20130305

しかし可視性が関わる条件を構成するものは、ある主体の見方ではない。見る主体それ自身が、可視性のなかの一つの場所であり、可視性から派生した一つの機能なのである(古典主義的表象における王の位置、あるいはまた監獄の体制における何らかの観察者の位置は、このようなものである)。それでは、知覚を定位する想像力の価値や、「知覚の主題」を確立する感覚的性質の働きを引き合いに出さなくてはならないだろうか。視覚的なものの条件を構成するのは、像であり、あるいは動的な性質かもしれない。そして『狂気の歴史』におけるフーコーは、ときとして、バシュラールのように自己表現している。しかし、彼は、すぐに別の結論にたどりついてしまう。例えば、建築物が可視性であり、可視性の場であるとすれば、それは単に建築物が石の形態であるから、つまり物のアレンジメントであり、性質の組み合せであるからではなく、何よりもまず光の形態であり、明と暗、不透明と透明、見られるものと見られないものなどを配置するからである。周知のページで、『言葉と物』はベラスケスの絵『宮廷の侍女たち』を、ある光の体制として描いている。この光の体制は、古典主義時代の表象空間を開き、見られるものと見るものたち、交換と反射をそこに分配し、絵の外として推論されるしかない王の場所にいたる。
ジル・ドゥルーズ宇野邦一・訳『フーコー』)



12時起床。腐れ大寝坊。目覚ましどおり9時半にいちど起床した記憶があるのだけれど、めずらしくわかりやすい二度寝をしてしまった。昨日の晩あたりからちょいちょい咳が出はじめ、今朝はそれに加えて若干頭が熱を持っているような感覚がある。いっしゅん風邪かなと思いもしたが、おそらくは花粉症だろう。毎年症状の出始めは咳と微熱と身体のだるさという風邪のひきはじめと区別しがたいあれこれに悩まされるのだ。
14時から17時までネコドナルド一階席にて「邪道」作文。削ったり加えたりの結果プラス2枚で計449枚。ちょっと雲行きがあやしい。前回加筆分のくだりがどうもいけない。手癖で書いてしまっている気がする。それだと面白くない。手癖はブログだけで十分だ。長らくひとつの作品を書きつづけていると、それを書きつなぐ過程でできてしまった固有のコードに、その作品につきもののクリシェに、使用頻度の高い論理構造や幾重に強化された思考回路にたよりがちになってしまうところが多分にある。こうなると退屈だ。こうなるともういっこうに面白くない。反復は確信の剣に心臓を貫かれてはじめて輝く。
帰宅・筋トレ・夕飯。フリッツ・ラング『ビッグヒート/復讐は俺に任せろ』。冒頭の拳銃自殺シーンを目のあたりにした途端、ああこれ前に観たやつだと思ったが(なぜかラングの作品はこういうパターンが多い)、机の上に倒れこんで突っ伏す遺骸をその遺骸の死の直前に位置していたであろう目の高さから見下ろすようにしてとらえるショットがすばらしかったものだから結局最後まで観た。それでもってラングの作品の中でも『死刑執行人もまた死す』とならんで一番にくらい好きなものかもしれないという感想を抱いた。悪徳検事の邸宅にのりこんでそこのSPをぶん殴ってみせる格闘シーンの冷たく淡白な切れ味すばらしい迫力。高級住宅のベランダに出て次期選挙について語る検事の姿をおさめたショットの背景に煌々と灯る高層ビルの明かり(これは不思議にフリッツ・ラングらしくないようなカットであるように思われる。ラングはひろびろとした奥行きや外を感じさせる中空をカメラにおさめることはあまりないんでないか。彼の切り取る空間はいつもなにかしらの閉塞感、暗闇、恐怖に包まれている気がする)。The Endのテロップが表示されたその背後でなお動き続け会話を交わすひとびとの姿をとらえるラストショット。そして終始シリアスなバニアンのこれぞハードボイルドな男気っぷり(フィリップ・マーロウとはまったく異なるベクトルの、いわば洗練を知らぬ粗忽さのダンディズム)。むろん、言うことなしの傑作。
起床したのが遅かったこともあり仮眠はとらずに入浴だけすませて(…)へ。『ブッダのことば』をじぶんの興味関心にひきつけて生産的に読み進める。たとえば《古い(業)はすでに尽き、新しい(業)はもはや生じない。その心は未来の生存に執著することなく、種子をほろぼし、それが生長することを欲しないそれらの賢者は、灯火のように滅びる》というくだりを、因果関係の否定について語っているものとして読むこと。あるいはたびたび繰りかえされる善にも悪にも執着することない解脱の境地をそのままニーチェ的な善悪の彼岸に結びつけて、さらには『特性のない男』のウルリヒが追求していた道徳の始源に身をおくことで得られる恍惚に結びつけて読むこと。ニーチェつながりでいえば、輪廻を永劫回帰に置き換えて読み直すことにより、たとえば解脱によって輪廻に終止符を打つという原始仏教の根幹思想を、ニーチェ-クロソウスキー-ドゥルーズのラインにたいするささやかな異論として横に並べてみること。あるいはほとんど同じことかもしれないが、輪廻を永劫回帰ではなく一種の変身として理解してみることにより、旅立つことがないからこそ遊牧民であるというドゥルーズのテーゼを踏襲するかたちで、変身することがないからこそ何者でもないままで(「変身過程」から「変身」という目的語を省いた動的な「過程」のままで)いられるというテーゼをひねりだしてみること。
店ではひさしぶりに(…)ちゃんと少しおしゃべりしたのだけれどその中で無印良品が創設当初は大量消費社会にたいするアンチテーゼとしての理念を掲げていたこと、「『これがいい』ではなく『これでいい』」という標語の旗印に(おそらくは今でいうロハスやらエコやらを先取りするかたちで)事業展開していたという話があって、でもそれも企業が企業として資本主義の「ゲームの規則」に乗っかっていくにつれてだんだんと難しくなってきている、創設当初の理念と実際が徐々にずれはじめている、それは企業が成長するにつれてある意味では不可避ともいえる事態かもしれないがしかし理念やコンセプトを把握して商品を生産したり制作したりする側の人間と一企業としての必要最低限の利益をあげるために動かなければならない現場の人間との齟齬がひきおこした事態ともいえる、となればそこのところの齟齬を調停する人間が必要とされているのではないか、と、どこまでが(…)ちゃんの話でどこまでがそれを受けたこちらの拡大解釈であるのか判然としないけれど、いずれにせよこれはひとりの人間の内部で生じる葛藤とも少し似ている。ヒンズー教が〈破壊〉と〈創造〉を司る二神ではなくそこに〈維持〉を司る神を加えた三神制度を採用しているように、〈理念〉と〈実務〉の折衝が結果的に妥協案を生むというのではなくそこに第三項としての〈調停〉を司るアクターが参画するという見取り図を描いてみることで、ひょっとすると新たな展望がひらけることもあるんではないかと思った。
あと、じぶんが学生時代に唯一就職試験を受けて内定をとりそして辞退した京都の広告会社がそちら方面を目指す学生の間でいま大人気であると聞かされて心底おどろいた。たしかにじぶんが受けた四五年前でも倍率はかなり高かったように記憶しているけれど(じぶんの参加した説明会にはたしか100人くらい出席していたのだけれど最終的に残ったのはじぶんとあとひとりだけだった)。現代日本社会で就職活動をする上では残念ながら新卒至上主義というのはまだまだはっきり健在であり、きびしい言い方になるがとりあえずフリーターをしてみてじぶんの将来を見極めてみるという選択肢は人事コンサルティングとして多数の大企業とかかわってきたじぶんとしては絶対におすすめしないと公言してはばからなかった社長が、おまえはもうフリーターでいい、と辞退を申し出たこちらに謎のお墨付きをくれたのがとても印象に残っている。おまえはもう誰のいうことも聞かなくていいからとことんじぶんの道をゆけ、そして狂気の芸術家になれ、と。あとは性格診断テストで協調性と責任感が奇跡の偏差値30台をキープしそれ以外の数値も大半が50を割っていたこと、六種類くらいに大別される職業カテゴリー(営業職とか研究職とかクリエイティヴ職とか)の適正審査がA〜Fの6段階のうちひとつ残らず最低のFをキープしたことも忘れられない。あ、おれってふざけ半分でいうようなアレじゃなくて本当の本気で不適合者だったんだ、と悟った瞬間。社長から借りた大江健三郎『懐かしい年への手紙』と伊藤整『若い詩人の肖像』とあとジェフリー・アーチャーのなんとかいう小説はいまだに返していない。最後の一冊についていえば手元にさえない。たぶんまちがって売ってしまったか捨ててしまったのだと思う。そして読んですらない。あわす顔も当然ない。