20130312

 もし、可視的なものと言表可能なものという二つの形態の変化する組み合せが、歴史的な地層、あるいは歴史的形成を構成するのだとすれば、権力のミクロ物理学は、反対に、無形の、地層化されない要素における、力の関係を明示するのである。だから、超感覚的なダイアグラムを、視聴覚的な古文書と同じとみなすことはできない。つまりダイアグラムは、歴史的な形成が前提とするア・プリオリのようなものである。しかし、地層の下方や、上方、あるいは外にさえも、何も存在しない。動きやすい、消えやすい、拡散する力の関係は、地層の外にあるわけではなく、地層の外そのものなのだ。だからこそ、歴史の様々なア・プリオリはそれ自体、歴史的である。
ジル・ドゥルーズ宇野邦一・訳『フーコー』)

私たちは、フーコーが、汚名についての二つの概念に対立することに着目したい。一つはバタイユに近いもので、まさにその過剰さによって、伝統や物語の中に入る生にかかわるものである。(それはあまりに「名高い」古典的な汚名、例えばジル・ド・レのそれであって、結局贋の汚名である。)もう一つの、もっとボルヘスに近い概念によれば、一つの生が伝説に導かれるのは、その企みの複雑さ、その迂回、その不連続性が、一つの物語によってしか理解可能性を見出しえないからである。物語は、可能性を酌みつくし、矛盾する数多くの事態を被いつくすことができる(これは「バロック」的な汚名であって、スタヴィスキーがその一例であるといえよう。)しかし、フーコーは、第三の汚名、厳密にいえば、稀少性の汚名を認知するのである。それは、ささいな、光を浴びない、単純な人々の汚名であって、訴え、警察の報告などによってのみ、一瞬光を浴びるだけなのである。これはチェホフに近い概念である。
ジル・ドゥルーズ宇野邦一・訳『フーコー』)



11時起床。13時より自室にて「邪道」作文。16時まで。プラス1枚で計458枚。手こずっている。調子にのって加筆しまくった分の帳尻合わせに汲々としている感じ。いったいいつになったら書き終えることができるのか、先が見えない。面白いかどうかすらもうわからないが、しかしそれは「A」を書いているときもやはり同様であったので、気にするだけ無駄というものだろう。
部屋着の王のまま生鮮館に買い出し。帰宅後筋トレ。大家さんにいただいた「かしわの煮込み」をおかずに夕食をとりながらニコラス・レイ『暗黒への転落』。スタイリッシュな冒頭。壁に映る匿名的な逃亡犯の黒いシルエット。犯人を追うパトカーの前照灯によって煉瓦塀の前でスポットライトをあてられたかのごとく暗闇から浮かびあがるニックの大袈裟な身振り。席を立った裁判長の椅子の背もたれにじっとりとにじむ汗。判決を下す裁判長の目線を模したカメラによって俯瞰されるニックとハンフリー・ボガード演ずる弁護人。
夜は夜で自室に留まる。花粉が億劫でなかなか外に出る気になれない。日中でなくとも気がひける。(…)から飯の誘いがあったが、例のごとく日曜日にまわしてもらった。朝方までMerzbowをお供に延々とドゥルーズフーコー』、フーコー『レーモン・ルーセル』、『ブッダのことば―スッタニパータ』の抜き書き。途中でいちどジョギングに出かけたのだが、前回の反省をいかしてマスクを装着したまま走ってみたところ、これが存外快適だった。少なくとも前回とは違って帰宅するなりくしゃみの嵐に見舞われるなどということはなかった。ただ、パーカーのフードをかぶってなおかつ顔の下半分を黒いマスクで覆った男が23時半の住宅街を走っている姿はあまりにもあやしいというか陰気な宇川直宏みたいなことになってしまっていていつ通報されてもおかしくはない。今夜は実験的にジョギングコースをかなり延長してみて、いまのアパートに越してきた当初に設定したコースの二倍近い距離を走ってみたのだが、にもかかわらず出発してから帰宅するまで30分程度しかかからなかった。40分走り続けるためにコースを変更したつもりだったのに、ひょっとすると知らないうちに案外持久力がついてきているのかもしれない。ジョギングはいつの間にか月水金におこなうというのが定例となっていたのだが、きのう怠けてしまったので今日にずれこむこととなった。怠けないようにするのは当然の前提だが、もしなまけてしまった場合は即日その埋め合わせをすればいい。簡単なことだ。この規則さえ遵守すれば習慣なんてものはたやすく身につく。じぶんはディシプリンととことん相性がよいと思う。
たまりにたまっていた抜き書きを終えることができたのは良かった。ひとつ肩の荷がおりた気がする。あとは『忘我の告白』の続きを今週中にはどうにか読み終えてしまって、さっさと(…)の小論文にとりかかりたい。もう何も面倒くさがらない。読んでやる。電子辞書片手にぜんぶ読みつくしてやる。寄せられた期待と必要にすべて応えてやるのだ。なにひとつ拒まない男になる。