20130731

祝福された貧者の夜に

日付がまわった今われわれはようやく8月に達した。一人称複数で物語ることに抵抗を覚える7月末日だった。(…)が来日してからの出来事を手短かに記してブログにアップしたはいいものの細部の捨象された瀕死の記述をひとめにさらすことに抵抗がないわけではない。しかしいまここで語の厳密な意味での反省をもたらしてくれる営みであるところの日記に没頭するにあたって、そしてまた半不特定少数のひとびとの目におのれをさらけだすことによるところの一種のマニフェストとまではいわずとも景気づけにはなりうるブログ効果を見込んではじめたこの記述の意図を全うするにあたって、やはりこの十日ほどの出来事を情報として提示する必要を覚えたのでそうした。先ほどストレスが臨界点に達したので例のごとく(…)と、それから(…)くんと(…)と(…)さんにそれぞれSOSのメールを送信した。(…)からいちはやく返信があったので、背後に敷かれた布団の上に横たわっている(…)には理解のできない日本語で、愚痴をぶちまけた。すると不思議と気分が楽になった。ひとにむけてじぶんの置かれた状況を客観的に語ることによって、じぶんの怒りや不満や悲しみやストレスが何に由来するものか可視化されるところがあり、するとあとは原因にたいしてメカニカルに対処すればよいだけだということになり、すべてがやわらぐのだった。
とにかくストレスが半端ない。一年に一度味わうかどうかという高濃度の歓びと不安の双方をたった一日の間に飲みくだす、それがもうずっと続いている。
同じ感想を去年の夏にも抱いていたことを今、思い出した。過去を美化するのはよせとあれほど言い聞かせていたにもかかわらず美化してしまった、その報いがきたのだ。
細部を捨象した日記をアップしてしまったので具体的な説得力には欠けるのかもしれない。日記を書く時間はやはりうまくとれない。生活のペースを彼女にあわせすぎている気がしてきた。日記を丁寧に書き記すための時間くらいあって当然ではないか、なぜそこまで気を遣う必要があるのか、西洋人の個人主義をこちらが採用しない手もない。彼女を説得して海外に送り出すよりも、こちらには書く時間が必要なのだからと毎日テキストとむかいあう、その姿勢を貫き拒絶の背中でこちらの意図を物語るという手もあるかもしれない。京都が退屈だというのならよその土地に移ってもらえばいいだけではないか、なにもそれに(…)がついていく必要もないのではないかと(…)は言った。まさしくそのとおりである。なにも見えなくなりつつある。冷静な判断ができない。
きっとすべては京都に到着した最初の夜のせいだろう。ほとんど下心しかなかった。二ヶ月もあればおいしい思いもできるだろうという程度の見込みしかなかった。下心と書いて恋と読むを地で行くつもりだった。それがたった一言で簡単に崩れた。本気に傾いてしまった。なぜ翌朝に仕事を控えているこのタイミングでそんなことを言うのだ、眠れなくなるじゃないかと彼女にむけて語ったあの言葉がいま、より大きな意味合いを獲得して何度も反芻されている。なぜ、愛しているなどと言ったのか。親友にも家族にも打ち明けていない気持ちだといった。言おうか言うまいかずっと悩んでいたのだといった。それから笑ってならんで腰かけるこちらの肩に身体をあずけた。(…)さん宅の玄関前にすわりこんで巻きたばこをまわしのみしながらの夜だった。それでいてこちらを拒んだ。ハグより先に進めなかった。われわれは(…)さん宅の部屋に戻って布団の上に寝転んではまるで眠ることもできず、ふたたび真夜中の軒先に出て煙草をまわしのみした。それを明け方まで延々と繰り返した。いちどロンドンの恋人のことを考えているのかと問うと、彼がいなくてさびしいという答えがあった。ここがリミットだろうと見切りはつけた。今夜のことはすべて忘れようと言った。言っておきながらそんなことできるわけないだろうとはもちろん思っていた。本当にできるわけがない。
家族も親友もいまのボーイフレンドとわたしはきっとあわないと言うのと彼女は切り出したのだった。すべてが打ち明けられたところで決意のたやすくかたまるわけでもないこちらは、ただ時間稼ぎのためだけのように、そうしていくらかは物わかりのよいやさしい男を演じる目的で、おれが彼氏の立場だったらどこの馬の骨ともしれぬアジア人宅にきっと嫉妬するだろうと応じた。あるいはその気遣いがまずかったのかもしれない。
ここまで書いたところで(…)に呼びかけられて一時記述を中断するはめになった。妙な気分だ、興奮している、身体は眠っているのに頭は冴えているのだ、としきりに訴えるので、金縛りのようなものだろうと応じた。I love youという響きを間近で耳にした夜も彼女は同じような気分を訴えたのだった。この符号をどう理解すべきかという逡巡がかすかに脳裏をかけめぐったが、すねる幼子のような気持ちが勝り、結果、距離を置いた対応に終始することになった。紅茶を煎れるようにいわれたのでそのとおりにして、それからやはりいわれるがままに蝋燭を一本たてた。この蝋燭は今日、清水寺周辺にある仏具店で購入したものだ。部屋の照明を落として蝋燭に火を灯すとSはみるみるうちにトランス状態に入っていった。部屋の電気を点けて、意識をこちら側につなぎとめた。わたしはナルシスティックだと思うかというので、おれはきみのことをよく知らないからわからないと答えた。きみ自身はそう思うのかと問うと、ときどきとあって、鏡に映ったじぶんをじっと見つめている時間があるからと続けた。(…)は蛍光灯の光に弱い。新宿のヨドバシカメラで彼女のためにコンセントの変換機を探していたとき、家電量販店特有の白々とした強く人工的な照明に彼女は目を痛めたのだった。トランス状態がおさまりはじめたように見えたので、部屋の照明をふたたび落とした。もうひとつだけ質問があるの、と彼女は言った。わたしはあなたの邪魔かしらと続けた。勘の良い人間だと思った。(…)と通話するこちらの口ぶりと抑揚から何かを察したのかもしれなかった。あるいはロンドンにいる彼氏との三時間にわたるスカイプにこちらが気を悪くしていると考えてそう言ったのかもしれない(それはそれでたいそうな策士である)。就寝前の(…)に無理矢理電話をかけて一方的に不満をぶちまけるうちにおのずと見えてきたストレスの核心はたしかに嫉妬だった。そう認識した途端に憑き物が落ちたように楽になった。またあの夜以前のように考えればいい。下心の恋を地で行きさえすれば敗北のないゲームに安心して浸ることができる。そんなふうに心に整理がつきかけていた間際に彼女はこちらに呼びかけた。いつもそうなのだ。割り切りかけたところで横やりを入れてくるのだ。わたしはあなたの邪魔かしら。しらじらしく聞こえるが、本音なのだ。本心からそう言ってしまえるのだ彼女は。そしてその本心がたやすく揺らぐ。おなじ気分屋として手に取るようにわかる。もっともこちらには気分屋としての自覚がある分、うかつな心情の表明はなるべく避けるように努めるだけの理性があるわけだが。
起床したのはおそらく9時前後だった。われわれは手や腕をからめあって寝床でじゃれ合い、しかしそれ以上ことが進展することはやはりなかった。amazonで注文した煙草のフィルターが届くまでいくらかの時間があったのでひさびさに整骨院に出かけた。部屋に戻ると(…)は沖縄行きの航空券を調べていた。あるいはそれは整骨院に出かける前のことだったかもしれない。ピーチの格安航空券を調べると、往復でひとり二万円少しで行けることが判明した。一緒に来てくれると問われたので、もちろんと答えた。二ヶ月にわたる滞在をとりやめにして東南アジアに渡るという先日の計画は立ち消えていた。そしてそのことにわれわれは決して触れなかった。一種の痴話げんかとして処理しているのだった。彼女は日本に居残るつもりだ。そのことにたいする歓びと不安がはっきりと釣り合って息苦しかった。神経がぴりぴりするのを感じた。平安神宮に出かけた。庭園をめぐり歩いた。沈黙の多い時間が続いた。池にいる鯉と亀とアヒルに麩を与えた。(…)は亀が好きだといった。それから清水寺に向かう途中、国際交流会館という施設に立ち寄り、外国人用のマップと行事予定表を入手した。これでこちらが仕事に出かける週末、彼女はひとりで行動することができるはずだった。それは建前だった。この施設で彼女がおなじ西洋人の友人を作ってくれればいい、そうすればなにかあったとき心置きなく彼女を部屋から追出すことができるというひそかな魂胆があった。わたしはあなたの邪魔かしら、そう問われた先ほど、そのようなこちらの魂胆をにおわせた。日本は京都だけではない、きみはいつもでこの部屋を去りたいときに去ることができるし、日本にはおれ以外にもたくさんの人間がいる。
あなたはわたしといっしょにいるのが嫌? わたしはあなたが小説を書く妨げになっていないかしら?
国際交流会館を後にしたわれわれは円山公園に自転車を止めて清水寺にむかった。八坂神社の向かいにあるコンビニで寿司とキムチを購入して公園にもどりつまんだ。野良猫や鳩と戯れた。この種の鳩は世界中どこにいってもいるわねと彼女は言った。二年坂や三年坂の周辺にある土産物屋をわれわれは逐一冷やかした。試食の鬼と化しては互いに笑いあった。マグネットを集めている従兄弟のために彼女は竹久夢二の描く和服姿の女性に似たイラストの印刷されているものをひとつ購入した。東京で(…)の便が到着するまで居酒屋で時間を潰すのに付き合ってくれた大学の同級生の(…)が世界中のピンバッジを集めていると語っていたのを思い出した。町中で英語を操る西洋人を見かけるたびに出身国をたずねるのがいつからかわれわれのならいとなっていた。京都にはたくさんの米国人がおとずれているらしかった。声が大きく抑揚のいちいちおおげさな西洋人を見かけるたびにどちらからともなくtypical Americanと口にしては笑い合った。清水寺を散策したあと、閉店間際の都路里に飛び込んでパフェをひとつ注文してシェアした。われわれの胃袋は八つ橋と漬け物で満たされていた。夕飯はもういらないねといって笑った。自転車で鴨川沿いを走って帰宅した。ここまでは良かった。このペースで観光地を消費していくと残す50日はもたないだろうという不安はあったが、それでもまだどうにかなるかもしれないという希望的観測のようなものはあった。退屈そうにしている(…)を見るのは嫌いだった。ホスピタリティのゆえではなく、そんなときの彼女の放つ不機嫌な空気がこちらの神経をささくれ立たせるからだった。そうなるともうこれ以上いっしょにいることはできないと気落ちし、部屋から追出すあらゆる方法を思案してしまうのだった。
部屋に戻るなり彼女はスカイプをするからパソコンを使わせてくれといった。彼女はfacebookskypeの中毒者のように見えた。だがそれはSNSに一度ものめりこんだことのないこちらの偏見かもしれない。(…)はどことなくそわそわしているように見えた。ロンドンの彼氏なのだろうと思った。予感は的中した。常ならばskypeをするのにヘッドフォンなど使用しない彼女がめずらしくそれを装着しているさまを目の当たりにしたときに確信した。通話がはじまった。声色が高くなった。礼儀としてiPodのイヤフォンを耳栓代わりにした。だが音楽をかける気にはなれなかった。通話を盗み聞きしようとする魂胆が芽生えた。布団に寝転がって狸寝入りをはじめた。ヘッドフォンからボーイフレンドらしき男の声が漏れているのが聞こえてきた。通話はおそらく三時間にわたった。そのうちの二時間近くを狸寝入りをして過ごした。あとの一時間はシャワーを浴びにいったり部屋にもどってストレッチをしたりして潰した。日本は想像していたのと違った、ここはわたしの場所ではないと彼女はボーイフレンドに語った。ときどき退屈して他の国に出かけたくなることもあるとも語った。それから英語をゆっくり話すのに疲れることもあるとも言った。しばらく経ってからトーンダウンした親密な声色であなたがいなくてさびしいとこぼす彼女の声が続いた。
英語をゆっくり話すのに疲れることもあると彼女が語ったとき、首でも絞めて殺してやろうかと思った。が、芽生えた殺意はいともたやすく摘みとられるのだった。こうした通話の一部始終を耳にしていたかもしれない可能性に勘づいて、彼女はしおらしくもわたしはあなたを邪魔しているのじゃないかしらと問うてみせたのかもしれなかった。妙な気分だとなかばトランス状態で語る彼女にむけて、きっとひさしぶりに英語で思う存分長話したからだろうと皮肉っぽく応じるじぶんがいた。おれのほうこそきみをうんざりさせているんじゃないかと心配しているよ、bad Englishを操る相手とコミュニケーションをとるのはやさしくない、そう告げると、わたしが悪いの、わたしがimpatientだからと彼女はやはりしおらしくもそういってみせるのだった。去年の夏よりはずっとpatientだよと言った。それからもう寝てくれよと日本語でこぼした。意味を問われたので答えると、彼女はそれを手持ちのノートに書き写した。おはようございます、こんにちは、こんばんは、おやすみなさい、いただきます、ごちそうさま、ありがとうございます、どういたしまして、ゴミ箱、漬け物、八つ橋、暑い、うんこ、おしっこ、それがおそらく彼女のノートに書き写されている日本語のすべてだった。(…)ねてくださいと彼女はたどたどしい日本語で言った。無理だと答えた。頭が興奮してしまっている、こういうときは書かなければおさまらないと彼女に言った。(…)ねてくださいと彼女はくりかえした。go to bed!と応じて机にもどった。あなたはわりと頻繁に命令形を用いるのねというので、would you please go to bed?と言い直した。彼女が床についたのを確認してふたたびデスクに向かった。それからここまで休みなく書いてすでに時刻は3時前である。
スカイプする(…)を部屋に残してシャワーを浴びにいく途中でTに電話した。限界だった。これはいったいどういう状況なんだと訴えた。(…)は仕事中だった。ストレスにたえかねて(…)に電話するのは二度目だった。一度目はつい先日(…)を東南アジア諸国のいずれかに追い払う算段をたてて彼女もそれを了承した日だった。風呂からあがって部屋に戻る途中、こちらの部屋の前で立ち話する(…)さんとその友人らしき四人組に挨拶をした。部屋にもどれば相変わらず周囲をはばからぬ大声で通話する気遣いを知らぬ西洋人がおり、おもてで立ち話するひとびとの声もそれに負けず劣らず沸騰してはこちらになだれこみ、その途端、どうしていつもおれだけが周囲に気を遣っているのかという疑問が垂直に脳髄を上昇した。おれにはおれの生活をおれの好きなように営む権利があるという当然の事実がなにかしらめざましくみずみずしいものとして腑に落ちた。トーストを用意していると(…)にコンピューターを変わらなければならないからと(…)が通話相手に語っているのが聞こえた。いちども頼んだ覚えはなかったが、長時間の通話にイライラしているのが目に見えて明らかだったのかもしれない。チーズと卵をのせて食べた。通話を終えた(…)が同じものを欲したので用意してやった。そのときはじめて相手の意向をたずねるでもなくただじぶんの欲するものをじぶんのためだけに用意しているじぶんにとてもひさしぶりに出会った気がした。それはとても自然なふるまいだった。パソコンに向かい手短な日記を書き記しながら、(…)と(…)さんと(…)くんにそれぞれSOSのメールを入れた。いちはやく返信をくれた(…)にこちらから電話をかけ、背後に控えている(…)にはわからない日本語でここ数日の出来事を手短かに話した。話しているうちにじぶんがいまいったい何に対してストレスを感じているのかが明瞭になりはじめ、箇条書きで理解できるようになった。まず嫉妬があった。そしてこの嫉妬は本気に傾いてしまったあの晩を巻き戻すことによって殺すことのできる類のものであると判断した。次いでこちらの努力ともてなしをないがしろにするような発言にたいする憤りがあった。日本や京都が(…)にしっくりこなかったところでそれは(…)の責任じゃないでしょという(…)の常とかわらぬあの眠たげな声にそうだ、そのとおりだと思い、そして少し泣きそうになったので、おれいまちょっと泣きそうとそのまま伝えた。動揺とは要するにじぶんの感情がいともたやすく外部に流れ出してしまうプライバシーゼロな精神状態をいうのかもしれないと思った。(…)さんからいくつかのメールが届いた。(…)からもメールが届いた。ひとに話したら少し落ち着いたとだけふたりに返信した。そうしてこの日記を書きはじめてしばらく先に眠ったはずの(…)から声をかけられたのだった。
(…)くんの音源を聴いている。とてもよいと思う。励まされる。音楽に励まされるなんて陳腐なことを平気で書きつけてしまえるじぶんの精神状態がすこし可笑しい。
いつかも書いたとおり、19歳のころ(…)に連れられて路上の手相占い師に手相を見てもらったことがある。何かを書く/描く仕事、舞台に立つ仕事(ただしその場合は中央に立たないと成功しない)、貿易関係の仕事、その三つのいずれかに就くだろうといわれた。それからその時点で交際している女性も含めて今後三人の女性に出会うといわれた。結婚は一人目か、それが無理なら三人目である。二人目とは決して結婚できない。谷川俊太郎に似た目を持つ老人は淡々とそう語った。出会うが厳密に何を意味するのかはわからない。ただ死の直前に思い出す女性であるとした場合、つまり走馬灯の登場人物になりうる女性であるとした場合、たしかに(…)は二番目の女性だった。あなたのことを愛していると(…)が告げた夜、ロンドンの彼氏のことを考えるといつも彼と築く家庭の姿が見えるのにあなたのことを考えるときはいつもあなたひとりだけなのよと彼女は笑いながら言った。おれもそうだよ、きみとは絶対に結婚できないだろうと思うんだと答えると、あなたもそうだったのと彼女は大口を開けて笑ってそのまま布団の上に倒れこんだ。あなたは本当に偉大だと思う。信じられないくらい強くて、でもちょっと強すぎだわ。だからきっとあなたはこれからもひとりでいつづけたほうがいいんだと思う。

(…)

たのむから一緒にいてくれ。