20130423

(…)神は内的に私の魂のなかに立ちたまい、そのとき私は神をまざまざと感得し、あらゆる自然のなかに神がどのように現存したまうか、また存在するあらゆる事物のなかに、悪霊のなかに、善き天使のなかに、地獄のなかに、楽園のなかに、姦通のなかに、殺害のなかに、あらゆる善きわざのなかに、またなんらかの仕方で存在しているあらゆる事物のなかに、美しいものと同様、醜いもののなかにどのように現存したまうかを認識する。だから私は、こうした真理のなかに自分があるときには、私が観るのが神であろうと、天使であろうと、善きわざであろうと、悪しきわざであろうと、みな歓ぶのであり、こうした仕方において神は私の魂のなかにきわめてしばしば現われたまうのだ。そしてこうした示現あるいは現前は大いなる真理と神的な恩寵をともなう照明なのである。だから、これを観るときには、魂にはいかなるものに躓くこともありえない……。
マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「アンジェラ・ダ・フォリニョ」)

 神のためにある、あるいは神のなかにあるというような愛は私の求めるものではない。こうした《ため》という言葉、《なか》という言葉を私は観ることができない。というのも、それらは私と神のあいだにあるようなひとつのものを暗示しているからである。このようなものをしかし純粋で澄んだ愛は堪えることができない。そしてこの愛の純粋と澄明は神自身のように偉大であるので、神の所有するものとなりえない。
マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「カテリーナ・ダ・ジェノーヴァ」)



10時半起床。雨降りの朝で今日も会えないやなんとなく。ここ数日起き抜けの首と腰がやばい。だいぶガタがきている。うつむくと右脇の下と小指の先端にしびれがはしる。かなり良くない兆候。コーヒーの飲み過ぎか勉強疲れか、胃の具合がいまひとつなので、日中はホットミルクをおともに12時より延々と瞬間的に英作文しつづける。筋肉を酷使し、夕餉をかっ食らい、安らかな仮眠をとりおえてなお瞬間的に英作文しつづけ、ついでにきのうやりのこしたDuoの残りを片付けたところで0時。Duoの通しは二日で一周くらいのペースでよしとする。でないと他の教材が先に進まない。
tofubeatsの音源発売日、そろそろかと思って検索してみたらドンピシャで今日だったのだけれど、amazonは余裕の品切れになっている。
深夜のジョギング。かなり良いペースだった。熱い湯を浴び、きらしていた牛乳をコンビニで買い、ついでに新商品のサンドイッチも購入し、コーヒーを入れたところで2時半。「邪道」作文。4時半まで。プラス1枚で計454枚。作業を終えてたちあがろうとした瞬間に椅子の義足が折れた。
気のせいでないことを確信したので書きつけておくが、じぶん史上最大レベルでいま上半身がムキムキになりつつある。もともとが残念な骨格の持ち主なので衣服越しにはあいかわらずキョンキョン(*極端に痩せほそっているさまをあらわす地元の方言)なんだけれど、このままいくと夏にはこれまで世話になっていたTシャツが着れなくなるという筋肉お化けのごとき様相をとることになるかもしれない。
夢なり目標なりを持てとご高説を垂れ流す人間とみんな働いているんだからおまえも我慢して働けと説教してみせる人間というのはおうおうにして同一人物であることが多い。紋切り型の言説をことばの表面的な響きのみに騙されてなんらの疑いもさしはさむことなく受け入れてしまう愚かさが共通の地盤としてそこにある。
一年前の日記を読んでいて(…)兄弟が京都に来てからまだ一年も経っていないという事実に愕然とした。もう二三年は前のできごとであるような気がする。外国行ったりバイト変えたり引っ越ししたり習慣組み替えたり、この一年はちょっといろいろ盛りだくさんすぎたのかもしれない。今年も盛りだくさんになればよい。まいとし夏の一ヶ月間はバカンスと称して読み書きから遠くは慣れたいとなみに耽溺するという習慣を取り入れたらおもしろいかもしれないと思った。去年は異国に滞在し、今年は異邦人を滞在させ、さて来年の夏はどうしようか。沖縄の旅館とか民宿とか海の家に住み込みで働くとかしようかな。