20230219

ヴァルター・ベンヤミン(一八九二年〜一九四〇年)
 君はあのムージルを読んでもかまわないが、まともに受け止めるのはそこそこにした方がいい。ぼくにはもはや何の風味も感じられない。この作家には次のように認識しておさらばした、すなわち彼は彼自身が必要とする以上に賢い。
(ゲルハルト・ショーレム宛の手紙一九三三年五月二三日)
(オリヴァー・プフォールマン/早坂七緒、高橋 完治、渡辺幸子、満留伸一郎・訳『ローベルト・ムージル 可能性感覚の軌跡』より「評言」)



 ひさしぶりに歯の抜ける夢を見た。弟と一緒に実家の一室らしいところにいるのだが、上の歯に近い歯茎にできもののようなものがあることにふと気づき、指先でつまんで引っこ抜いてみたところ、獣の牙みたいなかたちをした歯が抜けるというものだった。うわー最悪だと思って口のなかを触ってみると、抜けた歯のとなりに位置する歯も三本ほどぐらぐらになっており、え? と思うまもなく、歯茎ごとごっそりと剥がれ落ちた。弟が、やばい! やばい! と騒ぐので、いやちょっと待て、これ夢かもしれん、一本だけやったらわからんけど数本抜けるときはいつも夢やから、と制し——というところで実際覚めた。
 すぐ二度寝した。そして9時半過ぎに今度は(…)からの電話で目が覚めた。人夫らだなと思った。午後から来るという話だったのにとねぼけたあたまで電話に出た。予想通り。すでに棟の一階にいるという。都合の良い時間を教えてほしいと言っているというので、じゃあ今から起きるよと応じた。今日だけではなくあと一日来る必要があるみたいなことを言っていた気もするが、起き抜けの英語なのではっきりせず。
 起きる。歯ブラシをくわえてゴシゴシしていると、扉の外でひとの気配がするので、10分待ってくれとお願いしたはずなのにと思いながらとびらをひらく。ペケジがいる。入ってもらう。その後、もうひとりの人夫も入ってくる。ペケジより年上の、体格といい表情といい、(…)先生によく似ている男性。彼は作業開始後すぐに喫煙をはじめた。例のにおいのきついやつだったので、悪いけどここで煙草を吸わないでほしい、じぶんは喉が悪いのでと制した。喉は別に悪くない。ただ、お気に入りの服に煙草のにおいがついてほしくないのだ。
 ふたりが部屋を出たり入ったりするのを横目に(そのせいで暖房をつけっぱなしにしても部屋がいっこうに暖まらない)、歯磨きと洗顔をすませ、トースト二枚の食事をとる。浴室の水漏れについては特になにかいわれることもなかったので、あれは想定内ということなのかもしれない。コーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2023年2月19日づけの記事を読み返す。

(…)人間のうちで纏ったものは身体だけである。身体が纏ってるもんだから、心も同様に片づいたものだと思って、昨日と今日とまるで反対の事をしながらも、やはりもとの通りの自分だと平気で済ましているものがだいぶある。のみならずいったん責任問題が持ち上がって、自分の反覆を詰られた時ですら、いや私の心は記憶があるばかりで、実はばらばらなんですからと答えるものがないのはなぜだろう。こう云う矛盾をしばしば経験した自分ですら、無理と思いながらも、いささか責任を感ずるようだ。して見ると人間はなかなか重宝に社会の犠牲になるように出来上ったものだ。
 同時に自分のばらばらな魂がふらふら不規則に活動する現状を目撃して、自分を他人扱いに観察した贔屓目なしの真相から割り出して考えると、人間ほど的にならないものはない。約束とか契とか云うものは自分の魂を自覚した人にはとても出来ない話だ。またその約束を楯にとって相手をぎゅぎゅ押しつけるなんて蛮行は野暮の至りである。大抵の約束を実行する場合を、よく注意して調べて見ると、どこかに無理があるにもかかわらず、その無理を強て圧しかくして、知らぬ顔でやって退けるまでである。決して魂の自由行動じゃない。はやくから、ここに気がついたなら、むやみに人を恨んだり、悶えたり、苦しまぎれに自宅を飛び出したりしなくっても済んだかも知れない。(…)
夏目漱石「坑夫」)

 2013年2月19日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に転載する。(…)の大家さんとのくだり、なつかしい。こうして読み返していると、いまもまだどこかで生きているんではないかという気がする。声がはっきり聞こえるのだ。

寒い日は風呂にゆっくりと浸かるにかぎる。日曜日と水曜日が寒い日だと悲惨である。なぜなら、日曜日と水曜日は湯を新たにはりなおす翌日にそなえて大家さんの手によりすでに古い湯が抜かれてしまっているから。そうするとあの水量温度とともにまるで安定してくれないカンボジアのゲストハウスと肩を並べるレベルのシャワーだけで極寒のなか身体を洗うことになる。それはけっこうキツい。だが今日は火曜日だ。風呂の湯は二日目で、まだまだきれいだ。ゆっくり浸かった。ゆっくり浸かってから外に出て着替えていると――脱衣場などという洒落たものはここにはない、入浴の帰結として全裸で外気と対峙することが要請されるのだ、むろん何もかもが丸見えだ、だれも見たがらないだろうが――大家さんがやってきて、東京のほうにあるそばやが火事で、と切り出す。息子に灯油を使うなと叱られましてな、こんなおぼつかない身体でそんなものを取り扱ってはいけないと言われたばかりのところで、と、これはいつもの癖なのだがすがるようにしてこちらの手をさすりながら続けるので、これはひょっとすると生粋の京都人らしく暗にこちらに灯油を使うなと戒めているのだろうかと思い、とりあえず、僕も取り扱いには気をつけますんで、と応じると、いやいやあんたは大丈夫、あんたは本当にしっかりしとる、洗濯物なんてほれ、ぜんぶぴしっとなってはって、人柄ですな、人柄が出てますやろ、あのーほれ、このお風呂なんかもですな、あんたがつこうたあとはいつもきれいでっしゃろ、やけどこういうこと言うんもアレやけどな、他の方はときどき使いおわったあとも水滴が垂れていたりするんですわ、あとひとひねりしてくれたらええだけの話なんですけれどなぁ、これがなかなか、まあー(…)さんはいつもきれいに使ってくれて、どうもおおきに、あんたのあの洗濯物なんてほんとぜんぶがぴりっとしてな、料理もいつも器用に作ってはるし、さぞお母様の仕込みが良かったんやろなぁといつも思うんですわ、ええ、そうでっしゃろ、あんたのお母様どんなひとかいっぺん見てみたいわ、よくよく仕込まれて、ええ? と、そんなふうに立て板に水な時間が続く間中ずっと大家さんはあいかわらずこちらの右手を両手でとって何かにすがるようにさすりつづけていて、中学に入ってまもなく母親が体を悪くして入院することになった、その時期以降かんたんな家事はすべてじぶんが担当することになったのが大きいのだと思う、とこちらが応じる間もさする手の動きは変わらず、こんなことされているとしだいにじぶんがありがたい仏像か何かになったような気分になってくる。

 11時をいくらかまわったころだったか、(…)先生に似た人夫が昼休憩にもどった(ペケジはそれ以前に部屋を去っていた)。午後にまた戻ってくるというので、何時ごろになるかとたずねると、13時半だという。了解。浴室をのぞいてみると、前回青いペンキのようなものを一面塗りたくった上にあらためて黒い土のようなものが敷かれている。で、彼らはその土を踏んづけた靴で移動するわけで、おかげで部屋の床もなかなかひどいことになっている。一回拭き掃除しようかなと思ったが、午後にまたやってくるのであれば意味がないか。

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は12時だった。寝不足であるし昼寝したい気分だったが、仮眠は夕飯後にしようと決めて、授業準備にとりかかった。第33課の続き。
 13時半に来るという話だった(…)先生そっくりの人夫とペケジは結局12時半に部屋にやってきた。この工事期間中、彼らが時間通りに来たことはマジで一度もないのでは? ふたりそろって土嚢のようなものを抱えて何度も階下と部屋を往復しており、ペケジはめちゃくちゃがっしりしているからまだしも、(…)先生そっくりのほうはなかなかきついだろうなという感じ。運ぶものを運び終えたところでペケジは部屋を去り、偽(…)先生だけ浴室に残って作業をはじめた。ときどきチェーンソーのようなものが作動する音がしたりしたのだが、これくらいだったら全然平気だわという感じで授業準備を進めていたところ、視界がやけに曇っていることにふと気づいた。湯気でもたちこめているような——と思ったところで気づいた、偽(…)先生は浴室の床に敷くためのタイルをチェーンソーで適切なサイズに切っていた、その粉塵が寝室のほうにまで入りこんでいるのだった。これはちょっとうっとうしいなと思いつつも、その時点でチェーンソーは停止していたし、これ以上悪化することはないだろうと一度はそのまま気にせず作業を続行したのだが、次にふと気づいたときは、部屋のなかの空気がガスっぽくなっているだけではなく、デスクの上にうっすらと積もっているものすらあって、こりゃあかん! とあせった。それで阳台のほうを見ると、屋外に面しているほうの窓がなぜか閉めっぱなしになっていたので、いやいやこれは開けといてくれよとなった。ひとまず窓を開けた。偽(…)先生は粉塵の舞う中、マスクもせずに浴室のフロアにタイルを敷いていた。こちらはすぐにマスクを装着した。玄関の扉にbottle waterの空になった容器を噛ませて開きっぱなしになるようにし、換気扇をオンにし、キッチンの窓を開けた。それから寝室のクローゼットを閉め、パソコンとiPadと外付けハードディスクとスピーカーだけ隣室に避難させた(こういう粉塵は精密機械の大敵では?)。こういうことになるんだったら事前に教えてくれよと思いながら寝室にもどった。布団も指でなぞればあとが残るほど粉塵に覆われている。工事は明日も続くのかもしれないが、それでもいまある程度やれることはやっておいたほうがいいだろうというアレから、ハンドタオルを一枚雑巾におろして、まるで数ヶ月空けっぱなしにした部屋の家具であるかのように白いものをうっすらとかぶっているデスクやチェアなどを拭いた。さらにフロアも拭いたし、壁も拭いた。それで多少は良くなったと思うのだが、しかし問題は寝具だ。これはどうしようかなとあたまを抱えた。
 そうこうするうちにペケジが戻ってきた。明日も同じ工事をするのかとたずねると、工事は今日で終わり、明日は片付けにだけ来るという話だったので、だったら寝室の掃除を今日じぶんがやっても無駄にはならないわけだなと片言の中国語で確認した。然りとの返事。明日はいつ来るのかとたずねると、中午という返事。午前中は寝ているのだろうというので、そうだと応じると、だったら午前中はほかの部屋の仕事をする、それがすんだらこっちに来るというので、オッケーと応じる。今日からキッチンの水を使うことも可能。ただ、洗面台や便器は取り外したままであるので、トイレやシャワーは隣室のほうを使ってくれとの由。
 その後、偽(…)先生の仕事が終わるまで、ペケジとふたりで小一時間ほど会話することになった。ときどきこういうふうにローカルな人物とふたりきりで長々と会話する機会があるのだが、じぶんでもふしぎだ、なぜ会話できてしまうのだろう? 中国語については渡航前の一ヶ月か二ヶ月でみっちり発音を練習(中国語は発音の勉強が七割だと思ったほうがいいというような助言をどこかで見かけたので)、それにくわえて基礎となる単語を1000語ほどちゃちゃっと暗記、そうして渡航後に文法の基礎を軽くやったのだが、結局、仕事だの学生らの相手だの、それからもちろん執筆だの書見だの、そしてなによりも目に映るものすべてがまあたらしい初年度はひたすら日記に時間をとられたわけで、そうだった、思い出した、最初の一年間は夏休みと冬休み以外「S」の執筆すら完全に中断したのだった。そういうわけで中国語の勉強も以降ほとんどまったくできておらず、コロナのために実家に居候しながらオンライン授業をしていた一年九ヶ月をはさんでふたたび渡航が決まったあと、四週間にわたる隔離期間中にふたたび文法の基礎をさらったくらいで、結局、四、五年前と現在でほとんど能力が変わらない、大学一年生か二年生レベルのままだと思うのだが、ただ発音を最初にみっちりしたおかげか、中国語学習者が現地でかならずぶつかると聞いたことのあるじぶんの発言が相手に通じないという経験はほとんどない。実際学生らにも発音がきれいだと褒められることも多いのだが、しかしそれはそれで問題があり、というのも発音だけ聞いた相手がこちらは中国語ペラペラだと判断し、それでおもいきりまくしたててくることがあるのだ。だからいつからか、知らない相手から話しかけられたときは——そしてそこからはじまる長話を避けたいときは——わざとカタカナ風に発音したり、相手の言葉がまったく聞き取れないふりをして英語で応じたりするようにもなっているのだが、今日はそんなふうに対応しなかった、ペケジと普通に長話をした。といっても文法の知識が全然ないので、いつものように頭を英語モードに切り替え、英文法に中国語の単語を挿入するというかたちの偽中国語でやりとりするわけだが、これでだいたいなんとかなる。それになんとかならなかった場合は筆談も可能だ。
 ペケジは意外なことに年上だった。40歳だという。ハゲているし、見るからにおっさん体型であるし、たしかに40歳相応のアレであるのだが、ただ(…)省の男性は基本的にめちゃくちゃ老けてみえるひとが多いので、こう見えて20代後半だったとしてもおれはおどろかないぞとかまえていた、そのかまえがすかされた格好だ。何歳だというので、37歳だというと、じゃあじぶんのほうが3歳年上だというので、你是大哥と、数年前に(…)さんと(…)さんといっしょに映画館で観たジャ・ジャンクーの『江湖儿女』でおぼえた単語で応じると、ペケジは笑った。ペケジは既婚。子どもは一人。12歳の女の子だという。子どもはひとりで十分だといったのち、中国では子どもを育てるのにものすごくお金がかかる、ふたりめの余裕は全然ないみたいなことをいうので、最近よく聞く話だなと思いつつ、日本でも似たようなもんだよと応じる。正月に帰国しなかったのかというので、しなかったと応じると、できなかったのかという。以前はできなかったがいまはできる、ただ(…)からの飛行機がいまあるかどうかはわからないと応じると、船はどうだという。飛行機は楽しくない、でも船は楽しいだろうというので、そういえば(…)さんが留学するためはじめて日本にやってきたときは節約のために船に乗ったといっていたなと思い出した。楽しかったという話だったし、今度中国に行くときは飛行機ではなく船でいっしょに行こうかと(…)さんと話したこともあった。実際いまでもこちらは船での渡航に興味が多少あるのだが、ただまあダイヤモンド・プリンセス号じゃないけど、コロナが流行しているうちはやっぱり控えておいたほうがいいのかなと思わないでもない。いや、飛行機でも十分アレかもしれんが。
 帰国しないのであれば楽しくないだろうというので、じぶんは読書が好きだからかまわない、ずっと部屋にいても楽しいと応じると、ペケジは釣りが趣味だといった。そうしてこれまでに釣りあげた魚の写真や動画をいろいろに見せてくれたのだが、あれは池なのだろうか湖なのだろうか、茶色い水の中に糸をたらしたものすごくでかい釣竿をペケジがほぼ垂直にたてているところからはじまる動画があり、その釣竿の先端というのがちょっと見たことのないくらいしなりまくっていたので、なんじゃこりゃ! とびっくりしつつ続きを観ていると、水面の中から信じられないくらいでかい魚があらわれて、うおー! となった。釣りあげたあとの写真も見せてくれたが、一メートル以上はあったと思う。アマゾン川に生息していそうな巨大な淡水魚で、これ食ったのとたずねると、じぶんで料理したとのこと。ほかにも、これまでに釣りあげたいろいろな種類の淡水魚の写真や料理の写真を見せてくれた(腹減ったわと漏らすと、ペケジは笑った)。魚だけではなかった、スッポンの写真もあった。これ日本ではすごく高いんだよ、おれは去年こっちではじめて食べたけどというと、じゃあこれはといって画面をスライドさせて見せた先にあらわれたのは蛇だった。ヘーイ! と言いながら相手の肩をこづき、これも食ったのとたずねると、食った、じぶんで捕まえてじぶんで料理したというので、マジでこっちにいるあいだに一度は絶対に蛇を食べておきたいなとまた思った。ちなみにメシについて、普段どこで食べているのかというので、いまは自炊している、ときどき学生といっしょに后街で食べるけどというと、后街の店はおいしくない、あそこにあるのは子どもが食べるような店ばかりだからというので、まあ社会人だったらたしかにもうちょっとしっかりした中華テーブルのあるようなレストランに行くもんだわなと思った。
 給料はいくらだという恒例の質問もあった。いくらか忘れてしまったので、7000元ととりあえず応じると、挺好という反応があったので、肉体労働者である彼はやはりそれほどたくさんもらっていないのだろう。(…)では7000元で十分かもしれない、でも日本じゃ7000元では生活できないよと、これはあくまで一般論でこちらは京都時代その半分ほどの月収でめちゃくちゃな暮らしを送っていたわけだが、そう伝えると、日本のほうが給料をたくさんもらえるんだろう、じゃあなんで中国に来たんだというので、若いうちに外国で暮らしてみるのもおもしろいかなと思ったんだよと適当に受けた。実際はといえば、ただの流れでしかないわけだが。(…)にしても(…)にしても、バイト先が潰れて、よっしゃ! しばらく無職を満喫するぞ! というタイミングで、というかいよいよ貯金が底を尽きそうだというタイミングで、周囲からふわっとこういう仕事はどう? という話が入ってきたかたちでしかない。だからたぶん今後もそうなるだろうと思うし、そういう確信があるからこそ将来のことをどうのこうの思い悩むこともない(むしろ次はどんなイベントが発生するのかと、ゲームプレイヤーの気持ちで楽しみにしている)。
 というような話をするわけにはいかないし、中国語でできるはずもない。ペケジは(…)にひとり(…)话のとても上手な留学生がいるといった。抖音の動画を見せてくれたのだが、見覚えのあるアフリカ系の留学生で、すでに三年ほどこの地にいるとのことだったが、彼はかなり流暢に(…)话をあやつるという。(…)さんがアフリカ系の留学生はみんなめちゃくちゃ中国語が下手だ、なんのために留学しているのか全然理解できないみたいなことを以前言っていたのをおぼえていたので、そういうもんなんだろうと思っていたのだが、まじめにやっているのも一人か二人はいるというわけだ。
 偽(…)先生がすべてのタイルをはりおえたところでふたりは去った。明天见! と玄関に送り出したのち、ふたたび濡れ雑巾であちこちの粉塵をふきとった。それから汚れに汚れたそいつを隣室の洗濯機につっこんで洗った。

 キッチンの水道がひとまず使えるようになったので、隣室のキッチンに置いたままになっていた食器や調味料の類をひとまず持ち帰った。立つ鳥跡を濁さずなのでキッチンまわりやシンクもちゃんと布巾で拭いておいた。それから自室のキッチンでメシを作った。米を炊き、豚肉とトマトと青梗菜とニンニクをカットし、タジン鍋にドーンしてレンジでチーンするいつものアレ。
 食す。仮眠をとりたかったが、寝具一式が粉塵をかぶっていたので、まずは濡れタオルでざっと拭いた。今日はこれで我慢だ。明日シーツをがっつり洗濯し、布団にも毛布にも掃除機をかける。ベッドにもぐりこみ、『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー ヤンキーの生活世界を描き出す』(知念渉)の続きを読み進め、20分ほどの仮眠。
 起きたところで身支度を整える。部屋の外に出て一階までおりると、ときどき見かけるおばちゃんが棟の入り口を掃き掃除していた。ときどき見かける顔だ。管理人一家の身内の女性、たとえば(…)の奥さんだったりするのかもしれないが、もしかしたら単純に外部から雇っている清掃婦かもしれない。いずれにせよ、寮の敷地内で見かけるときはだいたいいつもほうきを手にしている。しかしこうして棟の掃除をはじめているのを見ると、いよいよ新学期がはじまるんだなァとあらためて感じる。実際、おもてに一歩踏み出したときから、ここ最近たえてなかった活気を感じていた。つまり、冬休みのあいだじゅう周囲にほとんどだれもいなかったのでひっそりとしていたキャンパスに、ひとの話し声や足音が響きはじめていたのだ。いわゆる「活気」、いわゆる「にぎわい」というやつは、とどのつまり、声と足音であるのだなと思った。
 自転車を出す。門のところに(…)を放し飼いにして歩く(…)の姿を見かける。いれちがいに敷地内に入ってくる女性ふたりが、(…)! と声をかけるのを聞く。(…)はすっかり有名犬なのだ。こちらもやや遅れて門を出る。その先にいる(…)に軽く声をかける。(…)はやっぱりこちらに吠える。bakeryに行ってくるよと告げて、ふたりを置き残して先に進む。
 学生らしい人影のちらほら目立つキャンパス内を南門まで進む。后街付近はたいそう混雑していた。歩行者が多く、自転車で進むのにちょっと難儀する、あの感じがもどりつつある。屋台や路上の物売りもちらほら。しかしすれちがう顔ぶれが若い、平均年齢がいっきに低下した感をおぼえる。町そのものが若返ったかのようだ。(…)はたしか高齢化いちじるしい都市として中国全土でもわりと上位にランキング入りしていると以前(…)先生から聞いたことがある。
 (…)に入ると、いつもの阿姨があんたの好きなパンもう売り切れちゃったよという。ええー! マジで? というと、开学したし学生がたくさんやってきたからという。それに続けて、これおいしいから今日はこれ買っておきなと、菓子パンみたいなやつを指さしていうので、じゃあそれ買うよと商品棚から手にとる。ついでに前回買いそびれたいちごのケーキも買う。
 店をあとにする。ピドナ旧市街の入り口にある売店にも立ち寄り、トイレットペーパーを買う。店内では女子学生らが三人ほど日用品を検分している。レジの女性が、あんたどんどん中国語が上手になるねと、你好としか口にしていないこちらをわざとらしく褒める。とりあえず礼を言っておく。学生がうんぬん教師がうんぬんみたいなことをいうので、こちらのことをまた留学生と勘違いしているのかなと思い、じぶんは教師であると受けると、知っているという反応。実際に彼女がなにを口にしていたのかは不明。仮眠明けになにも飲んでおらず、かつ、おもてが暖かかったこともあり、ひさしぶりに缶のコーラも買う。
 帰路もキャンパス内でちらほら学生の姿を見かける。モーメンツでも遠方の学生たちが空港や駅にいる写真をあげていたり、(…)にもどる前に(…)で遊んでいる写真をあげていたりする。マジでいよいよだなと思う。そわそわする。
 帰宅。コーラを飲み、ケーキを食い、授業準備の続きにとりかかる。文型はクソほど簡単。その分、応用問題やアクティビティを充実させる必要があるのだが、思っていたよりも楽々と片付きそうだなという印象。
 中断してコーヒーを淹れる。水道が使えるようになったので、数日ぶりにインスタントではなく豆を挽いてネルドリップするが、やっぱりうまいな。それから今日づけの記事を書きはじめる。0時前になったところで中断し、隣室に移動してシャワーを浴びる。あがってストレッチし、パクチーを死ぬほどぶちこんだ出前一丁をこしらえて食し、ジャンプ+の更新をチェック。歯磨きをすませ、ベッドに移動し、『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー ヤンキーの生活世界を描き出す』(知念渉)の続きを読んで就寝。