20230715

 アラームで4時半に起きた。ろくに寝ていない。こまぎれのうたた寝を書見やインターネッティングのあいまにとっただけ。当然クソだるい。歯磨きをすませて食パンを生のまま二枚食し、寮から持ってきていたペットボトルのコーヒーを飲んだ。前日(…)さんと腹いっぱいメシを食ったのにくわえて寝不足だったのでやや下痢気味だった。パッキングをして5時前にはホテルを出た。外は雨降り。ホテルの入り口で大荷物の宿泊客らがタクシーかバスを待っているようすだったが、これから街に出るのかそれとも空港に向かうのかよくわからない、ふつうに考えておそらく後者だろうからこの群れのなかに混じっていればいいのかもしれないが、もし当てがはずれてしまったらそれこそ悲劇であるので雨の中傘もささず徒歩で空港に向かった。ひとつ誤算があった。こちらの目的地はターミナル2であったのだが、ホテルに近いのはターミナル1のほうであり、ターミナル2まで歩いていくとなるとけっこう距離があるのだった、実際小雨に打たれながらスーツケースを10分以上、下手すれば15分ほどガラガラさせていた気がする。そういうわけでターミナル2に到着するころにはけっこう汗だくだった。
 エスカレーターで二階にあがる。その先は見慣れた光景だ。廈門航空のチェックインカウンターはCの何番かだったのでそこにならんだのだが、ほどなくしてプラカードを片手にした女性スタッフがやってきてなにやら告知しているふうだったので、もしかしてと思って彼女の視界に入るようにパスポートをすっと差し出してみたところ、行き先をたずねられた。廈門を経由して大阪に向かうと告げると、それだったらA17でチェックインをすませるようにといわれた。Trip.comの指示と全然ちゃうやんけと思いつつそのA17の列にならぶ。ビジネスクラス専用のチェックインカウンターらしかったのだが、なぜか問題なくチェックインすることができた、乗り継ぎの乗客は特例でここでチェックインしてもオッケーみたいな現場の判断が働いたのかもしれない。
 チェックインをすませたところで保安検査の列にならぶわけだが、その保安検査をするための場所が前回と変わっていた、前回といってもあれはコロナが大流行する直前——というか正確にいえば武漢ですでに流行していたものの中国国内ではほぼ報道されていなかった時期で、具体的にいえば2020年1月であるからかれこれこの空港をおとずれるのも3年半ぶりということになるのか、そう考えるとなかなかけっこうな期間があいている。保安検査はなかなかけっこう厳格だった。両手を水平にのばしてはりつけの姿勢になったこちらの輪郭線を、検査官が手にした機械でもってなぞっていくわけだが、そのチェックっぷりが記憶にあるよりもずっと丁寧でしつこかった、イージーパンツの裾のしぼった部分をわざとうらがえしにしたり、深くなっている股座のところにも遠慮なく機械を差し込んできたり、ニットベレーのゴムが入っている部分を重点的にチェックしたり、え? そんなに? という感じ。あれはたしか(…)さんだったと思うが、かつて海外から日本に帰国する際、ベルトの革を一部はがしてそのなかに現地で手に入れたLSDかなにかをはめこんで密輸しようとしたところ、別室に呼ばれてそこで再検査を受けることになった、あたまのなかは完全にパニックでもう終わったという感じだったのだが、その検査官がわりと新入りっぽい人物だったので結局ベルトに隠したブツは見つからず九死に一生を得たのだと語っていたことがあるが、この空港の検査官が相手であれば彼はきっと豚箱にぶちこまれていただろう。
 フライトの二時間前には空港に到着しているようにとTrip.comには記載されていたが、二時間前というのはあくまでも国際線に搭乗するときの話であって国内線の搭乗なんてすぐにかたづくでしょうというあたまだったのだが、ふたをあけてみれば、搭乗口に到着するころには搭乗時刻まで三十分を切っていた、こんなに時間がかかるのか、舐めプしなくてマジでよかったと思った。搭乗口のベンチで空席をふたつかみっつはさんだ右となりに腰かけていた男性が(…)さんそっくりだった、というか横顔だけみれば本人にうりふたつで、昨日(…)の駅で見かけた一年の(…)さんそっくりの女子についてもいえることだが、こちらはたぶん他人の横顔をおぼえるのが苦手である、というか他人の横顔を認識するとなると途端に解像度が低下する、そのせいでほかの人間がみれば全然似ていないような人物を同一人物として空目してしまう。(…)さんそっくりだと思った男性も、実際に正面から見てみるとまったくの別人で、むしろこのひとをどうして彼と見誤ってしまったのかとふしぎになるくらいだった。
 飛行機に乗り込む。後ろから数列目の通路側。乗りこんだ時点でけっこう小便がしたかったのだが、ひとまず離陸してシートベルトをはずしてもいい状況になるまでがまんしようと決めた。しかしこの決断は失敗だった、やはり離陸前にすませておくべきだった、離陸にいたるまでかなり時間があったのだがそのあいだも無駄に我慢してしまった。左となりは中国人のおばちゃん、そのさらに左となりの窓際は中国人のおじちゃんで、ふたりとも着席するなり離陸を待たずに居眠りをはじめた。離陸直前に二年生の(…)さんから「先生、順調しましたか」と微信が届いた。これから廈門に向かうところだと返信。
 離陸する。飛行機が安定するまでかなり時間がかかる。ようやくシートベルトをはずしてもよいとするサインが点灯する。すぐに最後部に移動して便所へ。15000デシリットルの小便を高度9000メートルでぶっぱなす。その後はBliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読んだりうたた寝したりして過ごしたが、眠気はおもいのほか強くなかった、慣れない乗り継ぎということもあってやはり多少は神経が張っていたのだろう。
 着陸。たしか1時間半ほどのフライトだったと思う。降りてすぐの待合室にカウンターがある。おっさんがひとりだけひかえており、こちらとおなじ便にのっていた乗客らが次々となにか質問している。その言葉のなかに「日本」とか「大阪」とかいう単語が聞き取れたので、こちらとおなじ旅程の人間だな、乗り継ぎをどうすればいいかたずねているのだなと察する。こちらもおなじ質問を英語で投げかける。おっさんはスマホで翻訳アプリをたちあげて中国語でなにか口にした。すぐにその言葉が英語に翻訳される。一階におりて左に向かえとある。どうもこのまま待合室で待機していればいいというような単純な話ではないらしい。それで待合室を出て一階に向かう。baggage claimがあるが、ここで荷物をいったん回収する必要はない。おっさんの指示どおりに歩いていくと、transitだかtransferだかいう看板のかかっている総合受付の一画が目につく。そこでそこの女性スタッフに声をかける。さっき(…)からここまでやってきて、このあと乗り換えで大阪に行く手筈になっているのだが、次はどこに行けばいいのだろうと英語でたずねるも、すぐに苦笑いして別の女性スタッフに助けをもとめる始末で、これはちょっと意外だった、廈門ってかなりデカい都市であるはずだし外国人の出入りもそこそこ激しいと思うのだが、まさか総合受付の空港スタッフが英語を解さないとは! それでカタコトの中国語にきりかえてどうにか同じ意味の質問をしてみたところ、この先を左にまがってまっすぐ行けという指示がある。さきほど待合室のおっさんから受けた指示と変わらない。それでそのとおりに向かう。すると道中、乗り換えする人間用の休憩室がありますよという看板が出ている。次のフライトまでまだ四時間以上あったので、その看板の指示にしたがって通路を左に折れ、一階分階下に移動する。伝統的な細工品の数々を売っている土産物屋が両隣にたちならぶ通りの一画にその休憩室がある。中に入る。
 入り口にあるカウンターには男性スタッフがひとりひかえており、すぐにこちらに声をかけてくる。たぶん本当に乗り換えをする人間であるかどうかチケットを見せろというアレだなと察してそちらに近づくと、中国語であれこれ言われる。中国語はわからないんだと英語で応じると、すぐに達者な英語に切り替えてくれる。予想通りチケットを提示するように言われる。休憩室は自由に使ってもらっていい、ただしフライトの二時間前にはここを出てチェックインに向かってもらいたいとのこと。了承。カウンター近くにはちょっとした軽食の自販機みたいなものがあったり、ソファやテーブルがあったりし、そこでだべっているなかには(…)の空港で見かけた姿もあった。パーテーションで仕切られた奥のひとまには寝そべることのできるひとりがけのソファが全部で十ほど置かれていたが、先客ですべて埋まっていた。さらに奥の一間は照明が落とされており、そこにも寝そべることのできるソファやマッサージチェアが置かれているようだったが、こちらはその手前にあるさきの部屋の、先客によって全部埋まっているソファとは別にローテーブルと対座するかたちで置かれている普通のソファを陣取ることにした。小便がしたかったが、浴室こそあるもののトイレは見当たらなかったので、カウンターにもどって先の男性にたずねると、トイレは外にあるとのことだった。それでその外にあるトイレで小便をすませたあとは、ソファに腰かけてうたた寝したり書見したりして過ごした。この時点ですでにかなり腹が減っており、なにか軽食でも食べたほうがいいだろうかと思った。先の機内ではナッツがひと袋だけ出たきりだった。睡眠不足である上に空腹をこらえるとなると、上海から(…)に移動したときのようにまた途中でぶっ倒れかけるかもしれないという懸念が生じるわけだが、あのときは寒さもあった、しかしいまはその寒さはない、それにあのときよりはまだ眠ることができている、だったらだいじょうぶだろうと判断した。
 休憩室では二時間ほど過ごした。こちらに遅れてやってきた男性客が、いつのまにか空いていた寝そべることのできるソファに横になったのだがとんでもないナイトサファリで、マジで部屋中に響き渡るほどのいびきをしていて、こいつこのままここで突然息が止まって文字通り息絶えるんではないかと心配になった。休憩室で眠らず会話している中国人はしきりに日本日本大阪大阪と口にしていた。日本人らしい姿はこちらのほかに見当たらなかった。

 時間になったところで休憩室をあとにした。標識にしたがってロビーを移動する。国際線乗り場だったか、そういう標識の出ている前に行列ができていたので、その最後尾にならぶ。列の移動ははやい。列の先頭にはカウンターがあり、内側に男性ひとりがひかえている。乗客らはみんなその男性にスマホの画面を見せてから奥に進んでいるのだが、税関や保安検査所のように厳格な感じではない、むしろゼロコロナ期間中のスーパーやショッピングモールの入り口で警備員に客が健康コードをおざなりに提示していたあれくらいのラフさだった。近くの壁にはQRコードが貼り出されていた。説明書きは中国語と英語。どうもそれを読み取る必要があるらしい。微信で読み取りをこころみたが、なぜかエラーメッセージが表示された。近くにはシャツとスラックスの中年男性二人組がいたが、どうやら日本人らしかった、以前登録したやつがまだ残っていますみたいなことをひとりが標準語のトーンで口にするのが聞こえた。近くに女性スタッフがいたので英語で助けをもとめた。女性スタッフはこちらのスマホを使っておなじようにQRコードを読み取ろうとしたのだが、やはりうまくいかなかったらしく、最終的に自分のスマホでこちら用の通行許可証的なコードを獲得、その画面をこちらのスマホで写真撮影するようにといった。この方法におぼえがなかった。二年前に上海の空港をおとずれたとき、英語の達者な男性スタッフがイレギュラーな旅客であるこちらのためにやはりおなじようにしてくれたのだった、自前のスマホでこちらのためのコードを獲得してそれをスマホで撮影するように指示したのだった、そしてこちらはその画面をチェックインカウンターかどこかで提示したのだった。今回得たコードは健康申报码というものだった。これってコロナ対策のやつではないかと思った。しかしゼロコロナ政策はすでに撤回されているはず。そもそもコロナ対策のものだったとしても、事前に検査もなにもしていない、それにもかかわらず通行許可のコードがこうして発行されるのはおかしな話ではないか? これもいわゆる形式主义というやつだろうか? ゼロコロナ政策時に制定したルールが現場で無意味に生き残っているパターンだろうか? よくわからない。
 と、これを書いているいま、来月の再入国の際には特別な手続きが必要なのだろうかと思ってググってみたところ、やはり健康申告なんちゃらみたいなアレを事前に登録する必要があるらしい。ただし二年前とちがって指定機関でPCR検査を受けて陰性証明書を発行してもらう必要はなく、出国前48時間以内にPCR検査か抗原検査をして陰性であれば問題なし、それも陰性証明書の提出などは必要なくどうやら自己申告だけでオッケーっぽいので、これこそ実質的に形式主义なのだろう。このあたりについてはまた出国が近づいてきたタイミングで追々確認する。
 カウンターの男性にコードを見せる。いや、見せただけではなくいちおうコードリーダー的なものでデータを読み取らせたのだったかもしれない。その先にチェックインカウンターがある。とりあえず列に並んでみたものの、乗り継ぎの場合であっても列に並ぶ必要があるのだろうか? もしかしたらもうその必要はないのではないか? と思われたので、案内所みたいな一画にいた男性スタッフに英語で質問する。やはり並ぶ必要があるとのこと。並びなおす。しかしここではさほど時間をとられなかった。カウンターの女性からはすでに荷物を一個あずかっていると告げられる。(…)の空港であずけたスーツケースのことだ。チケットをあらたに受けとったところでエスカレーターに乗って上階に移動。ふたたび保安検査を受けるわけだが、こちらの前に並んでいたTシャツにハーフパンツのおっさんが日本のパスポートを手にしていた。さすが廈門だな、やっぱり日本人がいるんだなと思っていると、おっさんはやたらと周囲をきょろきょろしはじめた。保安検査の行列は一列きりだったのだが、どうやらおっさんは外国人と中国人では別の列に並ぶ必要があるのではないかと不安に思ったらしく、やや離れたところにいる男性スタッフにむけて、そんな声じゃ届かないだろうというボリュームでしきりに、中国語か英語かで呼びかけていた。声に気づいた男性スタッフはこのままで問題ないと応じた。このおっさんもしかしたら中国がはじめてだったのかもしれないと思った。こちらもこれがはじめての体験だったら、保安検査のゲートが中国人と外国人とでわかれているにもかかわらず中国人らにまじって一列になっているこの現状にだいじょうぶかなと心配になったと思うが、今回は本当に自然と、なんの疑問もなく、外国人搭乗客が少ないし中国人と同列で処理しているのだろうと勝手に推測して納得していたのだ。そのおっさんとはまた別に、こちらはおっさんというよりおじいさんに近い白髪の男性がいた、彼もやはり日本人だった。ちょうどこちらとおなじタイミングで別々の保安検査のゲート前に立つことになったのだが、顔写真を撮影する必要があるのでカメラに顔をむけて一歩後退してくれとスタッフが中国語や英語で口にするのに、ちんぷんかんぷんの表情で呆然と突っ立っており、さらにスタッフがジェスチャーで一歩さがるようにとうながすべく相手に手のひらを受けてプッシュするそぶりをみせると、それをカメラに手のひらを向けよという指示と勘違いしたらしくますますそのカメラに近づいてみせるものだから、あんまりでしゃばりすぎるのもアレだがこれはさすがにと思い、となりから日本語で助け舟を出した。
 写真撮影のゲートを抜けた先で今度は荷物の検査があるわけだが、そこでこちらの後ろに並んでいた幼子連れの一家がたぶんフィリピン人で、肌がやや浅黒く流暢な英語で会話していたのだけれども小学生低学年くらいの男児がふいに鼻歌を歌いだし、そしてその鼻歌というのが子どもの鼻歌というレベルではない、鼻歌でありながらビブラートや裏声を多用したようなものすごいテクニカルなものであったのでこいつジャクソンの末裔かよとびびったし、フィリピンで何度か語学留学を楽しんでいる(…)が、フィリピン人はマジでどいつもこいつも信じられないくらい歌がうまいと言っていたのを思いだした。荷物を検査する担当者は若い女性ふたりだった。どちらも大学を卒業してほどない年頃ではないか。いっぽうが中国語は話せるかとこちらのパスポートを見て笑いながらいうので、英語でたのむと応じた。とはいえ、やりとりすることなどどこでもおなじだ、荷物にバッテリーが入っていないかどうかの確認くらいだ。もうひとりの女性は荷物のチェックが終わったあと、ありがとうございましたと日本語で口にした。「ありがとう」ではなく「ありがとうございました」というあたり、もしかしたら日本語の学習経験があるのかもしれない、だからこちらも日本語で「どういたしまして」と応じた。しかしここの保安検査所はほっこりする。二年前の上海や五年前の関空とは大違いだ。
 搭乗ゲート前の待合ロビーにはバーガーキングがあった。ベンチに座りながら書見して時間をつぶした。(…)さんからまた微信が届いた。これ食べ慣れないですというコメントとともに納豆の写真が送られてきたので、納豆を好きという外国人なんて少数だよ、それは中国でいう臭豆腐や螺蛳粉みたいなものだからと返事した。周囲のベンチには出張中らしい日本人男性ふたり組がいて、日本語でずっとおしゃべりしていた。ネイティヴの口にする日本語の響きがちょっと新鮮だった。中国人の口にする日本語とくらべると本場のものはやっぱりものしずかで抑揚に欠けるなと思った。
 時間がきたところで機内に移動した。搭乗客の大半はやはり中国人だった。こちらは今回も通路側の座席。右どなりには若い中国人男女カップルがならんで着席していたが、こちらの右となりの若い男はパチモンであるのか本物であるのかよくわからないシャネルのサングラスをかけており、長い髪の毛をちょんまげみたいにしていた。ここでのフライトはたしか二時間ほどだったろうか。さすがにしんどかった。こまぎれの睡眠をはさんでいるとはいえ寝不足気味であることは変わりないし、早朝からずっと機内で待合ロビーで休憩室で座りっぱなしでいるのだ。機内色はパンと菓子とあとなんかちっちゃいものが出たはず。あまったるいコーヒーも飲んだ。
 着陸。飛行機をおりてすぐのところに日本人スタッフが待ち構えており、お疲れさまでしたみたいな声をかけてくれるわけだが、その言葉を耳にした瞬間、相手が日本人であるにもかかわらず、うわ! 発音のきれいなひとだな! と反射的に思った。職業病だ。その後、日本人のみ通過することのできる顔認証ゲートを経由してBaggage Claimに移動。荷物がまわってくるまで時間があることを経験的に知っていたので、そのあいだにスマホのsimを交換し、日本円の入った財布をバッグから取り出してポケットに移した。(…)からLINEが届いていた。もうそろそろ到着しているか、と。時刻をたしかめると到着予定時刻より一時間ほど押していたが、これはフライトのトラブルに由来するものではなく、たぶんこちらが一時間分の時差を考慮していなかったためだと思われる。乗り継ぎ組だったせいだろうか、スーツケースがコンベアにのってまわってくるまでずいぶん時間がかかった。
 スーツケースを回収後、税関前で必要な書類を記入して列にならんだ。税関で止められたことはこれまで一度もない。いや、タイ・カンボジア旅行の帰りでは止められたのだった、見るからにヒッピーな格好をしていたし長期間の旅行だったので大麻でももちこんできたんではないかと疑われたのだと思う。ロビーに出たあとはコンビニでコーヒーでも飲んで一服したい気分だったのだが、時間が時間だったのでゆっくりせず、そのまますぐにおもてに出てバス乗り場に移動した。チケットを購入してすでに到着していたバスに乗りこむ。バスの車内は日本語と英語と中国語のちゃんぽん。こちらの前の座席には日本人の若い女性と白人の若い女性がならんで座っており、英語で会話していた。日本人女性はかなり流暢で、話を断片的に盗み聞きするかぎり、どうやら英語学習にたずさわっている人物のようだった。
 車内では書見をすすめる。洋書を読むときはいつも思うのだが、黙読するよりも小声で音読するほうが内容が理解しやすく、また興に乗りやすい気がする。だからマスクで覆った口元をもごもごと動かし続けた——そう、マスクだ、中国国内でも駅や空港のスタッフはやはりほぼ全員がマスクを装着していたのだった。乗客らはむしろマスクを装着していないほうが圧倒的に多かった。日本国内ではいまでもマスクをつけるひとが多数派であるときいていたのだが、入国してみて思ったのは、あれ、意外にみんなマスクをつけていないんだなというものだった。
 小一時間ほどかけて京都駅に移動。浴衣姿が目立った。もしかして今日は祇園祭なのかもしれないと思った(そしてのちほどこの予想が正解であったことを知った、この日はちょうど宵山だったのだ!)。ちなみに今日は地元の花火大会でもあったらしい。母からLINEが届いたのだが、耳が遠くなって花火の音が聞こえないからだろう、例年はびびりまくって体をぶるぶると震わせよだれをたらしまくる(…)が、今年はけろりとしているとのことだった。
 (…)の指示にしたがって近鉄に乗る。目的地は三山木駅というところ。祇園祭帰りっぽい姿をちらほら見かける。大荷物だったので席には腰かけず、扉のすぐそばについておとなしく書見していたのだが、Kindleに表示されている英語の文字列を目にしたらしい乗客がこちらのいでたちを二度見する視線を感じた瞬間が何度かあった。まあこの風体で洋書を読んでいるとなると、やっぱりぎょっとするんだろう。
 駅の改札を出てすぐのロータリーに(…)の車がひかえていた。この夜は気づかなかったが、(…)は新車に買い替えていた。オデッセイ。子どももふたりいるということで、以前乗っていたやつは下取りに出して、三列シートの車に買い換えたのだという。メシをろくに食っていなかったのでコンビニに寄ってもらおうと思ったが、どうせならラーメンでも食べていくかという提案があったので、チェーンだけどけっこううまいというラーメン屋に寄ってもらった。けっこう遅い時間帯であったにもかかわらず先客が順番待ちしていた。順番待ちをしているあいだはぽつぽつ近況報告。日本国内でも物価や電気代の上昇がやはりなかなかのものであるが、それでもアメリカや欧州に比べたら全然マシだという。いちばん驚いたのはたまごが1パックで300円ほどするという話で、五年か六年前、こちらが京都でひとり暮らしをしていたころとくらべるとほぼ二倍である(というか当時は大特価セールであればぎりぎり100円を切ることもあったのではなかったか?)。
 店では梅干しの入った塩ラーメンみたいなのと餃子のセットを注文した。中国から日本に帰国して最初に食うものが餃子かよと思ったが、中国では水餃子のほうが一般的であるので良しとする。味はまあまあわかる。味付けのある程度濃い食い物であるかぎりはおそらく問題ない。食後か食前か忘れたがセブンイレブンにも寄ってもらい、ATMで7万円ひとまずおろしたり、飲み物を買ったりした。
 それでひさしぶりの(…)家へ。この時点ですでに21時をまわっていたはず。そういうわけで(…)はすでに二階の寝室で寝ていた。初対面となる(…)は(…)ちゃんが抱っこして寝かしつけている最中。荷物は玄関にひとまず置かせてもらい、まずは手を洗ってから(…)ちゃんのほっぺたをぷにぷにさせてもらった。生後一ヶ月ちょっと。昼間はそれほどぎゃーぎゃー泣くことはないのだが、夜はちょくちょく大変とのこと。(…)の顔つきは思っていた以上に人間だった。生後一ヶ月ってもっと猿っぽいと思っていたというと、この一ヶ月だけでもだいぶ顔が変わったという返事。この夜は寝ていたのでわからなかったが、翌日あらためて対面したところ、目が信じられないほどぱっちりとした二重で、助産師さんがびっくりするほどだったという。
 風呂に入らせてもらった。その後、飲み物をいただきながらおとな三人で深夜までいろいろ近況報告などしあったはずなのだが、細かいところはすでにおぼえていない。いちばんびっくりしたのは(…)の音感に関する話だった。保育園でもだれよりも音楽を使った遊びが好きで保育士さんらの弾くピアノのそばから離れないという話は以前聞いていたが、(…)は歌がめちゃくちゃ上手らしかった。かえるのうたを歌っている音源を(…)ちゃんがきかせてくれたのだが、二歳九ヶ月の時点で録音したものであるにもかかわらず、ほとんど一音も外さず最初から最後まで歌いきっていて、は? マジで? と思った。保育園児の歌なんてほとんど声をはりあげているだけで音程もクソもあったもんじゃないだろうというと、ママ友らからもそう言われたと(…)ちゃんはいった。(…)には単音だけ鳴らすことのできるおもちゃのピアノを与えているらしいのだが、だれが教えたわけでもないのに、かえるのうたをひとりで耳コピして弾けるようになったという信じられない話もあった。さらにまちがった音を鳴らすと、あれ? なんかいまおかしかったなぁ! とじぶんで気づくらしい。(…)の楽器部屋にはギターも鍵盤も電子ドラムもあるし、てっきりそういうのを使って赤ん坊のころから遊ばせているのかと思ったが、まったくそんなことはしていないという返事。それどころか家で音楽を流すこともあまりない、だからどうしてこんなふうに育ったのかまったく理解できないのだと夫妻は続けた。いますぐピアノ教室に通わせたほうがいいと猛プッシュすると、ならいごとに通わせるという話は以前からずっと出ているのだが、いざなにかを習わせるとなると送り迎えがめんどうくさくて話が立ち消えになってしまうとふたりはいった。水泳はいずれ習わせたほうがいいと思うといった。泳ぐことができるというだけで命を落とす可能性はぐっと低くなる。
 1時をまわったところで寝室に移動した。空き部屋が一室こちらのために用意されていた。巨大な空気清浄機みたいな縦置きの機械が置かれていた。クーラーらしい。後部からダクトがのびており、窓の外につながっている。室内の暑い空気を外に送りつつ、冷風を出すという代物なのだという。効き目は十分だった。やはりそれ相応に疲れていたのだろう、わりとすぐに眠りに落ちた。