20230716

 わりと早い時間に自然と目が覚めた。たぶん8時ごろだったんではないかと思う。夜中に(…)が泣くと思うと(…)ちゃんから聞かされていたが、そして実際に泣いたらしいのだが、その声で目が覚めることはなかった。階下からはすでに夫妻と(…)の話し声が聞こえる。そこでこちらも部屋を出て、階段をおりた。階段をおりている最中、(…)の好きなかえるのうたを歌った。歌いながらリビングに姿をあらわし、ソファに座っている(…)のそばに近づいたが、(…)はとんでもないしかめつらを浮かべていた。いや、しかめつらというレベルではなかった、おまえ西洋人かよというレベルで顔面いっぱいの敵意を浮かべてこちらをにらみつけているのだった。初対面の相手にはいつもこんなふうな表情をこしらえるのだと夫妻はいった。しかしじきに慣れるという。
 実際そのとおりになった。(…)はいわゆる「はたらくくるま」が好きだった。音楽よりも好きかもしれない。そういうわけでトミカトミカの図鑑が部屋にはあったのだが、(…)ちゃんがその図鑑を指して先生にどの車が好きなのか教えてあげてと口にすると((…)ちゃんと(…)はこちらのことを「先生」と呼ぶ)、(…)はおずおずと「木材運搬車」と口にした。なんちゅうむずかしい言葉知っとんねん! ほかにもタンクローリーとかバスとかトラックとかそういう車を専門的な名称で次々と口にした。うちの姪っ子ふたりはこんなふうではなかった。一般的に男児のほうが乗り物を好む傾向があるという事実は知っていたが、この性差はどういうアレに由来するものなのだろう? つまり、構築主義的なものなのだろうか? それとも本質主義的なものなのだろうか? 構築主義本質主義の二項対立というのは一種の罠であり、多くの場面において実際は二段構えで成立しているというのが妥当だと思うのだが、ちょっと気になる。部屋にはトミカも10台ちょっとあったが、そのうち3台ほどはもらいもの。おもちゃはあまり買い与えないようにしているとのことで、イオンに買い物にいくときもわざとおもちゃコーナーを避けるようにしているらしい。
 殺意の波動に目覚めた直後のような表情から一転、(…)は15分も経たないうちにこちらに背中をあずけてトミカで遊ぶほどになついていた。保育園ではわんぱく坊主にいじめられているという話を以前(…)から聞いていたのでいまはどうなのかとたずねると、やはり腕っぷしの強い子たちからやや強くあたられている節はあるものの、それほどアレであるということはないらしい。しかしいまでも保育園に通うのは嫌がるとのこと。(…)は自身黒帯であるので(…)に柔道を習わせたいのだが、(…)ちゃんが柔道にあまり良いイメージをもっていない、だからあいだをとって空手みたいな話も以前あったのだが、それも結局現在のところは立ち消えになっているようす。しかし(…)は体育会系ではなくどう考えても文化系だ。そのことは夫妻も認めた。(…)は髪の毛を長くのばしていることもあって(そしてときどきちょんまげのようにする)、女の子のようにしか見えない。町でもよく女の子とまちがえられるという。
 (…)ともあらためて対面した。目がくりくりだった。赤ちゃんはいいにおいがするというが、嗅覚が死んでいるのでよくわからないというと、手のひらがめちゃくちゃくさいとふたりがいった。手をしょっちゅう舐める、そして強くにぎって汗をかく、そのせいでめちゃくちゃくさくなっていることがよくあるのだというので、嗅がせてもらったが、なんとなく酸っぱいにおいがするなという感じだった。授乳はたしか二時間おきにするといっていた。就寝前だけはお腹いっぱい与えて四時間ほどはぶっ続けて眠れるようにするとのこと。健康的なのだろう、うんこの頻度もかなり多く、一日五回以上することもあるらしかった。
 朝食は(…)ちゃんが作ってくれたホットサンドをいただいた。犬を飼いたいと以前夫妻が言っていたのを思い出し、いまは(…)の世話もあるから無理だろうというと、でも小さいうちに犬と触れさせておいたほうが免疫力が高くなるというしという反応があった。最初欲しいと思ったのはボーダーコリーであるが、散歩が大変であるし食費もえぐいくらいかかる、そういうわけで賢い小型犬となるとトイプードルが候補としてあがってくるわけだが、夫妻はそろってトイプードルがあまり好きではないらしい。黒の芝犬はどうかというと、(…)ちゃんはかなり好きだといった。小型犬ないしは中型犬であれば、用事があってどうしても散歩に行けない日も、庭で小便なり大便なりすませることができる。
 その庭がさまがわりしていた。部屋から直接段差なしに踏み出すことのできるウッドデッキになっていたのだ。(…)がじぶんで三ヶ月ほどかけてこしらえたらしい。基礎の部分だけ職場の同僚らに手伝ってもらったが、あとはじぶんひとりでやったというので、これはなかなかたいしたもんだなと思った。もしかしたら(…)がじぶんでやっていたのを見て、それならじぶんもと思ったのかもしれない。ウッドデッキは日当たりがよく洗濯物がよく乾く。庭の端はデッキになっておらず元の砂利敷のままになっていたと思うが、そこにはブランコがふたつあった。(…)を抱きかかえてそのブランコに乗った。(…)もとなりのブランコに乗った。ぶらぶらしていると庭に面した窓際に(…)ちゃんが姿をあらわし、動画を撮影しはじめたので、(…)に中指をたてるように指示した。そして耳元で「ファックって言いな、ファックって」とささやくと、(…)はちょっと本格的な発音で「ファック!」と叫んだ。(…)ちゃんはげらげら笑った。(…)ちゃんは埼玉出身なので標準語、(…)はこちらとおなじで地元の方言をやや関西弁寄りにした訛りで話すわけだが、(…)はがっつり京都弁だった。「〜してはる」という言い回しをごくごく自然に使うのだ。

 ウッドデッキには蜂がたびたび姿をみせた。アシナガバチに似ているが、おそらくアシナガバチではない別種。木の板の隙間をうかがうようにしているので、巣を作ろうとしているのではないかと(…)にいうと、そうかもしれないと以前からちょくちょく警戒していたのだという返事。ウッドデッキの上にはほかにも死にかけのカナブンが一匹とゴマダラカミキリムシの死骸がひとつあった。(…)は虫が苦手らしかった。(…)ちゃんが虫をたいそう怖がるし、(…)もどちらかといえばあまり虫が好きではない、そういう両親のようすを見て育ったからだろう。それでも手のひらにのせたその虫を(…)のほうに差し出し、ちょんって触ってみとうながすと、いちおう指先でちょんちょんっとしてみせた。
 ウッドデッキの上は太陽に熱されてたいそう熱く、裸足のままでは長時間じっとしていることができないほどだった。部屋にもどるためにはその熱々のデッキ上を三歩分ほど歩く必要があるのだが、こちらとおなじく裸足で外に出ていた(…)が部屋にもどることができないというので、こちらが(…)を抱えて部屋にひきかえすことにした。しかしただひきかえすのもおもしろくない。そこで、部屋まであと一歩のところにまで近づいておきながら、土壇場で「あつあつあつっ!」と両足をバタバタさせながら元の日陰にもどるというおふざけをすると、(…)はこの日いちばん笑った、こちらがおなじことをくりかえすたびにケラケラケラケラ高い声をあげて笑い、さらには自分自身こちらの真似をして「あつあつあつっ!」と両足をバタバタさせてみせた。そのようすを室内から見ていた(…)ちゃんが(…)ほんとに楽しそうといった。
 昼飯を食べにいく時間になった。近所のイオンモールにあるもりもり寿司というところにいくという。石川県発祥の回転寿司チェーンで、スシローやくら寿司のようにひと皿100円というわけではないのだが、非常にクオリティが高い寿司を安価で食べることのできる店だという。イオンモールには当然おもちゃ屋がある。そこで(…)にはトミカを買ってあげることにした。いまいちばん欲しいという木材運搬車だ。週末ということもあってかイオンモールの駐車場はなかなか混雑していた。特に日陰が見つからない。結局屋上の日当たりがきつい一画に駐車するしかなかった。まずはもりもり寿司に移動し、予約の紙に名前を書いた。その後、(…)ちゃんは(…)を連れて授乳。そのあいだにこちらと(…)と(…)の三人でトミカを物色。木材運搬車、あった。一台で800円弱だったので、もう二台買ってやるといった。(…)は消防車とバスを選んだ。うちにすでに一台消防車はあるのだからほかのものにしろと(…)はいったが、うちにあるのははしご消防車じゃないのでこれがいいと(…)は食い下がった。のちほど(…)ちゃんから聞いたところによれば、三台とも前々からトミカの図鑑に掲載されているのをほしいほしいと指差していたものらしい。トミカを買ったあと、どうせだったら花火も買おうとなった。それで写真に撮りやすいというのが売りらしい花火一式も購入。その後、(…)ちゃんらと合流してもりもり寿司にもどった。
 もりもり寿司ではひとまず握りのセットを注文した。鮭の味噌汁もついてきた。食ってみたが、さすがに寿司の味はまだいまひとつぴんとこなかった、寿司なんてものは風味が命であるわけだがその風味を十全に感じとることのできるほどこちらの味覚や嗅覚は回復していないのだ。(…)は納豆巻きやかっぱ巻きばかり食った。(…)は大食いだった。両親が止めないかぎり、いつまでも食い続けるらしかった。だからといって太っているわけでは全然ない。ぽっちゃりしているとすら言えない。こちらの姪っ子である(…)や(…)がいまの(…)とおなじくらいの年のころは本当にメシを食わなかった、偏食がひどかったし食事中もたびたび集中を切らしていたし食う量もかなり少なかったように記憶しているのだが、(…)はマジでバクバクとメシを食った、しかもろくに噛まず飲みこんでいるふうでありその点をたびたび注意されていた。口の中に入れたものを噛んで飲み込むと、すぐに「これちょうだい」と言って目の前の皿にのっている寿司を指さす。こんなに食欲旺盛な幼子を見るのははじめてだった。満腹中枢がちょっとイカれているんではないか? 大食いであるわりには消化器系が弱いらしく(おそらく(…)家の血だ)、だから夫妻はいつも腹いっぱいになるまで食べさせないようにしているらしかった。食べすぎで吐いたことが過去に何度かあるらしい。
 握りのセットのほかに単品をいくつか注文した。こちらはウニを食いたくてしかたなかったのだが、一皿で700円ほどして、味覚の十全でないこの状態で700円はちょっとなとびびってしまった。会計は全員あわせて7000円ちょっと。ここはこちらがもった。もともと出産祝いも兼ねてコース料理くらいおごるつもりでいたのだが、思っていたよりも安く済んでしまったので、のちほどこれとは別に出産祝いを贈ることに決めた。
 それで屋上にもどった。車をどこに停めたか思い出せなかった。日差しがあまりに激しかったので、(…)が先にひとりで外に出てどこに車があるか確認してくることになったのだが、ずいぶん長いあいだひとりでうろうろしていた。イオンの駐車場でよくあるパターンだ。その(…)がようやく車を見つけたところで、一同そろって車のもとに移動した。
 帰路はセブンイレブンに立ち寄った。ATMで7万円をおろし、アイスコーヒーを買った。(…)にもアイスコーヒー、(…)にはジュース、(…)ちゃんには甘いものをおごった。ひさびさに飲んだセブンのアイスコーヒーはマジでクソうまかった。これが100円ちょっとで飲めるのはさすがにちょっとやばくないか? コーヒー先進国すぎないか? いくらなんでもクオリティが高すぎる。
 帰宅。(…)はしぶしぶ昼寝の時間。(…)ちゃんとそろって上階にあがってお昼寝。そのあいだこちらと(…)は(…)のようすを見つつ世間話。(…)くんの話が出た。刑務所から出てきたあとは、パン屋で買ったパンを田舎のほうに車で運んで販売するという、アウトなのかグレーなのかよくわからない仕事をしていると出国前にきいたおぼえがあるのだが、いまはフリーの運送屋をしているらしい。引っ越しの手伝いをしたり、取り壊しの決まった部屋の撤去作業をしたりしているというのだが、その撤去作業で一度とんでもなくおいしい思いをしたことがあるという。大金持ちの独居老人が亡くなったのだったか、施設に入るのだったか、あるいはただ単に引っ越すだけであるのか、そのあたりはよくわからないのだが、いずれにせよなかばゴミ屋敷化している家の撤去作業を任されることになったところ、そこが宝の山だったらしい。家のなかにあるものはすべて(…)くんの自由にしてよいという契約だったというのだが、百万円分の札束や金塊などがあって、当然それはいただく。作業量としてはなかなか大変なものだったので、たっぷり時給を払うからというアレで休日に(…)も駆り出されたらしいのだが、屋敷のなかにあったMacのデスクトップなども完全にゴミ扱い、そういうわけでそのデスクトップだけもらってきたのだといって、食卓の端に置いてあるMacを(…)は指さしてみせた。契約書を交わしているのであるから今回の件は法に触れないのだろうが、問題は今回の件に味を占めて、別の顧客相手に契約もないにもかかわらずおなじようなことをするんじゃないのかという懸念で、あいつこれで調子のってまたやらかしてパクられるんちゃうのと口にすると、まああるかもしれんなと(…)も同意した。
 その流れからであったかどうか忘れたが、給料の話になった。(…)は手取りで30万ちょっと。(…)ちゃんもほぼ同額。ただボーナスがある分、現状は(…)のほうが年収が上であるというのだが、(…)ちゃんは順調にスキルアップしつつあり、いずれじぶんよりも稼ぐだろうとのこと。世帯年収は1000万以上になるというので、そんなに稼いでいたのかとちょっとおどろいた。(…)はけっこうすごいでと(…)はいった。いまは育休をとっているけれども、いや今回の育休ではなかったか、(…)のときの育休中だったかもしれないが、だれでも名前を知っているようなでかいメーカーの案件——どこの会社だったか忘れてしまった——を個人でまわしてもらい、それ一件だけで100万円ほど報酬をもらったのだという。仕事はウェブデザイナーであると以前聞いていた。たしか出国前にきいた話では、給料の未払いが続いていた会社をやめて転職してという話だったと思うがと切り出すと、その転職先も一年ほどでやめた、上層部がモラハラ体質であり現場の人間に対する理解がまったくなく、それで現場の主力らが示し合わせるかたちで一気に抜けた、その主力メンバーがいなければ当然仕事がまわらなくなる、それで(…)ちゃんも転職することになったというのだが、転職を重ねるにつれてますます条件がよくなっているらしく、今後もガンガン給料があがる見込みがあるらしい。
 ちょうど(…)を寝かしつけた(…)ちゃんがおりてきたので、(…)ちゃんすごいな! めっちゃ仕事できるやん! というと、でも育休で現場から遠ざかっているので復帰後が心配、もうちょっと落ち着いてきたらリハビリを兼ねた副業として簡単な仕事をいくつか引き受けて勘を取り戻すつもりでいる、トレンドの変化が激しい業界なのでしっかりキャッチアップしないといけないし、というクソまともな返事があって、マジか! そんなできる子やったんか! あたらしい会社ではただデザインをするだけではダメで、上層部やクライアント相手にプレゼンをしたりする必要もある、これまでに経験したことのないことをたくさんすることになるというので、あんたプレゼンとか絶対したないやろ? と(…)に水を向けると、死んでも嫌じゃという返事があった。(…)はそもそも電話をとることすら可能なかぎり避けたいタイプなのだ。
 バレーボールの話が出たのもこのときだったろうか? (…)ちゃんが中学や高校時代、バレーボールの強豪校に推薦で入っていたという話は以前聞いていた。そのときの顧問が両方とも体罰上等の人物だったらしい。高校時代の顧問は業界ではかなり有名なおっさんらしく、大林素子とも知り合いという話であったが、(…)ちゃんは一度その大林素子から声をかけられたことがあるといった。顧問の先生について、あのひときびしいでしょう、こわいでしょう、でもわたしたちの時代はもっとこわかったからね、みたいなことを言っていたとのこと。しかしその高校時代の顧問よりも中学時代の顧問のほうがはるかにひどかった。髪の毛をひっぱって毛穴から血が出るほどひきずりまわす、両足に青痣ができるほど蹴りまくる、そういうことを日常的におこなっていたというので、ドン引きした。(…)ちゃんはたしかわれわれの四歳年下だったはずだから1989年生まれで、その(…)ちゃんが高校生だったのは2005年からの三年間、その時代でなおそんな体罰が、というより暴力がスポーツ界ではまかりとおっていたわけだ。野球でいうPL学園みたいな感じやったんかなというと、もっとひどかったんちゃうかと(…)はいった。(…)はこの話をはじめて聞いたとき、その顧問のところにいってぶん殴ってやろうかと思ったらしい。実際、(…)ちゃんの実家に帰省した際も、もし途中で顧問の姿を見かけることがあればすぐに教えてほしいとあらかじめ伝えていたとのことで、見つけ次第得意の一本背負いでぶん投げてやろうというあたまだったのかもしれない。現場ではしかし一種宗教的な雰囲気が作りあげられてしまうのだと(…)ちゃんはいった。(…)ちゃん自身はじぶんが現役のときから一歩引いてコミュニティを斜めから見ていたというのだが、それほどひどい暴力をふるわれながらも部員たちは◯◯先生のいうことだから! と率先して屈服する空気のようなものができていたという。さらに部員のみならずその保護者らもおなじで、娘が体罰を受けているにもかかわらず、◯◯先生のためにしっかりがんばりなさい! みたいなことをいう人間が多かったらしい。ちなみに(…)ちゃんの父君は全然そんなタイプではなく、強豪高校への推薦の話が出て監督との面談があった際も、うちに来てもらえるのであれば卒業後の進路もしっかり用意できますからと社会人チーム入りの将来を見据えて語る顧問に対して、高校卒業もバレーを続けるかどうかは(…)が決めることですと一括したらしい。
 なんぼカルトみたいな空気あるにしてもひどい体罰受けた恨みはなかなか消えやんやろというと、実際いまでも顧問のことを恨んでいる同級生はいると(…)ちゃんはいった。最近その顧問が引退したのだったか、あるいは誕生日を迎えたのだったか、なにか忘れたがとにかく特別な日を迎えるにあたって、OBらで写真付きの寄せ書きを贈るという計画がもちあがった。(…)ちゃんとしては正直どうでもいいという感じだったが、適当に写真を撮って、いまは京都で子育てしてまーすというメッセージを付した。周囲もおおむねそんな感じだったのだろうが、顧問から現役時代にもっともひどい暴力を受けていた子だけメッセージが短かった、あからさまに短いというわけでもない、よくよく見ればちょっとほかにくらべてそっけない形式的なものかもしれないという印象を受ける程度のものだった。その後、寄せ書きが完成した。詳細は聞いていないので推測になるが、LINEのグループチャット上で送られた各自の写真とメッセージを、デザインのできる人間がうまく編集して一枚の画像にこしらえたというかたちだと思うのだが、その完成品において、先のもっともひどい暴力を受けていた子の写真とメッセージがわりと目立たない位置に配置されていた、つまり、主役級の目立つポジションではなくわりと端のほうに配置されていたというのだが、その完成品を見た途端、くだんの彼女が、やっぱりじぶんの分のメッセージは取り下げてほしいと言ったらしい。みんなはどうかわからないけれど、わたしはやっぱりあのひとを素直に祝うことができない、完成したあとになってこんなことをいうのは本当に申し訳ない、だけどじぶんはやっぱりお祝いなどしたくない、だから手間であるけれどもじぶんのところだけカットしてほしいと、だいたいにしてそのようなことを言ったらしく、(…)ちゃんはその気持ちがわかるといった、たぶんずっと我慢していたんだろうと思うといった。いちおう形式的にお祝いのメッセージを送ったものの、そのじぶんのメッセージが端のほうに掲載されている完成品を見た途端、当時のつらい気持ちみじめな気持ちあるいはうらみや怒りや悲しみのようなものがその象徴的図表によって喚起されてよみがえったということだろう。えぐい話やなと思った。母方の祖父の話を思い出した。その内容をまたここで書きなおすのもめんどうくさいので、過去ログから引く。2011年8月16日づけの記事より。

「恩賜」(当時でいうところの生活保護みたいなものらしい)を受けているものは手を挙げろと言われたとき、小学生当時の祖父は恥ずかしさから手を挙げることができなかったという。それを見とがめた担任教諭が祖父のそばにまでつかつかと歩みよってきて、尋問したあげくにビンタではり倒し、倒れ込んだ祖父の首根っこをつかんでふたたび起き上がらせたところで今度は拳骨で鼻血が出るほど殴りつけ、最終的に教室の後ろで立たされることになったじぶんのもとに教室全体からずらりと集めよせられた五十対のまなざしの矢、それを忘れることがどうしてもできない、五十年六十年経ってもじぶんの頭の中に焼きついていて貧乏の恥ずかしさ悔しさがいつになってもぬぐいきれない、と祖父はじぶんと顔をあわせるたびにその話をくりかえす。その担任が数年前に死んだとき、祖父は葬式には行かなかったと言った。同窓会には出席したが、そのときもやはり担任とは口を利こうとしなかった。

 祖父は担任を終生許せなかった。許せるわけがなかった。恩師などと口が裂けても言えなかった。祖父はこのときのエピソードを小説にしてこちらに書いてほしいと何度も言った。
 ちなみに、この日の記事には以下のようなエピソードも記録されている。

それとは別に、身内の恥を明かすようで、という前置きのもとに、早くに夫を亡くした母はしばしば村の男たちと関係を結んでいて、と祖父は語りはじめて、それは祖父が23歳のころ、兵隊に行く直前の話らしい。せまい集落であるから噂はすぐにひろがるし、逢瀬の舞台となった小屋の窓にはめこまれた障子に穴を開けて中の様子をのぞくことが村の若者たちの間で流行っていたこともあり、祖父もじきにその事実を知ることになった。そんなとき炭焼きに出かけた先で、祖父の兄が祖父にむけて、おまえの父親はあの密会相手だ、と口にしたのだという。その一言に祖父は大いに悩んだ。大いに悩んだあげく、となりの集落に住んでいるその「てておや」のもとに向かうことにした。「てておや」は庭先で薪割りをしている最中であったが、祖父の姿を見かけると、なんぞ用か、とたずねた。用事やない、と祖父が答えると、われは◯◯さんの子か、と問いなおした。◯◯さんとは祖父の父親の姉に当たるひとである。その一言を耳にしたとき、祖父は◯◯さんの子として見間違えられるほどじぶんが父親方の顔かたちをはっきり受け継いでいるのだということを知り、じぶんがまぎれもない父親の子であることを確信したのだという。そのときのことなどを小説として書きたい、というので、書けばいい、それでもって史上最高齢の新人としてデビューすればいい、と猛プッシュした。いまさら書きはじめたところでしかしじきに死ぬ身であれば的なことを言い出すので、そのときはそのときでじぶんが遺稿を引き受けた上で隔世二代のメタフィクショナルな私小説をこしらえるから問題ないと言っておいた。孫は本気だ。

 夕飯は京都市内まで出向くことにした。なにを食べたい? とたずねられたので、てんぷらとなんとなく答えたその流れから、そういえば(…)が(…)ちゃんをはじめてうちに連れてきたとき、三人でいっしょに清水寺に出かけたその帰りにかごの屋でてんぷらや寿司を食ったよな、(…)ちゃんがハイボールを二杯たのんで二刀流でがぶがぶ飲んでいたのがクソおもしろかったわという話になったのだが、じゃあいっそのこと京都市内のかごの屋に行こうかという流れになったのだった。かごの屋自体はわざわざ京都市内まで出張らずとももっと近場にあるのだろうが、どうせだからなつかしい風景の参観も兼ねてというアレで、それで昼寝から起きた(…)や授乳を終えた(…)とともに出かけることになった。
 市内までは高速を利用した。(…)は一日に二度もお出かけするなんてとたいそうテンションがあがっていた。(…)はうちにいるときなど普通にやかましいのだが、車に乗っているあいだはおそろしく静かになる。車酔いしているわけでもない、眠くなっているわけでもない、ただただ車が好きなのだ、そして車窓外のトラックやバスや電車を見るのが好きなのだ、だからわれわれが話しかけないかぎりほとんどひとことも話さない。音感にしろ乗りものに対するこだわりにしろ、なかなか癖の強い子になったと夫妻は言った。
 その車内ではひたすら「盆と正月がいっぺんに来たみたいやな!」というフレーズを(…)にインプットするべく尽力した。これは(…)時代の同僚である(…)さんがやたらと口にしていたセリフであるのだが、一日に二度もお出かけできてうれしいと語る(…)に浴びせたのを皮切りに、トミカと花火をふたつ買ってもらうなんて盆と正月がいっぺんに来たみたいやな! 木材運搬車と消防車を両方買ってもらえるなんて盆と正月がいっぺんに来たみたいやな! 先生が昨日と今日の二日間お泊まりするなんて盆と正月がいっぺんに来たみたいやな! みたいな感じでフレーズを乱れ打ち、最終的には、(…)ちゃん前の道見てみ! 右から車来るやろ? 左から人来るやろ? 盆と正月がいっぺんに来たみたいやな! という感じで原型をとどめておらず、(…)よりもむしろ後部座席の(…)ちゃんがゲラゲラ笑っていたのだが、かなりしつこく口にしていたからだろう、途中から(…)もこちらの目論見通り「盆と正月がいっぺんや!」と不完全ながら何度か口にした。こちらとしては保育園の保母さんの前で(…)がこのフレーズを突発的に口にし、この子三歳やのになんでこんなふるくさいフレーズ知っとんねんと相手が困惑する展開を希望している。
 目的のかごの屋は白梅町にある。西大路通をずっと北進するかたちで向かうわけだが、西院が近づくにつれて、うわなつかしいなという気分にさすがになった。西院のTSUTAYAが閉店していた(これについては中国にいるあいだにネットで情報を得ていた)。見覚えのある店もあったし、見覚えのない店もあったが、総じてなつかしく、二年ぶりの日本! という感慨よりも五年ぶりの京都! という感慨のほうが大きかったかもしれない、というか前日日本に二年ぶりにおりたった瞬間特に感慨をおぼえることはなかった、二年近く海外で過ごしたことはさすがにない、二年ってなかなかの長さやぞと日中(…)からも指摘されていたのだが、特に長く異国にいたという感じはなかった、それはたぶんどこに住んでいようとなにを食い扶持にしていようと結局日記を書いて小説を書いて本を読むという生活の土台がまったく変わらないからなのだろう。
 西大路通を北進するとなると、嵐電路面電車を見ることができるかもしれない。そううまくはいかないかなと思っていたが、うまくいった、左手からやってくる嵐電の姿をしっかり窓越しにながめることができた。(…)ちゃん見たか? と後部座席をふりかえると、見た! という返事があったので、盆と正月がいっぺんに来たみたいやな! といった。車両は紫色と茶色だったと(…)はいった。(…)ちゃんがスマホ嵐電の動画を撮影することに成功していたのでのちほど確認してみたところ、本当に紫色と茶色だったので、よく見ているな! と感心した。以前ビデオインアメリカだった店舗はセカンドストリートになっていた。
 駐車場に車を停める。授乳してから合流するという(…)ちゃんと(…)を車に残して三人で店に入る。店は事前に(…)が予約していた。奥の座敷に通される。たたみの上にテーブルが置かれており、背の低い椅子がならんでいる。(…)ちゃんと(…)がやってくるまで待つ。店内はちょっと寒いくらいだった。
 母子がやってきたところであらかじめ注文しておいたメニューの配膳となる。(…)は食べ放題を注文したつもりだったのだが、別のコース料理を注文したことになっていた。どうも(…)のほうで勘違いしていたらしい。そもそも食べ放題のコース自体がなくなっていたのかもしれない。すでに準備を終えてしまっているので変更することもキャンセルすることもできない。それでコース料理をそのままいただくことになった((…)はお子様用のカレー)。前菜、お造り、寿司、和牛しゃぶしゃぶみたいなコースで、お造りと寿司のネタがほぼ完全に重複しているあたり(…)はいただけなかったようであるし、それに関してはこちらも同意するわけだが、和牛のしゃぶしゃぶはべらぼうにうまかった。(…)はここでも無尽蔵の食欲を発揮した。自身のカレーのみならず、(…)ちゃんのコースからわかめだのなんだのを「これちょうだい」と言いながら指差して食おうとするのだった。コースは一人前で4000円以上。値段の割にはって感じやなと(…)は苦々しげにいった。もともと食べ放題のつもりだったのだが、あてがはずれてしまった。ここでの会計は(…)がもってくれた。
 帰路は大変だった。出発してほどなく(…)がギャン泣きしはじめたのだ。そしてギャン泣きはうちに到着するまでおさまらなかった。つまり、小一時間ずっと泣きつづけた。夜にはたびたびこういうことがあるという話だった。昼はだいたい機嫌がいい、ギャン泣きしても抱っこすればほぼ泣き止む、しかし夜はそううまくいかない、こんなふうに延々と泣き続けることがよくあるという話だった。(…)ちゃんはいちばん後ろの席でずっと(…)をあやしていた。かなり大変だったと思う。(…)は往路と同様、ずっとおとなしくしていた。眠そうにしているわけでもなかった、疲れているふうでもなかった、ただチャイルドシートにちょこんと腰かけてフロントガラス越しの景色をじっとながめているのだった。(…)がギャン泣きしているにもかかわらず、運転席の(…)と楽しげにおしゃべりするのも悪いと思い、こちらも助手席でおとなしくしていたのだが、そうすると眠気に見舞われることになる。気づけば落ちていた。(…)によれば、15分ほど眠っていたらしい。あのギャン泣きの中でよく眠れるなとのちほど言われた。こちらが眠りに落ちた瞬間、(…)ちゃんとそろって、嘘でしょ? となったらしい。(…)ちゃんからはむしろありがたかったと言われた。夜泣きをうっとうしいと思っていないようで安心した、と。(…)からはあいかわらず一瞬で落ちるなといわれた。むかし(…)とふたりで車で出かけていたころはしょっちゅうこういうことがあった。交差点に車がさしかかる直前までべらべらべらべらしゃべっていた、それがおなじ交差点を左折しおえるころには完全に首を垂れて寝ている、そういう助手席のこちらのようすをみて、嘘やろ! と思ったことが(…)は何度も何度もあるのだった。
 帰宅。玄関にはコクワガタのメスが一匹いた。いや、コクワガタではなかったかもしれない、けっこうおおきな個体だった。(…)はこわがった。(…)ちゃんはこちらがクワガタといわなければゴキブリだと思ったといった。(…)は授乳を経てじきに寝た。(…)も(…)に風呂に入れてもらったあと、(…)ちゃんとそろって二階にあがって寝た。こちらもそのあと風呂に入った。その後、おむつだのなんだのを買い忘れていたというので、(…)とそろって深夜0時まで空いているドラッグストアに向かった。ベビー用品一式のほかに、こちらからのおごりとして夫妻とじぶん用のジュースだのアイスだのを買った。ちょうど昼間だったか、最近10年前の日記の読み返しをしているという話になって、当時のめちゃくちゃな生活をなつかしく思い返していたのだが、当時は(…)を吸うときお決まりのようにゴクリを飲んでいた、でもそのゴクリも全然見かけなくなったという話題になったそのゴクリがほかでもないこのドラッグストアに売っていたので、シンクロやねというわけで購入したのだった。ちなみに、(…)ちゃんは(…)がかつてこちらと(…)を吸いまくっていた事実は知っている模様。もうやめてねとは言われているらしい。
 それでひとつ思い出したのだが、(…)の職場にあたらしく入ってきたというヤンキーあがりの若い男の子がいて、(…)直属の後輩というかたちで仕事を全部(…)が教えている(指導手当てというものもつくらしい)、その子は若いころにドラッグの類はおおむねすべて経験済みのようで、いまでも煙草の箱にときどき(…)をしのばせているとのことだった。いりますかと言われたが、いらないと断ったとのこと。
 もうひとつ書き忘れていた、これもたぶん昼間、(…)が昼寝しているあいだ大人三人で世間話している最中に出た話題だったと思うのだが、夫妻の新居宅に安アパートはないだろうかという話になったのだった。というのも(…)の日本語学科がそう遠くないうちになくなるかもしれないわけで、そうなったらこちらは帰国する可能性もおおいにありうる、その場合は以前のようにまた家賃1万円代のボロアパートをアジトにして週に二日か三日だけ働くという暮らしを送りたいのだが、そこで以前のように京都市内で暮らすのではなく、夫妻宅の近場に拠を構えるのもいいのではないかと思ったのだ。夫妻はすでにいくつかめぼしい物件を知っているといった。家からそう遠くないうちにここはけっこう安いんではないかというアパートが複数あるとのことだった。それでいろいろに調べてみてくれたのだが、風呂付きの六畳、共益費込みでぴったり20000円みたいな物件がいくつかあって、しかもどれもこれもリノベ済みなのか部屋がやたらときれいなのだ。ちょっときれいすぎるなと漏らすと、なんできれいなんがマイナスポイントになんねんと言われたので、いやきれいちごてええからもうちょっと安くしてほしいねんと応じた。(…)の日本語学科が仮になくなった場合、おそらくほかの大学に移ってもうしばらく大陸で出稼ぎをすることになるだろうが、大陸が台湾に侵攻するとなったらさすがに脱出せざるをえない、そうなったらマジで(…)家の近場に拠点をかまえるのもいいかもしれない。付近にバイト先だけあるかどうかちょっと心配なのだが、電車で奈良まですぐに出ることができるし、観光地であればいろいろあるだろうとのこと。英語と中国語ができれば土産物屋でも重宝されるかな。
 1時ごろに寝室にあがった。その前に中国で買った红包用の真っ赤な福袋に一万円ずついれて(…)に渡した。(…)と(…)の出産祝い。正確にいえば(…)の出産祝いは以前渡しているのだが、こちらが中国滞在中に生まれた(…)の子どもの出産祝いを(…)がこちらと連名にしてくれていたので、その分の返済も兼ねてというかたち。きのうと同様、就寝前には床置きのエアコンをつけたのだが、いつまでたってもいっこうに冷えない。30分以上経ったところで、背中のダストがはずれてしまっていることに気づいた。前面からせっかく吸い込んだ熱気が窓の外に出ていかず、背面からふたたび吹き出すという意味のないループをくりかえしていたのだ。