20231207

 作者忙殺につき、本日掲載予定でした「ピエール(…)のおどりゃクソ森」はお休みさせていただきます。ご了承ください。


  • 8時から二年生の日語会話(三)。「(…)」第三回目。(…)くん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの7人しか進まない。当初は3週で終わらせる予定だったのに、その3週を終えてなお11人あまっている。どうしたもんか。期末テストのテーマトークはなしにするのもいいかもしれない。あるいはテーマを2つから1つに減らすか。
  • 授業後、(…)くんが教室の外で待っていたが、となりのクラスの一年生2班に用があるので、彼とは帰路をともにせず。教室に入り、教壇の(…)先生のところにいき、今日の予定を確認。会の開始は14時半。会場は郊外にあるのでかなり遠い。自転車であれば一時間弱はかかるらしい。それで教室に残っていた(…)さんともうひとりの女子学生といっしょにタクシーに乗って向かうことにした。13時半に女子寮前で待ち合わせ。もうひとりの女子学生の名前がわからなかったので適当に誤魔化していたのだが、(…)先生がなにかの拍子にそのふたりを指し、(…)さんと(…)さんはいつもまじめに最前列で授業を受けてくれるからと口にした言葉をきっかけに、あ、(…)さんだな、と察した。
  • 「転籍」希望者の話もする。2班からは17人だったか18人だったかが希望しているらしい。1班よりも多いという。これにはちょっとびっくりした。半数以上だ。しかし全員が希望どおり「転籍」するのはやはりむずかしい。文学部などはかなり人気で、「転籍」希望者が90人以上いるらしいのだが、受け入れキャパは10人程度だという。だからどうしても漏れも出てくるだろうとのこと。しかし1班よりも2班のほうが「転籍」希望者が多いのは意外だった——と、このときは思ったのだが、しかしよくよく考えてみるに、1班の学生の多くが授業にやる気がないのは別に専攻が日本語だからではなく、いやそういう学生ももちろんいるだろうが、それ以上にもともと勉学に対してさほど興味がないそういう学生だからなわけで、そして当然のことながらそういう学生はわざわざ半年遅れのハンデを背負ってまでよその学部で勉強をやりなおしたいとは考えない。どこにいったってなにを専攻したっておなじなのだ。だから「転籍」希望者が少ないということなのだろう。
  • その1班でもどうやら「団体活動」の計画があるらしい。しかしこちらが呼ばれるかどうかは謎。たぶん呼ばれることはないだろう。こちらが呼ばれるとなると、ほぼ強制的に(…)くんと(…)くんは来れなくなるし、学生との距離感も2班とは全然違う。
  • 帰宅。出前一丁のシーフード味にたまごをぶちこんで食す。それから一時間ちょっと昼寝。三年生の(…)さんから微信。「先生、午後は授業もデートもないでしょう」「心配しないで、私は先生の時間を取らないです」という前置きに続き、餃子をたくさん作ったので先生のところに持っていきます、いっしょに食べましょうという提案。いや、「先生の時間を取らないです」を二言目でうらぎっとるやんけという話であるのだが、これはおそらく長居はしませんからという意味なのだろう。しかし午後には予定がある。今日の午後は一年生、明日の午後は二年生との約束があるからと断る。するとまた、わたしはもう先生の邪魔はしません的な、「邪魔ではないですよ! いつでも来てください!」というこちらの返事をもとめているのがまるわかりのかまってほしげな返信が届くわけだが、これについては触れずにやりとりを終えた。やばいときには手を差しのべるつもりでいるが、こちらに依存してほしくない、知を想定された主体としてのこちらにぼちぼち幻滅してほしい。
  • 時間になったところでケッタで女子寮へ。(…)さんと(…)さんのほかにもうひとりいる。事前に名簿と顔写真をあたまにあらためて叩きこんでおいたので、たぶん(…)さんだろうとわかった。しかし(…)さんは同じクラスの(…)さんとすこし雰囲気が似ている。だからもしかしたら(…)さんかもしれないと思ったが、おもいきって(…)さんですよねと確認したところ、そのとおりだった。タクシーに同乗する三人の顔と名前がこれで問題なく一致したわけだ。女子寮の前には(…)さんもいたが、彼女はわれわれといっしょに来なかった。高校時代から日本語を勉強している学生であるが、授業はいつもやる気がないし、「転籍」希望者のひとりであるという情報も得ていたので、今日のあつまりにも来ないのかなと思ったが、のちほど会場で姿を見かけた。
  • 暑かった。日中の最高気温は25度近くあった。会は20時ごろまで続くという話であったので、いちおうコートを持っていったのだが、そのコートを脱いだ状態でもまだ汗ばむ。本当に12月なのかと愕然とする。(…)さんは遼寧省の学生。故郷の気温はいま何度ですかとたずねると、マイナス15度だという。笑うわ!
  • 道中も、それからタクシーに乗ってからの車内でも、会話がおもいのほか成立した。(…)さんはとにかく積極的。中国語でも日本語でもとにかくたくさん発言する(こういうタイプの学生は勉強をしっかり続けさえすれば基本的にのびるが、他者とのコミュニケーションを好むタイプである分、今後勉強以外の横道に逸れてしまう可能性も高いということをこちらは経験的に知っている)。(…)さんは(…)先生が絶賛するだけあって能力が全般的に高い。発音もきれいだし、文法もしっかりしているし、リスニング能力も高い。のちほどきいたのだが、英語と日本語のみならず、韓国語とタイ語も少しできるらしい。たいしたもんだ。語学のエキスパートだ。うちの大学で、しかも高考で下駄を履かせてもらう東北出身者でこれほど能力と意欲の高い学生は、おそらくはじめてだと思う。(…)さんは三人のなかではもっとも口数が少なくおとなしかったが、タクシーの車内でこちらが質問する言葉をいちいち中国語にぶつぶつと置き換えており、あ、ちゃんと聞き取りできているんだなと思った。リスニング能力だけであれば(…)さんよりも上かもしれない。で、こちらはなんとなく高校時代から日本語を勉強していた学生だったかなと思っていたのだが、のちほど火鍋を囲んでいる場面で、彼女もまたほかのふたりと同様、大学入学後に勉強をはじめた学生であることが判明したので、褒めまくっておいた。こちらの褒め言葉を(…)先生が通訳して伝えると、(…)さんは顔を覆って恥ずかしがった。シャイな子なのだ。
  • 車はのどかな郊外にむかった。(…)先生がいうには(…)山のあるあたりらしい。タクシーで20分ほどかかっただろうか。おりた先はこちらの地元の風景をちょっと思わせるものだった。(…)のあたりだ。もともと農家だった家をリフォームして貸切のスペースとして使えるようにした施設がそこにある。のちほど確認したところ、利用料はひとりにつき100元。しかし学生らが老板と交渉し、教員であるこちらと(…)先生の分は無料になったとのこと。施設にはわれわれが一番乗りだった。若い夫婦がいた。幼い女の子もいた。夫婦どちらかの母親らしい女性もいた。広々とした庭にはパラソルやチェア、ローテーブルとベンチ、電飾がまきつけられたクリスマスツリー、手作りのブランコなどがあった。さっそくブランコにのる。
  • 建物は一階建て。教室ほどの広さがあるロビーの端に、部屋の端から端までのびるローテーブルと椅子。ローテーブルの上には大量のフルーツと辛いおつまみが用意されている。ほかにカラオケ、カードゲームやボードゲームの置かれたテーブル、雀卓などがある。基本的にそのロビーと庭で自由に過ごすという趣向らしい。建物はもうひとつあったが、そこはたぶん宿泊客用の部屋なのだろう。
  • (…)さんと(…)さんがさっそくカラオケをはじめる。予想通りであったが、(…)さんは歌がとてもうまい。(…)さんは並。(…)さんはわれわれからはなれてひとり庭のベンチに座っていた。(…)さんがフルーツを食べようと誘うので、カットされたメロンやオレンジなどをいっしょに食う。人参果もある。ひさしぶりに食ったが、やはりうまい。
  • 学生たちがぼちぼちと姿をあらわしはじめる。あれはたぶん(…)さんだと思うのだが、まるで別人みたいに派手なメイクをしているのを見て、ちょっとぎょっとした。日頃それほどメイクはしないが、こういうイベントごとになるとめちゃくちゃ厚いメイクをする女子学生というのが中国には一定数いて、彼女もそうだった、ほとんど塗り絵みたいになっていた。女子学生の一部はすぐに麻雀をはじめた。男子学生らはすぐにカードゲームをはじめた。ゲームがあるとだいたい毎回こうなるんだよなと、かつての日本語コーナーを思いだした。UNOだのトランプだのを学生が日本語コーナーの場にもってくるのはいいのだが、結局プレイヤーの学生がゲームに熱中してしまってプレイに参加できないほかの学生たちを放りっぱなしにしてしまう。わりと気づかいのできるほうである(…)さんですらそうだった。一年生で日本語でこちらとコミュニケーションをとることのできる能力ととろうとする勇気なり意欲なりをもちあわせている学生はそれほど多くない。じきに手持ち無沙汰になりはじめた。カラオケ組、麻雀組、カードゲーム組(男子)、カードゲーム組(女子)、複数のソロプレイヤーたちにいつのまにか集団が分散していた。どこかのグループにじぶんから混ざりにいくというのもちょっとなァと思っていると、ロビーに小さな犬が入ってきた。金毛の雑種だが、ちょっとトイプードルっぽさがある。ひとなつっこかったが、毛は汚れてからまりまくっている。さらに全身のいたるところにひっつきむしをくっつけている。指で引っ張ってもとれない。これは毛を根本から切るしかないなと思われたので、スタッフの夫婦に声をかけてはさみを貸してもらった。それで毛を根本からカットしてひっつきむしをとりのぞいた。犬の名前は忘れたが、まだ一歳にもなっていないとのこと。こわがらせないようになでながらカットしてやったのがよかったのか、犬は途中からフロアに腹をさらしてあおむけになり、うとうとしはじめた。
  • 犬の世話を終えるといよいよ本格的に手持ち無沙汰になった。フルーツのならぶテーブルの一画に座るも、周囲の学生たちはそれぞれグループにわかれてゲームに興じている。ソロプレイヤーおよび少人数グループもいるにはいるのだが、こちらに声をかけてくるわけでもない。だからといってこちらからそういう学生らに声をかける気にはなれない、そういうふうにこちらのほうから学生に働きかけるようになるとのちほど苦労することになるのを経験的に知っている。たとえばこちらがいずれかのグループに率先して加入し、ホストとしてあれこれ仕切ればそれなりに盛りあがるのは間違いないのだが、それをしてしまうと今後学生らが食事なり散歩なりにこちらを頻繁に誘うようになる。いや、誘いそのものは問題ないのだが、前回とおなじようにこちらがじぶんたちを楽しませてくれるだろうというあたまが学生側にあるせいで、そのときはこちらがまたひとりあれこれと気をつかって働きかけるはめになる。それがなかなかめんどうなのだ。だから手持ち無沙汰をおぼえたときは、その手持ち無沙汰感を無理にごまかさないことをこちらはひそかな方針としている。無理して楽しいふりをすると、おなじような誘いが二度三度と連続で続くようになる。それだけは避けたい。クソ上から目線でいわせてもらうが、こちらのプライベートな時間を奪っているという負の意識をもってもらいたい(と書くと、15年前からまったくじぶんは変わっていないなとも思う)。
  • 方針は方針とはいえ、しかし手持ち無沙汰なひとときというのはやはりそれ相応に苦痛だ。(…)先生もなかなかやってこない。で、もういいやと思って、途中からKindleで『ヴァリス』(フィリップ・K・ディック山形浩生訳)の続きを読みはじめた。最悪こういう時間がずっと続くようであれば、先輩らとの約束があるからぼちぼち帰りますと学生らに告げて先に抜けてもいいなとも思った。
  • そうこうするうちに(…)先生がやってきた。それでフルーツをついばみながらふたりでひととき話した。(…)先生が退屈しているかもしれないと(…)さんたちが心配していましたと(…)先生がいうので、だったら(…)さんがんばってくれよと内心思いつつ、まあ一年生ですしいろいろむずかしいでしょうとひとまず受けたのち、それにうちの学生たちは大人数の場では日本語を話さなくなりますから、さっきもタクシーの車内ではみんな日本語で会話していたんですけどここに到着してからはめっきりそれもなくって、でもそれは一年生にかぎったことではないんですよねと、現四年生のことを踏まえつつ語った。(…)先生自身この現象には思い当たる節があるようだった。
  • 「転籍」の話にまたなった。いま人気があるのは文学部と政治学部らしい。びっくりした。ひとむかし前は政治関係の学部なんて学生らのあいだでもっとも人気のないものだったろうに((…)先生の時代は実際そうだったらしい)、愛国教育かまびすしい近年の影響からか(あるいは愛国主義をおしすすめる政権のもとではその手の学位を取得しておいたほうがのちのち有利に働くだろうというそれ自体やはりプラグマティックな理由からか)、いまは「転籍」希望者がかなり多いという。そう説明する(…)先生の口調はやや苦々しげ。今日は(…)は来れなかったんですかとたずねると、残念ながら午後は授業がありますからという返事。明日であれば午後は(…)区の小学校教員の運動会で授業がなかったので来れたのだがと残念そうにいう。
  • 仮に1班2班ともに「転籍」に成功する学生が大量に出た場合、来学期以降1班と2班を統合する可能性はあるのだろうかとたずねると、そうする可能性もなくはないだろうとのこと。しかしその結果、以前のようにまた40人近い学生をまとめて相手することになったら、それはけっこう辛いなというと、会話のクラスだけはふたつに分けておこなうことになるかもしれませんというので、(…)さんや(…)さんの時代はそうだったみたいですねと受ける。今年の院試組の話にもなる。専攻を法律に変更した(…)さん以外は正直ちょっとむずかしいんではないか、ほかに見込みがあるのは(…)さんくらいではないかというのがこちらの意見。毎年思うのだが、うちの学生は進学先選びの時点でまず間違っている、先輩が合格したからという理由で進学先を選んでいる学生が大半で、じぶんの能力や興味と照らし合わせて進学先候補をしぼっている学生が全然いない、こちらの知るかぎりそこのところをちゃんとしていたのは(…)さんくらいだと思うというと、(…)先生もこれに同意した。(…)さんの院試は正直かなりむずかしいと思うと(…)先生はいった。(…)さんは天津にある大学を目指している。今年の四年生で唯一、卒論を日本語書籍の翻訳ではなく研究および執筆にした学生だというのだが、そしてその理由は大学院の面接で卒論についてたずねられたときにしっかり答えることができるようにするためだというのだが、現状、肝心の論文の内容も文章もめちゃくちゃらしい。正直このレベルでは面接でむしろマイナスにしか響かない、これだったらおとなしく翻訳をしたほうがいいというのが(…)先生の率直な感想だという。(…)さんはまじめに勉強をはじめたのが遅かった、一年生と二年生のあいだろくに勉強していなかった、やっぱりその分がおおきなマイナスになっているのだろう。
  • 庭ではバーベキューがはじまりつつあった。(…)先生とそろってそちらに移動した。グループはふたつあった。主に男子学生が集まっているほうのグループにくわわる。(…)くんが網の前に陣取って串に刺した肉だのエビだの野菜だのを焼く番を担当していたのだが、時間が経つにつれてその手の動きがどんどん手慣れていったので、(…)老板、きみは后街でお店をしたほうがいいんじゃない? というと、みんな笑った。
  • 庭にはさっきのとは別の犬がいた。かなり小さい。生後半年くらいだろう。首輪をつけていたのでやはり飼い犬のようだったが、部外者であるこちらにはなかなかこころを許さなかった、近づいていくと警戒して逃げるのだ。しかし木の枝をひろってそれでちょいちょいと猫じゃらしみたいにしてやると、興奮してたてた尻尾をふりながら噛もうとするし、放っておくとある程度の距離まで近づいてくることもある。犬のほかには鶏もたくさんいた。それで犬だの鶏だのを相手するのにしばらく夢中になってしまった、完全に学生たちのことを失念してしまった! 動物はダメだ。動物は本当にかわいい。動物を見ると見境がなくなってしまう——と書くと、まるで(…)さんのようではないか!
  • (…)くんが焼きあがった串を持ってきてくれた。(…)くんはこの日何度もこちらのために串を持ってきてくれた。こじるりに似ている(…)さんも同様。しかしふたりとも「転籍」組なのだ。(…)さんの授業態度はぼちぼちであるが、(…)くんはいつも最前列で授業を受けてくれる学生であるので、彼がもしいなくなったらちょっとさみしいなと思う。
  • 学生らといっしょにバーベキューを囲んでいると、(…)さんがソーセージを先の子犬にやっているのが遠目にみえたので、ふたたびそちらに移動。(…)さんは今日もひとりでいるのが目立ったし、授業中も最前列でほかの学生とすこし離れて座っており、ちょっとクラスになじめていない印象を受ける。なんとなくだが、この子もちょっと鬱っ気があるんではないかという印象をこちらはひそかに抱いている。(…)さんがソーセージを食いちぎってから子犬の前に転がしてやると、子犬はすぐにそれに口をつけようとしたが、ソーセージの中身がまだまだ熱かったのか、口をつけるだけつけてすぐに離すというのをくりかえし、さらには前足で獲物を押さえつけるようにしてソーセージのかけらを踏みつけるのだが、その前足をすぐにまたひゅっとひっこめる、その仕草が完全に熱い鍋にふれた人間がおもわず指先をひっこめるあの仕草とおなじだったので、ふたりそろって笑った。言語の壁を超えた笑い。ソーセージにはこちらの水をかけて冷ましてやった。犬はすぐにソーセージを食べた。
  • バーベキューの網の近くにはアウトドア用の折り畳み椅子もいくつかあった。男子学生の一部はそこに座ってゲームをしていた。(…)先生もスマホをいじっていた。こちらも空いている席に座った。二年生の(…)さんから昼ごはんになにを食べたかという微信が届いていたので、いまは一年生とバーベキューをしていると返信すると、わたしたちはまだ先生といっしょにバーベキューをしたことがない! という抗議がすぐに届いた。いや、二年生はいっぺんも「団体活動」しとらんやんけ。一年生1班の(…)さんからも微信。コナンの新作映画について。16日に行きましょうとのこと。了解。チケット代を出すというので、それは必要ない、じぶんの分はじぶんで払うと受ける。中国の学生、なにかと教師におごろうとする。
  • 学生らが焼いてくれるものをついばみながらふたたび(…)先生とゆっくり話した。今度は(…)さんのことを話した。(…)先生は彼女がリストカットした事実を知らなかった。ルームメイトとの関係も悪いせいで毎日門限ぎりぎりまで外をうろついているらしい、それでときどきうちに来たがる、それで管理人の視線が痛いのだが夜まで滞在させていることもあると打ち明けたのち、しかしそれでこちらに依存するようになっても問題なので適当な距離をもうけるようにしているのだがなかなかむずかしいと続けた。ほかに彼女のクラスメイトでは(…)さんと(…)さんもうつ病持ちである。だから一年生のこともついついそういう目で見てしまう、この中にも何人かは病んでいる子がいるんだろうなと心配になるのだと続けると、実はひとりいますという返事があった。(…)さんだろうと思ったが、そうではなかった、(…)くんだった。学生全員が受ける心理方面のテストで自殺リスクが高いというスコアが出たらしい。それで担任の(…)先生のところに連絡があった、だからほかの教員と協力して寮の抜き打ち検査という名目で日本語学科の男子寮を形式的にチェックしたのち、(…)くんと個人的に面談する時間を設けたというので、いちおう中国でもそういう対策はあるにはあるのだなと思った。(…)くんは最初から「転籍」を希望している。希望先は歴史学科だと思っていたが、そうではなく政治学科らしかった。どうしてもその専攻を勉強したい彼は、わざわざ学院長にじぶんの希望を訴えるメールを個人的に書いて送っているらしく、それも一度だけではなく二度三度と送っているという話だったので、そういうやる気のある学生こそが「転籍」できるようにすべきだ、「転籍」したところで結局勉強しない学生が一定数いるのだからというと、(…)先生もこれに同意した。
  • 現二年生のレベルが高いという話をする。やる気もある。本来ならひとり3分程度でかまわないと伝えてあった「(…)」を今日も10分以上する学生が続いたというと、(…)先生はかなり驚いていた。だから来学期の四級試験ではかなりの数の合格者が出るんではないだろうか。三年生も先学期合格者数がかなり多かったのでびっくりしたというと、高級日本語を担当している(…)先生もいまの三年生は優秀だ、授業中もしっかり集中していると評価しているとのこと。四級試験の合格者が増えたのは学位に関するルールが変更になった影響もあるかもしれないと(…)先生はいった。以前は総合成績がケツから15%の学生には学位を与えないみたいなルールだったらしいのだが、いまは四級試験に合格できなかった学生には学位を与えないというルールに変更になったらしい(とはいえ、四級試験がダメでもほかの資格試験に合格していればオーケーという救済措置のようなものも存在するようであるが!)。
  • そうこうするうちにバーベキューは終わっていた。建物に近いほうの一画でローテーブルとチェアが用意され、そこで火鍋がはじまりつつあったので、そちらに移動した。鍋は全部で三つあった。そのうちのひとつだけが太極図式のもので半分辛くないスープになっていたので、こちらはもちろんそのそばに着席。右手には(…)くん(しかしこちらは彼のことをずっと(…)くんと勘違いしていた)。左手には(…)さん、そのさらに左手には(…)さん。彼女の正面に(…)先生、その右手に(…)さん、そのさらに右手——こちらの正面——に(…)さん。知らず知らずのうちに今日もっとも言葉を交わす機会の多かった学生たちと陣形をなすかたちになっていた。それでなんとなく、この子たちが今後一軍になるのかもしれないな、来年のいまごろはこの日の日記を読み返して、ああ! この時点でわれわれの関係を予期していたとは! とかなんとかびっくりしみじみしているのかもしれないなと思った。
  • 火鍋はまずまず。しょせんは手作りだ。われわれのテーブルの右手には男子学生らのつどうテーブルがくっついていた。そのふたつのテーブルから離れた一画では女子学生たちがつどっていたが、そちらにいる(…)さんが突然鍋の具をよそったお皿をわざわざ(…)先生のところに持ってきた。やる気のない彼女が? なぜ? とちょっとふしぎに思ったが、どうやら女子学生らはゲームかなにかをしているらしかった。それでゲームに負けた学生が罰として教員におべっかを使ってくるというわけだった。となるとおそらく次はじぶんのもとにだれか派遣されてくるだろうと思っていると、案の定(…)さんがやってきて、先生いっしょに写真を撮ってくださいと頼まれた。
  • 食後、あれはたぶん(…)さんだと思うが、炭火で焼いたお餅と急須でいれたお茶を用意してくれたので、ピスタチオといっしょにそいつらをかっ喰らった。そのあいだも(…)先生といろいろ雑談していたわけだが、(…)先生はひとり鍋の残りものをおいしいおいしいと言ってバクバク食べていて、その食欲っぷりに、なるほどたしかに太るなとちょっと失礼なことを思った。右手のテーブルでは(…)くんがやはりひとり残りものをバクバク食べていた。彼はちょくちょくこちらとコミュニケーションをとりたがっているようにみえた。高校一年生のときから日本語を勉強している学生だ。
  • 室内から男子学生の歌うカラオケがきこえてきた。声ですぐに(…)くんだとわかった。上手ではない。曲調もやたらと古い。これはおじさんたちが好んで歌う歌ですねと(…)先生がいう。(…)くん、外見や体型のみならず音楽の趣味までおじさんなのだ。(…)先生はじぶんは歌が下手だと今日何度かくりかえし口にしていたが(だから歌が上手だったり絵がうまかったりするひとに憧れるらしい)、わたしの歌は(…)くんと同じ感じですというので、まあまあ失礼ですねと笑った。
  • それで室内に移動した。カラオケの前には(…)さんと(…)さんのふたりがまたいた。(…)さんはこちらに日本語の曲を歌えと何度もせかしたが、カラオケに入っている曲はAKBとかEXILEとかジャニーズとか初音ミクとかそんなのばかりで、当然のことながらceroフィッシュマンズもない。宇多田ヒカルのOne Last Kissがあったので、ぼくこの曲すごく好きなんだよというと、(…)さんが途中まで歌った。発音がすごくきれいだったし歌も上手だったので、(…)先生とそろって拍手した。途中で(…)さんと(…)さんもわれわれのほうにやってきた。(…)さんは中国語の曲を何曲か歌った(しかしあまり上手ではなかった)。(…)さんは歌わなかった。彼女はバーベキューのあいだも火鍋のあいだも、もともとは違うテーブルで食事していた学生であるのに、ちょくちょくわれわれのほうに姿をみせた。たぶんこちらとコミュニケーションをとりたがっていたのだと思う。しかしそんな彼女も残念なことに「転籍」組なのだ。(…)さんからはのちほどこちらをとらえた写真が届いた。いつのまに撮影していたのだろうかと驚いた。彼女は彼女でこちらと交流したがっていたのかもしれない。しかし彼女もやっぱり「転籍」組。(…)さんと(…)さんのふたりは初回の授業ではっきりと印象に残るほどのきれいどころである(ということを書いてしまうとルッキズムうんぬんと言われるかもしれないが、印象に残ってしまったのは事実なのでそう書くしかない)。
  • 途中で(…)くんが(…)さんといっしょにDAOKOと米津玄師の“打ち上げ花火”を少しだけ歌った。中国に渡ったばかりのころをちょっと思い出した。当時まちなかでよく耳にしたし、学生らもバカのひとつおぼえみたいにみんなこの曲ばかりきいていたのだ。(…)さんはまたこちらに歌え歌えと催促した。カラオケに曲が入っていなくてもスマホで音楽を流せばいい、その音源をいっぽうのマイクで拾い、もういっぽうのマイクで歌えばいいというのだった。マイクを奪った。それで、我爱你〜(…)〜♪ と歌うと、みんな笑った。さらに(…)くんがまた古い歌を歌いはじめたそのタイミングであまっているマイクを握り、(…)くんの名前の中国語読みを(…)さんに教えてもらってから、(…)〜你好骚〜♪ (…)〜你是傻逼〜♪と歌うと、庭にいる女子学生のほうもどっと笑った。
  • 20時近くなったところで学生たちが三々五々帰りはじめた。ぼちぼちかなと思っていると、(…)さんから帰りましょうと声をかけられた。(…)くんがちょうど新曲をカラオケに入れたタイミングだったが、男子学生もふくめてみんな彼が歌い終わるのを待たずにぞろぞろと外に出た。(…)くんともうひとりの男子学生と(…)先生だけが残ったが、道路沿いに出てタクシーを待っているあいだに男子学生ふたりは遅れて合流したし、電動スクーターの(…)先生も姿をあらわした。おやすみなさいと別れを告げる。
  • タクシーの後部座席には(…)さんと(…)さんとこちらが座った。助手席には(…)くん。車内ではやっぱりみんな積極的に日本語を使ってこちらと会話しようとする。やっぱりこれくらいの人数のほうが学生らも率先して日本語を使おうという気になるのだろうと思った。ほかに学生がたくさんいるとそれがプレッシャーになるのだ。
  • 南門のそばで車をおりる。(…)くんはすぐに前を走っているタクシーに乗っていた男子学生らと合流した。今日は男女入り乱れてゲームをしている光景もいちおう目にしたわけだが、それでもやっぱり中学生みたいなぎこちなさが男女間のあちこち見え隠れするなと思った——という話を火鍋を食っているときに(…)先生と交わしたのだが、その一方で、このクラスは学生同士の仲がかなりいいと思うと(…)先生はいったのだった。たしかにおなじ一年生でも1班とくらべると空気が全然違う、勉強のやる気うんぬんの話だけではなく学生同士の関係がいいように感じられると受けると、1班の班导である(…)さんからそのあたりのことで相談を受けたことがあると(…)先生はいった。2班と同様に「団体活動」を行いたいのだが、いったいどう工夫をすればそのあたりがうまくいくのだろうかと心配しているらしい。2班の学生同士が仲がいいのは、大半の学生がクラスメイト=ルームメイトだからというのもあるだろうと(…)先生はいった。英語学科の学生や日本語学科の先輩とルームメイトになっている学生はごくわずかであり、ほとんどの学生はクラスメイトがそのままルームメイトであるらしい。
  • (…)さんと(…)さんといっしょに女子寮まで歩いた。明日は授業がないという。しかし体育のテストはあるというので、なにをしますかというと、ジョギングのジェスチャーをしながら跑步! と(…)さんがいう。800メートル。それにくわえて、腹筋と前屈の試験もあるとやはりジェスチャーで続く。さらにダンスのようなものもあるというのだが、ダンスではないというので、体操? と中国語でたずねてみると、是的という返事。全部で7つのパートにわかれているふりつけを演じるという趣向。
  • そういう話をしながら歩いていると、前から「先生!」と呼びかけられる。ピカピカ光るローラースケートを履いた(…)さん。さらにその先ではママチャリに2ケツした(…)さんと(…)さんからも声がかかる。先生は大学内に知り合いがたくさんいるみたいなことをふたりがいう。
  • 三年生の(…)さんからまた微信が届いている。作った餃子を友人たちにふるまったが、まだまだ残っている、と。(…)さん、結局誘いだのなんだのを断ったところで、毎回こんなふうにあとでもういっぺん! もういっぺん! とせまってくるそのグイグイ感がちょっと異常だし(いわゆる「ヤンデレ」っぽさがちょっとある)、「先生の時間を取らないです」という何度もくりかえされるあの言葉を実質的にうらぎっているよなと思う。とはいえ、一年生ふたりを女子寮前まで送ったついでであるし、ここで餃子を受けとっておけばいいのではないかと思われたので(ここで受け取らなければ、明日! 明日が無理なら明後日! となりかねない)、その場で電話。いま女子寮前にいるから持ってきてくださいと伝える。
  • 一年生ふたりと別れる。そのまま女子寮前でしばらく待つ。(…)さんがじきに姿をみせる。犬のための水を入れる容器みたいな銀色のひらたい皿に小ぶりの餃子が10個ほど入っている。先生が作ってもおいしくならないかもしれませんという。たぶんそういう理由をつけてこちらの部屋にあがろうとしているのだろうが、すでに時間が時間であったのでそのニュアンスは汲まず、作り方をたずねる。3分茹でる→水につけて冷ます×3セット。病気の猿でもできるわ! 立ち話をしていると、「先生!」と呼びかけられる。二年生の(…)さんほかルームメイトの女子学生たち。みんなジャージ姿。これからジョギングに出るという。一年生と二年生に課されている例のノルマだ。期末が近いのでみんなで一気に片付けてしまうつもりなのだ。
  • (…)さん、寮までついてくるという。茶色いミニスカートに上品な白のカットソーを身につけている。見たことない服だったので、かわいい服だねというと、あたらしいものではないという返事。ふと思ったのだが、(…)さんはクラスの女子のなかではけっこうおしゃれなほうかもしれない。今日は(…)のスーパーで買い物したという。その後餃子を作り、ルームメイトや相棒の(…)さんにふるまったのだが、それでもまだたくさん余ったとのこと。疲れすぎていたのでじぶんでは食べなかったという。寮にたどりついたところで、先生が作ってもおいしくないかもしれませんとまたいったが、すでに21時をまわっていたので鈍感なふりをしてさようなら。
  • 帰宅。すぐに茹でて食う。まあまあうまい。礼の微信を送る。それからシャワーを浴びてストレッチをし、きのうづけの記事の続きを書く。さらに今日づけの記事もちゃちゃっとメモ書きする。その時点で眠気がかなりしんどかったのだが、明日に仕事を残すのはまずいということで、そのままウェブ各所巡回をし、一年前と十年前の記事も読み返した。以下、2022年12月7日づけの記事より。

「先生、ちょっと前までよりずっと良くなったと思います。最近は自分の問題が何なのか少しわかってきています」
 私は言葉を切ってしばらく待ったが、医者の何の反応も示さない。そこで私は続けた。「自分自身の観点がない、というのがパニックの元なんです。私の通ってた学校には宣教師がいたんですけど、いつかそのアメリカ人と話したことがあって、その人が言うには、毎日頭の中でいろいろな考えが浮かぶ、それはすべて何もないところからひねり出されたもんじゃないかと思うかもしれないけど、それは違う。脳内にひっきりなしに考えが閃くのは、すべて神様がお送りになったからなんだ。神は我々の霊魂の創造主だ、だから我々は神に感謝しなければならないのだ云々とね。当時私は全然納得できなくて、誰かに考えを流し込まれるのは嫌だったし、言われるままに信奉するのはごめんだった。だからこの宣教師の言うことは頭から聞き入れなかったんです。でも今思い出してみると、彼に反論することができないんです。頭の中の考えは本当に自分のものなのか。誰かが注ぎ込んだものではないのか。おそらく神ではないだろうけれど、数千数万もの人々の声が注ぎ込まれているんじゃないのかって。歴史、金銭、書物、ロック歌手、愚痴や陰口、それからあと何か、うまく言えないんですけれど。こういったものがもしかすると魂の創造主じゃないかと。これ以外に一言でもいいから自分の言葉というものがあるのだろうかって」
(郝景芳/櫻庭ゆみ子・訳『1984年に生まれて』)

 自転車に乗る。不慣れな外国語で会話していると、じぶんの考えを簡略化してしまったり、ニュアンスを無視して本音ではないことを言ってしまったりすることがあるよなと思う。考えを説明するために言葉を尽くすのではなく、言葉(語学力)に考えのほうを寄せてしまうというか。そういうときに生じる妙な失望感、物足りなさ、もやもやした感じ、そういうものの延長線上に、精神分析における主体の概念も(理解ではなく)感覚することができるかもしれないとふと思った。存在を捨てて意味を生きることを余儀なくされたものの満たされなさ。これじゃないんだよな、これでもないんだよな、と不在の周囲をめぐりつづける換喩の運動。

  • 二番目のくだり、「考えを説明するために言葉を尽くすのではなく、言葉(語学力)に考えのほうを寄せてしまうというか。そういうときに生じる妙な失望感、物足りなさ、もやもやした感じ」をもたらすものとして「不慣れな外国語」である英語があげられているわけだが、一年生をずっと相手にしていたこともあってか、学生用に調整した日本語の運用が長く続いたあともおなじような疲弊をおぼえるよなと思った。実際、今日はベケットみたいにまずしい言葉でずっと話していたのだ。上では、このしんどさが精神分析における主体の概念にむすびつけられているが、一年後のいま読み返してふと思ったのは、セミリンガルのきつさというのはもしかしたらこういうものかもしれんなというものだった。