20140104

31日(火)
5時半起床。「A」推敲。そして脱稿。ぎりぎり間に合った。前夜ひらめいた最後の難所の打開策は完璧だった。やりきった。絞りつくした。もうこれ以上はなにも出てこない。
8時より12時間の奴隷労働。行きしな、たしか河原町通今出川から丸太町にむけて南下しているときだったように思うのだけれど、赤いパーカーを着込んでフードをかぶった若い男が自転車にのって前方からやってきて、路駐されていた自転車を一台そのかたわらを通過しざまに横倒しにするのが見えたのだけれど、そのようすというのが遠目だから定かでないもののどうにも故意であったような、少なくともたまたまぶつかってしまってうんぬんというふうにはまるで見えず、むしろみずから手をのばしてはっきりと意図的に転倒させるようであったような気がして、はてなと思いつつもその男とすれちがいそのまま先へむかったところ、通りに止めてあったであろう自転車がほとんどもれなくすべて横倒しにさせられているという死屍累々の朝の光景を目にするはめになった。男はどことなく白痴めいた無邪気な微笑をたたえていたような気もするが、それはなんらの価値も目的も見出せぬ人間の悪意を認めたくないというこちらの心根が捏造した偽物の印象かもしれない。
職場で京都新聞を読んでいると大滝詠一の訃報が載っていて、その死因含めてええー!となった。
(…)さん譲りのスマートフォンを用いて脱稿しおえたばかりの「A」の難所を念のためにもういちどチェックしてみるといやいやこれダメだわぜんぜん読むに耐えないとまたなってしまって、のろまな回線と操作性の悪いタップを駆使して改稿にはげんだが、完全に麻痺ってしまって頭がおかしくなり、仕事どころではなかった。(…)から夜の日程について問い合わせのメールがきたので、帰宅してから少しだけ原稿をチェックしたいので買い物と調理は全面的におねがいしますと返信した。
気が気でないまま帰宅しさっそく原稿をチェックしたのだが、麻痺は解けておらず、そのせいでなにがなんだかもはやさっぱりわからないという始末で、そうこうするうちに(…)は鍋の準備をてきぱきとこなしていくし時間はどんどん過ぎ去っていくしタイムリミットはすぐそこまで迫ってきているし麻痺はますます重度化していくし、よし、年内いっぱい作戦はあきらめよう、と、(…)がひとりでキムチ鍋をつつきはじめたところで踏ん切りがついた。2日に控えた帰省までに脱稿すればいい。ロスタイムだ。そうしてブログ上ではそしらぬ顔で31日づけの記事に完成された原稿へのリンクをはりつけてやればいいのだ。完璧。
鍋を食った。それからスタートボタンのぶっこわれているスーファミのコントローラーが奇蹟によって修復されていることを祈りつつボンバーマンを起動させてオープニング画面でふたりでめいっぱいスタートボタンを押してみたところ大晦日の奇蹟がまさに目の前にたちあらわれることになった。それゆえふたりでボンバーマンのアーケードモードをとりあえず全クリしそのあと対戦をしまくった。したらいつのまにか年が明けていた。ゆえにふたりで近所の神社に出かけ、ものすごくちいさな神社にもかかわらず本殿に行列ができているのを認めるなりすばやくひきかえし、コンビニで食い物を漁って、帰宅してから軽くひっかけていい気分になりながら食うものだけ食って一時間もしないうちに寝落ちした。


1日(水)
7時起床。8時より12時間の奴隷労働。うわさには聞いていたが、激ヒマだった。12時間をとおして3組ほどしか来客がなかった。(…)さん以外は全員3時に早上がりした。前日のうちに30日付けのブログ記事に難所をアップロードしたのち「2013年をもう2,3日だけ延長させていただきます」との声明文とともに一般公開されていない神社仏閣秘蔵の国宝のごとくブログの正門を閉ざしておいたので、ありあまる時間を利用してブログの記事作成画面をリッチテキストファイルがわりに(…)さん譲りのスマートフォンで幾度となく「A」最後の難所にとりくんだ。昼ごろに(…)から仕事がはやあがりできそうだからひょっとすると今日中に一抜けして帰省するかもしれないと連絡があったので了承した。が、その(…)が夕方になってこちらの職場にあらわれた。バイクのパンクを修理してもらう約束があることをすっかり忘れていたのだという。通常なら5万円ほどかかるらしい修理費が、本業が車の修理かなにからしい職場の同僚に修理をたのんだところ無料でやってくれたみたいなおいしい展開になったらしく、なかなかに上機嫌であった。原稿はどうにかなりそうかというので、難所の解決策候補二点を読み比べしてくれと頼んだら、おれ本とか読まんしと苦笑いしながらもこっちのほうが自然かなという答えがあり、そこから一見するとほとんど違いのないように見えるこれらふたつの文章のいったいどこがじぶんにとってかけ離れて見えるのかを説明し、あらたに書き直すにいたった経緯をつまびらかにするなどしていると、その意図にしたがうなら文句なしにこっちだろうと(…)の指さしたほうがこちらの天秤がまた傾きつつあったほうだったので、やっぱそうだよな、おれもそう思うんだよ、それで間違いないよな、とほとんどすがるような気持ちで確認と同意をもとめた。こんな細かいことずっとやっとったらそりゃ時間もかかるわ、と(…)はなかばあきれ顔だった。推敲のことを音源作成におけるミキシングに勝手に喩えてよく説明していたのだけれど、これはミキシングとはちょっと違うだろうという趣旨の発言もあった。
定まったはずの確信などたやすくゆらぐ。(…)が職場を去るころにはふたたび疑念がふつふつともちあがりつつあった。スマートフォンで読みくらべし、あらたな候補をメモ用紙にいくつも書きなぐった。そしてそのすべてをくしゃくしゃに丸めて捨てた。帰宅してからリッチテキスト、ワード、ブログ、BCCKS電子書籍プレビューと紙本プレビュー、それらすべての媒体でくだんの難所を幾度となく読み比べし書きなおしした。麻痺するのにそれほど時間は要さなかった。頭を洗濯しなければ、と思った。勝負は明日の早朝だった。懸垂と腹筋をした。大家さんが小皿におせちの残りをもってやってきたので白米といっしょにいただいた。シャワーを浴びた。ストレッチをした。それからすぐに寝床にもぐりこんだ。12時だった。5分とかからず眠りに落ちた。「幸せな結末」が頭のなかでずっと鳴っていた。