生活と言語とに共通した体系というものはない、その理由は単純で、つまり言語が、そしてそれだけが、生活の体系を形作るからだ。それこそが、その描きだす空間とともに、形式の場を形成するものだ。
(ミシェル・フーコー/豊崎光一・訳『レーモン・ルーセル』)
それが言わんとするのは、語(ことば)の欠乏、それらが指す事物よりも数少なく、この経済のおかげで何ごとかを意味できるという、語の欠乏なのだ。もし言語が存在物(エートル)と同じくらい豊かであったとしたら、それは事物(もの)の無駄で無言な分身であるだろう、つまり存在なんかしないだろう。だがそれでも、事物はそれを名指す名がなければ、夜の中にとどまっていることだろう。言語というもののこのような、光明をもたらす欠落、それをルーセルは苦悩にいたるまで、そう言いたければ妄執(オブセッション)にいたるまで感じとったのだ。いずれにせよ、このようなむきだしの言語学的事実を明るみに出すためには、体験の実に特異な(実に「逸脱した」、すなわちひとを戸惑わせる)諸形式が必要だった――言語が語るのはそれにとって本質的なものである一個の欠如から出発してのみであるという事実だ。この欠如の《jeu》――この語の二つの意味において[「はたらき」と「遊戯」]――が感じとられるのは、同じ一つの語が二つの異なったことを言うことができ、そして同じ一つの文の反復が別の意味を持つことができるという事実(限界であると同時に原理である事実)においてだ。そこから由来するのが言語の増殖する空虚のすべて、事物を――あらゆる事物を――言いあらわすその可能性、事物をそれらの光り輝く存在に持ち来たし、それらの無言の真実を太陽のもとに作りだし、それらの「仮面を剥ぐ」可能性なのだ。だがこれもまたそこから由来するのが、自己の単なる反復によって、かつて言われたことも、聞いたことも、見たこともない事物を生みだすというその力だ。〈能記〉(シニフィアン)の悲惨と祝祭、あまりに多く、かつあまりにも少ない記号(シーニュ)を前にしての苦悩だ。
(ミシェル・フーコー/豊崎光一・訳『レーモン・ルーセル』)
たぶんいつの日かひとびとは一つの重要なことに気づくだろう――私たちがやっと、ほんの少し前にそこから解放された、不条理の文学というやつ、ひとびとは誤ってそれが、私たちの境遇の明晰であると同時に神話的な意識化であると信じてきた。ところがそれは、近ごろになって露頭してきた一つの体験の、盲目で陰になったほうの斜面なのであり、この体験が私たちに教えるところは、欠如しているのが「意味」ではなく記号である、とはいえそれら記号が意味するのはこの欠如によってのみである、ということなのだ。(…)ひとに事物(もの)が見える、それはつまり語(ことば)が不足しているからだ。それら事物(もの)の存在の光とは言語がそこで崩折れる、焔に包まれた火口なのだ。
(ミシェル・フーコー/豊崎光一・訳『レーモン・ルーセル』)
6時半起床。睡眠時間が3時間を切るとさすがにつらい。8時から12時間の奴隷労働。(…)さんがイラストレーターで半日かけて制作したインフォメーションブックのデータがPCのフリーズによってすべてオジャンになってしまったのが気の毒でならなかった。職場のお花見が来月の頭にあるのだけれど兄の結婚式に出席するために帰省するので参加できない。そうでなくともヒノキ花粉真っ盛りのシーズンにみすみす外に出るような愚行を犯しはしないけれど。
仕事を終えてからは(…)さんの働く和食屋さんへ。中国行きを控えた(…)さんが今月いっぱいでバイトを辞めるというのでひさびさに顔を出す。四度目か五度目の来店。ちょうど同志社の卒業式にあたる日だったらしく店内は満員御礼。空いていた座敷でひとり本を読みながらカウンター席が空くまで待機。三十分ほど経ったところで席に着いて(…)さんおすすめのメニューを注文したのだけれど、となりの席にひとりで着いていた女性に見覚えがあって、このひとじぶんがこの店に来るときいつもこのはじっこの席でひとりベロベロに酔っぱらってるひとじゃないかなーと思っていると、ひさしぶりだねーといきなり声をかけられた。作家さんでしょ、覚えてるよ、内臓は売らずにすんだの? と続けるので、はてなという顔をしていると、このあいだ会ったときもう内臓売るしかないっていってたじゃないとあって、ということは前回来店したのはおそらく以前の職場が潰れる直前、すなわち去年の夏前だったんだなと思っていると、何読んでんのといいながらこちらの手にしている文庫本を奪いとる。福永武彦です、と応じると、知らない、と返答があり、おもしろいの? とたずねるので、どうしようもないくらいヘタクソですね、とずれた返答をし、小説とか読まれるんですか、とたずねかえせば、『痴人の愛』が好きだという。そこから谷崎潤一郎の話を少しだけして、そして例のごとく小説を読ませてくれと社交辞令なのか何なのかせがまれるいつもの流れになったので適当にお茶を濁し、濁すにあたって説明が不可避となるじぶんの身辺事情を説明するはめになり、そこで軽く触れることになったタイとカンボジア旅行についていろいろと突っ込まれることになったのでそれらの質問にも逐一答え、などとしているうちにきみわたしの同僚の◯◯先生にすごくしゃべりかたが似てる、やさしいしゃべりかた、ほんとそっくりといわれて、なんのことだかわからないので仕切りなおしに相手の仕事をたずねると保育士だという。この店にはよく来ているのかと問えば、ほとんど毎日との返答があり、ここしか居場所がないのよ、おうち追出されちゃったの、子供もいるのにね、と続けるので、なるほど、と応じた。結局一時間ほど飯を食いながらそのひととぼんやりとしたおしゃべりをし、そのひとが立ち去ってからは(…)さんと映画やら何やらについていくらか言葉を交わしたのだけれど、後片付けなど色々と忙しそうであったしこちらはこちらでたいそうな眠気に見舞われていたものだから結局11時前には店を立ち去った。お店の大将から去りぎわ、なかむらや(生鮮館)付近でよく見かけるよ、といわれたので笑った。図書館でもなければラブホテルでもない、喫茶店でもなければネコドナルドでもない、生鮮館こそじぶんの出現率がもっとも高い京都随一のパワースポットである。(…)さんは当初の予定どおり大家さんを題材にしたドキュメンタリーを五月締め切りのヤマガタに応募するといっていた。あとこれは以前にも聞いたことがあったけれど短歌を五十首つくって角川なんとか賞に応募するともいっていて、双方ともに完成したあかつきには拝見拝読させていただくことになった。
帰宅後入浴。それからウェブ巡回し、布団にもぐりこんで本のページをめくりながら、たぶん2時半にははやばやと眠りについた。