20230225

 私は石家荘に一か月あまり滞在し、気もそぞろで小説を書いた。当初、テレビでは毎日、指名手配の大学生が捕まったというニュースを放映していた。しかも、同じ映像を何度でもくり返す。これほど頻繁なテレビの再放送は、その後、オリンピック期間中に中国選手が金メダルを取ったときに見られただけだった。私は異郷の見知らぬ旅館に泊まり、部屋のテレビで、逮捕された大学生の呆然とした表情を見ながら、またアナウンサーの興奮した声を聞きながら、恐怖とは何かを思い知った。
 ある日突然、テレビの画面がすっかり変わった。指名手配された学生の逮捕を伝える映像も、得意げな解説も登場しない。逮捕は続いていたが、テレビ放送はいつもの映像、わが祖国の津々浦々の繁栄ぶりに戻った。アナウンサーは前日まで激昂した様子で、逮捕された学生の罪状を並べ立てていたが、この日からは気色満面で、祖国の隆盛を称える口調に変わった。つまり、この日から天安門事件は中国のメディアから姿を消した。趙紫陽が姿を消したのと同じである。それ以降、事件に関する報道はひと言も目にしたことがない。まるでその事件は起こらなかったかのように、完全に隠蔽された。
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 11時前に一度自然と目が覚めたのだが二度寝し、次に目が覚めると正午をまわっていた。歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。この時間から食堂に出向いてもおかずもそれほど残っていないだろうというアレから、食堂には出向かずトースト二枚の食事をとることに。そうして食後のコーヒーを淹れ、きのうづけの記事をひたすら猛烈にカタカタやりまくる。
 17時過ぎにようやく片付く。投稿はせずいったんそのままにし、第五食堂に出向いて夕飯を打包する。食し、ベッドに移動して休憩していると、二年生の(…)さんから微信。いいお店を見つけたのでいっしょに食事にいきませんか、と。彼女からの誘いはまずまちがいなくあるだろうと思っていたので、おお、きたきた、という感じ。了承。了承してほどなくあらためて文面をチェックしてみたところ、明日いきませんかの明日を見落としていたことに気づき、ええー! 明日か! となった。(…)くんから修論のチェックを頼まれているので、明日の夕飯? それともお昼ごはん? お昼ごはんだったらちょっと無理なんだけどと(…)さんに微信を送ると、明日は19時から授業があるという。日曜日に授業? とたずねると、自習ですという返事があって、知らなかった、日曜日も自習があるのだ! 食事はひとまず来週ということになった。こちらもそのほうが助かる。それからいちごが好きですかとたずねられたので、大好きと応じたのだが、これ、もしかしたらまたアポなし訪問をかましてくるパターンではないか? そういうわけで、いつ訪問されてもだいじょうぶなように、ひとまずボロボロのパジャマから街着に着替えておいた。
 (…)さんからふたたび面接用の自己紹介文の添削依頼。二分以内のバージョンだという。たぶん面接の自己紹介の目安として二分という条件があることにあとになって気づき、あらためて文章を作り直したということだと思うのだが、(…)さんってけっこうそういう見切り発車が多い。最初からちゃんと調べて依頼してくれよと思う。二度手間は嫌いなのだ。
 きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年2月25日づけの記事の読み返し。以下、初出は2020年2月25日づけの記事。

作業中、父が出先から帰宅した気配があったので、二杯目のコーヒーをいれがてら下におり、どこに出向いていたのかとたずねると、せっかくの休日を家でごろごろしているのももったいないし××のほうに行っていたのだという返事があった。具体的な地名は忘れてしまったが、南東のほうにある漁港である。こちらが小学生のとき、ソウダガツオを釣りあげた場所だ。妙な気分になった。別にこれといって見所のあるわけでもないひなびた漁港にまでわざわざ車を走らせて、父はいったい何を考え、何を感じ、何を思っていたのだろう? そう考えると、心がざわざわして、ちょっと落ち着かない感じがした。ずっと以前父と弟とこちらと(…)で(…)のほうにドライブしたことがある。空き地だったか畑だったかで車をおりて(…)を散歩させていると、ときどきここに(…)とふたりで来るんや、と父が漏らした。そのときもやはり今回と同じような落ち着きなさをおぼえたのだったが、この感情の正体をいまなら言語化できる。父にもまた内面があることを知ったおどろきだ。父が十全たる他者であることをいまさらながら知ったのだ。

 それから2013年2月25日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。以下のくだりを読んで、ちょっとなつかしい気持ちになった。こういういらだち、本当にしょっちゅう感じていたよな、と。

じぶんの送っている生活をひとに説明するにあたって、たとえば、夢や目標にむけて前進しています、毎日とても努力してます、お金がなくて苦労しているけどがんばっています、といったいまどき広告の文句としても三流だろうみたいな切り口を採用しさえすれば、おそらく大半のひとは、きみは努力家だなー、ストイックだなー、がんばれよー、といった具合の肯定的な反応を示すだろう。それをたとえば、なるべくやりたいことだけやって生きることにしているだけです、あるいは、やりたくないことは極力やらないことにしただけです、だとか、じぶんの気分にのみ従って生きることに決めたんです、というような別の言い方をするだけで、信じられないくらい強烈な悪意にさらされることになる。日本で最大のタブーは何かといえば、それはほかでもない、思いどおりに生きています、人生楽しいです、毎日夢中になって満ち足りています、だろう。そんなことを迂闊に口にしてはいけない。苦労の気配が見当たらない言説をひとびとは好まないのだから。だから何もいわずに黙っているか、相手のよろこびそうな苦労話を適当に提示してみせるのがいちばんよい(幸いといっていいのかわからないが、その手のひとびとを納得させるに足るだけの挿話はそれ相応に持ち合わせている。家庭環境にまつわる暗い挿話は彼らのどん欲な胃を満たす最高の屍肉である)。それはわかっている。それはわかっているのだが、しかしなぜこの手のハイエナどもにこちらが気を遣う必要があるのだという跳ねっかえりなじぶんの性格というものがある。なぜ連中の足の引っ張り合いに参加などしなければならないのだという憤りが、苦労を成果に短絡して思考するその奴隷根性をたとえ装いの上でだけとはいえ支持しなければならないのかという苛立ちが、そうしたもろもろの反抗心が、結果として、ほとんど露悪的といってよいほど「自己中」を装うじぶんの身振りとして結実しているのかもしれない。

 それから以下のくだりを読んでびっくりした。このころすでに「実弾(仮)」の萌芽となりうるアイディアがあったのか、と。

ふと地元を舞台にした(あるいは地元それ自体を主役に据えた)小説を書いてやろうかと思った。田舎の閉塞感を描いてみたい。といっても土着的なあれこれのなまぐさく残る農村を舞台にしたおどろおどろしい物語ではなく、若い男の楽しみといえば車の改造かセックスくらいしかなく、遊びに行くとなればボウリングかカラオケで外食はファミレスか回転寿司の二択みたいな、ジャンク風土的な土壌で形成された均質でのっぺりとした、それでいて奇妙に満ち足りてしまうがゆえにそれが退屈であることに内側にいては決して気づくことのできぬ退屈さをもてあそびやりすごすそんなひとびとを、要するに、京都に出てくることなく(…)や(…)とともに地元に居残ったじぶんの分身を書いてみたいというアレなのだけれど。でもこれはけっこうつらくて切ない作業になるかもしれない。

 「ジャンク風土」というのは「ファスト風土」をさらに凶悪な方向におしすすめたクソ概念であるのだが、このときはまだ山内マリコの著作も読んでいないはず。にもかかわらず、すでに地元を小説に書くというアイディアがあったのか——というより、地元というものを、時間をかけて書くに値するものと考えるそういう心境の変化が、このときすでにいくらかきざしていたのか? もちろん、その変化というのは(…)でのバイトがきっかけでもたらされたものなんだろうが(大学入学以来ほぼ否定的な対象としてみなしていたじぶんの過去や経歴を、なみたいていの人間では渡り合えない人種と対等に渡り合うのに必要な「(不良)文化資本」として再発見することによって、地元に象徴されるすべてを別角度から肯定できるようになった)、それにしてもこんなにはやい段階で? 2013年2月ということは、まだバイトをはじめて半年かそこらではないか?

 今日づけの記事もここまで書く。作業のあいだは『COOKUP』(Sam Gendel)を流す。21時半前に(…)さんからあらためて微信が届く。いちごを持っていきますというので、こんな遅い時間に来るのかとちょっと驚く。部屋着をふたたび街着に着替える。15分後に到着するとのことだったので、着いたらまた連絡をくださいと返信していたものの、彼女はほかの学生らと違って、寮の門前でこちらがおりてくるのを待つのではなく、直接こちらの部屋をおとずれることがたびたびあるし、そういう場面を管理人一家に目撃されるとまためんどうくさいことになりかねないので、到着の連絡を待たずに部屋を出ることに。で、寮の外に出て、しばらく突っ立つ。
 (…)さん、今日はめずらしくひとりではなかった、何度かこちらの授業にもぐりで出席したことのある英語学科の女子学生と一緒だった(ふたりはたしかルームメイトだったはず)。(…)さんは以前と変わりなかったが、英語学科の女子はめちゃくちゃボーイッシュなショートカットになっていた。それで、あ、この子は同性愛者だったんだ、とはじめて気づいた。いや、確定ではないのだが、以前ボーイッシュなショートカットにしたばかりの(…)さんから、中国ではこういう髪型をしている女子はほぼ100%同性愛者ですと教えてもらった、そのためにそういう判断が働いただけなのだが、服装もやはりぐっと少年的なよそおいになっていたので、たぶんそういうことなのかなと思うし、ひるがえって、(…)さんももしかしたらそうなのかもしれないと思った。とはいえ、(…)さんは全然ショートカットではない、高校時代には彼氏がいたとも以前いっていたし、それが事実だとすると可能性としてはバイセクシャルということになるのだが、前々から彼女が有しているほかのクラスメイトとはちょっと違う雰囲気、なんというかやたらとフェミニンな雰囲気に、なにか独自のものを感じていたのだが、今日こうしてボーイッシュな彼女と並んで立っているところを見てふと思った、このフェミニンな感じ、ふわふわっとした感じ、やはり同性愛者である(…)さんとちょっと似ているのだ。いや、もしかしたら見当違いかもしれんが。ゲイの学生はすぐにわかるのだが、レズビアンの学生はわかりやすい子とそうでない子がいる。
 (…)さんは透明なプラスチックの板を持っていた。板には複数の窪みが設けられており、その窪みひとつひとつかなり丸々としたいちごがのせられている。蓋はない。どこで買ったのとたずねると、スマホという返事。高かったでしょうというと、いまはいちごの季節だから安いという。こちらは無類のいちご好きなので大変ありがたい。今週授業はありましたかというので、一年生の授業があった、それから(…)にも行ったと応じると、(…)で授業があるんですかと驚いてみせる。ほかに外教はいますかというので、日本人はぼくだけだよと応じると、じゃあ給料が……といいながら片手でグラフが上昇するジェスチャーをして笑ってみせるので、変わりませんとこちらも笑う。冬休みはどうしていましたかというので、ほとんど部屋にいた、でも英語学科の(…)とは何度かいっしょにご飯を食べたと答えたところで、英語学科の彼女に(…)は知っているとたずねると、うんとうなずいてみせる(彼女は日本語の聞き取りがかなりできる)。(…)は辞めました、だから外国語学院の外教はいまぼくと(…)と(…)の三人だけですと続ける。先生、冬休み、彼女は……といって(…)さんが不意に笑いはじめるので、アホ! といいながらあたまをはたくふりをする。(…)さんは顔をあわせるたびに彼女ができたかどうかきいてくる。そしてこちらが返事をする前から、わかりきっている返答にひとりで吹き出すのだ。
 礼を言って別れる。部屋にもどる。いちごをさっそく洗って食す。クソ美味い。最高や。それから(…)くんの修論の要旨だけチェックする。(…)くん、日本語の文章が本当に上手になったなァと感心する。まずまちがいなくうちの大多数の教員より上手い、というか平均的な日本人よりずっと上手いといってもさしつかえないと思う。ところどころ助詞のポカがあったり、読点の打ち方に癖があったりするが、こんなもんケアレスミスの範疇だ。一流の大学で働いたら、こういうレベルの学生に囲まれることになるわけか。それはそれで楽しいのかもしれんが、こちらはどうしたって辺境にこだわりを持ってしまう、なんでいつもそうなのかわからんが、一流とか中心とか最前線とか、そういうのに全然ひかれない、むしろ距離をとろうとしてしまう。そもそもが小説にしたところで、バンバン宣伝するなり、界隈で友人知人を作るなり、あるいは関連する職種に就くなり、いろいろアピールのやりようはあるはずなのだが、最初の著作である『A』をリリースした直後にやったことがまずそれまで長年続けていたブログを行先告げずに越すことだったし(蒸発!)、越してほどなく今度は非公開にするし、そしてそのまま七年ひきこもるしで、SNS全盛期になにやっとんねんというアレなのだが、たぶんこうしたふるまいにはじぶんの享楽が関与しているのだろう。ほなもうしゃあないわ。
 浴室でシャワーを浴びる。ストレッチをする。(…)さんにお礼の微信を送る。差し入れをもらうのはこれでいったい何度目になるのかわからない。だから今度の食事代はこちらが出すといったところ、夏休みに日本を旅行するかもしれないからそのとき案内してくださいという返信が届く。そういえば以前もそんなことを言っていた。これも冗談なのか本気なのかちょっとよくわからんのよな。うちの学部に長期休暇中に海外旅行できるほど経済的なゆとりのある学生なんてまずいないと思うのだが。(…)さん、夏休みに一ヶ月アルバイトをして、そのお金でその後日本に渡るというのだが、学生がこっちでたかだか一ヶ月働いただけで日本への往復の旅費やホテル代をまかなえるとはとても思えない。なにかアテがあるのか、あるいは単純に具体的にいくらくらいかかるのかの計算がまったくできていないのか、ちょっとよくわからん。日本に行ったら先生の故郷で边牧の(…)に会いたいですというので、いやいや、それはちょっと勘弁してくださいとなる。(…)さんところの次男が外人の嫁さん連れてきた! と(…)のときと同様の噂がまたクソ田舎にひろがってしまう。
 ラーメンをこしらえて食す。(…)くんの修論の添削にとりかかる。1時半になったところで作業を中断。これだったら明日中になんとかなるかなという感じ。(…)さんの面接用の自己紹介文も添削して送信。歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックしたのち、寝床に移動してEverything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きを読み進めて就寝。