20230503

 まず第一に主体は想像的ファルスである。それはペニスを持たない母に対して主体が想像するペニスであり、母が持ちたいと望むペニスである。対象関係のそもそものスタートは、このことを考慮すると、ある対象ではなく、「対象の欠如」すなわち母のペニスの不在であると考えることができる。ラカンは「人間的世界において、対象の組織化の出発点としての構造は、対象の欠如なのです」(…)と明言している。つづいて、この想像的ファルスは父の名(Noms-du-Père)によって母の欲望が消去される象徴的去勢を通して、象徴的ファルスとして象徴界に登録される。欠如している想像的ファルスというものが象徴化される以上、この象徴的ファルスは欠如のシニフィアンとなる。またこの象徴化の際、想像的ファルスは抑圧され(想像的ファルスの陰画化)、欲望の原因である対象が産出される(想像的ファルスの陽画化)。この対象は対象aと呼ばれ、それは幻覚を配置し、欲望を支えることになる。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第三章 ラカン第一臨床あるいは同一化の臨床」)



 昼前起床。二年生の(…)さんから早朝微信が届いている。作文の清書は授業中に書いたのだが、提出し忘れていたという。ほんまかよ。朝昼兼用の炒面を第五食堂で打包。食し、コーヒーを淹れ、きのうづけの記事の続きを書く。途中、(…)くんから微信修論に一箇所誤字があると審査で指摘されたのだが、本当に間違っているだろうか、と。「(…)先行研究はそれほど多くではないが、(…)」の「多くではない」は「多くはない」の間違いだという指摘だったと該当箇所を引いていうので、確かに間違っている、ケアレスミスだなと応じる。
 きのうづけの記事を書き終わったところで、(…)一年生の(…)くんに明日の授業で使う資料を送る。なんとなくそんな気分だったので、今日は日中を執筆にあてることにする。そういうわけで14時過ぎから17時過ぎまで「実弾(仮)」第四稿。シーン24を片付け、シーン25の序盤をいろいろいじくる。結果、プラス8枚で計466/1007枚。レトリックを解禁することに決めた。初稿の段階ではほとんどコンセプチュアルといってもいいほど比喩をはじめとするいわゆる文学的レトリックに対する禁欲を貫いていたのだが、稿を重ねるにつれてその路線でこの内容を扱っても齟齬が生じるだけだということに気づき、それで基準をゆるめてきた現状、ここにいたって、むしろ時と場合によっては積極的にレトリックを用いたほうがいいという方向に方針転換することに決めた。もちろん、だからといってゴテゴテよそおうというわけではない。量より質。フラナリー・オコナーみたいに要所でごっついのをバシっと決めるのだ。単語のチョイスだけは注意しなければならない。作中の語りには登場人物らと独立した存在としての審級をいちおう与えているものの、『A』とは異なり、機能としての「語り」ではない存在としての「語り手」の様相をことさらきわだたせているわけでもないので、そのシーンに居合わせた登場人物らが決して使わないような言葉は、いわゆる地の文(語りの声)であってもひとまずは使わないようにする。比喩をおりまぜるにしても、そのときその場を共有する登場人物の思考と釣り合うものに限定する。とりあえずそういう規則でやってみる。
 第五食堂で打包する。メシ食う。部屋の電気を消してベッドに寝転がった状態でひとときフリースタイルして遊ぶ。それからシャワーを浴びる。あがると、三年生の(…)さんと(…)さんのふたりから微信が届いている。およそ一ヶ月ぶり。めずらしくずいぶん間があいたわけだが、(…)さんがびわを持ってきてくれるという。土産らしい。それで寝巻きではなく街着に着替えて待つ。今日は日中の気温も30度以上あったし、風呂あがりの室内もかなり蒸し蒸ししていて気持ち悪かったので、ひさしぶりにエアコンをつけた。
 もうすぐ着きますという連絡が届いたところで外に出る。寮の敷地外に出た先にふたりがいるのでひさしぶりとあいさつする。この一ヶ月なにをしていたのかとたずねると、なにもしていないという返事。勉強? というと、いえいえいえ! と手を横にふってみせる。びわの入ったビニール袋を受けとる。びわといっても日本で見るようなサイズではない、ひとつひとつはライチのように小さい。便宜的に「びわ」と言っているだけで、もしかしたら別の果物かもしれん。(…)さんは小さなうちわも持っていた。表面には男性アイドルの顔写真が二枚貼ってある。中国のアイドル? とたずねると、タイのアイドルだという返事。そう、中国の若者のあいだではタイの大衆文化も微妙に存在感を放ちつつあるんだよな。少なくとも観測範囲ではそういう印象を受ける。タイのドラマがおもしろいとか、タイの音楽をきいているとか、ちょくちょくそういう話をきく。
 (…)さんは連休中帰省しなかったらしい。車がいっぱいだったからというのだが、あれかな? 電車の切符がとれなかったとかそういうことかな? 日本に渡る準備はしているのかとたずねると、来週パスポートが手に入るという。このあいだチケットの値段を調べたら往復で10万円くらいだったというと、南京からの飛行機であればもっと安いという返事があったので、彼女のアプリで見せてもらうとたしかにかなり安い。しかしこれを書いているいま、ExpediaやTrip.comで調べてみたところ、上海を経由しようと南京を経由しようと廈門を経由しようとやはり往復では10万円弱であることが判明した、というか契約書をあらためて確認したところ、年一回の往復であれば最大15000元まで大学が出すとなっているので、別に細かい金額にこだわる必要はない。冬の帰国時にはいまより額が下がっていればいいな。そうすれば自腹でもたいして痛くない。
 散歩の流れになる。びわの入ったビニール袋だけ寮の敷地内にあるケッタのハンドルにさげておく。コーヒーが飲みたかったので瑞幸咖啡に向かうが、途中の果物屋のほうに目を奪われる。もうスイカを売っているのだ。みんなで買おうかとなるが、スイカよりも串に刺さったメロンのほうがうまそうだったので、そちらを購入することに。一本3元。スイカはけっこうデカくカットしたやつが4元で、女子ふたりはそっちを購入。夕飯は第一食堂の螺蛳粉を腹いっぱい食ったので、お腹がたぷたぷだという。メロンとコーヒーは合わない感じがしたので、そのまま適当にキャンパスをぶらつくことに。途中で雨が降りだしたが、あるかなしかの小雨以上にはひどくならず、じきにやんだ。
 図書館のそばを歩く。四級試験の話をする。(…)さんはわずか1点足りずに不合格になってしまったわけだが、次回は必ず合格するはず。(…)さんが(…)さんを下回る点数でクラス最下位をマークした件について、本人はマークシートのずれのせいだと言っているらしいが、ふたりはひそかにそうではないと思っているという。しかし相棒の(…)さんによれば、ふだんゲームばかりしているという印象の(…)さんも、あれはたぶん試験前にかぎってはということだと思うのだが、毎日二時間か三時間勉強していたらしい。
 セブンイレブンの話をする。友阿と万达にそれぞれ開店したみたいだよというと、ふたりは今日の昼間まさに友阿に出かけていたという。しかしセブンイレブンには気づかなかったらしい。友阿ではレストランで昼飯を食ったのだが、そのメニューというのが「デートコース」みたいな名称のものだったらしく、(…)さんはわざわざそのレシートの写真を撮ってモーメンツに投稿し、(もちろん冗談で)恋人がいるふりをしたとのこと。実際のふたりはといえば、あいかわらずフリーのまま。(…)さんは大分県で恋人ができるかもしれないと(…)さんがいうので、同僚はおじさんとおばさんばかりだと思うけどというと、金持ちであれば問題ないと(…)さんがいい、それに対して(…)さんが、ひとのことだからって好き放題言って! みたいな抗議を口にした。(…)さんは日本滞在中、映画館でかならず宮崎駿の新作『君たちはどう生きるか』を観るつもりだといった。
 かえるの住んでいる池をのぞく。以前もおなじようにふたりでキャンパスを散歩しながらこの池をのぞいたねと話す。あの頃ってまだきみたち一年生だったんじゃないというと、わたしたちが一年生のころ先生はまだ日本にいましたという反応がある。そうだった。土木関係の学部がある建物の前にちょっとした人だかりができていた。マイクを持って話している男性もいる。なんだなんだと近づいていったところ、どうやら晚会のリハーサルらしい。明日が本番の模様。外国語学院も以前は年に一度、ホールを貸し切り状態にして、学生たちがステージで歌を歌ったり、ダンスしたり、楽器を演奏したり、アフレコしたりするイベントがあったんだよというと、ふたりはびっくりしていた。ぼくは外国人の審査員として、日本語と英語だけならまだしも、聞いても全然理解できない韓国語のアフレコにまでなぜか点数をつけなければならなかったんだよ。
 女子寮のほうに向けて歩く。クラスメイトのみんなは元気にしているかとたずねる。あたらしいクラスメイトが増えたというので、三年生の後期から? とびっくりしていると、もともとは(…)さんのクラスメイトだった、軍隊に行っていて今年復学したというので、(…)くんか! となった(しかし女子ふたりは彼の名前をはっきりおぼえていないようす)。(…)さんから以前、彼は卒業後軍隊に行くという話を聞いていたが、あれは卒業後ではなく中途でということだったらしい。(…)くん、日本語は全然できない。日本語学科の学生らしくないシュッとした男の子で、(…)さんは彼はちょっと俳優みたいな雰囲気がある、きっと女子にモテモテだろうとしょっちゅう口にしていたものだが、彼についてはゲイであるという噂があった。たしか(…)さんからだったと思うが、彼のスマホにゲイ専用の出会い系アプリが入っているのを目撃したという話を聞いたことがあるし、もっと言うなら彼自身から受けとった作文のなかに、なかば冗談めかしたアレではあったものの、自分はゲイであると書かれていたのもおぼえている。もちろん、その話はふたりにしない。(…)くんは英語学科の後輩から最近告白されたと(…)さんはいった。付き合っているの? とたずねると、知らないという返事があったので、まあ断ったんだろうなと思う。
 その流れで一年生の(…)くんの話になる。というのも彼は英語学科の先輩と付き合っているからなのだが、彼の名前を出したところ、(…)さんの顔がゆがんだ。(…)さん相手に中国語でなにやらバババババっと口にするので、彼のことを知っているのかとたずねると、悪いひとですという返事がある。なんでまた? とたずねると、(…)さん相手にまた中国語でバババババっと口にする。その言葉のなかに(…)さんの名前が聞きとれたので、(…)さん? とツッコミをいれると、老师听得懂! といって笑う。で、詳しく説明してもらったところによると、(…)くんは彼らのクラスの班导である(…)さんと(…)さんのことを阿姨みたいだと言ったことがあるらしい。それは冗談じゃないのか、班导という立場であるから後輩らにいろいろ口やかましく言わなければならない、そのことに対する多少生意気な揶揄ではないのかというと、そういう意味ではなく外見に対する悪口だったみたいなことをいうので、あ、それはあかん、絶対アウトやわ、となった。で、これに続く話がちょっとおもしろかったのだが、(…)さんも(…)さんもだれから聞いた話であったか忘れた、真偽不明であるといちおう断っていたものの、その件について後日(…)くんは班导のふたりに泣きながら謝罪したらしい。これにはさすがに、えー! となった。いやしかし、ないとは言い切れない感じはちょっとする。女装趣味があり、自撮り趣味があり、変にロマンティックな言葉をやたらと愛する、そういう彼のふるまいを見ていると、ま、たしかにちょっと打たれ弱いところもありそうだなという感じがするのだ。
 女子寮付近で後ろから「先生!」と呼びかけられる。二年生の(…)さん。そばには(…)さんと(…)さんもいる(しかし(…)さんの相棒である(…)さんは今日もいない)。自習帰りだという。今日は連休の最後の一日。授業はなかったのだが、一年生と二年生は夜の自習があったらしい。(…)さんにセブンイレブンについてたずねる。日本の商品は置いていたか、と。(…)さん、例によってこちらに話しかけられると多少パニクってしまうようで、すぐにスマホで翻訳アプリをたちあげる。そして出てきた言葉は「あまりよく見ていないのでわかりません」。ふたりはすぐに去る。(…)さんだけはその場に残り、(…)さん相手にワー! と話しはじめて、そうだった、このふたりはいつもこうだった、話しはじめると止まらないのだった、というか(…)さんがやたらと(…)さんになついているのだった。
 で、ふたりがわーわー言っているあいだ、こちらと(…)さんは置いてけぼりになる。わたしが同時通訳します! みたいなことを(…)さんがいうが、こちらが直接リスニングしたほうがまだマシというレベルのアレしか出力されない。とりあえず日本語学科の置かれている状況について話しているのは間違いないようだった。そのまま女子寮まで移動したのだが、門前でもふたりはずっと話し続けており、(…)さんがあらためて解説してくれたところによると、日本語学科は大学から全然重視されていない、そのことにふたりはたいそう怒っているようす。まあこのまま潰れるみたいな話もあるしねというと、さすがにそれはないと思うという反応があったが、それだってどうだかわからない。教育改革の一画なのかもしれないが、ビジネスに関連する科目(ビジネス日本語と商法)は現二年生を最後に撤廃されるらしい。そのかわりに文学関係の授業が増えるというので、あれ? なんか改革の方向性が政府の意向と逆向きじゃない? むしろ政府としては少しでも経済的に役立つ方向でというアレでなかったっけ? と思ったが、どうしてそういうふうになるのかは不明。外教がひとりしか雇えなくなった現状、会話に関連する科目数を減らすという方針に主任の(…)先生のほうで切り替えたということなのかもしれない。ちなみに三年生は現在、(…)先生が担当する商法の授業を受けているというのだが、これが(…)先生に負けず劣らずひどい授業だとのこと。(…)先生が日本語を話しているところは一度も見たことがないと(…)さんは言った。
 三年生の恒例行事であるという、口語実践演習とかなんとかそういう名目の修学旅行的イベントについて、来週はじまることになったというのだが(そのはじまりが準備のはじまりであるのか、出発であるのかはちょっとわからない)、いまだに目的地が判明していないらしい。スピーチコンテストの校内予選についてもそうだが、今年はすべてのスケジュールが後ろに後ろにずれこみまくっている気がする。三年生のふたりは西安に行きたいといった。(…)は近すぎるから嫌だという。
 (…)さんがようやく話を終えて寮に先にもどった。ふたりはもう一度こちらを外国人寮のほうまで送っていくつもりらしかったが、すでに21時をまわっていたし、それに今週の土曜日の夕方いっしょに出かけようと誘われてもいたので、積もる話はまたそのときにということで、今日はめずらしく女子寮前でさよならした。喉が渇いていたので瑞幸咖啡に寄っていくことにした。店まで歩きながら、じぶんの歩行のリズムを一種のビートに見立てて、小声でフリースタイルし続けた。照明に照らされたバスケコートをショートカットのために横断する途中、男子学生のひとりがすれちがいざまこちらのほうをちらりと見た。その目つきから察するに、どうやら興が乗るにつれてけっこう大きな声になっていたようだ。
 瑞幸咖啡でココナッツミルク入りのアイスコーヒーを打包する。帰宅し、のどをうるおしながらひとときフリースタイルし、それからきのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年5月3日づけの記事を読み返した。2013年5月3日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。そのいきおいのまま今日づけの記事も一気呵成にここまで書くと、時刻はぴったり0時半だった。

 ひとつ書き忘れていた。女子寮の門前で立ち話しているあいだ、やはり自習終わりの学生たちとたくさん顔を合わせることになったのだった。しかしだれと言葉を交わしたのであったか、もはやあまりはっきり記憶していない。たしかなのは(…)さんと(…)さんのふたり。(…)さんについては、彼女は勉強はあまり好きじゃないけど明るい子でスケボーが好きなんだよとかたわらの(…)さんに説明したので印象に残っている。明るい金髪がなかなか目立つ(…)さんは、だれかの運転する電動スクーターからおりるなり小走りでこちらの正面にやってきて、先生こんばんは! と快活に口にしてぺこりをあたまを下げてみせた、そのふるまいを見た(…)さんが、日本語学科の学生らしい! と微笑ましそうにいうので、あ、そっか、中国ではそうカジュアルにお辞儀なんてしないもんな、といまさらなことを思ったのだった。しかし(…)さん、前々から思っていたけどちょっと雰囲気が卒業生の(…)さんに似ているんだよな。顔立ちそのものもそうであるし、タッパがあるところもそうであるし、それにくわえて今日のあのふるまい、ちょっとおどけた感じのちょこちょこした小走りでこちらの前にやってくるあのひとなつっこい感じが、なつかしい姿にやたらと重なってみえた。こうして同じ場所で同じ年頃の学生ばかり相手にしていると、たとえば初顔合わせとなる新入生を前にしてもその子自体の印象がせりだすよりも、それまでに出会った学生との類似のほうが先にせりだしてくる、そういう感覚は去年あたりからことさら頻繁におぼえるようになった。いや、もともと人間の認知のデフォルトとはそういうものであり、そしてそういうものであるそのありかたが、同じ性別(日本語学科の学生の大半は女子だ)・同じ年頃・同じ出身地と、複数の属性が重複しているがゆえに必然的にその(ささやかであるからこそきわだつ)差異が目につくことになる集団を相手にしつづけるこの環境においてはことさら強く対象化されるということなのかもしれない。
 それにしても「いつの日にかみんなどこかへ消えてしまう気がする」(ブランキー・ジェット・シティ「水色」)という感じだ。本当に卒業とともにみんな消えてしまう。ここは田舎だから。ほとんどすべての学生にとっての止まり木でしかないから。「伝えなくちゃその気持ちを」のかわりにただ日記を書く。
 夜食のトーストを食す。ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをすませ、またフリースタイルして遊ぶ。その後、寝床に移動して就寝。