20130331

おしゃべりたちのおしゃべりを、始まりと終わりについてのおしゃべりを、ぼくは聞いた、
だがぼくは始まりや終わりのことなどに言葉は使わぬ。


かつて始まりがあったのなら今だってある、
かつて老いや若さがあったのなら今だってある、
いつか完成があるのなら今だってある、
いつか天国や地獄があるのなら今だってある。


衝動のあとに衝動、そしてさらに衝動がつづく、
つねに世界をつらぬく生殖の衝動。


曖昧模糊たるあたりから相対峙する平等な者たちが進み出る、つねに実体であり増殖をやめず、つねに性をそなえて、
つねに編み上げられていく不変の一者、つねに個別でありながら、つねにいのちを産み出していく。
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(上)』)



夜桜見に行きたい。
4時起床。5時より7時まで「邪道」作文。鼻水だらだらでまったくはかどらず。クソイライラする。8時から12時間の奴隷労働。昨日の今日で(…)さんと(…)さんが揉める。当事者両人が表立って対立したわけではないが(過去には何度かそんなこともあったと聞いているけれど)、(…)さんのふるまいにたえられなくなった(…)さんが(…)さんを前にしてワシもう(…)さん相手にキレてええかとたずねるなど緊迫した展開。(…)さんとふたりで空き部屋に引っ込み長々と話し合った結果ひとまず落ち着いたようであった(…)さんだが、それでなにもかもがきれいさっぱりしたわけでもなし、くすぶりわだかまるところが大いにあったようなので、飯でも誘ってみようかと思っていたところ、(…)さんのほうから今日寿司でも食いにいかへんかと提案があったので、了承した。
職場から持ち帰ってきたスーツが邪魔だったので(…)さんとの待ち合わせ場所に行く前にいったん自室に立ち寄り、そのついでに軽くひっかけた。ぼんやりとする頭で目的地にむかい、待ち合わせ時間より15分も遅れて現場に到着し、そこから人生で三度目くらいとなる回らない寿司屋へ出かけた。(…)さんは酒ばかり呑んで肝心の寿司にはほとんど手をつけず、さいしょ酩酊気味のこちらにやや戸惑っているようすであったが、酒がまわりはじめたらどっちもどっちだ。寿司が美味かったのは覚えているが、交わした会話の内容はほとんど覚えていない。(…)さんにたいするちょっとした愚痴がたぶん最初にあった。あと、(…)くんがこの職場に来てから(…)さんが変わった、以前はあんなにもたくさんしゃべるひとじゃなかった、というようなことを言われたのも覚えている。おまえは賢い、本音を漏らさないからな、みたいなこともいわれたような覚えもあるが、しかしこれはいくらか否定的なニュアンスであったかもしれない。あとはやたらおれは面白いだろう?おれと(…)さんだったらどっちがおもしろい?とくりかえし質問され、そのたびに笑い転げた記憶もある。板前さんや女将さんにいくらかというかけっこうというかかなり煙たがれているようにも思われたが、(…)さん曰く「あいつらおれのことヤーさんやと思うとる」らしく、閉店時間を告げる女将さんの声もずいぶんとやんわりしたものだった。
そこからとりあえず(…)さんの家にむかうことになったのだが、泥酔状態の(…)さんの奇行蛮行がえげつないことになっていたというか、要するに通行人がたちまち道を引き返してしまったりかたわらを足早に駆け抜けていったりする具合で、これ通報されるのも時間の問題だなと思っていたら(…)さん自ら道の先にひかえている交番に自転車で突っ込んでいき、警官四人相手にぶん殴り合いの喧嘩をして留置所にぶちこまれたむかしの恨みを酔っぱらうたびに思い出し結果タクシーで警察署に乗りこんで中で何やらわめきまくることになるという(…)さんの酒乱癖については以前よりほうぼうで耳にしていたけれど、まさしくそのパターンで、これ大丈夫かなぁと思っていると中からひとり太った巨漢の警官が出てきて、(…)さんの姿を見るなり、ああ(…)さんか、と口にしたものだからどんだけ警察に顔売れてんだよと爆笑した。(…)くんにどうしても紹介したかったんやとワケのわからん理由でとりあえずその巨漢の警官に引き合わされたので軽く挨拶など交わし、(…)さんの呑み仲間としてどうも認識されたらしく、まあまあ帰るなら気をつけて、でも警官としてこれいっておかなくちゃならないけど酔っぱらったまま自転車に乗ったらそれ飲酒運転だからね、みたいなことをいわれたようそうでないような、それからたしかコンビニに寄って、すると駐車場に(…)さんの友人(?)の男性がいて、このひととは(…)さんも面識があるみたいなのだけれど、このひとにむけて(…)さんがまたじぶんのことを紹介するのでどうも(…)ですとふらっふらになりながら挨拶などし、相手はたぶん及び腰の苦笑いだった。コンビニの店内ではたしかコーヒーとか麦茶とかを買った。陳列されているパックコーヒーをジャケットのポケットに一瞬にしておさめたかと思いきや、籠の中に入れなおし、おれはちゃんと買うんや、みたいなことを(…)さんが言っていたのが印象に残っている。
それで(…)さんのお宅にお邪魔したのはたしかなのだけれど、ここでどんな会話を交わしたかについてはほとんどまったく覚えていないというか、支離滅裂な言動をくりかえす(…)さんと眠気と疲労に自閉するじぶんの、およそ意思の疎通などありえないひとときだけがあったように思われる。(…)さんのお宅を去ったのは何時頃だったのか、たぶん0時はまわっていたような気がするのだけれど、それにしてもなにひとつ明瞭には思い出すことのできないことばかりで、唯一はっきりしている出来事といえばデート中の(…)さんの留守電になにやら吹きこんだ記憶のみで、じぶんと(…)さんのいったいどちらがひどく酩酊していたのか、それさえもよくわからない。とにかくコンビニで購入したコーヒーをリビングで飲み、(…)さんは叫びわめくようにしながら延々となにかしゃべりつづけ、じぶんは眠気に半ば打ち負かされながらソファにどっぷりとしずみこみ、途中で小便にいちど立ち、トイレットペーパーで鼻をかんだのをおぼえているが、逆にいえば、おぼえているのはそれくらいである。
(…)さんのお宅を後にして、帰路をたどっていたはずなのだけれど、思っていたよりも外が冷えていたのか、それともこちらの体調の問題なのか、やたらと寒くて、そして眠くて、なおかつは運動機能が圧倒的に低下していて、これはいちどどこかで休憩したほうがいいと思い、近くに(…)があったので立ち寄ることに決めた。決めたところまではおぼえているのだけれどその先があやふやで、なんとなくカウンターに腰かけ、閉店時間を過ぎているけれどもコーヒーをいっぱい飲ませてくれませんかとたずねた覚えはあるものの、席についたとたんに眠りこんでしまったのか、次にはっきりと気がついたときにはテーブル席にいて、BGMはコルトレーンの至上の愛だった。この間にどれくらい時間が経過したのか、体感的には30分から1時間といったところなのだけれど、いずれにせよブランクである。唯一おぼえているのはカウンター席に(…)さんがいたこと、じぶんがそのとなりに腰かけたこと、その(…)さんのはっきり通る声がやたらと耳に心地よかったこと、それからトイレにいちどか二度立ったことくらいである。テーブル席でもうたた寝をたぶんくりかえしていて、そのせいで記憶が断片的というか断続的なのだと思うけれども、いちど目覚めたときに、となりの席にいた女の子から寝息をたててましたよと指摘されたそのあたりをきっかけにたぶん意識がしっかりしはじめ、そのときはたしか大西順子が流れていた。ふと気づけばアラン・シルヴァのライブとかデレク・ベイリー『インプロヴィゼ−ション』の話なんかをとなりの席の女の子(以下(…)ちゃん)相手にしているじぶんがいて、その前後だったか、とにかくカウンター席に腰かけているじぶんの背中にでかいいもむしがひっついていたらしくそれをまわりのみんなが協力してひっぱがして外に捨ててきたとかなんとか、まったくもって身に覚えのない経緯を聞かされたその衝撃でなにより頭の冴えた記憶があるのだが、これも冴えていると思いこんでいただけで実際のところはまだまだぼろっぼろだったんじゃないかということは、いまこうしておぼろげなひとときをふりかえりながら書きつづる困難からも明白である。(…)ちゃんを相手にして本とか映画とか音楽とか美術とかの話をたくさんしたのは間違いないのだけれど、いったいどこまできちんと話せていたのかはなはだこころもとないというか、(…)ちゃんはたしか19才で文学部で美学かなにかを専攻しているみたいなことをいっていて、それゆえに美術の話がおおかったはずで、セザンヌマティスティツィアーノフェルメールロダンポロックジャコメッティゴッホゴーギャン、ベーコン、ターナー、モネ、ピカソ、ブラック、たしかそんな名前が出たはずだ。あとは、ドン・チェリーのCDを買ったといっていたのも印象に残っている(ナイスセンス!)。
どういう経緯でそうなったのかよく覚えていないけれども長々と居座るうちに(…)さんからまた経済基盤をしっかりしたほうがいいとかもっと他人に小説を読ませてみたりすればいいといったことをいわれたりして、そのあたりのことを説明するには欲望の話にとどまらずこちらの芸術観・世界観みたいなことをまず前提に語る必要もあり、ゆえに語ったのだけれど、頭が朦朧としていてうまく論旨を運ぶことができず、というかふだんから考えている事柄ではあるので言葉それ自体はほとんど自動的にすらすら出てくるのだけれど、その展開の順序が説得的ではなかったかもしれないというか、説得的に組み立てるだけの余力がまずなかった。いちばんよくおぼえているのは共感至上主義にたいする強烈な違和感をまずじぶんが持っているということを述べるにあたってしかし同じ共感という言葉ひとつとってもこちらとむこうとではむろん込める意味=方向がおおいに異なるそのわずかな差異が複雑系の世界のようにしてじつに巨大な差異を導き出すことになるむずかしさを感じたことで、抽象的な話がその抽象性を保ったまま通ずることがなかなかないのはこのような言葉の特質によるものともたぶんいえる。ずいぶん長々としゃべった記憶というか経た時間の厚みみたいなものはしっかり残っていて、しゃべっているあいだはもうすっかり冴えているつもりだったのに、こうして思い返してみるとかなりあやういというか、勢いのよいうわごとのように聞こえてしまったかもしれない。結局お店には朝方の4時半ごろまで滞在したように思うのだけれどそこから駐輪場でまた(…)ちゃんと少し立ち話して、このあたりのことになるとさすがによりクリアになっているのだけれど、それでも帰宅してから眠りにつくまでの過程がすっぽり抜けている4月1日現在12:44。しゃべりすぎたためなのか、それとも風邪でもひいてしまったというのか、のどの奥がむちゃくちゃ痛い。目が覚めたら部屋の入り口に朝食セットみたいなのが置かれていた(むろん部屋の戸は鍵を閉めてあったにもかかわらず)。これからもろもろの準備をして実家にむかう。