20130310

 権力関係は、様々な特異性(情動)を決定する差異的な関係である。それらを安定させ、地層化するような現実化とは、一つの統合作用である。つまり一つの「普遍的な力線」を引き、様々な特異性を結びつけ、それらを整列させ、等質化し、系列化し、収束させるような作用である。あらかじめ直接的に、全体的な統合作用が存在するわけではない。むしろ、多様な局所的、部分的な統合が存在し、そのそれぞれが、何らかの関係、何らかの特異点に似ているのである。統合を行なう諸要素、地層化する諸要因は様々な制度を構成する。〈国家〉、また〈家族〉、〈宗教〉、〈生産〉、〈市場〉、〈芸術〉それ自体、〈道徳〉……。制度は、源泉でも、本質でもなく、本質も、内部性ももたないのだ。制度は、実行であり、操作のメカニズムであって、権力を説明するものではない。制度の方が関係を前提とし、生産ではなく、再生産の機能によって関係を「固定する」ことで満足するのだ。〈国家〉というようなものはなく、ただ国家化があるだけで、これは他の場合についても同じことである。だから、おのおのの歴史的形成に対して、このような地層の上にあるそれぞれの制度に属するものが何か、つまり制度はどんな権力関係を統合し、他の制度とどんな関係を保ち、どのようにして、このような配分は地層間で変わっていくのか、と問わなければならないだろう。(…)私たちの歴史的形成において、国家という形態が、かくも権力関係をとらえてしまったとすれば、それは権力関係が国家から派生したものだからではない。逆に、「不断の国家化」の作用が、確かに、場合によってかなり変化するのだが、教育、司法、経済、家族、性などの秩序において、全体的な統合をめざして、生み出されたからである。いずれにしても、国家の方が権力関係を前提とするのであり、国家は権力関係の源泉なのではない。フーコーは、政府が国家よりも最初にくるといいながら、このことを表明している。ただし、「政府」を、そのあらゆる側面において、他に影響を及ぼす能力、と解さなくてはならない(子供、魂、病気、家族……を治めること)。こうして、国家であれ、他のものであれ、制度の最も普遍的な性格を定義しようとするなら、それは権力-政府の分子的または「ミクロ物理学的な」前提的関係を、ある種のモル的な審級の周囲に組織することであるように思われる。モル的な審級とは、国家にとっての〈主権者〉または〈法〉、家族にとっての〈父〉、市場にとっての〈貨幣〉、〈金〉、あるいは〈ドル〉、宗教にとっての〈神〉、性的制度にとっての〈性〉である。『知への意志』は、法と性という二つの特権的な例を分析することになる。そして、この本の結論のすべては、一つの「性なき性的欲望」の差異的な関係が、いかにして「唯一のシニフィアンそして普遍的なシニフィエとしての」性という思弁的要素に組み込まれてしまうかを示すのである。この思弁的要素が、性的欲望の「ヒステリー化」を実行しながら欲望を規範化するのである。しかし、プルーストの場合に少し似て、統合された性の背後では、たえず分子的な性的欲望が煮え立ち、ざわめいている。
ジル・ドゥルーズ宇野邦一・訳『フーコー』)



4時起床。のつもりが3時半には鼻づまりのひどさで目が覚めた。高熱にうなされるときのような寝苦しさ。不快感。呼吸のあやしさ。耳鼻科を変更したのは失敗だったかもしれない。いつものところだったら飲み薬ひとつにしたところで効果と副作用の弱いものと強いものの双方を出してくれて症状にあわせて適当に処方してくださいとやってくれるし、点鼻薬も目薬も症状が出る前からどうせきみ毎年ひどいことになるのだしピークが来る前に先に出しておくよという感じでやってくれるのだけれど、今年から通いはじめた耳鼻科はこちらのキャリアなんてもちろん知らないからすべてが後手後手になってしまうというか、それをいえばこちらから早め早めで薬を出してくれるように頼めばいいだけなんだろうけどまさかこの数日でここまで症状が一気に悪化するとはという油断、こいつが失敗だった。眠りの質の異様な悪さ。結局そこから5時半ごろまでうとうとしては息ができずに目覚めるというのを繰りかえして布団の中で過ごした。起きてから昨日付けのブログを書いてアップして、それから今日付けのブログをここまで書いた。「偶景」を書き足す時間はなし。
8時より12時間の奴隷労働。京都マラソン開催のため朝早くから夕刻までいたるところで道路封鎖。ゆえに客足少なし。勤務中はマラソン好きな(…)さんとテレビ中継をなんとなくながめていた。客は来ないしやることないしでしびれを切らした(…)さんが(…)さんの許可をもらって途中で職場を抜け出しゴール地点まで出かけたのだけれど、きのうとは打って変わっての極寒&強風に耐えかねてすぐに戻ってきた。中継カメラに映りこんでやるとの約束を反故にされたのでそのことを責めると、ゴール付近に地方アイドルだかミスなんとかだかわからないけれどべっぴんさんがたくさんいたものだから見とれてしまいそれどころじゃあなかったのだという弁明があり、ほんなら今度はぼくが行きますわといったところいくら客が少ないからってフロントの不在が通るわけねえだろということになって結局今度は(…)さんが出かけることになったのだけれど、とりあえず現場付近に到着したという(…)さんにどこどこのあたりの沿道で待機してくれ、さっきから何度も中継画面がそこのカメラに切り替わっているからそこにいさえすればいつかテレビに映りこむはずだ、と、そう指示したはいいもののすでに一着二着三着とランナーがゴールしはじめておりインタビューなどもはじまっていて、ああこれたぶんダメだわ、カメラ切り替わりそうにないわ、と若干諦めながらもうちょっと現場でねばっていてくれと(…)さんに伝えたのだけれど(…)さんはなぜかこの極寒のなかTシャツ一枚で外に出てしまっていて、ただそのTシャツにはいちおう職場のロゴがプリントされているのでちょっとした宣伝という意味もあったのかもしれないけれどもいずれにせよもう無理です、寒いです、退散しますと告げる電話が切られてしばらく、カメラがゴールした走者のインタビューから沿道で応援するひとびとの姿へと切り替わったところで、画面奥にむけて群衆の中を疲れきった背中でふらふらと歩く頭ひとつ飛び抜けて大きい後ろ姿がちっさく映り込んだものだから爆笑した。(…)さんが大興奮しながら電話をかけて、マネージャー! 映ってる! 後ろ姿! 後ろ姿が! とクソでかい声で叫びまくったそのときにはすでにカメラは沿道のひとびとを置き去りにしてふたたびゴール付近の様子に切り替えられたのだけれど、そこからまた一度だけ、ほんの五秒ほど沿道の風景に切り替わった瞬間があって、そこでもやっぱり群衆の中から頭ひとつ飛び出した茶色いツイストパーマの後頭部のふらふらしているのがのぞいたので(…)さんと一緒に手をたたいて爆笑した。さぶい!死ぬ!さぶい!と震えながら(…)さんが戻ってきたときには、さっきテレビ映ってたひとですよね? 光栄です! 握手してください! ヤフオクで流すためのサインください! などと歓迎した。たぶん今年に入っていちばん笑った。ワイもテレビに映りたい。
(…)さんが若いころに敵対するヤクザをふたり刺し殺して十年間刑務所に入っていたということを知った。二十代の前半からぴったし十年間入っていたらしい。シャバに出てきてからはどうしてか組織にもどらなかったようだ。(…)さんがいうには当時の(…)さんの親分にあたるひとはその界隈では知らないひとなど絶対にいないビッグな御方なのだという。そんなひとのもとに「おつとめ」を果たして戻っていたらいまごろ相当名の売れた筋ものになっていだろうに、ともったいなさげに(…)さんは言っていた。
仕事を終えて帰宅してからさて二日分の憂さ晴らしにでも耽るかと思ったのだが、その前に念のためスカイプにログインしてみたところ(…)がいたものだから、うわなんだろこれ妙に緊張するわ、とドキドキしながら Are you there? と呼びかけた。すると、Yes! I'm here! と返事があり、テンションの高い言葉がたてつづけに送られてきて、それからちょっとおしゃべりしようという提案があったのでオーケーした。前回は妙に回線が重くてしゃべっていてもタイムラグがひどすぎてストレスばかり感じて結局ビデオチャットみたいな感じになってしまったのだけれど今日はわりあい軽快で、それだったからこちらの英語発話能力の信じられない低下をのぞいては普通におしゃべりできた。30分も話していれば聞き取りの呼吸みたいなものもだんだんと思い出してくるところがあるというか、なんだかんだで意思疎通できてしまうもので結局二時間半ほど色々とおしゃべりしつづけることになったのだけれど、ただし最後の半時間に関しては会話の途中でいきなりちょっと席を空けるわね、でもfew minutesで戻ってくるから、とだけ残して立ち去った(…)不在のまま経過した半時間であって、戻ってきたら戻ってきたでその待ちぼうけについて謝罪するわけでも弁明するわけでもなく挙げ句の果てにはクッキーおいしかったわと口をもごもごさせながら言ってのけてみせるこの感じ! この自己中っぷり! 濃縮還元100%のB型! 天上天下唯我独尊! すばらしい! おまえはまぎれもない(…)だ! という感じだったのだけれど、カメラ越しの映像で見るかぎりしかし(…)は少し顔が変わったように感じたというか、ありていにいえば顔がなんかパンパンになっていて、ひょっとして少し太ったんだろうかと思ったけれどもしかし(…)は旅を終えてから体重が落ちていたわと言っていたので、夏にはまだ短かったあの金髪をいまは後ろにきゅっとオールバックみたいにして束ねているそのせいなのかもしれず、昨夏にくらべてずっとずっとロシアっぽい顔立ちに見えた。(…)とバンコクで出会ったとき、最初に宿泊したゲストハウスでたまたま知り合った翌日にはインドにむけて旅立つという世界一周中の日本人の男の子と一緒にじぶんは行動していて、有名なワットなんとかいう寺院で(…)から写真を撮ってくれと頼まれたときにその男の子はやたらとあの娘かわいい、やばい、ちっちゃい、日本人向きのサイズだ、一緒に旅したい、やばい、絶対ティーンだ、若い、と矢継ぎ早に口にして、実際(…)は身体が小さいということもあったんだろうけれどものすごく幼く見えたし、それだから翌日ふたりでバンコク郊外にあるクロコダイルファーム((…)曰く「クロコダイルたちのアウシュビッツ」)に出かけた帰り道の長い徒歩の最中((…)曰く「わたしたちはクロコダイルのアウシュビッツに入園料としてバーツを支払った、そのカルマを解消するための苦行としてわたしたちはバスもタクシーも使わずに長い距離を歩くのだ」)、彼女がじぶんのひとつ年下でしかないと知ったときにはたいそう驚いたものだったが、しかし今日カメラ越しにながめた(…)は年相応に見えた。その苦行の途中、お互いの家族構成などについて話し合っているときに(…)は彼女の妹が最近出産したことを告げたのだけれど、じぶんはそれを彼女の両親が赤ん坊を産んだというふうに誤解してしまって、ゆえに大爆笑した。それが次第に話の噛み合わないことになっていって、夜ゲストハウスに戻ってからじぶんはどうやら彼女の話を誤解しているらしいぞと気づき、翌日またふたりで朝からそろってどこかに出かけるバスに乗車しているときにくだんの誤解について弁明したところ、だからあなたはあんなにも大笑いしたのねアハハとなった(と、ここまで書いたところでいちおう旅先でも書ける範囲で日記を書いていたのだということを思い出したのでファイルを開いてながめてみると、バンコクに到着して三日目でありながらすでに想起の引き金となる事例の箇条書きと化している7月12日付けの日記において《翌日(…)寝坊/朝食、雨、バス/ニーチェプラトンソクラテス、カント、アインシュタインドゥルーズ/クロコダイルでしける/ワニ革の話、アウシュビッツ/ひどい距離、これもカルマを解消するため/物事には二面/昼食ユング/妹がベイビー(は勘違いであること後に判明)/エインシエントシティ/リゾート民家、船、動物園、白兎/ベジタリアンの食生活について/マジックマッシュルーム/ミニバンと長距離をバス/犬がうんこ/高めの食堂で食事スティッキーライス/(…)の目線が別の席の西洋人にむけられているような/ビフォアサンセットとサンライズの距離間しずかな軋轢と気まずさ》とあり、ゆえに誤解について雨の日のバス車内で話したというこちらの記憶は誤りであったと判明した)、アハハとなったそのことを今日またスカイプで話して、do you remember? たずねると、yes, of course とあって、ほかにもパーイでのすばらしいダンス、おそるべきメーホーンソーンの日帰り旅行(素敵な夜だったといってやまない(…)と二度とごめんだと唾棄するじぶん)、チェンマイのアートギャラリーなど、いくつかの思い出話に耽ったり現状報告を交わしたりした。この間のメールに書かれていた7000wordsだかの小論文は無事に完成したらしく、ものすごく恥ずかしそうにしながらあなた読みたい?とたずねるのでもちろん読みたいと応じると、ファイルをPDFで送ってくれた。冒頭に掲げてあるエピグラフにGaston Bachelardという名前があり、誰だろうこれ知らないなというと、建築について良い文章をたくさん書いているのよと(…)は言い、建築方面はけっこう疎いからなぁと思いながら名前を検索してみるとなんてことはない、ガストン・バシュラールのことだった。時間お化けになっているじぶんについて、謝罪するのもなんかおこがましい気がしないでもないので、ひとまず自嘲的に語ってみると、それはでもあなたのパッションのあらわれだということじゃないの、あなたには並外れた情熱がある、それをもっと誇るべきよ、わたしだっていつかはアジアにじぶんの設計した家を建てて住みたいといまでも真剣に思ってる、でもまわりのひとたちみんなからchildishだとかday dreamer(あなたこの意味わかる? そう、わかるのね)だとかいまだにいわれるわよ、でもねわたしは今日をじぶんの人生の最後の一日だと思って生きるようにしているから……と続けて、実に手垢にまみれたフレーズだけれどしかし(…)は事実そんなふうに考えているんじゃないかと思われるくらい少なくとも旅先では信じられないほど過密なスケジュールを毎日組んではどこやかやと動きまわり待ち時間には常にboringと叫ぶそんな奴だった。きみはハイパーアクティヴだから、recklessだから、と告げると、(…)はrecklessという言葉を知らなかったみたいで、こちらが一文字ずつ告げたスペルをその場で検索して表示された意味を音読し、それから大笑いして、そうたしかにわたしはrecklessねと言った。小説の調子はどう、とたずねられたので、マスターピースは三度連続でコンテストに落選した、いま書いているものはおそらくコンテストには送らない、かつて書いたものはコンテストに残ったが途中でおりた、と応じた。もしコンテストに残っていたら何がもらえたのかというので、publish and moneyと答えたところ、いきなり、oh!!!! you are an idiot!!!! stupid!!!! と叫びだしたので笑って、まあ聞いてくれ、これにはpriorityという列記とした理由が……と話を続けようとするこちらの言葉をbad excuseとかなんとかいってすべて遮り、あげくのはてにはイヤフォンを取り外して聞く耳もたずのポーズをとってみせたりする、まあこういうのはカワイイな。小説を書くのは別に日本でなくともできるのよ、というので、それはわかってる、実際コンテストでまとまった金が手に入ることがあれば物価の安い東南アジアに移住しようと今年に入ってから真剣に考えている、と応じると、だったらなおさらidiotよあなたは、と言うのでそれはそれとしてきみはいまバイトなんかしてるのとたずねるとしてないと答え、それだったら今年の夏の旅費はどうするんだよというと、governmentがどうのこうの、後でpay backしなきゃならないといっていたからおそらくは奨学金関係のアレだと思うのだけれどそれをアテにしているみたいで、それから不意に真剣な表情になって、多くのことは約束できないわ、だから多くは語らない、でも今年の夏わたしは日本に行こうとどうにかしてみるつもりよ、と、そう彼女が告げたのはスカイプをはじめてものの十分も経たぬうちだったかもしれない。なんとなく、これはたぶん来ないなと思った。それで少しさびしさが芽生えた。さびしさといえばメールや手紙の中で幾度となく繰りかえされてきたI miss youというフレーズが今日、I missed youという過去形のもとに発語されるのを真正面から受け止めて、me tooと答えるべきだろうに二ヶ月間にわたる没交渉を持続していたじぶんにそんな調子の良いことをおめおめと言ってのける権利などあるのかという気持ちから何もいえず、かといって代理となるような当たり障りのないフレーズも知らないものだからいくらかの苦笑と沈黙をもって画面から目をそらすということしかできなくて、結果的にすごく印象の悪いリアクションをとってしまったんじゃないかと後悔するという一幕もあった。いちばん嬉しかったというかほっとしたのは(…)の不眠症が治ったらしいということで、眠るのが大好きだわ、夢を見るのも大好きだと語るその幸せそうな表情に正直ぐっときそうになったのは旅先で彼女がどれほど不眠に悩まされているのかを目にしてきたから(そしてその不眠によってもたらされる起き抜けの低血圧的なテンションの低さ、苛立ち、八つ当たりを一ヶ月間にわたり一身に浴びせられつづけた憂鬱な苦痛をじぶんの身体がはっきりと記憶しているから)で、なんかひさしぶりに他人の幸福を目の当たりにしてじぶんも幸福を覚えるという共感の回路にエンジンのかかったような手応えがあった。わたしはimpatientだと思う、とたずねるので、ときどきはimpatientだしときどきはpatientだよ、いきなりイヤフォンを外してひとの話を聞かなくなったりするし、と応じると彼女は笑って、それからまたスカイプをしてもいいかとあえてこちらから切り出したのはそうすることで後には引けなくするため、時間お化けを克服するための追い込みみたいなところが多分にあるのだけれど、そのわりには勤務日であり筆休めの日であると決めてある土日のいずれかだったら小一時間は確保できるに違いないというせこい計算がここにはしっかりとつきまとっていて不純だと思わなくはないが、しかしまあこういうのはじわじわやっていくしかあるまい。今年中にはパラノイアであることを脱し、自らのオブセッションを克服するにいたりたい。それはオブセッションじゃなくて並外れたパッションよと言ってくれたひとのためにこそ、なおさら。
昼さがりの雨降るロンドンから深夜の京都にむけて送られるグッナイにハブアナイスデイを送り返してログオフした0時過ぎ、閉じきった部屋でひとり香のにおいにつつまれながら踊り、横たわり、あるかなしかの物思いに耽って飯を食い、映像を視聴し、おそらくは3時過ぎに眠った。hair stylistyicsとベートーヴェンラヴェルに五感をゆだね、関節を失った人体としてのセルフイメージを束の間獲得できたのが印象的だった。

(…)
カルマを解消すべく「クロコダイルのアウシュビッツ」から次なる目的地にむけて何もない大通り沿いを延々と歩きつづける途中で目にした川沿いの一画。すばらしくなつかしい美しさだったので、嫌がる(…)を無理やり橋の上に立たせて撮影した一枚。このとき(…)は小便が漏れそうでそれどころではなかったという事実が後になって判明した。

(…)
カルマを解消する行脚の果てにたどりついたancient cityでの一幕。ボートに置いてあった帽子をかぶってはしゃぐ(…)。よほど気に入ったらしく、この翌日バンコク郊外にてスコールに見舞われた際、傘のかわりに(…)はこのtraditional hatを土産物で購入するにいたった。

(…)
これがその土産物屋の前での写真。この後西洋人でいっぱいのミニバンにすし詰めになってバンコク中心街まで戻ったのだけれど、やたらとクーラーを愛好する連中の手により車内はキンキンに冷えまくり、濡れそぼったじぶんと(…)はガタガタブルブルと震えるはめになった。身体が芯から冷えてしまったため、バンコクに戻ってから温かいお茶を飲もうということになったのだけれど、そんなものを飲ませてくれる店などどこにも見つからず、しかたなく近くにあったセブンイレブンに入り、店員との長い交渉の果てにセルフサービスになっている紙コップのホットコーヒーにお湯だけ入れたものをコーヒー分の正規料金を含めて支払い入手し、そこに(…)手持ちのお茶の葉をぶちこんで、路上に放置されていた屋台に腰かけながら飲んだ。夜の雨降りの中、道ゆくひとびとがこぞってあやしい二人組をじろじろ見ていくのがおかしくてたまらず(ただでさえめずらしいアジア人と西洋人のペアに加えて(…)はタイのtraditional hatを身につけている)、この夜のことはstrange tea partyと名付けられ、のちのちまで笑い種となった。

(…)
カンボジアシェムリアップアンコール・ワット見学を終えてアンコール・トムかどこか次の遺跡へ向う貸し切りトゥクトゥクでの一場面。ヨーロッパから持ち込んだサングラスに、マレーシアのスカーフとタイの帽子を身につけた上、カンボジアの楽器を手にする(…)。きみはとうとう国籍を超越したねと伝えると、ご機嫌だった。

(…)
おまけ。バンコクのゲストハウスにて「邪道」執筆にふける帰国まぎわの(…)先生。このときはまだ帰国すれば新人賞受賞の報せがじぶんを待っているに違いないと信じてやまず、賞金50万円を獲得する前提で帰国後の予定をたてていたのだった……。