20130401

子供が両手にいっぱい草をつかんでぼくのところに持ってきて、「草ってなあに」とぼくにきいた、
その子にどう答えたらいいのだろう、子供どころかぼくにだって草が何だか分からないのに。
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(上)』)

ぼくがぼく自身のものだと印を付けるすべてのものに、君もぜひとも君自身のものを対置させよ、
そうでなければぼくの話を聞いていたって時間の無駄だ。
ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(上)』)



四月だぜ! 夜桜見に行きたい!
12時起床。のどが痛い。部屋の入り口にハムと目玉焼きと赤飯ののった皿が置いてあるのを発見。灯油を入れにいくついでに大家さんに会って礼を言う。礼を言いつつも、木曜日まで実家のほうで過ごす予定なのでその間どうか合鍵を使って勝手に部屋のほうにあがるような真似は避けてほしいとやんわり釘を刺す。先日越していった中国人の(…)さんが故国に奥さんと子供を置いたままこちらで生活しており、その関係でなにやらもめ事のあったらしいことを知った。(…)さんの親族一同がやたらと頻繁に出入りしていたあの物々しさの原因はどうもそこにあったようである。大家さんが入院している間に空き部屋を倉庫として不法使用していたみたいな話もしていて、たしかに(…)さんは寝泊まりする部屋以外にもあと二部屋ほど大家さんから借りていたようであるけれども、あれは家賃を支払っていなかったんだろうか。結婚はむずかしい、結婚には慎重にならなければならない、とくりかえす大家さんは話題が(…)さんの身辺にうつるたびに、あの方の結婚は失敗の巻や、と口にする。失敗の巻! なんとすばらしい表現だろう!
それでたぶん中国つながりの話題からだったように思うのだけれど話がいつしか(…)さんのことにおよび、(…)さんは日本語教師として中国にわたるまでのつなぎの仕事として京都か実家のある大阪でゴミ収集でもしようと考えているらしいけれどもわたしは反対だ、と、その時点でもう次にくる言葉はおおかた予想がついていたのだけれど、あんなのは部落のする仕事だ、四つのやることなのだ、と四本指をたててみせながらなにひとつ悪びれることもなければ秘密めかすこともなく大家さんは口にして、以前(…)さんの働く和食屋へ行ったときにゴミ収集でもしようかなと考えているのだけれどまわりのひとたちにわりと反対されるんだよねと(…)さんが少し口を濁すふうにいっていたのも要するにたぶんこういうことなんだろうなとひそかに思っていたりしたのだったが、ああやっぱりなな展開の今日で、京都はこの手の差別意識が根強い。大学時代の同級生は京都以外の地域出身の人間のほうがむしろ多かったから身近なところでその手の発言に相見えることはほとんどなかったけれども、卒業後いちフリーターとして京都生まれ京都育ちの同僚らのいる職場で働くようになりだして以降は鮮度の高い差別意識を悪びれもせずに発露するひとびととかなり頻繁に出くわす毎日で、というかこれは要するに京都という地域のお国柄に帰する話ではなくって日本全国どこであろうとローカルな細部に分け入ってみればいやがおうでも出くわさずにはいられない醜悪さであるといったほうがおそらく適切で、この手の意識は陰に日向にまだまだ現役で色濃く影を落としているものなのだろうし、事実、じぶんの地元でもその手の話をちょろちょろと耳にすることがあるのだ。
荷物をまとめて家を出たのが14時だか15時だが、ひとまず地下鉄に乗って京都駅まで行ったのだけれど、さすがの観光シーズンだけあって信じられないほどのだだ混みだった。車内では若い西洋人男性のバックパッカーと隣り合わせになったのだけれど、色白でひょろりとして背が高く、細いめがねをかけていくらかインテリ風で、どことなく緑味がかってみえる黒髪は短く刈られているわけでもなければ長々と伸ばされているわけでもなく、なんとも形容しがたいごくごくふつうの長さのごくごくふつうの髪型にまとまっていて、体躯といいめがねの組み合わせからしても日本のアニメとゲームが大好きな西洋人オタク(ガリ痩せバージョン)みたいな風貌であるのだけれど、そうした印象をほとんど暴力的に裏切ってみせる一点として、装着したマスクがふくれあがるほど量感たっぷりのヒゲ、それこそムスリムの指導者や北欧の神秘主義者やバイキングやバーサーカーみたいなとんでもなくもじゃもじゃの、はしばしに白髪のまじったこわいヒゲをボーボーに生やしていて、このアンバランスっぷりはすごい。顔つきはティーンなのに、髭だけ老師になってる。
京都駅に到着してからとりあえず特急券を買うために列にならんだのだけれど、特急券と定期か何かを買う列が同じで4月1日新年度、長蛇の列であった。コンビニでコーヒーだけ買って列車にのりこんだ。いつものことといえばいつものことだけれど本を読みだして数ページもしないうちに眠りこんだ。乗り物にのるといつも一瞬で眠りに落ちる。これは幼いころからの性向だ。ほとんど100%寝る。車でも、電車でも、バスでも、タクシーでもそうだ。昨夏タイへ行くのにうまれてはじめてのった飛行機でもやはり寝たし、バンコク水上タクシーでもやはりうつらうつらした。ソンテオでもトゥクトゥクでも寝た。目的地に到着するたびに(…)に起してもらった。(…)と別れてからはたまたまおなじ車両に乗り合わせていた西洋人がちょんちょんと肩を叩いて起してくれた。だれも起してくれなかったらきっといまごろ内臓をぬかれていただろう。
(…)に到着した時点で小便がしたくてたまらなかったが、どうせ次でおりるのだし駅ですませればいいやとなめた真似をしたおかげで、膀胱がリーマンショックしかけた。駅には弟が迎えに来ていた。実家に帰るとワン公の大歓迎とニャン公の黙殺が待ち受けていた。夕飯は海老フライだった。美味かった。たらふく食った。
食卓で母の職場にストーカーまがいの男が出るという話になった。母が勤めているのは一種の公共施設みたいなところで放課後の鍵っ子たちが集ってはみんなでトランプをしたりゲームをしたり本を読んだりするような、かといってべつに利用者は子供限定というわけではなく市の図書館と提携していたりもするので近所のじいさんが図書館から取り寄せた本をそこで受け取ったり逆に返却したり、あるいは資格勉強や受験勉強にいそしむ若者や大人のいないわけでもないというそんなフリーなプレイスで、利用者は子供限定というわけではないといちおう断りを入れたもののそれでもやはり基本的には子供たちの出入りするところであるから母もそこでは先生と呼ばれていたりするのだけれど、同じく先生と呼ばれる同僚はほかにたしかふたりいて、ひとりが(…)先生でこのひとはたしかじぶんとそう年齢の変わらないひとでじっさいに対面したこともあり、もうひとりが(…)先生というらしくてこちらのひととはじぶんは面識などないのだけれど21歳だったか、若く、(…)先生がけっこう勝ち気であるらしいのにくらべるとわりあいおとなしいひとらしくて、この(…)先生がどうもストーカーらしい男に狙われているという話らしい。TOEICか何かの勉強に来ているといってここ一年ほど毎日のようにフリーなプレイスの自習室にやってくる三十代の男がいるらしいのだけれど、先日その(…)先生がまもなく閉館時間ですのでとそのTOEIC男がひとりでいる部屋に声をかけにいったところ、ぼくスーパーで洗い物のバイトをしているんです、だから手がこんなにも荒れていて、ほら、すごいでしょう? とかなんとか言いながらいきなり(…)先生の手をぎゅっ! みたいな。この時点でだいぶん気色悪い話であるのだけれど、さらにえげつないことには数日前、母か(…)先生のどちらであったかは忘れてしまったけれど女子トイレに出向いたところ個室がひとつ使用中になっていて、すでに閉館まぎわの館内にいる女性は母とその同僚だけになっているはずで、そして彼女らはみなそれぞれの持ち場にいる、じゃあいまこの個室の中にいるのは誰なんだよというアレになって館内の自習スペースみたいなところに戻ってみたところ、TOEIC男の荷物だけが机の上に置きっぱなしになっていて当人の姿がない。ということがあったので管理人さんとかに事情を話して警戒モードになったその翌日だか翌々日だかにもまた同じことがあって、つまり、女子トイレの個室のひとつが使用中になってはいるものの館内にいる女性はすべてそれぞれの持ち場にいる、そして自習室にはTOEIC男の荷物と不在のその姿な展開で、それで管理人さんをさっそく呼んでトイレの入り口に立っていてもらい、出てきたところを注意してくれるようお願いしたらしいのだけれどTOEIC男はなかなか中から出てこず、しかもよくわからない物音が個室の中から聞こえるみたいなアレで、この時点でじぶんも弟もひょっとすると盗撮目的でカメラか何か仕掛けてんじゃないのかと思ったのだけれど、とにかく、ずいぶん待ったところでようやく出てきた。声をかけた。「そちらは女子トイレですよ」「あ、すみません、まちがえました」一年近く通いつづけて間違うもクソもあるかよというアレで、ほかにもTOEICの勉強に来ているとかいうわりには一日中オープンスペースで携帯をいじっていることも最近はよくあるらしく、しかもそのオープンスペースに設置してある椅子の位置がそこに腰かけたらぎりぎり(…)先生の働く姿が視界におさまるそんな位置に微妙に移動されていたりもするらしく、さらにはぽちぽちいじっている携帯がときどきあからさまに(…)先生のほうに向けられていることもあるとかなんとか、写メ撮ってんじゃねーよみたいな感じで、なんかだんだんとエスカレートしつつあるらしい近頃の動きを見ているとさすがにちょっとまずいんではないのという空気になっているという。ひとまず(…)先生には催涙スプレーかブザーでも持たせようという流れに職場ではなっているらしいのだけれどその手の防犯グッズのカタログかなにかを見ているときにその(…)先生がこんなの買ったほうがいいですかねーといいながら母に見せてきたのがよりによってさすまただったという話には大爆笑した。ひとまず管理人さんに注意してもらったわけであるしこれで相手がさすがにやばいと思ってもう来なくなるみたいな展開になればいいのだけれど、これにも懲りずにまだまだ通い続けるようであったらちょっとねーというアレで、いずれにせよ明後日には母を職場まで迎えにいく必要があるのだしそのときついでにTOEIC男のご尊顔を拝ませてもらうなりトイレをチェックさせてもらったりしましょうかという段取りになった。あるいは(…)先生のヒモという設定で館内に入ってくるなり(…)先生のファーストネームを大声で叫びながら「おい小遣いくれやー」とか「帰りに注射器買ってこいよ」などと輩っぷり丸出しの物言いで登場するという吉本新喜劇もかくやみたいな作戦を考えて盛り上がり、最終的に弟の「(…)ちゃんがカツアゲしたったらもう二度と来やんくなるんちゃう?」というきわめてシンプルな提案で落ち着いた。
翌日の式にそなえて風呂場で髭を剃り、弟の部屋に布団を敷いたのが23時かそこら、弟の友人の私物であるという高橋慶太郎ヨルムンガンド』という漫画が置いてあるのを見つけたのぱらぱらとめくっているうちにいつしか明け方5時、全巻読み終えたところで犬猫どもの毛にたっぷり付着している鼻づまりに悩まされながら眠りについた。