20130423

 見よ、私は豊かであり、ありあまってもっている、なぜなら、私はすでに、私がこの世界に望むすべてのものを所有しているからだ。そして、私のまさにここにもつものを私は、あたかも所有していないかのようにもつ。なぜなら、私は愛によって所有するのではなく、また私は、私自身のうちのなにかを失うことなしに、なにものかをもたずにいることもできるだろうから。
マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「ヘルラッハ・ペーテルス」)

 だから私は私のことで憂いがなく、私の身に起こるかもしれぬすべてのうちにあって安んじている。そして主の不変の真理と永遠の定めによって、私の身に襲いかかることが許されたものに対しては――その主に自分の生と死を委ね、そして、私がそれであり、ありうるすべてを、時間においても永遠においても委ね、不遜に予感することなく、気ままに選ぶこともなく委ねた者として――私もまた許しを与えるのである、それが私の身に襲いかかることを。
マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「ヘルラッハ・ペーテルス」)



11時起床。12時半より瞬間的に英作文しつづける。ひさびさに『英語耳』もやりなおして16時。耳鼻科にいって抗アレルギー剤だけもらう。そのまま徒歩で生鮮館へ。往復路はむろんDuoる。帰宅後いぜんこのアパートに住んでいたという男性が大家さんのところにおとずれている現場に出くわす。話が長くなりそうな気配だったのでさっさと立ち去る。
筋肉を酷使して夕餉をかっ食らい安らかな仮眠をとり熱い湯を浴びてからふたたび瞬間的に英作文する。雨がぽつぽつと降り出す。まずは『フォレスト』を片付けなければならぬ。というわけで冷凍庫の中におさめられているパンの耳のストックも残りわずかであることであるし(…)にむかう。0時半ごろまで滞在して黙々と250ページまで読み進めたのち本降りになりつつある雨のなかを猛ダッシュで帰る。もう少しはやく切りあげるつもりだったのだが、出向いたのが遅かったこともあってついついこんな時間まで滞在してしまった。皺寄せは作文のための持ち時間にむかう。ゆえに急いで帰った。そしたら車にひかれかけた。けっこうやばかったが、無事だ。余裕だ。楽勝だ。まだ死ぬべきときではないのだと天からの声を受け取ったようでむしろ気分が良いくらいだ。
本を読むのも映画を観るのもやめて書く時間まで減らしたというのにまったくもって時間にゆとりがないというか忙しい。官僚なみの激務だ。時間割を変更し生活習慣を抜本的に改革していくなかで、どうやらじぶんは重度のワーカホリックらしいということに気づいた。なにをどんなふうに組み立ててみたところで、けっきょくのところ、とにかく回遊魚みたいに馬鹿みたくずっと働いていないと駄目な体質なのだ。週休五日制のワーカホリックなのだ。このあいだ(…)さんに、おまえ休みたくさんあるんはええけどちゃんと書いとるんけ?といわれたので、今朝も朝4時に起きて朝から書いてきましたよといったら、半分引き気味にマジかといわれて、そのときにもいったことなのだけれど、部屋でだらだらしてたりぼーっとしてたりする時間ってのがたぶんじぶんにはほとんどない。つねに何かやっている気がする(これは無意識に仕事をさせないという意味ではきわめて貧しい習慣なのかもしれないが)。いつもせわしない。いつもいそがしい。そう考えると、じぶんというのはひょっとするとものすごくアクティヴな人間なのではないかと思えてくる。どちらかというまでもなくインドア派であるが、しかしアクティヴ。はっきりいって毎日シャブうってるようなもんだ。アッパーなブツをキメたところでたいした変化もおとずれないのだ(谷川俊太郎だったか、海外でコークをキメたときに「詩を書いているときの気分とそう変わらない」と言いはなってみせたらしいが、よくわかる)。そんなふうに無理がきいてしまうから肉体のほうがやがてついてこれなくなって、年にいちどか二度、ドカンとでかいやつがくることになるのだろう。よわりまくっているときにかけられる「病は気から」という言葉ほど残酷かつ頭にくるものもないが(こういう言葉をじっさいによわっている人間にたいして平気でむけることのできる人間というのはほんとうに頭がどうかしてると思う)、しかしこの言葉は逆説的にじぶんの様態をいいあらわしているともいえる。つまり、気にひっぱられて動きまくったあげく肉体が悲鳴をあげてフリーズそして強制終了するというわけなのだから、ある意味で「病は気から」そのものなのだ。ここ数年じぶんをおそったありとあらゆる身体の不調はすべてこの意味で気からきたものだといえる。このままいけばいずれは制御しがたいこの情熱によって殺されることになるかもしれない。だがそれはある意味で最高の死因だともいえるだろう。
朝方まで「邪道」作文。プラス1枚で計453枚。ひさしぶりにまとまった時間をとることができたにもかかわらずダメダメな出来だ。なぜ、こんなわけのわからないものをいつまでも加筆しつづけるのか?わけがわかりたいからだ。こんなものを書きだしてしまったわけを。書きつないでしまうわけを。