20230227

 一つ目は小学校を卒業した年の夏休み、一九七三年だったと思う。文化大革命は七年目を迎え、我々が見慣れた武闘(武力闘争、特に文革中の暴力行為を指す)と野蛮な家宅捜索はすでに過去のこととなっていた。革命の名のもとにくり広げられたこれらの残酷な行為にも疲労の色が表れ、私が暮らす小さな町は抑圧と窒息に包まれたまま小康状態に陥った。人々はますます臆病で慎重になった。ラジオや新聞は相変わらず毎日、階級闘争を呼びかけていたが、階級の敵にはしばらく出会った記憶がない。
 そんなとき、町の図書館が対外開放を復活させた。父が私と兄のために図書館貸出証を入手してきてくれたので、退屈な夏休みにやるべきことができた。私が小説を読むのを好きになったのは、そのときからだ。当時の中国では、ほとんどの文学作品が「毒草」とされていた。外国のシェイクスピアトルストイバルザックらの作品も毒草、中国の巴金、老舎、沈従文らの作品も毒草、毛沢東フルシチョフが反目、敵対したため、ソ連の革命文学も毒草となった。大量の蔵書が毒草として廃棄されたので、再開した図書館にはいくらも本がなかった。書棚に置いてある小説は二十数種だけで、すべて国産のいわゆる社会主義革命文学だった。私はそれらの作品をひと通り読んだ。『艶陽天(うららかな日)』、『金光大道(輝ける道)』『牛田洋』『虹南作戦史』『新橋』『鉱山風雲』『飛雪迎春』『閃閃的紅星(きらめく赤い星)』など……。当時、いちばん好きだった本は『閃閃的紅星』と『鉱山風雲』である。理由は簡単で、この二冊の小説の主人公が子供だからだ。
 こうした読書体験は、その後の生活に何の痕跡も残さなかった。感情も人物も、ストーリーさえも読み取ることができず、読み取れたのは無味乾燥な様式で階級闘争を語っていることだけだった。それでも私は、全部の小説を真剣に最後まで読んだ。当時の生活がこれらの小説以上に無味乾燥だったから。「飢えているときは食べ物を選ばない」という諺がある。私の当時の読書体験はまさにそれだった。小説でありさえすれば、文章が続く限り、私は読むことをやめなかった。
 二〇〇二年の秋、私はベルリンで二人の老漢学者に会い、一九六〇年代初期の中国の大飢饉について語った。この教授夫妻は実体験に基づく話をした。当時、彼らは北京大学に留学していたという。夫は家の急用で先に帰国し、二か月後に妻からの手紙を受け取った。妻は手紙で、こう知らせてきた。大変だ。中国の学生は北京大学の木の葉を食べ尽くしてしまった。
 飢えた学生が北京大学の木の葉を食べ尽くしたように、私は木の葉よりも消化しにくい町の図書館の小説を読み尽くした。
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 11時にアラームで起床。(…)から微信が届いている。(…)先生と連絡をとった、おそらく銀行口座の名義の問題で振り込みがうまくいっていない(という話は以前(…)先生からも聞いている)、これについてはfinancial officeとcommunicateして解決するつもりだ、と。了解。歯磨きと身支度を整えて第五食堂へ。打包。帰宅して食し、コーヒーを淹れ、阳台に移動。窓辺に置いたデスクに着席し、コーヒーを飲みながらひとときスマホでニュースをチェック。ようやく折りたたみデスクを活用した。
 それから寝室のデスクにもどり、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年2月27日づけの記事を読み返す。さらに2013年2月27日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。このころはまだ映画を観る習慣が残っている。一日に三本も観ている。

 今日づけの記事もここまで書く。すると時刻は14時半。(…)先生に翻訳チームの報酬の件について連絡する。すると明後日水曜日に一緒に財務処まで出向きましょうかという返信がすぐに届く。こちらとしてはチームの会計をあずかっている人物に確認してもらえればというあたまだったのだが、財務処まで一緒に行ってもらえるのであれば、それでスピーチコンテストの報酬の件も一気に片付くかもしれないので、ここは平身低頭でおねがいします。明後日の10時に(…)楼で待ち合わせ。
 それから明日の授業の準備。二年生の日語会話(二)と日語基礎写作(二)が午後に連チャンであるわけだが、前者は初回授業ということでゲームなので準備の必要はなし。後者については「定義」をする予定なので、作成済みの教案をあらためてチェックしたのち、必要な資料を印刷したりUSBメモリにぶっこんだりする。それがすんだところで、(…)くんの修士論文も少しだけ進める。作業のあいだは『blueblue』(Sam Gendel)を流した。
 16時半になったところで中断。(…)で食パンを購入する必要があったのだが、おもては良い天気であるし、(…)くんの修士論文添削にかかりきりになっている現状にかなりイライラしている感もあったので(全然執筆できない!)、気分転換のために徒歩で店まで向かうことにする。ちょっと肌寒いかもしれんが、歩いているうちにポカポカしてくるだろうというわけで、柄物セーターと白黒ストライプのイージーパンツとブーツというお気に入りのスタイルで出る、そうすることで自身の機嫌を取り戻すのだ。音楽はフィッシュマンズ。冬休み中は徒歩で散歩するときも音楽をきかないことが多かったのだが、新学期がはじまるなり移動中にイヤホンで耳をふさぐようになるということは、これまでそうとは自覚していなかったのだが、もしかしたらじぶんは人間の話し声があんまり好きじゃないのかもしれん。マスクはいちおう装着したが、正直新学期がはじまって以降、装着せずに外出することのほうが多い。まず学生も教員もほぼ装着していないし。彼らの免疫が弱体化するまでの数ヶ月は実際かなり安泰だろう。
 買い物をすませた帰路、第五食堂に立ち寄って打包。帰宅。往復三十分の散歩になったわけだが、めずらしくキャンパス内で見知った顔とひとりもすれちがわなかった。后街のほうまで行って帰ってくるとなると、道中たいがいだれかしらから「先生!」と呼びかけられるものなのだが。
 食す。ひととき休憩し、ふたたび修論添削。一時間か二時間やったところでギブアップ。もうこれ以上やりたくない。そもそも考察の中心となる第四章以降は全面的な書き直しをするはめになるかもしれない現状、先んじて添削などしてやっても完全に無意味に終わるかもしれない、二度手間にしかならないかもしれないわけだから、第一次添削はいったんここまでにし、(…)くんが書き直しを終えた段階であらためてチェックするというかたちにすればいいんではないか? そういうわけでその旨告げて返却。先週から授業もはじまっているわけであるし、いったんここで区切らせてくれ、と。
 浴室でシャワーを浴びる。ストレッチをする。イライラがおさまらない。貴重な時間をまるっと二日も奪われたというイライラだ。明日以降はまた授業があるしその直前の準備もあるし、おそらく学生からなんらかの誘いもある。しかるがゆえに日記が長くなり、「実弾(仮)」を書くための時間とWPを奪われ、そうこうしているうちに、また(…)くんから添削依頼が届く——そうした推移が予想されて、猛烈に胸糞悪くなってきたのだ。新学期早々、はやくもキャパオーバーになりつつある。
 とりあえず今日の残された時間は「実弾(仮)」にあてようと決めて、コーヒーを淹れ、21時半過ぎからテキストファイルをひらいたのだが、文字列を目にした瞬間、あ、あかんわ、となった。修論の添削でWPが知らず知らずのうちにごっそりともっていかれていることに気づいたのだ。くそったれ。実際、添削らしい添削は冒頭の(よく書けていた)要旨と第一章および第二章くらいで、第四章以降は赤字で修正した箇所のほうが多いくらいだったし、そういう意味ではいっそのことゼロから代筆させてもらったほうが楽だったかもしれない、不自然な文章と空疎な論旨を解読しつつそれに沿って文を加筆・補足・修正する、そうした営為にすっかりすり減らされてしまった感じだ。(…)時代の後輩である、寺のクソバカ息子こと(…)くんの卒論を代筆したときはたしか10万円ほどもらったが((…)くんは当時車にはねられたおかげで懐がほくほくだった)、あれは参考文献に目を通した時間も含めて三日とかからなかったはず。それにくらべると、((…)くんはこちらに1000元ほど払うつもりでいるらしいが)今回のこの仕事はずいぶん割に合わんな。
 書見したくなった。論旨のしっかり通った硬い文章を読みたい気分だった。そうすることで(こういう言い方をしたら(…)くんには悪いが)内容すっからかんの悪文にまみれた脳味噌をいったん洗浄したかった。だから英語ではダメだ。そういうわけでEverything That Rises Must Convergeを読み終えたら再読しようと考えていた『ラカン入門』(向井雅明)を手にとった(何度でも書くが、文庫化する前の『ラカンラカン』という名前のほうが絶対に良いと思う)。音楽もなるべく抽象的でメロディを排した、それでいてやかましくないやつを、耳から脳味噌にしっかりそそぎこみたい気分だったので、LI YILEIの『之/OF』をひさしぶりに流すことにしたのだが、『Secondary Self』という新譜が去年リリースされていたことにいまさら気づいたので、これも続けて流した。めちゃくちゃいいわ、これ。最高だ。LI YILEIはいまのところアルバム三枚ぜんぶ好きだ。

 それでいえば、店内で流れているBGMにイライラするからという理由でコンビニに入るのが嫌だった時期がある。コンビニで流れているようなJ-popを耳にするだけで、甘ったるいメロディとお決まりのコードや展開を耳にするだけで、たいそうイライラしたいそうジリジリする、それでコンビニで買い物をするときは必要なものだけちゃちゃっと買ってツレを待たずさっさと店の外に出るようにしていた、そういう時期がたしかにあった。円町に住んでいたころだと思う。外でしょうもないもんを聞いてしまったときは、帰宅後すぐにイヤホンをつけてフリージャズを流し、それでもって耳を洗浄するみたいな、そういうことをせざるをえない時期があったのだが(外出後の手洗いうがいみたいな感じ)、あれはあれで極端だったな。まあいまでも后街など歩いている最中、ミルクティー店の店先からこっちのだらしないポップスみたいなのが流れてくると、死ぬほどうんざりすることはあるが(とはいえ、母語にくらべると理解ができず響きになじみもない外国語で歌われているという一点において、J-popよりはまだ我慢がきく)。
 『ラカン入門』(向井雅明)を読んでいる最中、二年生の(…)さんから微信が届いた。授業で使用する教科書についての質問。写作は先学期同様教科書なし、口語に関しては途中まで先学期と同じ教科書、五週目か六週目以降は二冊目を使用すると返信。明日は三時間通して授業ですから大変ですねというので、その授業を受けるきみたち学生も大変でしょうと受ける。授業が終わるのは18時で、夜の自習は19時から。学生たちはほんの1時間しか夕飯の時間をとることができない模様。現三年生は二年生のとき、けっこう頻繁に夜の自習をサボってこちらと出歩いていたわけであるが、現二年生はわりとみんなしっかり自習に参加しているという印象を受ける。もしかしたらチェックが厳しくなったのかもしれない。
 (…)さんからの微信をきっかけに、今週(…)の一年生でやる日語会話(二)の授業内容も少しだけ確認。今学期の口語の授業は後半ほぼ丸ごと使ってアクティビティをやるつもりでいるのだが、それがちゃんと機能するかどうか、やや不安なところがある。時間配分も苦手であるし(これはしょっちゅう雑談に逸れてしまうじぶんのせいだが! しかしインプロヴィゼーションとしての雑談や質疑応答のない授業なんてクソほどつまらないのでは?)。まあ、現場でやってみなわからんことだらけや!
 腹筋を酷使する。プロテインを飲み、トースト二枚を食し、ジャンプ+の更新をチェックする。歯磨きをし、今日づけの記事の続きを少し書く。(…)くんからこちらが添削をした箇所の確認がすんだと微信が届く。「感服しました」と。ダブルチェックする余裕がなかったし、ミスもいくらかあると思う、それについてはきみが考察パートを書き直した段階であらためてまとめてチェックするから、と伝える。しかしあの内容で本当に卒業できるのだろうか? ちょっと心配だ。(…)くん、すでにけっこうメンタルにダメージを負っているようであるし。
 ベッドに移動。Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きをほんのちょっと読み進めて就寝。