20130204

確実性におけるそれらの貧しさは、偶然性における豊かさである。
ル・クレジオ豊崎光一・訳『物質的恍惚』)

 生きてあるということ、それはまず何よりも見つめる術を知ることだ。人生が確実なものと感じられない人たちにとって、見つめることは一つの行動である。それは生ける存在の第一の効果的享楽なのだ。彼は生まれた。世界は彼のまわりにある。世界は彼である。彼にはそれが見える。彼はそれを見つめる。両眼は動き、いっしょに方向づけられ、瞳は物を凝視する。数々の形は存在する。何一つとしてここでは不動ではない。すべてが気違いじみて動いて、動いて、動いている。視線は世界にその動きを与える。世界を組みたてる。角の数々を手さぐりし、数々の線、円味を帯びた線や直線の輪郭を辿る。何かに注がれて、色彩の数々を味わう。赤。白。青。さらにまた青、だがもっとくすんでいる。緑。べつの赤。べつの白。一つとして同じ色はない。あらゆる色が、眼差の一つごとに作られてはこわされる。慣れてしまってはならぬ。しょっちゅう、一つ一つの新しいヴィジョンに茫然とせねばならぬ。
ル・クレジオ豊崎光一・訳『物質的恍惚』)



12時起床。背中が痛すぎる。深く長い睡眠の後遺症である。(…)がいつ部屋を出て行ったのか、まるで覚えがない。朦朧とする頭でひとまず散らかり放題の部屋を片付ける。それから豆乳とヨーグルトだけの朝食をとり、昨日付けのブログを書き、後回しにしてあった調べものなどをこなす。途中、胃に若干の不快感。横になって本でも読もうと思ったが、すぐに眠気に苛まれ、それが14時だったのかそれとも15時だったのか定かではないが、いずれにせよ次に目が覚めると19時ぴたりで、おもてで騒がしく取り交わされる中国語が目覚まし代わりだった。旧正月にあわせて帰省中の(…)さんの留守宅を守るためなのかなんなのか、最近おもてでよく見知らぬ中国人男女と出くわす。段ボール詰めにされた裁断-スキャン済みの書物がおもてに山積みになっていた先日、お仲間らしき同国人がたくさん来ていたことがあったが、どうもそのひとたちのうちの一部が、ひょっとするとかわりばんこで空き部屋を守っているとかなんとか、そんな具合なのかもしれない。先日の経験が確かならば、彼らは日本語を話すことができない。ゆえに挨拶のひとつもとりかわすことなく、共同の水場や洗濯機の空くタイミングを互いに互いが窺いあっている状況が発生する。率直にいって、これはあまり楽しいものではない。なるべく愉快に生きたいのが信条=心情である。
過眠に起因する頭痛に苦しみながら起き抜けの身体をほぐし、これからひとっ走りしてくるのでお湯を沸かしておいてくださいと大家さんに伝えにいった。(…)さん、あんたね、走るのは薬です、走るのはお薬です、五年ほどここに住んではった方がね、◯◯さんという方なんですけどね、ここに五年間おられて、それで弁護士にならはったんですわ、そんでその◯◯さん、毎日、ほれ、丸太町通からあんた、北山のほうまで走らはってね、五年おられましたけどな、まあたしかに病気知らずな方でした、いっぺんも倒れへんだんですよ。こちらが走りに行く旨を伝えるたびに大家さんは弁護士になったというかつての住人のことを口にする。丸太町から北山まで走り終えるといつも部屋で大酒を飲んで寝るのがならいだったという。つい先日、奥さんと子供を引き連れてこのアパートに挨拶に来たらしい。貧乏生活からの出世という目に見えてわかりやすいひとつの物語。
いつもよりやや身体の重いジョギングを終えて帰宅。のち入浴。一番風呂は気持ちよい。一番風呂が大好きだ。風呂の湯は月曜日と木曜日にあたらしく張りなおされる。換言すれば、それ以外の日は前日あるいは前々日あるいは前々々日の残り湯を追い炊きしたものを利用することになる。風呂の利用者は大家さん含めて計六人いる計算になる。二日目などはまだたいしたことないが、三日目以降の湯となるとさすがに濁っている。じぶんのような人間でも最初はやや抵抗があったのだから、日々の生活に清潔さを求めるひとなら耐えられないだろう。夏場はシャワーだけでも十分に用をなすが、そのシャワーというのが水量こそまだマシなものの湯の温度がまるで安定しない代物なので、厄介といえば実に厄介だ。
入浴をすませ、身体をほぐし、若干空腹の気配がきざしてはいたものの、ここはやはり胃を休めるべきだろうと思い、何も口に入れぬまま薬物市場にむかったのが21時。ひとまず「偶景」を4つ追加。128枚。一昨日と昨日のブログにも書いた出来事を三点(苛立ちの構造の発見、49対51の話、うんざりするやりとりの現場に無言で居合わせることの疲労)、それからかつて図書館で交わされたやりとりを基にした日常の破れ目についての考察を一点。それから「邪道」執筆。プラス4枚で計402枚。記述の先端部にようやく追いついた。長かった。読み直しの意味を兼ねて冒頭からの加筆推敲にとりかかったのが帰国してまもなくだったはずだから、およそ半年間にわたって記述の隙間を縫うようにして加筆の外挿を繰りかえしてきたわけだ。あとはひとまずの終わりにむけてどうにか書き終えること。それからアルトール・クレジオを意識した変形を冒頭からほどこすこと。こう見通しをたててみると、なんだかんだで脱稿までにはもう半年程度かかりそうな気がする。計600枚? そんな大作を受けつけてくれる新人賞がどこにある。
薬物市場には結局深夜1時過ぎまで滞在させてもらった。四時間の長丁場である。コーヒーと野菜ジュースをいちおう購入したとはいえ、うっとうしい客であることは間違いない。じぶんが店員だったらまず間違いなく舌打ちを繰りかえしているだろうが、しかしここはひとつ日本文学の歴史を更新するためだと思ってどうにか耐えていただきたい。ルーセルのようにじぶんの栄光を確信しているわけではないが(むしろ周囲の無理解に苛立つじぶんの未来像ばかりが目に見えてしまうのだが)、じぶんの書くものがその他凡百の作家が書くものなどよりもよほど優れていると信じているというか、それはもはや騒ぐほどでもない事実の範疇として、きわめて冷静に自らの認識に組み込まれている。いつかはそうなるという未来形の確信も、「A」の脱稿以降は現在形へと転じた。思い込みや自己暗示、狂信妄信のたぐいであると思われてもある意味では仕方がない。じぶんが自信に満ちあふれた人間だとも楽天家だとも特に思わないし、仮にそうであったとしてもそれとこの確信とは無関係である。この確信、というよりはむしろほとんど論理的といっていいほどの得心は、きわめて私的で、個人的で、主観的なものであるがゆえに伝達不可能である。それがもどかしい一時期もあったが、共感を求めるのをやめさえすればたいていのことはすんなりと受け流せることに気づいたときから、どうでもよくなった。共感を求めないこと、理解を捨て去ること、これはこれでなかなか難しいが、切断に肯定的な意味を見出すようになったいま、ひとつの踏ん切りがついたというような気もする。
薬物市場のテーブルに近隣中学の合唱部か吹奏楽部の部紙というか今月いっぱいのスケジュール表みたいなのが置き去りにされていて、手書きの文字やちょっとしたデコレーションイラスト、ほんの数行にも満たない作成者の雑感らしいものが印刷されたそのわら半紙がどうにも魅力的に思われて、2枚あるうちの1枚をくすねてしまった。こういう学級新聞的なあれこれを年代別にわけた上でロラン・バルト『モードの体系』の手つきで分析してみたらけっこう面白いかもしれないと思った。社会学的にもちょっとした成果を生むかもしれない。コレクションアイテムとして十分に面白いと思う。都筑響一とかみうらじゅんとか収集してくれればいいのに。
帰宅後、自室にて読書。蓮實重彦『陥没地帯』の残りを片付ける。すばらしかった。ロブ=グリエの原理をいくらか神経質になったシモンが切り詰められた文体でなぞり書きしているような小説。パズル系の小説(人称や一般名詞を軸に同一性をスライドさせていく手法がとられている小説)の中ではこれまで読んだ中で間違いなくベスト。『オペラ・オペラシオネル』よりもこちらのほうが好みだった。作品それ自体の構造に自己言及するメタメタしたくだりのどうしても目立ってしまうあざとさもあるにはあるが、それさえもがただの種明かしにならず筋の分岐と語りのスイッチングのひとつとして十全に利用されつつがなく処理されているところなどはさすがの手腕だと思った。あらゆる差異が集合する大水のクライマックスという発想が「Z」とまったく同じであったのに驚き、リメイク願望が鎌首をもたげた。
続けてオーソン・ウェルズ黒い罠』鑑賞。大傑作。この時代の作品と思われぬほど凝りに凝った独創的な撮影技法の宝、宝、宝の山! 冒頭3分間にわたる長回しの縦横無尽に動き回るカメラワークがすでに暗示しているように作品のいたるところで空間を自由自在に用いたカットが使用されており、特に奥行きの表現がすばらしい。うねうねと動きまわるかと思いきやときには鋭く機敏にパンするカメラのすばらしさはいわずもがな、たとえばフィックスで撮影されたショットにおいてもその中を移動する俳優の身体を利用して画面に奥行きを出現させてみせるあたりに、映画にしか可能でない表現を見抜いて完璧に利用してみせるウェルズの天才を見た気がする。クライマックスでオーソン・ウェルズ本人が演じるクインランの直観が結局正しかったことが証明される展開や、死に際のクインランの口から語られる二発目の銃弾うんぬんのセリフなど、ハードボイルドな格好良さがまたしびれる。あと、自動車の運転シーンがどれもこれも魅力的だった。後部座席から運転席と助手席に座るふたりの後ろ姿をとらえたショットはひょっとするとゴダール気狂いピエロ』の元ネタかもしれない。
兄の結婚式が決まったと母から連絡があった。4月2日。火曜日。問題なく帰省できる。