20231128

At that moment the door opened and the three little girls appeared, each carrying a porridge plate. They were dressed alike in blue jerseys and knickers; their brown legs were bare, and each had her hair plaited and pinned up in what was called a horse's tail. Behind them came Mrs. Fairfield with the tray.
"Carefully, children," she warned. But they were taking the very greatest care. They loved being allowed to carry things. "Have you said good morning to your father?"
(Katherine Mansfield, At the Bay)


  • 8時起床。10時から二年生の日語基礎写作(一)。「(…)」の清書返却。それから「(…)」リミックスを配布して朗読。例年三年生後期の授業でやっているのを二年生前期でやったわけで、ちょっとむずかしかったかなと思ったが、仕上がったものを読んでみるかぎり、けっこういいものになったと思う。傑作ではないでしょうか。

(…)

  • その後、投票用紙を配ってどれがいちばんいいかを決める投票。ひとり三つ選ぶ(そのうち一つは◎で二票扱い)。一位は「日曜日」((…)さん)で、二位は「机に刻んだ字」((…)さん)。このあたりは正直ルームメイトらによる組織票が疑われるのだが、まあいいや。景品として100円玉をプレゼント。残りは全員たしか五票ずつ入ったものだったと思うが、「水没した廃墟」((…)くん)、「海底で眠る少女」((…)くん)、「雲の合間を抜ける飛行機」((…)くん)、「誰もいない舞台」((…)さん)という結果で、全員に50円玉をプレゼント((…)くんはふたつランクインしたので100円玉をプレゼント)。
  • そこまでで前半。後半は日語基礎写作(一)と日語会話(三)の期末試験について説明。最後15分ほどあまったが、自由時間として処理。
  • 授業後、(…)さんと(…)さんのふたりが教壇にやってくる。時間はありますか、と。昼メシの誘い。了承。(…)くんもついてくる。今日は彼女との約束はないらしい。メシは(…)さんおすすめの土豆粉の店。新設された西門のむこうにあるという。土豆粉はあんまり好きじゃないので、ふつうの面(mian4)はないのかとたずねると、刀削面があるとのこと。しかし実際に店で注文して出てきたのは刀削面らしくなかった(いわゆる正宗ではないものだった)。味はまずまず。注文は(…)さんにおねがいした。彼女の美团アプリ経由で注文すると割引が発生するので。
  • となりのテーブルに少年ふたりとその母親ふたりがついた。日本語で会話するわれわれを見て、少年が日本人? と母親にたずねているのがきこえたので、你好! と声をかけて手をふった。しかしのちほど(…)くんから、先生、あの子どもはさっき鬼子と言っていましたと耳打ち。子どもに罪なし。「教育」と「情報」が完全にコントロールされた環境で年端のいかぬ子らになにができる?
  • (…)くんは先の休憩時間中、わざわざ教壇までやってきて、「投票」がうらやましいですと口にしたのだった。さらにこの食事の席でも、女子ふたりが同席しているにもかかわらず、先生、毛沢東の息子を知っていますか? と例によって「敏感」な政治の話をはじめようとした。内心いい加減にしろよと思いつつ、ひとまず適当にあしらったところ、さすがにTPOをわきまえていないみずからの言動を自覚するにいたったのか、いったんその話は流れた。(…)くん、このままいくとマジでいつか調子にのってデカい失態をやらかす気がする。あぶなっかしいのだ。壁越えして外の情報に触れたばかりの中国人と、定年後にはじめてインターネットに触れて陰謀論者だのネット右翼だのになったりする日本の老人らは、その後の行動パターンだけ見ればけっこう似通ったところがあるかもしれない。ほかの会話が進行している最中にもかかわらずじぶんの関心があるテーマを一方的にぶちこんでくるところとか、同席している相手をあわよくば「啓蒙」してやろうとたくらんでいるところとか。
  • (…)さんはもうかれこれ二ヶ月以上両親とケンカしているという。彼女は来年のインターンシップに参加して日本に行きたいらしいのだが(これは初耳だった)、両親はずっと反対している(しかしすでにインターンシップには応募したとのこと)。反対の理由はやっぱり処理水だろうかとひそかに思っていると、両親は考え方が保守的だという。男尊女卑がひどいと続けるので、いまでもそんなにはっきりとあるのかとたずねると、弟はものすごくちやほやされて大事に育てられているのだが、自分は全然そうではないとの返事。女がわざわざ親元をはなれて外国で働くのなんておかしいという考え方だというので(来年のインターンシップに参加するとなると夏休みにもかかわらず帰省しないということになる)、女性は大学に進学しなくてもいいというような考え方のひとも田舎にはいるときいたことがあると受けると、ぼくの前の彼女の両親はそうでしたと(…)くん(前の彼女とはコスプレイヤーの(…)さんのことだろう)。その手の思想が一部で残っているという話はこれまで学生から何度かきいたことがあるけど、農村だけではなく中国全体でそうなのかとたずねると、三人そろって中国全体の話だと受けてみせる。もちろん田舎のほうがよりひどいという事情はある(そして(…)さんの故郷は田舎だ)。(…)さんは基本的にいつもアニメ声でケラケラ笑ってばかりいる、冗談が好きであかるくてひとなつっこい女子であるのだが、メシを注文する前に親からかかってきた電話を受けてちょっと口論したこともあってか、今日は見たこともないほど暗い顔をときおり浮かべていた。しんどい。
  • 店を出る。近くにカフェ兼バーが開店していたので、時間のあるときにここに来ようかと話す。授業準備をする必要もほぼなくなった現状、週末などにおとずれるのもいいかもしれない。店のインテリアがクリスマス風であるのを(…)さんが指摘する。日本はそろそろクリスマスムードかもしれない、12月になったら街中でもクリスマスカラーが目立つようになるし、クリスマスソングを耳にする機会も増えるからという。ぼくはあの雰囲気けっこう好きなんだよね、そのまま年末になる感じも含めてけっこういいもんなんだよと続けると、わたしも好きですと(…)さん。でも中国ではクリスマスが禁止されているでしょうというと、十年前はそうでもなかったという。近平の旦那が愛国! 愛国! をやりだす前の話だ。十年前は街中でクリスマスツリーやクリスマスリースを目にする機会がいまよりもずっと多かったというし、クリスマスソングもよく流れていたという。先生、あれ、あのプレゼントの老人、あれは日本語でなんですか? と(…)さんがいうので、サンタクロース? と応じると、そうだ! サンタクロースという言葉! ドラえもんで聞いた! という反応。
  • 食後は近くにあるオタクショップを女子ふたりに紹介するつもりだったのだが、もう潰れましたよと(…)くん。オープンして一年も経過していないのではないか? やっぱり(…)みたいな田舎ではああいう店はなかなか流行らないということか。
  • 女子寮にもどるふたりと別れる。(…)くんとそろって男子寮そばの库迪咖啡でコーヒーを打包する。ふたりきりになった段階であらためて(…)くんが毛沢東の息子の話を持ち出す。毛沢東の息子は朝鮮戦争に参加していた、司令部にいたのだがそこで当時贅沢品だったたまごを使ったチャーハンをこしらえて食した、しかし調理の際に生じた煙によって米軍に居場所を悟られてしまい、結果、爆撃で死亡することになった、と。ずっと以前だれかから聞いたことのある話だ。で、最近、中国のインフルエンサーがたまごチャーハンをこしらえた、それがよりによって毛沢東の息子が死んだ日だった、それに目をつけた小粉红らによってボコボコに叩かれて炎上したというクソ馬鹿馬鹿しいエピソードが続いたので、翻墙している中国人が昨日だったか一昨日だったか炒飯が原因で炎上うんぬんみたいなことをX(Twitter)でつぶやいているのを見かけたが、そういう騒動だったのかと思った。中国の愛国+キャンセルカルチャーの合わせ技、年々ひどくなっていく。半分ギャグの領域だ。『族長の秋』がギャグ小説という意味でのギャグ。
  • いったん帰宅して休憩したのち、14時半から一年生2班の日語会話(一)。第7課。今日も個人でガンガン当てていく。このほうがトラブル(脚本からの脱線)が生じ、結果としていろいろおもしろくなる。笑いどころもたくさん生まれる。特に一年生の授業は基礎中の基礎の反復練習が多くなるからこそ、そうしたトラブルをなるべくひきよせるような仕掛けを凝らしたほうがいい。
  • シャワーを浴びてからデスクに向かう。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、一年前と十年前の日記を読み返す。以下、2022年11月28日づけの記事より。中国各地の抗議活動について。

 10時起床。(…)くんがモーメンツに真っ白の画像を投稿していた。文章は“white”の一語のみ。政府批判。街頭デモなどでゼロコロナ政策を批判したり共産党を批判したりする文章の書かれたプラカードや紙を持って立つと大変なことになるのでその対策の意味で、かつ、検閲精度を揶揄する意味で、真っ白の紙をもって抗議に出るひとびとがいるという情報は以前からちらほら見聞きするし、ウルムチの一件以来中国各地あちこちで巻き起こっている運動の現場でもやはり同じようにしているひとびとがいる様子であるのだが、ついにじぶんの身近なところでも! という感じだ。しかしこういうときに動き出すのはやはりいわゆる劣等生の学生であるのだなとしみじみ思う。優等生はそうしない。優等生は権威(親、教師、年長者、党)のいうとおりにやってきたから優等生なわけであり、しかるがゆえにそうした権威にたてついたり疑問を持ったりすることがやはりほとんどないのだろう。起爆までにエピソード量と時間を要するというか。(…)くんはおそらくゲイであるし、そういう観点からストレートの人間よりも共産党のドグマに対する批判的思考、とまではいわないにしても疑心のようなものの蓄えはもとより多くあったのだろう。それはレズビアンである(…)さんにしてもそうだ。そしてふたりに共通するのが外国の音楽——主にアメリカ——を愛聴しているという点。(…)くんはR&B、(…)さんはHIP HOPを愛している。
 しかしその(…)くんの投稿も十分後には見えなくなっていた。じぶんで撤回したのか、検閲にひっかかって削除されたのか、こちらにはわからない。

 それにしても中国各地の抗議行動がなかなかすさまじい。ネットに流れてきた動画をいくつか見たのだが、「言論の自由」とか「報道の自由」とか「皇帝はいらない」といった言葉がシュプレヒコールとして飛び交っている。なかには「共産党はおりろ」とか「習近平はおりろ」といったアレまであり、中国国内で素顔をさらした人民たちがまさかこのような言葉を堂々と口にするとは! とただただ驚く。北京の四通橋で彭载舟が掲げたスローガン「不要谎言要尊严/不要文革要改革/不要领袖要选票/不做奴才做公民」を口にするひとも多いようだ。うねりが巻き起こっている。
 ちなみに、もっとも過激な抗議活動が行われていた上海の乌鲁木齐中路では、「乌鲁木齐(ウルムチ)」という名前のせいでまずいことになっているのだと判断した当局の人間の手によって、通りの名前を記した看板が撤去されるというギャグにしか見えない出来事が発生した様子。

(…)さんから聞いたのだが、食堂のスタッフたちは現在、食堂の空きスペースで寝泊まりしたり車中泊をしたりしているらしい。写真も見せてもらったのだが、たしかに食堂にあるプラスチック製の硬い椅子の上に、掛け布団ぐるぐる巻き状態で横になっているおっちゃんの姿があったりして、は? マジで? とびっくりした。こちらはてっきり寮の空き部屋かなにかを大学が提供しているものとばかり思っていたのだが、いやいやこれ普通にえげつなくないか? と思った。彼らは少なくとももう二週間以上このような生活を送っていることになるわけだが、寝泊まりもそうであるけれども入浴などどうしているのだろう? 風呂に入ることもできない状態で働いているのだとすれば食堂の衛生面の問題もあるわけだし、もうちょっと大学がなんとかしてやれよと思う。あまりにもかわいそうだ。部屋も入浴の機会も与えてやることができないのであれば、せめて給料だけでも普段の倍ぐらい出してやれよと思うのだが、ブルーワーカーの扱いなんて知ったこっちゃないというのが率直なところなのだろう。学生らのたびたびいう「日本人は冷たいですか」は、たぶん、東京の駅で道に迷ったとき、見知らぬ歩行者に声をかけても対応してくれないみたいな、そういうレベルの話だと思うのだが、こちらの思う中国人の冷たさ、というか他者に対する引くくらいの無関心は——もちろんそれは社会構造によって内面化することを余儀なくされている無関心であるのだが——こういうところだ。たぶん学生たちと彼らの待遇の話になっても、引くくらい驚いたり同情したりする学生は少数で、大半はいちおう同情は示しはするけれども心中ではどうでもいいと考えるだろうと思う。

  • 以下、2021年11月28日づけの記事から引かれていたくだり。

日本の水際対策が議論されるたびに思うのだが、たとえば、いわゆる(浅薄なほうの)リベラル勢が、日本の水際対策の甘さを非難している場面をときどき見るのだが、そしてそういうときに決まって比較対象としての台湾を持ち出すのだが、仮に武漢でコロナが蔓延していたあの時期に、日本が台湾同様、中国からの新規入国をほかのどの国よりもはやく制限する厳格な措置を出していたら、同じ(浅薄なほうの)リベラル勢はそれを支持しただろうか? そうではなくてそんな(非人道的な?)措置は即刻撤回するべきだと政府を非難したのではないだろうか? このことを考えるたびに、保坂和志が『魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない』で書いていた、原発事故にかんするマジでクソ本質的な一節を思い出す。

 事故発覚直後に冷却剤を投入しておけばこんな大事故にはならなかった――という、東電や管内閣の対応の悪さに対する批判がある。あの時点で冷却剤を投入して本当に事故が収束していたとしたら、原発の必要性についての議論はきっと今みたいには本気で起こらなかった。問題はここだ。
 菅直人(か誰か)がもしも冷却剤の投入を強行して(それが成功して)いたら、事は原子炉が一基(か二基、か三基)廃炉になっただけで終わり、電力不足という現実だけが残った。
「管は冷却剤投入を強行したが、あんなことしなくても、東電の技術力をもってすればあの事故は早晩収束させることができた。」
 という論陣を張る勢力が大声をあげ、
「復興のこの大事なときに管は深刻な電力不足を引き起こした。管はA級戦犯だ。
 浜岡原発を止めろ? 冗談じゃない! あれほどの大地震・大津波に遭っても、福島は結局大丈夫だったじゃないか。」(何でもかんでも「戦犯」というのはやめてほしい。「戦犯」という言葉には「太平洋戦争で負けさえしなければ」という底意が響く。)
 ということになっただろう。福島第一原発以前の流れを考えてみれば、これ以外にはありえなかった。
(…)
 もしあのとき、菅直人(か誰か)が冷却剤投入を強行して、事が収束していたとしたら、
「もしも冷却剤を投入していなかったら大事故になった。」
 ということを、社会全体に理解させる力量は、菅直人にもその周辺にもなかったことは明白だし菅直人にそれだけの力が万が一にもあったとしても、原発推進勢力の圧倒的なプロパガンダによって砕け散っただろう。
 事が未然に終わったり、小さく収まっているかぎり、人は何が起きうるのかを理解しない。
 これは人間としての認識のあり方の宿命なのか。
保坂和志『魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない』より「どの政府ももう何もしない」)

  • 以下は2013年11月28日づけの記事より。ここで獲得されたと記されている「スキル」、いつのまにか忘却してしまっている。これ、どうやるんだっけな。眉間のあたりにちょっと力をこめて、まばたき少なめで文章を読むと、味を失ったガムのその味が突如としてよみがえるみたいな感じで、麻痺を解除することができるんではなかったか? 今度「実弾(仮)」で麻痺ったら、ちょっと試してみよう。

22時より1時まで「A」の推敲にとりくんだ。やばかった。キレッキレの三時間。ブレイクスルーに次ぐブレイクスルー。おかげで日曜日締めのサンプル本発注も間に合いそうである。あと集中力を極限までとぎすませることによって何百回と読みかえしてあるはずの手垢だらけならぬ目脂だらけの一文一文をそれでいてはじめての目で読みなおしてみせるというスキルを習得した。難点としてWPを異常に消費するというのがあるのだけれど、しかし難所を推敲するにあたっては必須ともいえる麻痺対策にもってこいのスキル、それができればどれだけいいだろうとずっと希求していたとんでもないスキルの習得が不意にかなってしまったわけで、これちょっとした進化のようなものかもしれない。なにかこう、平常時とは完全に異なるあたらしい脳みその使い方へとスイッチするコツのようなものを覚えた感触がたしかにある。明日になってもこのコツを忘れていなければいいのだけれど。

  • 今日づけの記事を書いているあいだは(…)さんが数日前のブログで言及していた「Kate Bush /David Gilmour - " Running Up That Hill “」(https://www.youtube.com/watch?v=Lk7AVm0Ome0&list=RDLk7AVm0Ome0&start_radio=1)を延々とリピートしていた。これ、マジでちょっと良すぎる。完全に中毒になってしまった。『Hounds of Love (2018 Remaster)』もいちおう通してきいてみたが、このアルバム一枚よりもこの一曲のライブ音源のほうがはるかに価値がある気がする。コテコテのエレキギターの音って、こちらは基本的にあんまり好きではないのだが(だから名盤とされる往年のロックとかプログレとかも普段全然きかない)、これはちょっと気持ちよすぎる。あんまりにもすばらしいのでmp3でダウンロードしてしまった。
  • ひとつ書き忘れていた。「(…)」リミックスでの投票を終えたあと、けっこう踏みこんだ話を学生たちにしたのだった。悲しみを感じる対象が個人によって異なることが今回の詩作でわかったと思う、悲しみだけではない、喜びでも怒りでも同じである、そうしたものを総称して感受性と呼ぶ、感受性は個人の人生の結晶である、それは宝のようなものである、しかしこの社会には同調圧力が存在する、同調圧力は「なければならない」「べきである」というかたちで感受性を矯正しにかかる、その主語の位置にはしばしば「男は」「女は」「若者は」「老人は」「中国人は」「日本人は」という言葉が入る、しかしそんなものはクソくらえだ、じぶんの感受性をそんなもののために曲げてはいけない、そんな圧力に負けてはいけない——と、だいたいにしてそのようなことを語った。この論理の場合、「感受性」というよりは「考え方」とか「思想」という語のほうが適切なのだろうが、そういう語を使うといわゆる「敏感」な話題に対する言及であるのが露骨になってしまうので、やや婉曲的にカモフラージュした格好。中国の若い女子のあいだではフェミニズムが流行していることであるし、たぶんそういうふうに解釈した子らも多かったと思う。男根主義に対する疑問から全体主義愛国主義に対する疑問まではひとつながりになっているとこちらなどは思うのだが、日本の状況を見ていても、ことはそう単純ではないようだ。