20130415

忘我において体験されるものは(それが何であるかについて語ることがまったくのところ許されるなら)、我の一体性である。しかし一なるものとして体験されるためには、我は一なるものになっていたのでなくてはならない。完全に一体化されていた者だけが一体であるものを受けいれることができるのである。そのときこの人間はもはやさまざまなものを集めた束ではなくて、ひとつの火である。彼の経験の内容、彼の経験の主体が、また世界と我とが合流してしまっているのである。このときにはあらゆる力が共振してひとつの力になり、あらゆる火花が燃えつどってひとつの炎になるのである。このとき彼は営為から遠ざかってこのうえなく静か、このうえなく無言語的な天上の国に委ねられ、営為がかつてその伝達に仕えるはしためとするために骨折ってつくりだした言語からも――また、およそ生命を得てよりこのかた永遠にわたって、一なるもの、不可能なるものを希求している言語、営為のうなじに足をすえてまったく真理に、純粋性に、詩になろうとするそのような言語からも脱却しているのである。
マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「忘我と告白」)

 私たちは私たちの内部へと耳をすまし――そうしながら知らないのだ、どの海のさわだちを私たちが聴いているのかを。
マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「忘我と告白」)



13時半起床。ちらかった部屋の入り口に器にもられたカレーが置いてある。朝方大家さんが持ってきた記憶のあるようなないような。きちんと起きて仕事に行くことができたのかと問うメールを(…)に送信したついでにカレーのことをたずねてみると、早朝6時半に合鍵を手にした大家さんが部屋にあらわれてカレーを置いていった、おまえは半分キレ気味でハイハイハイハイと返事していた、で当のカレーにちらっと目をやるなり、おーちょっとうまそうやし、とつぶやいてふたたび眠りに落ちた、その一連のくだりはたいそう笑えるものであった、との返事。
部屋を片付けたり昨日付けのブログを書いたりスケジュールを確認したりカピカピになったカレーを温めなおして食べたりして何時だったか、とにかくうまく働いてくれない頭を鞭打ちながら19時までDuoる。それからウェブ巡回と調べものをはさんで一昨日きのうと職場の空き時間に進めていた受験生時代の英語テキストの復習の続きにとりかかり、終わったのが20時半。仮定法とか比較級とかおそろしくボロボロであることが判明したが、完璧にソフィスティケートされた英語を話すことをじぶんに期待したり強制したりする人間など別にいないので(見るからにアジア人のじぶんが文法的誤りのひとつもない流暢な英語を操ることを要請する英語話者などいないだろう)たいしたアレでもないというか破格万歳だしクレオール万歳だし、それになにより読解にさしつかえのない程度の知識はかろうじて残っているようであったから問題なし。受験生時代のテキストをざっとやり直してみることで、読む>話す>書くという順序で英語が身についているらしい現状を把握するにいたったわけであるが(そしてそれは偶然にもいまのじぶんの英語学習にあたっての優先順位そのままであるわけだが)、長文を読むのがいちばんラクでほとんど問題なくすんなり意味をつかむことができるのに反して、時制がどうの不定詞がどうののくだりで例文の誤りを直しなさいとかになるともうこんな重箱の隅をつつくようなアレはいいだろう、こんなもん文章読解にあたってはさして重要でもないしそれにひととおしゃべりするにあたってはもっとどうでもいいものだ、という馬鹿馬鹿しさからいまさらきっちり覚えなおそうという気にもなれない。そういう細かいアレは洗練の段階にはいってから身につければいいのであって、重要なのはマンスフィールドの小説をさらりと読みながすことができるようになること、(…)との会話をもうすこしスムーズに進行することができるようになること、そしてそれら読む欲望と話す欲望とを新人賞の賞金を元手にした海外移住計画すなわち週休七日制の実現へと具体的に結びつけてモチベーションを維持することである。
22時よりジョギングに出かける。昨夜(…)とくら寿司でおしゃべりしていたときに(…)も最近ジョギングをはじめたといっていて、休憩がてらの徒歩も合間にはさんでだいたい一時間は走るという。肉を落とすことだけが目的なら走ろうが歩こうが消費カロリーにほとんど差はないというデータがあるらしいと以前どこかで見かけたので肉を落とすのが目的の(…)ならそれで問題ない。このあいだひさびさに走ったら五日間ほど筋肉痛が続いたと告げると筋肉痛になるほどなら相当のペースで走っているんだろうと指摘されたのだけれどそれは単純にじぶんの痩身に帰する問題であるような気がする。ただ同じコースを走っているそれにと要する時間の日に日に短くなっていくのがわりとはっきりわかるというところもあって、今日なども30分走りつづけることができるようにとの目処でわりと最近延長したばかりのはずのコースをほんの20分程度で走り終えてしまった。走っている途中にsmell's like mean's idiotというフレーズを思いついた。クールダウン中に弁当屋に総菜を買いに出かけるとちゅうの(…)さんとすれちがった。
風呂に入ったのち23時半より読書。Katherine Mansfield“Je Ne Parle Pas Français”の続きを片付ける。いまひとつ筋のつかめないところがあったので読了後にネットでもろもろ検索してみたところこの作品を分析している論文がヒットしたのでそれをぱらぱらっと読んでみたのだが、そこではじめて語り手が男性であることを知って、というかこの作品はいちど全集のほうで和訳で読んでいるはずなのだけれどすでにほとんど忘れさってしまっていて、ゆえにほとんど初読の挑戦のていになってしまったのだけれど、とにかく、女じゃねーのかよ!となると同時に、どうもおれの英語は想像以上にあやしいぞと思った。長文を読むのがいちばんラクで、と書き記している昼間のおのれに疑義をていしたいが、しかしこのおぼろげで、ぼんやりとした、それでいてなんとなくな読書の質感、これは以前にもたぶんちょっと触れたが、リサイクルショップでたまたま手に入れた芥川龍之介全集をちびちびと毎晩一編ずつ読んでいた二十歳の夜を想起させる。文語表現にまったくもってついていけずこれはほとんど古文か漢文の世界じゃないか!と驚き呆れながらもしかし一編ずつはやたらと短いということもあってとにかく無理やり読むだけ読んでみようと、ほとんど文字の上っ面をまなざしでなぜていくだけの、あらすじも登場人物もまったくもって把握できぬ、意味不明の外国語をながめるだけの苦行というほかないその読書が、しかしある瞬間を境に、あるいは自覚できぬほど緩やかな理解の曲線を描きながら次第に、ほんとうになぜかというほかないのだが、理解できるようになってしまって、あれは異国にひとり放り込まれてそのなかで揉まれていくうちにいつのまにかその国の言葉を操ることができるようになっていた、というほとんど体育会系といっていい語学学習論のブレイクスルーを思わせる体験だったように思うのだけれど(ちなみに祖父はそのパターンで中国語をマスターした)、なんとなく、この“The Collected Stories of Katherine Mansfield”という一冊が、外国語を学ぶように日本語を学んだ、というより丸ごと吸収したあれらの夜の日々とおなじ効果をもたらしてくれるんでないかと、語り手の性別を盛大に誤読することにともなうこのあっけにとられる感じの思い当たりあるなつかしさから思った。ちなみに大学に入学して最初に書かされた(日本語の)小論文はじぶんの知るかぎりクラスメイトの中で最低点だった(いくら勉強にやる気がなかったとはいえこれはちょっと恥ずかしいと思ってひとの目にふれないように隠した記憶があるからたぶん間違いない)。そんなやつでもまあ時間さえかければそこそこの文章を読み書きできるようになるものなのだ。小説家にでもなってひとやまあてるかと志しはじめたばかりのころはコンプレックスのように思えて仕方なかった思春期を文学どころかあらゆる芸術と無縁に無為に無駄に過ごしてしまったこの経歴が、じつをいうとかなりの武器にもなりうるんでないかと最近はときどき思う。というか以前よりときどき思っていたその論理にわずかながら実感がともないはじめたというべきかもしれない。ハイカルチャーにもサブカルチャーにもひとしくごくごく一般的な興味と無関心を保ちながら芸術の外で営まれる生活を地方のヤンキー文化にどっぷり疑問のかけらもなく染め抜かれながら過ごしていたドアホにしか見ることのできぬ光景もあるだろうし、そのドアホが都会に出ていきなり芸術にかぶれてしまったこの変身の衝撃にだってほかのだれでもない自分自身がいちばん今だって驚いているし、多くの作家がインタビューで問われることになる思春期をともに過ごした一冊がマジでないというか本といえば中高通して週刊少年ジャンプグラップラー刃牙しか読んでいなかったわかりやすいドアホがさながら交通事故で頭を打ったとたんに絵心にめざめた多くのアウトサイダーたちと軌を一にするかのごとく辿りはじめたあの遅刻者だけが目にすることのできる無人の道のりのしずけさなんてたぶんほとんどのひとが知らない。じぶんには遅刻するという特権が与えられた。物心ついたときからそばにあって常にじぶんをなぐさめはげましてくれるものとしての文学を知らずにいることができた。これが強みになりうることの確信にいま、具体的な実感がともないはじめている。
3時より「邪道」作文するも30分ほど経ったところで(…)がスカイプにログインしたのでコンタクト。友人宅にてドローイングをプリントアウト中だという。明日また連絡しなおすというと明日は一日中大学にいることになるから数時間後にまた連絡してほしいとある。交渉の結果、こちらの時刻で翌朝8時に起きると約束。約束しながらも気乗りしない。執筆目的以外ではなかなか早起きする気になれない。「邪道」は枚数かわらず。思いきってひらがなの割合を増やすことにする。
これ(http://mainichi.jp/select/news/20130415mog00m040003000c.html)、すごすぎるな。こういうのがヒーローっていうんだよ。