20231129

"Oh, Kezia! Why are you such a messy child!" cried Beryl despairingly.
"Me, Aunt Beryl?" Kezia stared at her. What had she done now? She had only dug a river down the middle of her porridge, filled it, and was eating the banks away. But she did that every single morning, and no one had said a word up till now.
"Why can't you eat your food properly like Isabel and Lottie?" How unfair grown-ups are!
"But Lottie always makes a floating island, don't you, Lottie?"
"I don't," said Isabel smartly. "I just sprinkle mine with sugar and put on the milk and finish it. Only babies play with their food."
(Katherine Mansfield, At the Bay)


  • 10時前起床。「中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第80回 『ベルセルク』継承-高校時代以来の無二の親友三浦建太郎、その意思を継ぐ漫画家森恒二」(https://gamebiz.jp/news/377926)を読む。三浦建太郎が亡くなったあとに実施された森恒二へのインタビュー、これまでにウェブで何本か発表されているが、そのすべてが毎回おもしろい。しかし今回のはいちばんおもしろかったかもしれない。このインタビューを読むと、人生において友人ほど大切なものは存在しないというクリシェが、圧倒的なリアリティをもってせまってくる。こんなふうな相棒を持つことのできた人間は本当に幸福だろう。関係が一方的でないのがいい。おたがいがおたがいにあこがれを持ち、コンプレックスを抱えこみ、しかしときには勝ち誇り、批判もすればマウンティングもするのだが、そこにはつねに敬意がともなう。そうした敬意のうえで演じられる綱引きをくりかえす間柄であるからこそ、手の内も容赦なくさらしあうことができる。
  • 朝昼兼用で第五食堂の炒面。食後、12時半から15時半まで「実弾(仮)」第五稿執筆。シーン5をまた部分的に修正する。ここは本当にむずかしい。シーン6は細部の微調整のみですんなり片付いた。しかしこの時点でまおまおにiPhone持たせるのはやめるという設定上の変更を下した。のちのシーンにけっこう影響するので要注意。シーン7もそのいきおいで通した。苦手意識のあるシーンだったが、第四稿のときに大きく手をくわえたおかげで、ほぼ修正する箇所はない。しかし細部の微調整はおそらく必要。
  • 作業の途中で二年生の(…)さんに微信。「(…)」の順番が何番であったか教えてほしいという微信が昨日届いていたので、それにいまさら返信したかたち。それでいえば、朝、おなじく二年生の(…)さんから「暗唱コンテスト」の朗読用音源を送ってほしいという微信が届いていて、それにも返信したのだった。昨日の授業中に知ったのだが、二年生の代表は(…)さんと(…)さんのふたりになったらしい。コンテストの決勝戦はたしか金曜日だったはず。(…)さんにも録音を送ったが、彼女と(…)さんは暗唱するテキストが別々らしい。そして(…)さんが担当するテキストは基礎日本語の教科書に収録されているもの。すなわち、手本となる朗読音源が最初から付録としてあるという。
  • (…)にも微信を送った。そろそろ警察署で居住許可証の更新に行ったほうがいいのではないかと思ってスケジュールをたずねたのだが、前回会って話したときに日程を決めてあなたスマホにメモしていたでしょうというので、え? マジ? と思って確認してみたところ、そのとおりだった、来月8日に手続きとのメモが見つかった。めんぼくない。じぶんがどんどんポンコツになっていく気がする。
  • 16時半をまわったところでケッタに乗って后街の中通快递へ。淘宝でポチったニット帽を回収。(…)で食パン二袋購入。美团の黄色い聖服を着用した男性が差し出すスマホに向けていつものおばちゃんが大声でなにやら訴えていた。聞き取り可能な単語から察するに、どうも美团を利用して外卖しようとした商品が店舗になかったらしく、それで客と揉めているようす(注文ページ上では在庫アリになっていたのが、実際はなかったということだろうか)。やりとりが終わるのをしばらく美团の配達者の前に立って待っていたのだが、あとからやってきた彼女連れの学生らしい男がそんなこちらと配達者の前に自然と割り込み、レジに商品のパンを置いたので、おまえマジでたいがいにしとけよとイラっとしつつ、相手の肩をぽんぽんと叩き、おれはここで待ってんだけどと伝えた。田舎のおっさんおばさんが列にならばない、仮に列があったところで平気で割り込みするのはもうどうしようもないものと受け入れるが、高等教育を受けている小僧がそんなこと平気でするな。
  • 第五食堂で打包。食後は30分の仮眠。シャワーを浴び、ストレッチをし、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、一年前の記事を読み返す。以下、2022年11月29日づけの記事より。コロナ関連。

(…)今日の午後に政府が会見するという話があったはずだが、なにかしら大きな展開があったわけではなさそう、ただ「民衆から反響があった問題」という言い方で抗議運動に触れたとか触れていないとか。いずれにせよ、微妙に譲歩の姿勢を見せている感じはある様子。過度の隔離と封鎖もこれをきっかけに多少はマシになるのかもしれないが、その場合、スケープゴートとして槍玉にあげられるのはやはり地方政府、そしてPCR検査を担っている会社なのだろう。

 作業の途中、気晴らしにモーメンツをのぞくと、(…)先生が封校措置を猛烈に批判しまくっていた。大学の封校措置を支持する、しかしこの措置を継続するにあたっての具体的な計画はあるのか、ハイリスク地域から解除されたのであればすみやかに封校措置も解除するべきだ、実際大学内では感染者が出ていない、大学の外は通常の生活に戻りつつある、それなのになぜ大学だけがこうであるのか、健康コードが赤くなっているわけでもないのになぜ半月も連続でほとんど毎日PCR検査を受けなければならないのか、などなど。

  • 二年生の(…)くんから微信の友達申請。了承すると、本来一年生にまじって受講することになっている日語会話(一)の期末試験はどうすればいいのかと問うメッセージが届いたので、来月の中旬ごろにまた連絡すると返信。
  • 「実弾(仮)」第五稿の執筆にとりかかろうとしたが、どうもやる気が出ず。不意に『ノルウェイの森』(村上春樹)でも再読しようかなとひらめく。『ノルウェイの森』を読んだのは一度だけで、あれは読書をするようになってほどなくのころであるからたぶん二十歳ぐらいだろうか、ずいぶん昔の話になるわけであるけれどもしかしなぜ突然そんなものを再読するというアイディアがひらめいたのだろうと考えたところで、あ、そっか、(…)くんから先日『ノルウェイの森』を読んでいるというメッセージが送られてきたからかと思った。で、勝手に縁を感じ、というのはつまり、勝手にそこにしるしを見出すということであるのだが、なにかヒントがあるかもしれないと啓示でも受けた気になったわけで、これは数年にわたって実行していたブックオフ縛り(ブックオフで手に入れた本しか読んではいけない)や、(…)アパートの羅生門でたまたま拾った奥泉光の書評集をこれはお告げかもしれないとほかの著作より優先して読んだりしていたのとおなじだ、そういう迷信深さみたいなものが、というよりも迷信深さをあえて再帰的に楽しむみたいな性根がじぶんにはどうしてもあるのだ。しかしこれ、偶然性を意味づけようとする行為ともいえるわけで、そうするとなかなか罪深いというか、小説家としては二流三流のふるまいだよなと思う。自由自在に浮遊する断片的な出来事を勝手に伏線認定して勝手に回収しようとしているのだ。
  • それはそれとして『ノルウェイの森』(村上春樹)をKindleでポチる。むかし読んだときは、まず本を読み慣れていなかったということもあるし、精神を病んでいる人間と接触した経験もそれほどなかったからわからなかったが、「僕」が直子の苦しみを一般論として回収しようとする(だれもが共有可能な一般的な苦しみの延長線上に相手を置いて理解しようとする)、つまり、直子の(臨床レベルの)苦しみとそうではない苦しみとのあいだにはあるのはあくまでも量的な度合いの差でしかないものとしようとする「僕」の言動すべてに、そうではない——そこにあるのは質的な差である——とする直子の側の反応がきちんと置かれているのを見て、台詞回しはどこまでも芝居がかっているけれども、根本的なところにはやっぱり病んだ人間のリアリティみたいなものが描かれているんだなと思った。「僕」が直子と寝る直前の場面で、直子が躁的にしゃべりまくるところも、そのしゃべるようすを安い比喩=解釈におとしこむ「僕」の語りをのぞけば、ああわかるわかる、というふうに理解できてしまう。前回この本を読んでから再読するにいたる今日までの18年のあいだにこちら自身神経を病んだことがあるし、なによりさまざまなかたちで病んできた人物らとも少なからず付き合ってきたわけで、そういう経験のあるなしで、この小説から受けるイメージは全然変わってくるかもしれない。そういう経験がなければ、芝居がかったセリフや地の文(がたびたび試みる比喩=解釈=過度に象徴化されてパッケージングされた「意味」)の上っ面ばかりに目が奪われて(「僕」による「わからない」という言明も含めて当然「意味」の水準に属する)、この小説の素材やモデルとなったであろう経験の素のなまなましさがときおりふっと垣間見えるそこのところを嗅ぎ分けることはたぶんできないだろう。
  • 寝床に移動したのち、二年生の(…)さんから微信。「1:2」の読み方は「いちたいに」でいいのかという質問。応じたのをきっかけにどうでもよいやりとりをいくらか交わす。先日見かけた新規オープンのカフェ兼バーが気になるねというと、じゃあ明日の夜いっしょに行きましょうというので、授業準備に追われることもほぼなくなった現状それもいいかもなと思って了承。(…)さんは(…)さんも(…)さんも誘った。三人そろって夜の自習をサボる魂胆らしい。
  • 今日は『12』(坂本龍一)と『Noon in Tunisia』(George Gruntz)と『unpeople』(蓮沼執太)をききかえした。