20130411

たぶんわたしは最初から、無頓着な筆づかいを恐れる心が足りなかった――いまだにそうだ――オウムもどきの繰り返し――陳腐な言いまわしや平凡な表現も気にしなかった。おそらくわたしは、こういう配慮をするには少々民衆的(デモクラティック)にすぎるのだ。
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(下)』より「追補第二への序の言葉」)

 分離戦争のとき、一八六三年から四年にかけて、ワシントンに点在する陸軍病院を訪れているうちに、日の暮れがた引き潮か満ち潮が始まると、苦しんでいる患者たちが当時大勢はいっていた病棟を、いつもきちょうめんに訪れる習慣ができて、それが終わりまでつづいた。なぜか(それともわたしの気のせいか)その時刻の効目は歴然としていた。重傷者もある程度は楽になり、話したい、話しかけられたいと、少しは思うようになった。知的な性質の人も、感情的な性質の人も、それぞれに最高の状態になり、死はいつも何かもっと楽なものになり、薬はその時刻に与えられると効目を増すように思え、なごやかな雰囲気が病棟中に広がったものだ。
 激戦が終わって日が暮れると、いろいろと恐ろしいことがあったのに、同様の影響、同様の状況と時間が訪れる。わたしは倒れた者、死んだ者たちに覆われた戦場でも、一度ならず同じ経験を味わった。
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(下)』原注より)



11時起床。12時半より16時半までDuoる。図書館にて返却&貸し出し。予約していた書物二冊(漱石金時鐘)を受け取ったはいいものの洋書しか読まないと決めたばかりである。銀行で四万円おろす。帰宅。筋肉を酷使。ジョギングによる筋肉痛がまだ尾を引いているため走りに出るのは控えることにする。大家さんに家賃を支払う。今月から、というか今年度から家賃が1000円アップする。ゆえに19000円。ひじきと白子と鱈子の煮付けといちごをいただいたので小躍りする。
昨日だったか一昨日だったか、おもてに出ると、玄関に設置されている郵便受けにしこんである表札というか表札といっても要するにただの画用紙にマジックで(…)と書いたにすぎないものなのだけれど、その(…)という手書きの文字があきらかにじぶんの筆跡でなくなっていて、よれよれのひょろひょろで、これはおそらく雨にも負けて風にも負けてもはや消えいる寸前であったわが筆跡を大家さんが勝手になぞり書きしなおしたものだと思われる。
夕餉。飯をかっ食らっていると、というか飯をこしらえているときにも思うのだが、食事をとるというよりはじぶんに餌を与えているという感じが常につきまとう。別にそれほどひどいものを食っているわけでもないというか、調理に一時間近くかけていた円町時代(いまおもえば気が狂っているとしか思えない!)の、副菜たっぷりのしっかりした食事をとっていたときにもやっぱりこの感じはずっとあって、死んでしまわないように餌を与えている、そういう感覚ばかりで、料理も食事もとくべつ楽しいと感じたことがない。じぶんには食事の才能がない。というかそもそも感受性というやつが圧倒的に鈍い。アイザック・ディネーセン『アフリカの日々』に、故国のどんなレストランで出てくる料理よりもはるかに美味いヨーロッパ流の料理を完璧にマスターしているアフリカ人召使いの少年が出てきた記憶があるけれど、彼はじぶんのとる食事にかんしてはほとんど興味がないというか、どうでもいい適当なものばかり食べていて、それを書き手はつねづねふしぎに思う、そんなくだりのあったことを思い出した。
安らかな仮眠をとり、熱い湯を浴び、22時より読書。Catherine Mansfield“Prelude”を読み終える。つづけて次の一編に取りかかろうと思ったが、もうちょっとボキャブラリーを増やすのが先決なのではないかとか、文法をひとしきりさらっておいたほうがいいんでないかなどと思うところがあったので、とりあえずネットでもろもろ調べたのちいちばんそれっぽい単語集をamazonで注文した。それからダンボールの中をひっかきまわして大学受験時に使用した教材をとりだし、冒頭から猛烈な勢いで解きなおすなどしたのだけれど、途中で不意に我に返った。なぜ、いまさらeveryやeachは単数扱いですだとか、oneとitの使い分けはこれこれこういう感じですだとか、そんなくだらんことをしなきゃならんのか。くだらんことはもっとくだらん時間にこなすにかぎる。ということで続きは職場の空き時間に持ち越すことにする。
結婚式の写真を送ると兄に約束してから放りっぱなしであったことを思い出したので深夜2時、からっぽのCD-Rにデータを焼きつけるなどしたのだけれど、からっぽのCD-RをCDのキチキチにつめこまれた衣装ケースの中から探す過程でふと天理教の教会でもらったCD-Rが出てきて、ああそんなこともあったなぁと思ってブログ内検索してみるともう二年半も前のことのようでもありまだ二年半前のことでしかないようでもありとにかく事実として二年半前のことであったので二年半前かあと思った(…)。こうやって過去の記事にリンクをはりつけ、ときにその内容について語りなおしたりしていると、まるでこのブログ全体がじぶんの脳であるような気がしてくる。
3時前より「邪道」作文。4時すぎまで。プラス2枚で計447枚。一時間ちょっとで2枚書けるのだから上々だ。執筆時間を削るというこの英断は成功だった。これも「邪道」だからこそできるアレであって「A」だったらきっとこうはいかなかった。
今日はひさしぶりによく冷えたが、もうちょっとしたらあれよあれよという間にまたあの度し難い夏がやって来るのだ。今年も(…)さんにたのんでお部屋を貸していただこうかと考えているのだけれど、果たして都合がつくものかどうか。金がほしい。金があったらまず冷暖房のある環境に越したい。それから窓のある部屋に住みたい。キッチンもほしい。風呂もほしい。トイレもほしい。金さえあればたいていのことはどうにかなるから金は好きだが働いて稼ぐのは嫌いだし働いて稼くことで時間を奪われる最悪の事態を思うと勢いあまって金まで嫌いになりそうになるがしかし金に罪はない。