20130529

 パーサ・ヤングは三十にもなるが、まだときおりこんな気持におさわれるときがある、歩いていずに走りたくなったり、舗道の上でダンスのステップを踏んでみたくなったり、輪まわしをころがしてみたくなったり、なにかを宙にほうりあげてそれを受けとめてみたくなったり、そうかと思うと、じっと立ちどまって――なんということもなく――まったく、なんということもなく笑いたくなったり……。
 三十にもなって、自分の家にはいる通りの角をまがりながら、不意に、幸福感――なんともかともいいようもない幸福感!――まるで突然あのあかあかとした夕陽のかけらを一つのみこんで、それが胸の中で燃え、こまかい火花の雨が体の隅々へ、指や足の先々まで行きわたっていくような感情に圧倒されたとしたら、いったいどうしたらいいのだろうか?……
(キャサリンマンスフィールド/崎山正毅・伊沢龍雄・訳「幸福」)



夢。自室と大家さんの住居がまぜこぜになった空間で洗濯物を干している。ハンガーにかけられたままのタオルが二三枚コンクリートに敷かれた簀の子の上にくしゃくしゃっと重ねて打ち捨てられているのがじぶんのものであることに気づく。見覚えのあるようなないような、デパートというよりは駅や空港といった公共機関にある建物のように天井が高く、フロアがぴかぴかに磨かれており照明のほのかに暖色めいているところなどはいくらかホテルのロビーめいたところもある屋内の一画、観葉植物の置かれたそばに設置されてある長机の前に腰かけている高校の教師であるらしい男を前にして、壁にかけられた学校時計のほうを指差しながら、いまの時点ですでに遅刻ぎりぎりであるわけだが、しかしこれからもういちど家に戻らなければならない用事がある、となれば遅刻は避けられないだろう、といくらか茶化し気味に告げる。男のほうは男のほうで、こちらの遅刻など慣れっこであるとやはり茶化し気味に返答し、不良生徒と生徒指導教員の間にゆるやかにむすばれるちっぽけな共犯関係がほのかににおいたつ。立ち去るこちらのかたわらを歩く(…)が、おまえもっとケンカふっかけろよ、つまらんな、といたずらっぽい微笑をうかべてつぶやく。
10時半起床。12時よりたぶん16時ごろまでだったと思うが、いやそれとも15時だったか、途中でうとうとしたり、放りっぱなしだった髭を整えるなどしたりしながらも、とりあえず発音練習&瞬間英作文。なんとなく気怠い。なんとなくやる気が出ない。体が外の空気やひとの気配を欲している気がする。毎日アホみたいに自室で延々と作業をこなしているとたまにこういうふうになる。気分転換にスーファミの『風来のシレン』でも引っぱり出してひさしぶりに半日かけてフェイの最終問題でもクリアするかと思ったが、ぎりぎりのところでふみとどまった。まだ早い。まだそのときではない。こいつは奥の手だ。いよいよ精神が参ってきたときにのみ封印を解く禁じ手だ。
炊飯器のスイッチを入れ、家を出る。銀行で三万円おろし、クリーニング屋にパーカーをあずける。洗濯しても落ちなかった血痕をどうにかしてもらいたかったのだが、染み抜きはしていないとかなんとか、よくわからんがとりあえず洗ってみてくれとお願いした。病院に到着したのはたしか17時だった気がする。二時間待って診察五分。駄目なウィダーインゼリーのキャチコピーみたい。待ち時間はひたすらきのう届いたばかりの『ハートで感じる英文法』を読みすすめた。おもしろい。そしてわかりやすい。
ロビーで診察を待っているまばらなひとびとの中にひとり、汚れた作業服に身を包んだ坊主頭の巨漢がいて、挙動や発言などから察するにどうも精神障害をわずらっているらしいというか、ひょっとすると精神障害ではなくて知的障害なのかもしれないが、看護士をよびつけては何度も順番を確認したり、公衆電話を利用する金がないから病院の電話を貸してくれと言い出したり、なにぶん人目をひきがちであるところのその巨漢が、部活動の途中で怪我でもしたのか学校指定のものらしいジャージを着用してひとり腰かけている女子中学生か女子高生かわからないけれどもなんとなく前者な気がするそんな推定女子中学生のほうをじっと見つめ、片時も目を離さず、座席四つ分の距離だったと思うが、とにかく妥協のない凝視を送り出していて、なんかこれまずいことになりそうなんすけどと思いながらその様子をうかがっているじぶんは彼らの腰かけている座席の二列後方にひかえていたわけだけれど、盗み見るとかそんななまやさしいレベルではない熱視線である。推定女子中学生もとっくに気づいてはいるのだろうけれどそこは完全なる無視というか、目をあわせたらまずいということがたぶんわかっていてウォークマンで聴覚を封じて拒絶の身振りをとるなどしていたのだけれど、そうこうするうちに、それまでも何度も席を立ってはろくに読みもしない雑誌などをとっかえひっかえしていた巨漢のほうが席を立って戻ってきたその機会を利用して座席四つ分の距離をおいた席にではなく座席二つ分の距離をおいた席に腰を落ち着けてしまい、で、さすがにちょっと身の危険を感じたのか巨漢のほうをちらりと横目で見遣ったそのまなざしをがっちりホールドするかたちで巨漢のほうがとうとう口火を切った。会話内容ははっきりと聞こえなかったのだが、たぶん今何歳だだとか何という名前だだとかそういうアレが繰り出されはじめ、推定女子中学生の表情こそこちらからはうかがえなかったものの相当びびっているだろうことは疑いようもなく、さて、周囲を見渡してみれば老人・主婦・子連れと頭数に入らないようなひとたちばかりであるし、なんでまたじぶんがいるときにかぎってこういうことが起こるのかと内心げんなりするというかそもそも仮に頭数に入る何者かがいたところでこういうシチュエーションで最初を一歩を踏み出すことのできる奴なんてそうそういないというのはあの、なんだったっけか、ストックホルム症候群ではなくて、と、ここまで書いたところで「傍観」+「犯罪」でググってみたところトップにウィキの「傍観者効果」という項目がヒットしたのでああそうそうこれだこれという感じなのだけれど、とにかくこの傍観者効果があるだろうからきっとだれもなにもできないだろうし、そしてその点、同調圧力を唾棄するはねっかえりのB型たるじぶんなどわりと平気というか金縛りは即時「解!」みたいなこともできなくはないタイプであると自認するにやぶさかではないので、それゆえ、とにかく、推定女子中学生が明確に否定の意思をあらわにするかあるいは巨漢が推定女子中学生の体に触れるかするというのを出撃トリガーとする待機姿勢に入っておこうと考えたものの、しかし状況が状況というか立場が立場というか、詳細は省くというか察してくれたまえというところなのだけれど、ここで悪目立ちしてしまえばすべてが水の泡になりかねないというリスクを抱えこんでいる身でもあるのでなかなかどうして気が進まない、事を大きくしたくない、そしてそれにもかかわらずこの巨漢相手に派手に怒鳴り声をあげているじぶんの姿がありありと想像できるというどうしようもない按配で、と、そうこう考えをめぐらしているうちに、不意に、そうだ!受付にいって事情を話せばいいんだ!そんでもって余っている男手を呼んでもらって巨漢と推定女子中学生の腰かけている席の近場で威嚇的に待機してもらっておけばいいんだ!とすばらしき名案を思いつき、そうなれば万事良好、すべてよし、というわけでそうしようと席を立ちかけたところで推定女子中学生が診察室に呼びだされてしまい、ほとんど奇蹟といってもいいほど完璧に無駄なタイミングで立ちあがってしまったこの身をどう処理すればいいのか、尿意も便意もないのにとりあえず便所に行った。
診察室から出てきた推定女子中学生は巨漢を尻目に会計待ちのため受付のほうに近い席に移動した。巨漢の診察順はたしかじぶんのひとつ後ろかふたつ後ろである。となればもう心配するにはおよばないだろうと思ったのは見事な思いちがいで、雑誌を返しにいくふりをして推定女子中学生の腰かけている座席のほうにまではるばる遠征しては本棚の陰からじっと彼女のほうに熱視線をむけたり用もないだろうにその近くを歩くなどしはじめ、ただ受付に近い席であるからそうした巨漢の行動の逐一は職員らの目にはっきりと映っている。であるからにはまあ大丈夫だろうというアレでじぶんの診察がまわってきて、二時間待ち五分で終了、で、診察室を出ると、診察室のそばの座席に大またをひらいて腰かけていた巨漢と目が合い、ああこのニタニタ笑いはあの女の子にしたらかなりきっついもんがあるだろうなと思った。会計待ちということで受付のそばの席に腰かけると推定女子中学生はまだいて、看護士さんたちもさっさとこの子の会計をすませてやって巨漢とバッティングしないように気をきかすとかできないもんかねと思っているそこにふたたび巨漢があらわれ、その唐突さにこちらもびくっとしてしまったが、推定女子中学生のいるほうにむかって歩きだし、どうもこれまた彼女の近くの席に座ってなにやら話しかけようとする魂胆ではないかと、そう思って推定女子中学生のほうをちらっと見遣ると、巨漢の接近に備えて席を移ろうかどうか迷っているらしいそぶりが若干見え、表情はこわばり、うろたえ、完全におびえきっている。あ、これ駄目だ、と思ったので、とりあえず席からたちあがり、それで直線的な歩みを重ねる巨漢の進路にわりこんだ。肩が派手にぶつかった。思いのほか大きな声で巨漢が「わ!」と言ったので、目立つなっつってんだろうがこの馬鹿野郎が!と内心思いながら、しかしここまできたらままよとばかりに、とりあえずメンチを切り、次いで周囲に聞こえない程度の音量で舌打ちした。小声で「え?」と戸惑うような声の漏れるのが聞こえたので、輩に徹して「邪魔くせえな」と相手に聞こえるよう吐き捨てたのだけれど、この声はおもいのほか大きくひびいてしまったかもしれない。が、いまさらあとにはひけん。というわけで推定女子中学生のすわる座席の斜め後ろの座席に移動してそこに腰をおろし、もじもじとなにやら立ちつくしている巨漢のほうにむけてそこからふたたびメンチを切り、すると推定女子中学生のほうにむけて接近しようかどうか決めあぐねていたらしいそのもじもじがぴたりと止まり、それからなにかこう、こちらを中心とする半径五メートルの円いバリアの周辺をうろつきまわるかのごとくあたりさわりのない距離をぶらぶらとしはじめ、そしてまたそのぶらぶらのあらゆる機会を利用してちらちらとこちらの視線を盗み見てくるので、そのまなざしひとつひとつをいちいち真正面から受け止めて丁寧にメンチを切りかえすというクソくだらんピンポンラリー的な対応を強いられてしまい、滑稽きわまりない、というか端的にいってクソしょぼい闘争というほかない事態におちいってしまったわけだが、そうこうしているうちに診察室のほうから巨漢の名前を呼ぶ看護婦さんの声がたち、すると巨漢はその体躯からは想像もつかないような機敏さで踵をかえすがいなや走り去っていって、ひとまず安堵。
巨漢が診察を受けている間に推定女子中学生も処方箋を受けとって病院を後にして、次いでじぶんも処方箋を受けとり、それでもまだ巨漢は診察室から戻ってこず、診察は長引けば長引くほどありがたいのだけれどと思いながら病院の外の薬局にいくとそこに推定女子中学生がいて、薬局はたいそうせまいし、スタッフはみな女性である。この状況で診察を終えた巨漢がやってくるというのがいちばんまずいと思っていたのだけれど、まあ奴が来るより先に推定女子中学生のほうが先にここを出るだろうと、そういう見込みとは裏腹にあろうことか薬剤師のお姉さんが推定女子中学生にお薬手帳か何かの発行をすすめるなどしはじめ、推定女子中学生も推定女子中学生でとりあえずうながされるがままにはいはいとふたつ返事で、そうこうするうちにじぶんの番がやってきて、いつもの湿布と痛み止めをもらい、お大事にと送り出され、推定女子中学生はまだ中にいる。巨漢がやって来るのも時間の問題な気がする。おめえこっちがいろいろ気ィ回してやってんのに何やってんだよ!と心の叫びをかみしめながらとりあえず薬局の前でiPodをいじるふりをしながらしばらく突っ立ち、こうなるとどっちがストーカーだかわかったもんじゃない、馬鹿らしい、こんな小娘にいったい何の義理があるというのか?なぜおれの神聖なる時間をどこの馬の骨ともしれぬこの小娘に割かなければならぬのか?などと考えていたらますます馬鹿らしく、ゆえに、もういいや、しーらね、となった。後のことは薬局のひとびとにゆだねることにしてすたこらさっさと帰った。とちゅうで生鮮館に立ち寄り、半額になっていた刺身を買った。飯つくる気力なんてとっくにないね!
帰宅後、筋トレ&ジョギング。一昨日よりずっと楽に走れたが、筋肉痛が残っていたこともあったので、ルートはやや短めに設定。入浴・夕食・仮眠をすませて0時、金閣寺のネコドナルドへ。『ハートで感じる英文法』の続きを『Forest』を参照しつつ読み進める。文法書っていうのはある程度勉強が進んだという段階で定期的に読み直してみるのがいいのかもしれない。すると疑問に思っていたあれやこれやの細部にたいする解答が得られたりする。疑問が細かければ細かいほどネットで調べるのは困難になるし時間も食う。映画の開始する時間だとか電車の出発する時間だとか確定的な未来は現在形でよい、というルールがあるらしくて、これきのうだかおとといだかにえらく苦労して調べたばかりだった。ネコドナルドでは途中えらくラフな格好をした(…)さんと(たぶん)彼女さんに出くわした。3時ごろまで読み進めるべきものを読み進め、雨が小降りになったらしいタイミングを狙って帰宅し、クソ長々とブログを記して5時すぎに床についた。