20140418

 いちばん魂に敏感な奴が、いちばん魂で傷つくだな。
(松下清雄「三つ目のアマンジャク」)

 どうやら、告(つ)げ人(と)の帰りらしい。騒々しいわりには、どこか、陰気くさい。告げ人とは死亡告知の使者のことである。二人一組で葬家の親戚縁者に忌事と葬儀のおもむきを告げてまわる。二人で組むのは、一人だと途中で事故に遭ったり使いのおもむきを忘れたりして用を足せないことがないようにするためで、一説には、一人で行くと死者に追いかけられるからともいわれている。これにはふつう、下戸が選ばれる。というのは、告げ人は礼札といって先方の家には上がらず、上框で手っ取り早く口上を述べて直ちに次へとまわるという敏速、確実を宗とする役目であるうえ、知らせを受けた家によっては礼酒を振舞って使者の労をねぎらうところもあるので、酒好きだと途中で乱れたり酔いつぶれたりして、肝心な用を足せないおそれがあるからだ。
(松下清雄「三つ目のアマンジャク」)



 10時に起きた。睡魔の澱のまだまだしぶとく居残る起きぬけだった。ここ最近はずっとこうであるような気がする。花粉症の薬の副作用なのかもしれない。携帯電話の液晶画面に流れてくる一行ニュースにガルシア・マルケスの訃報があって、まだ生きていたのかとそちらの意味でびっくりした。水場で歯磨きをして顔を洗っているとおなじく起きぬけらしい頭のぼさぼさになったKJと鉢合わせしたのであいさつを交わした。KJは私服だと幼くみえるのにスウェットだとこちらとそう変わらない年頃の男にみえる。
 パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとったのち前日付けのブログの続きを書きしるして投稿した。そうして兵どもが夢の跡みたいな惨状になっているツイッター上のつぶやき大半を削除した。その気になれば一瞬で書けて投稿できてしまえるこのツールは書きまくりしゃべりまくりのこちらとはあまりに相性が良すぎる。依存すればたちまちありとあらゆるモノローグをここに転写してしまいかねないことになる。ゆえに当初の予定どおりあくまでも友人知人らのつぶやきをチェックするだけのツール(そうしてときには気軽に雑談するためだけのツール)として利用することにした。それができず誘惑に負けてしまうようだったらまたアカウントを削除するだけである! そうして以前のようにブックマークから手動でカチカチ確認する!
 11時半より「G」作文。15時半まで。予定より一時間オーバーであるが仕方ない。BGMはくるり『THE WORLD IS MINE』(なぜかこのアルバムばかり三周連続でくりかえした。好きだけど)。削除して加筆してその結果として枚数変わらず264枚。作業のあいまあいまに気づいたことをツイッターのほうに書きつけるというのためしにやってみたのだけど(いきなりの前言撤回!)、これふだんブログでやっていることだし、どう使い分けしていけばいいのかやっぱりいまひとつわからない。なにかしら妙案はないものか。
 作業中ふとTの出国が明日だったのを思い出してメールを入れてみたところフィリピンで現在はしかが大流行中であるとのニュースを見てしまったらしくやたら気落ちしているようだったので、ことあるごとに気絶するおれでさえ無事に生還したのだからだいじょうぶに決まってるだろと励ますと、なんかすげえ説得力あるちょっと元気出てきたわと返ってきてそれはそれで複雑な気持ちになる! こちらが出国する二三日前だったかにカンボジアで原因不明の奇病発生死者続出みたいなニュースがやっているとTからメールが入ったことがあったのを思い出した。まあ気つけるようにしますわと送りかえすとおれやったらぜったいに行かんぞという返信があったのだった。
 ダンベルを用いて首と肩と腕の筋肉を酷使したのちケッタに乗ってちゃちゃちゃっと買い出しに出かけた。日除けの帽子をかぶって長袖を着たちょっと上品な感じのする中年女性ふたりが住宅街にたちどまって地図ともパンフレットともみえるなにやらをひろげた手元をのぞきこんでいた。きっとエホバのひとたちだと直感が告げた。
 帰宅後、16時半から18時半まで英語の勉強をした。途中大家さんがやってきて、昨日はあたらしく湯を張りなおす日であったのにすっかり忘れていた、年寄りはこれだから駄目だとしきりに謝罪されたのであるけれど、この下宿に住みはじめてだいたい一年半、はじめてのミスであったことのほうがもっとずっと驚きである。
 玄米・納豆・冷や奴・レタスと赤黄パプリカと水菜のサラダ・茹でたササミのクソ喰らえな夕飯をとりながらウェブを巡回したのち風呂に入った。部屋にもどりストレッチをしここまでブログを書いたところで21時半、『ドゥルーズを「活用」する!』を散漫な集中力で0時半になるまで読み進めた。こうして日記を書いてみてすごく驚いているのだけれど、「作文」「英語」「読書」の各三時間ずつ(今日にかぎっては「作文」が四時間で「英語」が二時間という配分のずれが生じてしまったけれど)という時間割が、翌日に労働を控えた金曜日というほかの平日にくらべて持ち時間の少ない一日において見事に達成できているではないか(というか逆にいえばいままでがやはりだらだらしすぎていたということなのかもしれんが)! やれる! おれはやれるぞ! 完璧な時間割に沿うて隙のない生活を営むのだ!