20130224

 以上で述べられていることとは何か。それは簡単にいえば、エノンセが歴史的な規則性としての配置であり、その事実の具体的な産出としてこそ描かれるということだろう。対象が歴史的に現出する「座標系」と結びついていること、そこで主体の位置を確保すること、さまざまなエノンセと連携していること、こうした連関において反復性の保持がある程度なされること、これらがエノンセの領野性の機能である。こうした議論は、最終的にはエノンセが、「歴史的アプリオリ」(apriori historique)を形成するという記述に向かっていく。結合点をもたないポジティヴな規則性とは、与えられた歴史のアプリオリのことである。アプリオリであるとは、この場合、あるエノンセに関わる対象やそれを発する主体が、エノンセが関与する領野性にあらかじめ依存しないかぎり現出しえないことを意味している。エノンセがそれらの現出を条件づけるのである。しかしもちろんこのアプリオリは、起源も目的も方向性もなく、ただそこにあるがままの言語の領野性にほかならない。だからここではアプリオリであることが、特殊なものであることとただちに結びついてしまう。それは具体的には、ある〈知〉の分野を形成する閾をかたちづくるだろう。差異においてしか示されない、分散する事実としての閾。このような特殊性の歴史的規則性をフーコーはアルシーヴと呼ぶ。
檜垣立哉フーコーのエノンセについて――砂漠の言語論にむけて――」)



4時半起床。朝食。昨日付けのブログ書く。それから「偶景」作文。2つ追加して計144枚。
まだ空の暗い時間帯から軒先で洗濯物を干していると大家さんが乳母車を押しながらやって来て、こんなにも早い時間からあんたお出かけですか、というので、仕事です、と応じた。作文がじぶんにとって仕事であるのは確かなのだから嘘ではない。ただいまのところは一円にもなっていないというだけのことだ。そしてそんな事実は馬にでも食わせておけばいい。大家さんはじぶんのことをおそらくは帝国ホテルとかなんかそういう豪華なところで勤務している人間だと思っている(そんな人間が家賃18000円の過激派のアジトみたいな掘建て小屋に住まうかという話なのだが)。実際はといえばこれ以上ないほどいかがわしいホテルの一従業員だ。時給800円だ。ひとのセックスを笑ってばかりの職場だ。同僚はほぼ全員筋金入りのろくでなしである。そしてそんなろくでなし集団の中に違和感なく溶け込んでいるじぶんがいるのもまた事実だ。こういうひとたちとの付き合いになんらの気後れも覚えないという意味において、高校時代のじぶん(の経験)もときには役立つものだと思う。
8時から12時間にわたる奴隷労働。粉雪のちらつく通勤路。結局この一週間はほとんど毎日雪がちらついていたことになる。早く暖かくなってくれないとまた気持ちが沈み出す。仕事はそこそこ忙しかった。(…)さんから入ったばかりの給料をさっそく全額祇園に落としてきたと月末恒例の報告があって、あと1800円で一ヶ月暮らさなきゃと嘆いていた。遊びっぷりに華があるために木屋町祇園界隈のひとたちは(…)さんのことを大金持ちだと勘違いしているらしい。ロシアンパブのロシア人に「オニイサン、アラブノ、セキユオー!」と言われたという話や、小便がしたくなったので交番に立ち寄っておれらの税金で作ったおまえんとこの便所を貸せと詰め寄ったところ以前便所を貸したさいに爆弾を仕掛けられたことがあったので無理ですと断られたという話がクソ面白かった。今日は今日で仕事を終え次第(…)さんとふたりでナンパに出掛けると二日酔いの抜けはじめた頭で(…)さんは張り切っていて、(…)くんも来いと誘われたがしかしひさしぶりに(…)と飯を食いに行くという先約があったので断った。 
仕事を終えてから(…)のアパートへ。途中いぜん住んでいた円町のあばら屋の前を通りかかってみたところ、両隣の空き地のうちの一方で家を建てはじめていたのでびっくりした。それからものすごい近所にでかくて新しめのセブンイレブンがオープンしていた。(…)の家では鍋をするのが当初の予定だったのだが、生鮮館まで食材を買いに出かけたところ、あんまり良さげなものが見当たらず、それにいまさら準備をするのもちょっと面倒だなぁというのがあったので、結局、ほろ酔いで王将に出かけることにした。ほろ酔いで王将に出かけたところ、24時間営業のはずの店舗が日曜日だけは22時閉店みたいなアレで、しかたがないのでその近くにあったココイチに入った。人生二度目のココイチ。バクバク食っておきながらこういうのもアレだが、まあ美味くない。昼飯に食した職場のカレーのがずっとこさ美味い。セブンイレブンでからあげ棒とチーズなんとかパンとなんかのスイーツを買って部屋に帰ってそれを食って、で、あとは1時過ぎまでYouTubeでいろんな楽曲のPVを流してだらだらと魅入られていた。それからじぶんの家までクソ寒い中をケッタで15分かそこら上り坂ばかりを漕いで帰って、もう一度軽く酔いなおし、フルーツグラノーラとか昨日(…)さんにいただいたハッサクなんかを食ったり音楽を聴いたりしているうちに眠気が限界で、もういいやとなって布団にもぐりこんだのがおそらく4時過ぎで、日曜日は早起きするし夜更かしするしで大体いつも丸一日起きどおしであるような気がする。
色々と考えているうちに、問題が、他者の非寛容性にたいしてまで寛容であるべきなのかというつまらない構図に縮図されてしまっていることに気づき、この方向ではないのだと思いなおした。だからといってどの方向に向えばいいのかはまだよくわからないが。