20130321

 どうもルーセルはおよそのところ、大衆作家たち以外では、最も伝統的な作家たちにしか親しんでいなかったらしい。彼はつねにあらゆる藝術的ないし文学的運動から離れたところに身を持していた。若いころ、プルーストと会う機会があったが、交際を結ぶには至らなかった。『アフリカの印象』の上演について、何度か『ユビュ王』のスキャンダルが引き合いに出されたにもかかわらず、彼はジャリを読んだことがなかった。同様にして、彼はアポリネールを知らなかったし、おそらくランボーも知らなかった。ある日、彼は笑いながら私にこう言った――「私はダダイストなんだそうだ、ダダイスムが何なのかも知らないっていうのにね!」
ミシェル・フーコー豊崎光一・訳『レーモン・ルーセル』よりミシェル・レリス「ルーセルに関する資料」)

 マダム・デュフレーヌによれば、ルーセルは朝、平均三時間執筆し、時間きっかりに始めてきっかりに終わること、さながらオフィスでの勤め人のようだった。けれどもこの執筆時間の能率はたいへん不規則で、ルーセルはその三時間のあいだに一人の作中人物の名前しか見出せないこともときとしてあった。またときには鎧戸を閉めきって、電燈の明りで仕事をすることもあった。調子がいいと感じるときには、余分に何時間かやることもあり、それは先まわりをしておいて、もし必要があれば、休暇を楽しめるようにと思ってのことだった。オセアニアを航海していたときには、タヒチ島で心おきなく歩きまわれるように、何日間も船室を動かずに仕事をしたことさえあった。北京では街をざっと見物したあと、修道僧のように閉じこもってしまった。
ミシェル・フーコー豊崎光一・訳『レーモン・ルーセル』よりミシェル・レリス「ルーセルに関する資料」)

 栄光を当然の権利と見做し、たとえば、まだサロンに顔を出していたころ、誰一人として彼から発する光輝を知覚しているように見えないことにまったく素直に驚いていた彼は、どんな讃辞にも満足することがなかった、なにしろどんな讃め言葉であろうとも、自分が当然期待して然るべきものよりは劣っていると判断していたのだから。彼は批評記事の評価を自分にとって好都合なものにするために何ひとつしたことがなかった。つねに失望をくり返したにもかかわらず、彼は自分の戯曲の上演はひとつとして欠かさなかった。とはいえ、『太陽群の塵』のとき、ルネサンス座での大荒れの夕べには、もうとても我慢できないと言って芝居が終らないうちに劇場を出てしまった。事実、その後のどの上演にも顔を出さなかった。
 一九歳の折、彼がその間ずっと「世界的栄光の感覚」を覚え続けたあの発作、一生のあいだそれをふたたび見出すことを絶望的に試みた強烈な至福状態の最中に、ルーセルは自己の天才の啓示を受けたのだった。いつもながらに細かく気をまわす彼は、論破しがたい証拠をあくまで求めつつ、そして自分の〈運命〉というものの客観的実在について自分を安心させるにふさわしい確認と思われるものを行なおうとして、サン=サーンスと、そして間接的にピエール・ロティの秘書とに問い合わせて、この二人がそのような悟明を経験したことがあるかどうかを知ろうとした。
ミシェル・フーコー豊崎光一・訳『レーモン・ルーセル』よりミシェル・レリス「ルーセルに関する資料」)



1時前起床。計算上は10時間ほど眠ったことになるが、途中で何度目覚めたかわからない。おそるべき鼻づまりと呼吸困難地獄がもたらす浅く長い眠りの気怠さ。目が覚めてからもひたすら鼻づまりに悩まされる。何も手につかない。どうもスギ花粉からヒノキ花粉へとこの二三日ではっきりスイッチした感がある。就寝前に一錠の錠剤を起き抜けからキメる。ほんの慰めにもならない。
腐れ大寝坊&鼻づまりの合わせ技である。一限目に遅刻したのであればいっそのこと休日とすべしという白か黒かの極端さに貫かれた時間割主義者として今日は丸一日読書に捧げることにする。かといって図書館にまで出張る気には到底なれない。ゆえに以前(…)さんから大量譲渡していただいた本の山の中から適当なものを見繕う。ひとまず「思考のフロンティア」シリーズから細身和之『アイデンティティ/他者性』と守中高明脱構築』をたてつづけに読む。どちらも易しい。易しすぎて張り合いがない。これから現代思想を学ぶという大学新入生が読むような類の書物なのかもしれない。『アイデンティティ/他者性』のほうにちょうど読もうかどうか迷っていたプリーモ・レーヴィの著作からの引用がいくつかあって、それがあまりにもすばらしかったものだからこれは絶対に読まなければなるまいと思った。『脱構築』において引用されているカフカの『フェリーツェへの手紙』でも同じことを思ったし(『ミレナへの手紙』は読んだがこちらはまだ読んでいなかった)、両書物でそろって言及・引用されている金時鐘にも俄然興味を持った。この詩人については四五年ほど前、詩集ばかり読んでいた一時期に名前を知って図書館で検索をかけたのだが、ほかに興味のあった多くの詩人と同様著作が見つからず、結局そのまま読まずにずるずるとここまで来てしまったという経緯があるのだけれど、と、これを書いているいま市立図書館のウェブサイトで検索をかけてみたところ何冊か詩集がヒットしたので、とりあえず『失くした季節』を予約しようとしたところすでに予約数が十点に達しているので無理で、視聴覚資料含めて予約が十点までという制限はいくらなんでもきびしすぎる、二十点とはいわずともせめて十五点くらいは欲しいといつも思う。
脱構築』のほうに「うんざりするほかない反動の定型」というフレーズが出てきて、巷で流行りの憂国の士気取りの有象無象やら自然に帰れ式の原始崇拝者、あるいは旧き良き昭和への盲目的な憧憬もしくは江戸讃美に走る軽薄なことこのうえない言説の主張者に出くわすたびに抱くことになるあの強烈にげんなりする嫌悪感を表現するのにこれ以上適格な言い回しもまああるまいと思った。
二冊立て続けに読了したところでいったん休憩をとることにし、部屋着のまま近所の王将へ行って例のごとく無料券を使用して餃子一人前をお持ち帰りした。餃子が焼き上がるまでのひとときをシンナーで前歯の溶けた作業服のおっさんらとならんで小汚いカウンターに腰かけながら待つのはわりと好きだ。落ち着く。大学に入学してからじぶんのふるまいや言葉遣いなんかをかなり意図的に矯正してきたつもりであるし、その矯正の結果もすっかり身になじんだと思っていたのだけれど、でもこんなふうな場末感のある店内の一画でまるで高校時代に戻ったかのようなだらしのない格好でだらしのない姿勢をとり、挙げ句の果てにはだらしのない声で会計時のやりとりを交わすこのひとときがどうしてもこうも懐かしく安心するのか。いまの職場に勤めるようになって(…)さん(…)さん(…)さん(…)さんみたいなどうしようもないヤクザものたちと頻繁に接触するようになり、するとそれに刺激されて死んだはずの種子からふたたび芽吹きはじめるものがあるような、そういう印象をときどき抱く。これはおもしろい現象だ。一種の変身だ。接触する人種の頻度・割合に応じて姿が変わるのだ。類は友を呼ぶという。多くの類を隠し持ち必要なときには取り出すことのできる役者の才能がじぶんにはあると思う。
挫いた左足はまだ若干あやしいので今週いっぱいはジョギングを中止することにして筋トレだけすませたのちに玄米と納豆と餃子だけの夕食をすませてから風呂に入って今度は小田晋『狂気の構造』を読みはじめたのだけれどこれも(…)さんにいただいた一冊で、名前負けもここまできたら立派なものだといいたくなるような中身であることがものの数ページで理解できるようなエッセイならぬコラム集みたいなアレで退屈といえば退屈なのだけれど、中世の説話集からの引用であったり高僧らの恍惚体験に関するエピソードであったりがわりと高い頻度で参照されていたりするのでそのあたりを楽しみに適当にパラパラやってひとまず半分ほど読み、そうこうするうちに一歩も外に出ることなく本の虫となると決めた一日が終わりを告げつつあるわけなのだけれど、ところでカフカの恋人だったというその事実だけで世界文学史上の一座を占める揺るぎないアクターとしてたとえばウィキペディアの一項目をなすにいたったフェリーツェという固有名がもたらす感動というのは、一編の小説に登場する無数の登場人物のうちのそのひとりに焦点をあてて書かれた批評や論文の存在がもたらすそれとどこか似ている。ということを思いながら一日の締めとして、ウィキペディアカフカの項目(http://ja.wikipedia.org/wiki/フランツ・カフカ)をまた読んだ。カフカに熱中するようになって一年半か二年かたぶんそれくらいだと思うのだけれど、発端がその伝記的事実にたいする素朴な自己投影だったというのもあってか、定期的にこのページを読み返したくなる。そしてそのたびに体がものすごく熱くなる。ものすごくだ。
朝6時がすでに明るい。冬は終わった。