20230505

 ミレールはラカン前期をセミネール第一巻(『フロイトの技法論』)からセミネール第一〇巻(『不安』)までの時期(一九五三-一九六三)として、この時期に対応するラカンの臨床を理論的に示している。彼はラカン第一臨床を「同一化の臨床」と呼んでいる(…)。その骨子は以下のようなものである。
 同一化の臨床とは、分析主体が分析において自分の歴史を真理的な方法で語ることである。つまり、主体は過去の現在における統合としての歴史を再構築することを学び、真理として存在することを可能にする同一化を練り上げる。換言すれば、この臨床とは、象徴界に書き込まれた症状を解読しこの意味に同一化することであり、新しい満足のいく同一化を練り上げることで主体の真理を実現することである。それによって、主体は欲望の主体となり、自らを拘束していた様々な所与から離れることができ、治癒へと導かれることになる。
 「歴史と承認という視点だけが主体にとって何が重要なのかを決定し得る、と言ったとしても、(…)フロイトの思想を曲解することにはならないと思います」(…)。
 それでは、こうしたラカンの前期理論を臨床に使える形に少し変形してみよう。上記のミレールの議論を拠り所として、先に述べた無意識と症状の定義を考慮すると、次のようなアプローチが考えられる。それは、分析主体とは自らの歴史を語り、分析家とともにパロールを積み重ねていくことでシニフィアンを連鎖させ、その連鎖に句読点を入れて事後的に意味を産出させていく、というものである。
 そうした作業によって自らの歴史が再構築され、抑圧されていた症状の意味が解放される。そして、そこで分析主体は「それが私の真理だ」と感じ、それまで自ら知らずにいた症状の意味を受け入れることができるだろう。それは新しい満足のいく同一化の練り上げであり、そのことは、享楽(jouissance)とともにあった想像的ファルスである主体が、シニフィアンシニフィアンの関係で規定される主体へと象徴化されて、或る享楽を諦めたことを意味する。欲望の観点から述べれば、それまでに或るシニフィアンに固着していた欲望は、次のシニフィアンへと移動し、主体は大文字の他者の中でこれまでとは違った欲望を持つに至るのである。
 同一化の臨床とはこのような行程を辿るものであり、それは症状に応用された精神分析(psychanalyse appliquée au symptôme)あるいは単に応用精神分析(psychanalyse appliquée)と呼ばれ、症状に対する治癒という出口を提供する(…)。
 この過程において、分析家は真理を知る者という大文字の他者の場に位置し、主体が解釈したものに応答する解釈的な位置を占めている。この位置で分析家は「うん」という相槌から意味が意味として明瞭である解釈までの幅で様々に応答する。こうした応答が主体に新しい同一化を練り上げさせる一要因となるものの、重要なのは先にも述べたように、分析家と分析主体が共同としてパロールを積み重ねることでシニフィアンを連鎖させることである。そのためには、分析家は無意識の形成物の中にとりわけ認められやすいシニフィアンに注目して、それに解釈的に応答し、それに対する主体の反応から、自らが接ぎ木したシニフィアンが連鎖されうるのかを判断するという過程を繰り返す。それがシニフィアン連鎖を追っていくという作業である。
 ところで、この章で述べてきた、分析主体と分析家の共同作業によってシニフィアンを連鎖させることで主体の歴史を再構築するという臨床形態は、「真のパロールによる事後的な主体の歴史の再構築」という言葉で端的に言い表すことができる。ラカンによれば、真のパロール(満たされたパロール)とは「過去の偶然事に来るべき必然性の意味を与えることによりそれらの偶然事を改めて整理し」、「現実ではなく真理」(…)をもたらすものである。それは分析過程において重要な機能を果たしている。
 「分析は真のパロールを通過させることを目標としなければなりません。この真のパロールは、主体を、他の主体に、ランガージュの壁の向こう側に結びつけるのです。分析の最終点を規定するのは、主体と真の大文字の他者、予期せぬ答をもたらす大文字の他者との究極の関係なのです」(…)。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第三章 ラカン第一臨床あるいは同一化の臨床」 p.63-65)



 11時半ごろ起床。第五食堂の一階で炒面を打包。帰宅して食し、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。14時をいくらかまわったところで出発。予報では雨になっていたが、まあだいじょうぶだろう、最悪降られたところでたいしたことあるまいというわけで、ケッタで外国語学院まで出向くことにしたのだが、出発して10秒でまずまず降りはじめて、ありゃ、マジか、となった。ピドナ旧市街入り口の売店でミネラルウォーターを買う。
 教室に到着するころには、濡れ鼠とまではいかないが、まずまずぶざまな姿に。緑色のカットソーに斑点が散らされている。14時半から(…)一年生の日語会話(一)。まずはひさしぶりーとあいさつし、連休中のあれこれを話したり、「蒸し暑い」「むしむしする」という言葉を説明したり、出席をとるにあたって髪の毛を染めている女子を見つけるたびに「不良少女」と黒板に書きつけたりした。(…)の一年生にくらべると、とにかく明るい。なにやってもみんなーギャーギャー騒ぐ。例年と(…)が逆だ。出席をとっている最中、(…)さんが「先生!」と言って相棒の(…)さんのほうを指す一幕もあった。なになに? とたずねかえすと、彼女のTシャツを指さしてから前方に座っている(…)くんのほうを指さす。で、よくよく見てみると、ふたりは色違いのTシャツを着ている。ペアルック(死語)やんけ! 中国の恋人たち、そういえばたしかにペアルックを着ているのをちょくちょく見かける。例によって中指を突き立て、ファック! という(学生らはこちらがファックとかクソとかバカヤロウとか中国人教諭が担当する授業ではまず口に出されることのない汚い言葉を口にするのを毎回期待している)。
 授業は「道案内」。これ、元々は二年生でやっていた授業で、一年生相手にやるのは今日がはじめてだったのだが、期末テストの内容であると事前に予告しておいた効果もあったのだろう、みんなしっかり集中していたためか、後半にさしかかるころには前列組などほぼ全員がしっかりリスニングできていたし、練習時間などほぼなかったにもかかわらずスピーキングもまずまずできていたので、ちょっと驚いた。今週と来週の二週にわけてやるつもりだったのだが、今週だけでもなんだったら十分だったかもしれない。もしかして現一年生、かなりレベルが高いのだろうか? ちなみにスピーキングは(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)さんの順番でやったのだが、男子三人の場合はまったく生じなかった拍手が(…)さんのあとにのみ巻き起こったのには笑った。日本語学科の男子って、クラスの少数派というアレもあるんだろうが、基本的に立場が弱い。
 授業後、(…)くんと(…)くんのふたりからメシの誘い。マクドナルドへ行こうという。以前建設中だった店舗がすでに開店しているという。さらにその店舗にほぼ直通するキャンパスの西門も開通されたということ。すばらしい。しかし外はなかなかの雨降り。ひとまず地下道の手前に自転車を停めておき、そこから歩いて西門のほうに向かった。西門はたしかに開通していた。開通しているにもかかわらず、今日はなぜかゲートが閉まっていた。きのうは自由に通り抜けることができたとふたりがいう。われわれの前方にもやはりここから外に出ようと考えていたらしい女子学生らがおり、みんなしてなんでゲートが閉まっているんだとふしぎな顔をしていた。無理やり乗り越えていこうかとなったが、監視カメラもあったし、教師がそんなことしたらまた問題になるかもしれないので、おとなしく、めちゃくちゃおおまわりになるが、北門のほうからキャンパスの外に出ることに。こちらは傘を持っていなかったので、ふたりがこちらはあいだにはさむかっこうで二本の傘の下にいれてくれたのだが、両肩がぴったりひっつくかたちになるし、傘の先端がときどきあたまに当たるし、その先端から垂れ落ちる重いしずくのせいでかえって濡れるしで、途中で傘はいいよと断った。
 マクドナルドの店舗はけっこう小さかった。レジには緑色の風船でできた猫耳みたいなのをつけた女性がいる。おばちゃんのようにみえたが、おねえさんかもしれない、あれでまだ二十代だったりするのかもしれない、農村出身らしくみえる肌の浅黒い女性だった。(…)くんは自分がVIPだといった。だから安く購入することができるみたいなことを言ったが、結局これは勘違いかなにかだったらしい、詳細はよくわからんが当初の当ては外れたようだ。ハンバーガー三種類、太いポテト、細いポテトと骨付き唐揚げとナゲットがバケツにつめこんであるやつ、それにコーラが三つのセットで、たしか100元を切るくらいだったか? それを注文するというので、なんでもいいよと任せた。ハンバーガーは一番デカい二段重ねみたいなやつをもらったが、うまかった。骨付き唐揚げはアホみたいに辛かったが、ふたりは全然平気だといった。
 食事中はふたりがそれぞれ別の話をのべつまくなし繰り出してくるのをひたすら相手する。(…)くんは主にアニメの話。これは知っていますか? これは知っていますか? と次々とbilibili動画にアップロードされているアニメのサムネイルをこちらに見せる。アニメに関していえば、(…)くんよりも(…)くんのほうがよっぽど詳しいみたいだ。『シュタインズ・ゲート』の話で盛りあがる。(…)くんがいま楽しみにしているのは『推しの子』と『地獄楽』と『鬼滅の刃』。全部(アニメではないが)漫画のほうでチェック済みであるので話を合わせることができる。あと、彼はゲームも大好きで、最近『原神』を製作した会社があらたにリリースしたゲームにハマっているとのこと。ちなみに恋人の(…)さんはアニメやゲームにはさほど興味がないらしい。
 (…)くんはアニメよりも特撮のほうが好き。仮面ライダーだのウルトラマンだのゴジラだのの映像をVPNをかませたYouTubeでこちらにしきりに見せようとする。『シン・仮面ライダー』や『シン・ウルトラマン』の監督が庵野秀明であることを知らないようだった、というか庵野秀明がだれであるかもわかっていないようだったので、『エヴァンゲリオン』を作ったひとだよというと、ふたりともびっくりしていた。特に(…)くんのほうはエヴァが大好きで、微信のアイコンもわざわざシンジにしているほど(そして恋人である邹莎燕さんにはアスカのアイコンを使わせているのだった)。宮崎駿庵野秀明が指定関係であることも続けて教えると、(…)くんはかなり感動したようす。
 (…)くんは特撮のほかに日本の歴史の話もやたらとしたがった。先生、日本の歴史は長いです、石器時代を知っていますか? 古墳時代を知っていますか? 先生、源氏と平氏を知っていますか? 先生、藤原道長を知っていますか? 先生、『古事記』を読んだことがありますか? 『日本書紀』を読んだことがありますか? と、隙あらばそれまでの文脈ぶちこわしでそっち関連の質問を放り投げてくるので、さすがにちょっと疲れた。もうちょっと文脈を意識したエレガントな会話をしてほしいもんだが、語学力的にそれもまあむずかしいか——と、考えたところで、いやこれ語学力うんぬんではなく、ひとむかし前のオタクの特徴として揶揄の対象となっていたじぶんの好きな話題や話したい事柄ばかりを一方的に話し続けるというアレなのかもしれん。
 ネコドナルドでだべっている最中、(…)くんがスマホを見て爆笑する一幕があった。クラス内のグループチャットでまた先生の顔写真が出回っているというので、見せてもらうと、まさに先の授業中に盗撮されたばかりのものらしいこちらの顔が表情包として流通しているようだった。中国の学生はすぐに教師を盗撮してそいつで表情包をこしらえる。犯人は(…)くんと(…)くんのふたりだというので、(…)くんのスマホを借りてボイスメッセージでふたりに不合格通知をし、さらにその場で両手の中指を突き立てている写真を(…)くんに撮らせておなじグループに投稿するよう命じた。
 (…)くんと(…)さんのふたりはデートの約束がある。いっしょに映画を観に行くことになっているというので、待ち合わせの時刻であるらしい18時前になったところで店を出た。にもかかわらず、ふたりはネコドナルドのすぐそばにある日本アニメのグッズを主に扱うおもちゃ店にまた立ち寄りたいといった。それで入店することに。このあいだ買ったばかりであるし、さすがに今日は何も買わないだろうと思ったのだが、入店するなり(…)くんが『エヴァンゲリオン』の、あれはいったいなんというブツになるのだろう、透明なプレートにイラストがはさまっている置物みたいなやつを見つけて、アスカと綾波とシンジとカヲル君とあと最近の映画版のあの新キャラの女子のやつがあり、みんなけっこうお洒落な私服を着ていて特にシンジのがよかったので、微信のアカウントにしているくらいであるしこのシンジのを買えばいいじゃんと(…)くんにすすめたのだが、彼はアスカのやつを買った。残りひとつだったからだ。たぶんまた金ができたらシンジのほうも買うのだろう。(…)くんは(…)くんで、前回フシギダネの置物を買ったばかりであるが、今日はゼニガメのやつを買っていて、次回はピカチュウを買うといった。彼の好きな仮面ライダーウルトラマンの小さなフィギュアみたいなのもあり、それがけっこういい感じだったので、これを買ってもいいんじゃないのというと、小さいからいやだという返事があって、それで、あ、これってちょっと中国的感性かも、と思った。大きいものは正義! 的な。いや、でもフィギュアをコレクションするひとたちにとっては、中国だろうと日本だろうと関係なく、やっぱりデカくて高級なものほどよいとする価値観みたいなものが一般的だったりするのだろうか? こちらが仮にそういうものを集めるのだとすれば、手のひらサイズの小さいやつばかりをむしろ好んで買って愛でると思うのだが。
 北門に戻る。道中、(…)くんから、先生、新撰組は警察ですか? とたずねられたので、どんだけ歴史好きやねんと思いながら、幕府と皇室についてなるべく簡単な言葉で説明する。そこで天皇という単語が出たからだろう、日本の教科書では明治以降のできごとが記載されていませんかという質問が続けて出たので、またむずかしい話を持ってきたなと思った。慰安婦南京事件を見据えての質問だろう。日本の社会科の教科書に近代以降の記述が少ないという指摘は実際正しいし、さらにいわゆる教科書問題なるものがあるのも事実である、しかし中国で流通している情報はまずまちがいなくそれらの問題を過度にデフォルメしたものであることは間違いない。実際、ふたりの口ぶりからは、日本史の教科書には第二次世界大戦に関する情報がほとんどまったく掲載されていないというレベルのアレ——天安門事件が中国国内ではタブーであるというのとおなじレベルの認識——があるように察せられたので、そもそも教科書には複数種類があることを断ったうえで、ぼくが小学生だったころは普通に授業で日本の侵略についても学んだ、南京のことだって当然授業でやったよと応じると、ふたりはかなりびっくりしたようすだった。日本の中高生に関するアンケートで南京の出来事を知らないと答えた人間の割合だったか、あるいは否定論者の意味だったのかもしれないが、それらが◯◯%だったというのを見たみたいなことを(…)くんがいうので、そういう数値には気をつけたほうがいい、対象がだれであるのか、調査機関がどこであるのか、母数がどうなっているのか、質問文とそれに答える回答の形式はどうなっているか、そういうところを見逃してはいけない、統計なんてとりようによっていくらでも数値をいじることができてしまえるからといった。そういう流れからもう少し踏みこんで、日本と中国の関係がいいときは中国のメディアで日本を褒める報道が増えるでしょう? たとえば武漢でコロナが流行したとき日本の団体がマスクを無料で送った、そのあと中国では一時期抗日ドラマの放映が禁止されたりしたでしょう? その逆に、両国の関係が悪いときは悪い報道がガンガン増えるでしょう? といってみたところ、なんのためにそんなことをするんですかとさらに踏みこんできたので、まあVPNの使用を公言しているような子であるからだいじょうぶだろうと判断、そりゃまあね、やっぱり情報をコントロールしたいんじゃないかな、中国はインターネットに壁があるでしょう? VPNを使わないと壁を越えることはできないでしょ? というと、ふたりは『進撃の巨人』になぞらえたセリフらしかったが、壁の向こうには自由がある! と口にした。
 寮の前でふたりと別れた。帰宅し、フリースタイルをいくらかやったのち、ケッタの回収に出かけた。イヤホンを耳の穴にぶっさし、ビートを流してボソボソひとりでフリースタイルしながら、雨の中をてくてく外国語学院まで歩いた。地下道の入り口に停めてあったケッタを回収し、傘をさして片手運転しながらひきつづきフリースタイルしつつ寮までもどった。傘を持った手も頭も口も耳も全部自転車の運転以外のところにむけられている。こういうバカはいつ交通事故で死んでもおかしくない。
 シャワーを浴びる。ストレッチをする。二年生の(…)さんから微信が届いている。「先生、最近少し崩壊しました。四級試験の焦りです。たくさんの問題をやりましたが、間違っていることが多いです。勉強ができないような気がします」とのことで、なんでうちの学生は優秀な子ほど自信があらへんのや? ひとまず長文ではげました。「実は先生と友達はいつも私に大きな期待を持っています。これは私がすべてのことをうまくやりたいと思っています。みんなの期待に応えたくないからです。私はおそらく悲観主義者でしょう。(…)そして私は自分が褒められる必要がある人だと気づきました。他人の考えを気にする人です」「そして私はずっと根気がありません。(…)焦って成功したいです。努力したのに成功しなかったら怒ります。ただ自分の自信のあることだけをするのが好きです。自分の興味があることには情熱がありますが、興味のないことは全くだめです」とあったので、彼女は電子書籍で自作の推理小説を複数リリースしているほどであるし、「自分の興味があることには情熱があります」というのはそれのことだろうと推測したうえで、「ここはちょっと考え方を変えてみて、外国語の勉強も小説の修行だと思ってみればどうかな? 実際、優れた小説家というのは、みんな外国語が一つか二つできるでしょう? 母語の特性をよく理解するためには、やっぱり外国語を学ぶ必要があると思うんだよね。」「中国語をよく理解するためには、比較対象として、中国語ではない別の言語を学んで使ってみることが重要でしょう? だから、日本語学科の学生だから日本語を勉強するというだけではなく、小説家としての君がより優れた文章を書くことができるようになるため、日本語を勉強しているという意識を持ってみたらどうかな?」と応じた。(…)さんは同室の先輩たちからいま大学院に進学するのはすごく難しいと聞かされて、以前はそんなことなかったのに、だんだん不安になってきたといった。まあたしかに内卷の影響で院試のレベルがどんどん高くなっているとは聞く。自分が将来なにをしたいかすらわからないと嘆いてみせるので、二年生の時点でそういう悩みを持つことができるという時点ですばらしい、一年以上じっくり考えじっくり悩むことができるのだから、ほとんどの学生は卒業直前になってどうしようとあせっている、だから考える時間も準備する時間もなにもない、それを思えばいまの時点でそうやって悩むことができるのはいいことだ、すぐに結論や答えが出ることはないだろうけれども何度も何度も自問自答しているうちにわかってくるはずだから安心しなさいといった。
 ウェブ各所を巡回し、2022年5月5日づけの記事を読み返した。2013年5月5日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。以下のくだりを読んで、あー! そんなこともあったな! とびっくりした。(…)さんの趣味、2ちゃんねるの荒らしって普通にイタすぎやな。

昼休み中、(…)さんがパソコンに向っている(…)さん相手にたいしてなにやら指示らしきものを出していたので何やってんすかとたずねると、(…)くんニコニコ動画とか観る?と(…)さんがいうので、YouTubeの補完って程度ですねと答えると、配信とか生放送とかできんの知ってる?とあるものだから、知ってますけどじっさいに観たことはまだないっす、おもろいんですか?とたずねかえすと、ときどきものすごいおもろいのあるでー、DJやってるやつとかじぶんの演奏生放送してたりするしな、とあって、そうこうしているうちにアカウントを取得した(…)さんがさっそくR-18みたいなカテゴリ−を光速でクリックしだして、でもメンバー限定とかなんとかでほとんど見れないみたいなことをいっているうちにたぶんR-18とかではなくてふつうのアレだと思うのだけれど、やたらとギャルギャルしい女の子が口元だけマスクで隠したうえで顔をさらしてなにやらひとりがたりしているところに行き着いて(そういうときの(…)さんはただギャルが大好きなだけの四十前のオッサン以外のなにものでもない表情を浮かべる)、画面上を流れゆくコメントをひとつひとつ拾っていってそれにたいして何やらどうでもいいことを答えるみたいなスタイルで、(…)さんがいうにはこの双方向性のやりとりみたいなのがごくごく一般的な配信スタイルらしいのだけれど、とりあえずなんかコメント送ってみましょうやとなったので、ほんじゃあとりあえずやればできる男(…)参上!みたいなアレでいきましょうよとこちらから提案し、それでじっさいにそう(…)さんが打ち込んだのだけれど、そしたらそのギャルギャルしい女の子が画面上を右から左にむけて流れゆくわれわれのメッセージを見るなり、「できる男サンタク……?」みたいなことを呟いたのでいちどう爆笑した。今日はもうこれが見れただけでお腹いっぱいだと(…)さんは腹を抱えていた。(…)さんこういうのちょくちょく見るんですかとたずねると、うんまあ一時期とか荒らしまくってたりしたしねみたいなことをいっていて、その返答にはまあ若干引くというか、イメージにないというか、いやイメージにないことはないな、むしろやっぱり!みたいに得心するところもあったのは、(…)さんがたびたび口にする極右的な発言がしばしば嫌韓系のまとめブログに転載されている発言そのままであったりするのにひそかに気づいていたからで、だから2ちゃんやニコニコ動画なんかにはわりとディープにはまっているんでないかと、これはもうずっと以前から思っていたことなのだけれど、今回の一件ではっきりと確証を得た気がする。(…)くんがここに来るまえに働いてたひとでこの配信をやってたひともおるしな、というひとことには、へえーと思った。じぶんの想像しているよりもずっとこの界隈のユーザーは多いのかもしれない。

 (…)くんからLINEが届いていることに気づく。きのうづけの記事に書いた“Her First Ball”の謎のくだり、"The third and the ninth as usual. Twig?”というのは「三番目と九番目の曲で踊ろうね。わかった?」という意味じゃないか、と。なるほど! ダンスのプログラムのことだったのか! すっきり!

 アンインストールしたGrim Tidesを結局またインストールしてしまう。それから朝方まで延々とプレイ。授業準備も大半を詰め終わり、今学期の終わりがみえてきたいま、脳みそが完全にだらだらモードに入りつつある。このだらだらモードに切り替わるときの独特の感じ、なんなんやろか。マジでスイッチで切り替えたちゃんかというくらい明瞭に、あ、いまだらだらしようとしとんな、怠惰にのんきにだらだらのんびり過ごすことを欲しとるな、というのがわかる。身体が糖分を欲するみたいなもんなんかもしれん。
 4時前に中断。歯磨きしようと思ったところ、例によって予告なしの断水。どもならんな。