20130327

「人間って奴あ、奇妙な機械みてえなもんですぜ!」と驚嘆したようにゾルバはいった。「パン、ぶどう酒、魚、大根なんか腹いっぱい喰うでしょうが。そうすりゃ、そいつから溜息、笑い、夢が出てくるという寸法でさあ。工場みてえなもんだ。こいつあ確かに、トーキー・シネマのような機械が、わしらの頭ん中にゃあるに違えねえ」
ニコス・カザンザキス/秋山健・訳「その男ゾルバ」)

「おまえさんが、達者なように祈りますぜ、親方! 運て奴は盲だそうですぜ。どこへ行くか方向が分からねえんで、しょっちゅう、人につきあたってばっかりいるそうですぜ……それで、この運のつきあたった野郎を、わしらあ、運がいい奴だというんですぜ!」
ニコス・カザンザキス/秋山健・訳「その男ゾルバ」)

 私はアフリカの未開の部族の魔術師のように仕事を続けた。彼らは、夢に現われた先祖たちの姿を洞窟の壁にかく際、出来るだけ実物に忠実に描くのだ。そうすれば、先祖の魂は、自分の肉体を認めて、その中に入っていくと信じているからだ。
ニコス・カザンザキス/秋山健・訳「その男ゾルバ」)



11時起床。おもての物音&話し声で目覚める。生活リズムが乱れていたところだったのでむしろありがたい。歯磨きをするために水場に出ると、今日引っ越してきたばかりだという男の子がいて、大家さんから紹介された。同志社理工学部。新入生であるということは18か19か、びっくりするくらい子供の顔つきであることに、じぶんがとっくに学生諸君とは同世代でないことにまたもや思い到った。学生のころからライフスタイルがそれほど変わっていないというか、マイナーチェンジこそあれ基本的には地続きにきているという感触があるので、実物の学生を目の当たりにしてじぶんとひき比べてみたときに生じる違和感のようなものにいちいち驚いてしまう。
部屋にもどって首の具合をたしかめながらストレッチをしていると、おもての戸をバンバンやるのが聞こえてきて、マジでバンバンすんなってのと思いながら出ると、くだんの学生で、すみませんけど本棚を運ぶの手伝ってください、と笑顔でいってのける。別にいいけどよー、でもさー、なんかそういうのってさー、こう、なんかちがうんじゃないの、朝の貴重な時間なんだよこれ、んでもっておれいま首と膝に爆弾抱えてんのよ、と内心不満たらたらながらもしかしさすがに大家さんに運ばせるわけにもいかないしというアレからしぶしぶ手伝ったのだけれど、学生の部屋はフローリングで窓もついており、壁も両隣の部屋に接していない。うらやましい。じぶんもこの部屋に住みたかった。壁は二面隣接しているし、窓はひとつもない、豚小屋のようなわが自室である。学生はやたらとさわやかで、はきはきしゃべる。その点については好感が持てるが、しかし起き抜けから肉体労働に参加させられたのが引っかかってしまう低血圧ボーイのため、どうしてもいくらか愛想が悪くなってしまう。朝からうるさく話しかけられると無性にイラっときてしまう例の現象だ。本棚を運び終えて自室にもどろうとするこちらの後ろ姿にむけて、あの!と呼びかけるのでふりむくと、あの!小説家めざしてるひとですよね?がんばってください!と熱いエールを送られてこれにもまたげんなりしてしまう。めざしてるとかじゃなくてとっくに小説家なんだよおれは、とか、がんばるとかがんばらないとかそんなしょうもない域をとっくに越えたところでやってんだよこっちは、とか、起き抜け特有のグチグチした感情ばかりがのどもとをせりあがる。結果的に午前中に起床することができてありがたいのだけれどもそれでも物音や話し声で起されたという負の印象はぬぐいがたく残存し(眠っているところをひとに起されるほど頭にくることはない)、そんなところにおもての戸をバンバンやられたり肉体労働を強いられたりすると悪気のないことがたしかなはずのそのエールと笑顔までもが鼻についてしまう、そういうことは往々にしてあるものだ。とはいえさすがに愛想が悪すぎたかもしれない。ひょっとすると彼の新生活に陰を差してしまったかもしれないと思うと、申し訳ないことをした、おとなげなかった、と詫びる気持ちもかすかに芽吹く。なんにせよもう少し良いタイミングで初顔合わせといきたかった。
我が輩は重度の花粉症患者である。ゆえに自室に籠る。「邪道」を書こうかと思ったが、その前に月末締め切りの応募(三ヶ月ぶり四度目の挑戦)にむけて「A」をプリントアウトしなければと思いたち、ひさびさのワード起動。文書の体裁を整えるだけのつもりだったのだが、ずいぶんと長い間通読していなかったこともあり(前回応募時も前々回応募時も読み直しはおこなっていない)、ここらでいっちょうひさしぶりに頭からざっと読み直しかつ推敲してみるかと一念発起した。というわけで12時半から17時半までぶっ続けて集中しまくる。結果29/64枚。ところどころくどすぎる言い回しや現代思想に媚びた語彙の使用などが散見せられるので、そういったひとつひとつをゆっくりと潰していく。(…)から(…)へと語りの引き継ぎを終えたあたりで一時停止。これはいったいだれの作品なんだと愕然とする。じぶんの力量ではとうてい書きあげることのできないはずの結晶がしかしここにたしかにあることの驚き。2011年4月から10月にかけて我が輩は確実に狂っていた。いったいどうやってこんなものを書きあげたのか。じぶんが書いたというリアリティが圧倒的に不足しているがゆえに自画自賛自画自賛になりえないという不思議。
買い物に出るために支度を整えているところにまたおもての戸をバンバンする音が聞こえてきて、今度はなんだと思うと大家さんで、引っ越してきたばかりのひとがいるからいちど顔合わせをどうぞと言う。挨拶なら朝もうすませたじゃないですかと応じると、昼間の彼とは別にもうひとり今日入居したひとがいるのだという。同志社の神学部で、年齢はじぶんよりも上、たしか三十をまわっているはずである。というわけでお互いに名字を名乗るだけの簡単な挨拶をすませ、陰気な宇川直宏スタイルで買い物に出かける。きちんとした食事をとるのはずいぶんひさしぶりな気がする。昨日は王将の無料餃子、おとといは250円弁当、その前はピザ、その前は職場でのつまみ食い&残飯か。首も膝もまだ完治していないので大事をとって筋トレもジョギングもお休みすることにする。お休みするといえば聞こえはいいというか、一種の贅沢か怠惰のようでもあるが、じっさいは休むというよりは我慢するといったところである。習慣を途絶えさせるのは好きじゃあない。多分にワーカホリックなところがあるので、強いて休もうとしなければ無理を押してしまうようなところがあり、こいつのせいでけっこう今まで損をしてきているのだ。ゆえに休む。今週いっぱい休み、来週も実家でたぶん休む。耐えられるどうかはわからない。休みというやつほど耐えがたいものはない。世間的にはこのうえなく怠け者扱いされているじぶんであるが、休みは嫌いである。なんだったら常に働いていたいと思っている。つまり、書き、読み、観、聴き、走り、遊び、そういう諸々を過密に営みたいのだ。
夕食をとりおえてさて作業を再開するかと思ってワードファイルを立ち上げたところでまたおもての戸がバンバンと鳴る。三度目だぞこのクソ野郎が!とイライラしながらおもてに出ると、昼間の学生さんで、あのーいま6号室でビール飲んでるんですけど、来ません?と誘うその来ません?という言葉遣いからして気にくわねえなあおれは! ゆえに、いま作業やっとんでね、とぶっきらぼうに言い放って戸を閉める。彼に罪はない。ただおそろしく間が悪いのだ。そして間の悪さとは時と場合によって罪になりうる。プリーズ・レット・ミー・アローン。読書中や映画鑑賞中ならまだしも、執筆中に水を差されると度し難くイライラする。書き物をしている人間に平気で話しかけるやつはだいたい頭がおかしい。気安く玄関の戸をノックしないでくれ。それ以上距離をつめないでくれ。たのむから静かにしてくれ。きちんと他人でいてくれ。
仮眠だ!入浴だ!執筆再開だ!部屋の電気を落とし、ヘッドフォンを装着し、珈琲を入れ、ワードファイルをたちあげる。いまこのひとときすべてが些事と化す、書くことをのぞいては。ふたたび「A」に取り組む。11時半から4時前まで。最初の二時間はクソみたいな体たらくだったが、香を焚いたりデイリーヤマザキでワケのわからんジュースを買ったりするなどして必死に気分転換を試みた結果、どうにか作業に打ち込むことができた。結果34/64枚。明日中には完成させて明後日に投函となればよい。
一日中おなじ椅子にすわり続けていたせいで首と背中がバッキバキだ。カフカ結核を自ら招き寄せた病と呼んだが、じぶんの場合は頸椎にかかわる何らかの損傷がそれにあたいするだろう。カフカは毎日アホみたいに手紙を書く。おれは毎日馬鹿みたいにブログを書く。ムージルは作家仲間からの募金で暮らす。おれは客室から引き下げられた残飯を食う。ヴァルザーはまたもや散歩に出かける。おれは年に二度ほど狂った距離を歩く。イエス