれなんて中学の修学旅行でいちど訪れたことがあるだけだと答えると(…)は笑って、まだ値段なんかを調べていないからどうなるかわからないけれどももし東京に行くことになったらいっしょにぶらぶらしない?というのでそいつは楽しそうだねとオーケイした(と、ここまで書いたところで(…)はソフィア・コッポラの『ロスト・イン・トランスレーション』が好きだと旅先でいっていたのを思い出した。それで東京を見てみたいのかもしれない)。それで、わたしはどれだけstayできるの? あなたはどのくらいの期間わたしのhostになってくれるの?というので、depend on you!と応じ、きみの望むだけの期間でいいよ、と続けると、たとえば一ヶ月とか滞在してもいいのかしら、というので、いっこうにかまわないと答えた。ただしおれは土日は労働に出かけなければならないからその間はきみのガイドにはなれないけど、それともうひとついっておかなくちゃならないことがある、おれの部屋は信じられないほど古くてぼろい、そして夏はたぶん死ぬほど暑くなる、というと、(…)は笑いながら古いものが悪いものだとはかぎらないわといって、パーイで一軒家を借りようと計画をたてていたことを覚えている? 結局計画は頓挫したけれどきみは家族みたいにいっしょに買い物に出かけたり料理をしたりして過ごしたいとあのときいった、一年遅れで舞台もタイから日本に変わっちゃったけれどきっとその願いもすぐにかなうよ、といっているうちに(…)の携帯が鳴って、ちょっと待っててねとこちらに断ったあとにつづく声が見知らぬ発音で、あーまたリトアニア語だ!と思っていると、なんとなくロシア語っぽいいちれんの発音の流れに(…)という言葉がまじっていて、「いま何してたの?」「(…)とスカイプしてた」みたいな会話がおそらくくりひろげられているんだろうなとかなんとか、そうこうするうちに電話が終わって誰だったのとたずねると母親よとあって、リトアニア語って英語よりも響きがdeepでcomfortableだねというと(…)はうれしそうにはずかしそうに何やらいう。ので、そこでいきなり日本語で話しかけてやったところ大爆笑しはじめて、おれの日本語って変?奇妙?とたずねると、変じゃないわ、でも鳥みたいね、という。たしかに音だけ取り出して聞くと、日本語、それも関西なまりっていうのはちょっと鳥の鳴き声じみたところがあるかもしれない。赤子がぐずりだしたので(…)はまたちょっと待っててねといって寝かしつけにいって、数分と経たぬうちに戻ってくるなり、ねえ日本語で何か読んで聞かせてよといきなりいう。なんだよそれと思いながらデスクの上にあった夏目漱石『明暗』を手にとり、日本のもっとも偉大な小説家のひとりの作品からと断ったうえで、適当な一節をひろって朗読した。というかこんなふうに書いているとなんかものすごく文化的な交際をしているように聞こえるというか、たとえば映画でも小説でも漫画でもなんでもいいのだけれど西洋人を相手に夏目漱石を日本語で朗読するみたいなシーンや場面やくだりがあったらそんな展開あるかよ、あざといわ、鼻白むわ、作為がうるさいわ、と絶対にケチをつけるところだけれど、しかしこれこそ事実は小説より奇なりというやつだ。というかそれをいえばそもそもはじめての海外でいきなり知り合った外国人女性となぜかまるまるひと月も行動をともにし、挙げ句の果てには帰国後も頻繁にコンタクトをとりつづけて、ついには相手が日本にやってくることになったというこの筋道自体いかにもつくりものめいているというか、なんというか童貞が思い描くバックパッカーの成果みたいなのをわりとけっこう地で行ってしまっているこの現状にむしろ当事者たるじぶんがときおりハッとするみたいなところはあって、じつに出来すぎた星めぐりというものである。じぶんの人生にはいやいやいやそれ出来すぎだからみたいな局面がときおり顔をのぞかせる。わかりやすく波瀾万丈ではないし、それでいてしずかに平坦な日々でもないという、じつにつかみどころのない、たとえばホーソーンウェイクフィールド』が読者にもたらすあの困惑とおなじ困惑、奇妙で、不気味で、不思議なほどにすかすかな、ああいう感覚がじぶんの人生を俯瞰したときに得られる実感ともっとも近似しているように思われる。とかなんとかいってるうちに話題が原点回帰したというか要するにまた(…)の気落ちモードがはじまって、わたしはほんとうに駄目、怠惰で無知、そのくせおしゃべりばっかり、ほんとうに弱いのよ、あなたの強さがうらやましいわ、などというので、おれは強くないよ、ぜんぜん強くない、というと、でもあなたはじぶんのやりたいことだけをやっている、わたしにはそれができない、どうしてもおそろしいの、臆病なのよ、わたしには勇気がないの、それにパッションも、というので、きみのいうパッションだってただの反動でしかないのかもしれないよ、タイにいたときにいちど話したことがあるだろう?おれは高校生のときほんとうに駄目だったんだ、bad personだったし何をすべきなのか何をしたいのか義務も欲望もさっぱり見極められずに時間を空費してるだけのやつだった、実際おれのパッションなんてものはそのとき無駄にした時間をいまから取り戻そうとしているだけの悪あがきなのかもしれないよ、不可能な追いかけっこだ、あるいはただの病気、そう、強烈なオブセッションさ、というと、でもあなたがかつてのあなたを乗り越えていま本当にじぶんのやりたいことだけをやっているのは確かでしょう、わたしはそういうあなたの決断が好きなのよ、と(…)はいって、そんなこんなしているうちにどういうきっかけであったか、パーイのカフェで閉店した店のテラスになお居残り続けた数時間が懐かしい、あのカフェのあのケーキが懐かしい、でも肝心のケーキの味は忘れてしまったわ、だからまた確かめなければいけないわね、みたいなことを(…)は続けて、これはひょっとして暗にあなたは今年の夏わたしと一緒にもういちどタイへわたるべきなのよという誘いなのかもしれないと思ったが、そこは鈍感なふりをしてスルーした、というこのふるまい自体が鈍感でもなんでもなくむしろ正反対に自意識過剰なアレなのかもしれない。それでお互いにしゃべりつかれてやや口数が少なくなってきたところで、(…)が不意に鼻歌をうたいだしたのだけれどその内容というのがホニャララホニャララgarbage life♪みたいなアレで、garbage life?と突っ込むと、(…)は大笑いしながらそうよgarbage lifeよと応じてまた笑うものだからなんとなくこちらもつられて笑ってそうかそうかgarbage lifeか、そりゃもうどうしよもないなみたいな感じでひとしきり笑い合い、それでやや落ち着いたところで、おれのおしゃべりでちょっとくらい気分は晴れたのかな、とたずねると、ええちょっとはね、とあったので、それはよかった、それこそおれの役割だからね、なぜってならおれはfunny garbage japaneseだから、というと、(…)はまた笑って、そんなふうに笑うものだからこちらもまた調子に乗って、もしきみがfuckin funny garbage japaneseとコンタクトをとりたいと思ったらいつでも連絡をくれればいいよ、すぐに折り返してコールするからと続けると、“Swearing isnt nice , you can be garbage japanese, but without F”というユーモアを含みつつもしかししめるべきところはきちんとしめる生真面目な戒めがほんのちょっとの笑い声とともに返ってきたので、ああほんとうにfuckってNGワードなんだな、hip hopなんてうかつに聴くもんじゃねーや、と反省し、そんなこんなで二時間半にわたる会話は終了した。
なぜ、交わした言葉のひとつひとつを一字でも多く書きつくしておかなければ気がすまないのか? まるでもうすぐそこに死期がせまっているようだ。
すでに夜も遅い。この時間から映画を観る気にはなんとなくなれない。ゆえに外に出た。明日は春の嵐である。夜桜を見に出かけるチャンスは今日しかない。平野神社までケッタをえっちらおっちらこいでむかうことにする。京都に越してきて最初に住んだアパートがこの神社の近くだった。(…)が三年もの間ひそかに隠し続けていた秘密を打ち明ける決心を固めてくれたのもこの神社だった。大学に出かけるのもスーパーに買い物にいくのにもここを通過した。はじめて書いた小説の舞台としても採用した。それから三度引っ越しをくりかえしたが、いまだに毎年こうやって桜の咲く季節になるとふらっと出かける。親しい付き合いの人間とはだいたいいっしょにおとずれている。そのくせ思い起こすに足るだけの具体的な挿話が見当たらない。せまい境内を歩く。ずいぶんな活気である。健康的な酒飲みたちのがなり声。虚勢、強気、下心。軒を連ねる屋台。色。におい。意味をなさない声の数々。赤提灯。好きだ。五分とかからず端から端まで歩き通せてしまう。往路は花を見上げるひとの上の空のていで歩き、復路はすれちがうひとの顔をひとつずつたしかめる不躾さでまっすぐ往く。これも例年のことのような気がする。とっくにひとのひけた境内で恋人とふたり照明のない真っ暗闇の空を背景にそれでもぼうっと白くうかびあがる満開を真下からながめたひとときのあったことを思い出した。真下からながめるとまるで凍りついた水面にとじこめられた花びらを海底からながめているような錯覚を覚える、そんなことを語った記憶もあるし、そんなことを語ったということを書きつけた記憶もある。境内には十分ととどまらなかった。花見客の中には外国人の姿もちらほらあった。西洋人の女と日本人の男が連れ立って歩いているのを見かけた。スーパーを四軒はしごして帰った。今日はもう自炊する気になれない。
筋肉を酷使した。夕飯をかっ食らった。熱い湯を浴びた。風呂からあがって自室にもどる途中、おそらくは銭湯帰りと思われる(…)さん(…)さんとばったり出くわした。(…)くんの帰省中のブログすごくおもしろかったよ、と出し抜けに(…)さんがいった。ぼくなんか変なこと書きましたっけ、とたずねると、いや、なんていうかいつもこう執筆作業にかかわる内容が多いからさ、こう(…)くんがひととコミュニケーションしてる感じとかちょっとおもしろいなって、という返事があった。帰省中に書きつけた日記は書いた当人の身からすると、じつにだらしなく、中身がからっぽな、まったくもって手応えのない手癖だけの記述のように思われるのだけれど、読み手からすると案外そういうほうがおもしろかったりするものなのかもしれない。だれかの日記を読んだどこかの作家だか批評家だかが、われわれは当時の天気や景色のうつりかわりなどについて知りたいのではない、書き手の思想や思考に宿る普遍性をこそ知りたいのだと書きつけたのに対して、そうではないのだ、逆なのだ、思想や思考こそが移り変わるのであって天気や風景こそが普遍的なのだと断じたバルトの一節をぼんやりと思い出した。
それから自室でひとり照明を落としてひたすら(…)と交わした会話を自動筆記のごとき勢いで打鍵しはじめた。翌朝早く起床を控えているので3時半ごろにいったん作業を打ち止めにし、眠り薬で4時にはねむった。