20230220

エリーアス・カネッティ(一九〇五年〜一九九四年)
 トーマス・マンには欠伸が出るようになっても、ムージルはなお現役だろう。
(『覚書き』一九七七年)
(オリヴァー・プフォールマン/早坂七緒、高橋 完治、渡辺幸子、満留伸一郎・訳『ローベルト・ムージル 可能性感覚の軌跡』より「評言」)



 朝、机や椅子をひきずる例の音で目を覚ました。何度か吠えたが、耳栓をものともせぬほどの騒音だったし、あまりにひっきりなしだったので、これは上の部屋じゃないかもしれない、業者の入っているほかの部屋かもしれないと思った。二度寝をしばらくこころみたが、これは無理だとあきらめて活動開始。まだ10時にもなっていなかったと思う。
 歯磨きをしながらスマホでニュースをチェックしたのち、きのう買ったパンを食った。コーヒーを淹れ、きのうづけの記事の続きを少々書き記したのち、いったん隣室に移動し、洗濯機につっこんでおいた寝具のシーツを阳台に干した。さらに、掛け布団、毛布、敷きマット(二枚)に掃除機もかける。隣室のキッチンにはカーテンも目隠しもなにもないので、対面にある女子寮の屋外廊下がまるみえなのだが、返校直後の学生らがその廊下に色とりどりの布団を干しはじめていて、続々ともどりつつあるなという感じ。敷きマットに掃除機をかけている最中、たぶん13時ごろだったと思うが、自室の扉を叩く音が聞こえたので、作業を中断してそちらに移動した。ペケジともうひとり初顔の人夫がいた。なんだそっちの部屋にいたのかとペケジは笑った。
 ふたりが阳台と浴室の掃除をしているあいだ、自室のデスクできのうづけの記事の続きを書いた。投稿を終えたところで、昨日ほどではないもののまた粉塵が室内を舞っているようだったので、パソコンまわりの道具を一式隣室に移した。それからこちらも雑巾片手に部屋を掃除することにした。きのうと同様、まずはデスクを拭き、マットレスだけになったベッドを拭いた。寝室のほうはペケジともうひとりの人夫がまだまだ出入りをくりかえす様子だったので、キッチンとリビングの床を先に拭き掃除することにした。雑巾は真っ黒になった。ついでにリビングのテーブルやソファに置きっぱなしだったあれこれもまとめて片付けた。

 途中、たまっていた段ボールを出すために下におりた。電動スクーターを停めている(…)を見かけたので、Hello! と声をかける。段ボールはあそこのゴミ箱に捨てればいいのかとたずねると、近くにいた(…)に確認してくれた、自転車や電動スクーターを停めている壁沿いに積んでおけばいいとのことだった。授業はいつからはじまるのだというので、明日と応じると、明日? (…)は水曜日からはじまると言っていたけどというので、あ、明日じゃないわ、明後日だわとなった。(…)は今学期授業が少ないと言ってよろこんでいたねというと、10 periodsだといっていた、そっちはどうなのというので、こっちも10 periodsだよと、本当は8 periodsであるがそう答えたのち、でも学期の後半からspeech contestのextra classesがはじまるから忙しくなるというと、別でお金は出るのという。出ると応じると、でも安いでしょ、一時間で100元くらいでしょうというので、そうそうとうなずくと、ここから先いまひとつはっきり聞き取れなかったので、(…)の経験談なのか彼の友人の経験談であるのか、あるいは中国在住の英語ネイティヴ一般の話であるかわからないのだが、家庭教師みたいなことをすれば一時間で500元は稼ぐことができるといった。日本語は英語ほど需要は大きくないが、それでも大都市の金持ち相手に家庭教師をやったりオンライン会話レッスンをやったりすれば、けっこう楽々稼ぐことができるという話を聞いたことがある。休みはいつかと聞かれた。(…)は月曜日と水曜日だというので、こっちと完全に同じじゃんと思ったが、そう答えるとまたいろいろ誘われたりするかもしれないので、水曜日だけだと嘘をついた。
 そこでいったん話が終わり、部屋にもどりかけたのだが、呼びとめられた。◯◯が最近日本のアニメを日本語のまま観たりしているという。◯◯ってだれとたずねると、My son! という返事があり、(…)のことだった、(…)という発音をこちらが聞き取れなかったのだった。それでふたりして爆笑した。ごめんごめんと言いながら話の続きをうながすと、最近ドラえもんのアニメをよく観ているということで、それでもしかしたら日本語にいつか興味を持つかもしれないとのこと。なるほど、場合によっては家庭教師をお願いしますという伏線を張っているのだなと察した。(…)は現在(…)からフランス語をちょっと教えてもらっているらしい。あ、(…)はフランス語ができるのかと思ったが、それほど本格的なものではない、フランス語の歌をうたう練習をしているだけだとのこと。(…)本人はロシア語に興味があるといっている——そう告げる(…)の顔がこころなしか多少険しくなった。どういうニュアンスだろうと思った。(…)は間違いなくロシア支持者であると思うし、その妻である(…)ももとよりロシア寄りのこの国で生まれ育った人であるからロシアにそれほど悪感情を持っていないのかもしれないが、しかし英語をあやつることのできる人間であるし、もしかしたら西洋的なパースペクティヴをいくらかなりと持ちあわせているのかもしれない、今回の侵攻に関しては内心(…)と別の見解を有しているのかもしれない。あるいはpracticalな中国人のことであるから、イデオロギーうんぬんは別として、現状ロシア語など習得したところでほとんど益するところがないという判断が働いているのかもしれないが、しかしそれをいえば日本も先はないよなという感じだ。
 部屋に戻る。雑巾での拭き掃除を続ける。浴室と阳台の掃除を終えたペケジに呼ばれる。洗面所の水があまり出ないのだが、これは以前からこうなのかというので、以前からだと応じる。排水溝の詰まりもずいぶんひどくなっており、なかなか水が流れていかない。ペケジは排水溝の底に電動ドライバーの底を突き刺してギュルルルルルルといわせたが、そんなことをしても意味はない。詰まり除去用の薬剤が多少残っていたので、それをぶっこんでみることにする。しかし薬剤の分量が足りないのか、効果はほとんどない。水道にしても排水溝にしても、いちど学生にたのんで修理業者を呼んでもらったほうがいいというので、わかった、まずは国際交流処に連絡してみると受けた。
 ペケジ、去る。阳台の掃除はすんだということであったが、よく見るとフロアには青色のペンキ汚れがあちこち残っているし、ほぼ新品同様だったほうきとちりとりもペンキまみれになっており、かつ、浴室の真っ黒な水をそれですくったせいでひどく汚れている。ほうきにしてもちりとりにしてもいちおうこちらの私物であるわけだが(一昨年(…)にもどってきた際に大学から与えられたものだ)、これを使ってもいいかと持ち主の許可を得る前に勝手に使って勝手に汚してしまう、こういうところがやっぱり異文化だなと思う。ほうきもちりとりもこちらは普段使っておらず、完全に置物と化していたので、別にどうでもいいのだけれど。
 水道の動画と排水溝の写真を(…)に送って事情を告げる。ほどなく折り返しの電話がある。これから別の業者に電話してみるというので、礼を言う。それから隣室に移動し、敷きマットにあらためて掃除機をかける。すんだところで部屋にもどり、コーヒーを淹れ、ウェブ各所を巡回する。そのまま2022年3月20日づけの記事の読み返し。新学期ということで大学にもどってきた当時三年生の(…)くんから故郷の上海土産をもらったのち、一緒に后街で螺蛳粉を食べている。
 2013年3月20日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に転載する。

概念が差異を統御しうるには、多様性と呼ばれるものの核心にあって知覚が概括的類似を把握することが必要である(そして包括的類似性は、そののち局部的な差異と同一性とに分割されよう)。新たにかたちづくられる表象関係は、その一つひとつが、ことごとく類似性を顕示する表象作用を伴っている必要がある。そしてこの表象的空間(感覚=映像=想起)にあって、類似性を示すものは、量的等価性の試練と段階的な量の増減性の試練とにかけられるだろう。測定可能な差異の一大図表がかたちづくられることになるのだ。そしてその図表の一劃の量的な距たりが質的な変異性とかさなりあって零となる横座標上に、完璧な類似が、正確なる反復が得られるという次第である。概念にあっての反復とは、同一なるものの関与性なき振幅にほかならなかったわけだが、それが表象作用にあっては相似の統合的原理となる。とはいえ、相似、つまり完璧な相似と相似性の最も劣ったもの、――最大と最少、最大限の明るさと暗さ――とを認識するのは何者なのか。良識である。認識し、同価性を確立し、偏差を標定し、距離を測定し、同類化し、分割するのは良識なのである。それこそ世の中でもっとも見事に分配されているものだ。表象作用の哲学を支配しているのは良識なのである。その良識というものを堕落させ、思考を類似性の調和ある一大図表の外部で戯れさせてみよう。そのとき思考は強度の作用する鉛直性として姿をみせる。強度とは、表象作用によって段階づけられるより遥か以前に、それ自体として一つの純粋な差異となっているからだ。それは転移し反復される差異であり、収縮し膨張しもする差異であって、その鋭い事件性において緊張し弛緩する固有の点であり、無限の反復なのである。思考というものは、強度を伴う不整合性として思考さるべきものなのだ。自我の解体である。
蓮實重彦・訳『フーコーそして/あるいはドゥルーズ』よりミシェル・フーコー「劇場としての哲学」)

『草の葉』は上巻の時点ですでにかなり同性愛色が強かったけれど、うたわれる詩の素材が南北戦争時代のできごととなる中巻においてその傾向がますます強くなるというか、ほとんどスパルタ軍的な愛と絆といっていいものが大いに称揚されている。奴隷制の廃止をうたっていたり、「自由」をなにものにも代え難い特権的な対象としてまつりあげていたりするのだけれど、こうした思想を直接的にかたちづくっている動機もおそらくはカトリック的な倫理にたいする同性愛者からの反旗なんではないか。あと、リンカーンの死を嘆く一連の詩の中に《もはや彼には現世の抗争の嵐は吹かず、/勝利もなければ敗北もなく――もはや時間の国の暗い事件が、/空をよぎってとめどなく湧く雲のように襲いかかってくることもない。》というくだりがあって、この「時間の国」という表現はちょっとすごい。

 それから今日づけの記事にとりかかる。途中、四年生の(…)さんから微信。先学期の閲読の成績がまだ出ていないというので、成績表は三日前に教務室に提出したよと応じる。データを入力することになっている担当の先生が忘れているのか、あるいはほかの仕事で忙しくしているんでしょうと続けると、納得した模様。そのまま少々やりとりを続ける。四級試験の結果はまだ出ていないという。きみはまず間違いなく合格しているでしょうというと、四級試験の日程と教師の資格試験の日程がかなり近く、後者に力をいれていたので、四級試験は合格点に届かないかもと心配しているとのこと。教師の資格試験については筆記試験にひとまず合格、残すは面接試験だけだというので、必要であればいつでも練習に付き合うよと応じる。とはいえ、こちらのヘルプなしでも十分合格可能だと思う。(…)さん、クラスでもかなり優秀なほうなので。
 17時に作業を中断して第五食堂へ。今日からすべての食堂が営業を再開すると聞いていたのだが、二階の店は開いていなかった、それどころか一階も一店舗のみ営業しているかたちだった。その一店舗でひさしぶりに打包する。食堂内では学生の姿もちらほら見かけるが、混雑にはほど遠い。厨房で働いているスタッフは別として、マスクをつけている姿はほぼない。みーんなとっくに感染したのだ。
 部屋に戻る。打包したものを食す。ちょっと量が少なかった。隣室の阳台に干してあった寝具一式を部屋にもちかえり、寝床をセットする。それで仮眠をとる。外からはさっそく路上ミュージシャン——というかカラオケ音源にあわせて歌う男のマイクにのせた歌声が聞こえてくる。まだギャラリーもそれほどいないだろうに。
 起きる。コーヒーを淹れる。「実弾(仮)」第四原執筆。20時半前から23時半前まで。難所のシーン14、まだまだ不満が残るものの、ここにずっとかかずらっているわけにもいかないので、ひとまずやや強引に終わらせた。そのままシーン15へ。今日は全然集中できんかった。しゃあなし。工事だの新学期だのでだいぶそわそわしとる。
 隣室の浴室でシャワーを浴びる。部屋にもどり、ストレッチもせずにしばらくベッドの上でだらだらする。1時前に冷食の餃子を茹でて食し、ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをすませる。また鼻の頭が赤く腫れている。マジでなんなんこれ? 『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー ヤンキーの生活世界を描き出す』(知念渉)の続きを読み進めて就寝。